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第三話 すれ違いの不思議 四

このへんから微妙に恋愛要素を滲ませます



「え、じゃあさ、要するに、蝶羽はその日いつもの店にいて、蝶仙の頼んだ売り子も同じ店に行ったのに、二人はどうしてだか会えなかったって、そういうことなんだね?」

 蝉玉が目を輝かせて訊ねる。

 揺れる紐を見つけた猫のように活き活きとした表情だ。

「それは謎だね! 混じりけなしに謎だね! 判官様、どういう謎解きをするんだい?」

 雪衣は眉をあげ、顎に手を当てて考え込んだ。

「そうですね――もの知らずの判官様としては、できればまず、洛北の地理をおさらいしたいのですが――」

 と、四阿のなかを見回す。

「うん。これがちょうどいいや。その四角いところが洛中だとしますね?」

 六角形の四阿の床は当然六角形だが、真ん中の部分にだけ白い真四角の大理石がはめてある。

雪衣がその一片を指さして言った。

「月、ちょっとそこに立ってくれる? 内側に顔を向けて」

「こう?」

「うん。そうそう。柘榴庭の立っているそっちが南側だとしますね。そうすると向かいが北側。大橋道っていうのは、洛北を東西に延びているんですよね? ええと、何かまっすぐな棒みたいなものがないかな?」

 雪衣が期待に満ちた目で侍女たちを順に眺める。

 侍女たちはきっと眉を吊り上げ、紅と緑と薄紫のフリル付きの日傘をしっかと胸に抱いた。上等の本繻子(サテン)の傘を濡れた床になど横たえてなるものか! そんな決意が漲っている。月牙は苦笑して箙から羽矢を抜いた。

「はいこれ」

「あ、ありがとう。ちょっとこっち預かっていて」

 雪衣は黒天鵞絨の小箱を無造作に手渡し、同じほど無造作に矢を受け取ると、月牙と向き合う一片と平行になるように、大理石の四角のすぐ外に羽矢を横たえた。

「で、これが大橋道と。あとは――」と、しばらく左右を見回してから、腰板の外へと手を伸ばして、雨に濡れた石楠花の葉を何枚か摘み取った。

「三軒楼の位置ですね。お三方、その四角が洛中、矢が大橋道だとして、三軒楼の位置にこの葉を並べて貰えますか?」

 雪衣が白い掌を拡げて葉を示す。

 真っ先に蝉玉が一枚を取った。

「ええと――煙花楼がこのへんかな?」

 蝉玉が葉を置いたのは、月牙から見て左よりになる、矢のさらに外側だった。

「そうそう、そのへんだよ。で、左隣が明星楼」と、芳春が最初の葉の右側にもう一枚の葉を置く。

「姐さん、そしたら御池はその矢と四角のあいだってこと?」

「そうそう。煙花楼のお向かいがちょうど天后娘娘さまの御堂だよ」

「懐かしいねえ」


 月牙はそこでようやく気づいた。



 ――ああ、三軒楼は北を背にして、南側に表門を並べているんだ。


 長いことその妓楼(みせ)で暮らしてきたこの()たちにとっては、右側は東側、左側は西側にあたるのだ。


 月牙が気づいたことを察したのか、頭を寄せ合って熱心に葉を並べる娘たちの後ろで、雪衣が柔和(やさ)しい忍び笑いを浮かべていた。


「判官様、できたよ! ちょうどこんな感じさ」

「ありがとうございます。では最後に――」

 と、雪衣がまた外に手を伸ばして、薄紅色の石楠花の花を一輪だけ、丁寧な手つきで摘んで蝶仙に手渡した。

「この花を、先ほど仰っていた「御池の一番左端」のお店の位置においてくださいますか?」

「あ、はい!」

 蝶仙が緊張した面持ちで応え、腰をかがめると、月牙から見て一番右側の葉と、矢を挟んで向き合う位置にそっと花を置いた。

「ここです。明星楼のお向かいで、北大橋に近いあたり」

「――なるほど」

 雪衣が莞爾と笑った。

「ねえ月、洛中側から見ると、花は左右どちらになる?」

「右だね。完全に右側」

 月牙が微苦笑しながら応える。

「そういうことですよ」


 三人娘は一瞬ぽかんとしてから、拍子抜けたような声をあげた。

「なんだあ」

「そういうことだったのかあ」

「じゃ、売り子は一番右端で――洛中から見て一番左端のお店で待っていたってことですか?」

「そうじゃないかと思いますよ。あなたがたはいつも北を背にして南を向いて左右を考えていたけれど、洛中側から見れば正反対になります。御池のほとりに、洛北名物鶏米麺を出す店はたくさんあるのでしょう?」

「は、はい! とてもたくさんあります」

「どうですお若いマダムがた、腑に落ちて貰えましたか?」

「腑には落ちたけどさあ」と、芳春が鼻を鳴らす。「解けちまうと案外つまんない謎だね。右と左を逆さに取り違えていただけだなんてさ!」

「謎なんて大抵はそんなものですよ。逆さから見たらごく簡単な答えがあるものです。――さて、そろそろ雨もあがりそうだね。月、矢をありがとう」

 雪衣が羽矢を拾って差し出してくる。

 月牙は片手で受け取って箙に戻してから、黒天鵞絨の小箱を返した。

「ああ、そういえば、その花は踏みつぶしたりしないでね? できれば池に浮かべておいて。私はどうも石楠花って花を無下にできないんだよ。それじゃ、お若いマダムたち、稽古にお励みくださいね!」

 雪衣は元気な挨拶を残し、黒い小箱を大事そうに抱えて石段を駆け下りていった。

 雨はもうあがりかけていた。

 軒に連なる水の雫が光を宿している。


「ねえ柘榴庭さま――」

 遠ざかる背を見送りながら蝉玉が小首をかしげた。

「あたしにもちょいと謎があるんだけど」

「何でしょう?」

「宰相さまの御連れはどんなお方なのかな? あたしンとこの兵部尚書さまよりお偉いのは左右の宰相さまだけでしょ? 今日は来ていないみたいだけど、どんなお方なんだろ? 柘榴庭さま知っている?」

「あいにくと私もよく」と、月牙は苦笑した。「右宰相公は御高齢ですから、舞踏会には参加なさらないのかもしれません」

「じゃ、左宰相公は? 京のめぼしい妓の誰でもなさそうなんだよ!」

 蝉玉が焦れた声で言う。

 秋の大舞踏会の発案者とみなされている尚書令たる左宰相、槙炎卿(しんえんけい)公の舞踏のお相手は誰か?

「それは謎ですね」と、月牙はお茶を濁した。「きっとそのうち時間が解き明かしてくれる謎ですよ」

「ふぅん」

 蝉玉は意味ありげに応え、妙に剣呑な目つきで月牙を見上げてきた。

 月牙はたじろいだ。

「ど、どうなさいました?」

「あんたじゃないの?」

「は、はい?」

 今一体何を言われたのだ?

「だからさ、宰相公の御連れ。柘榴庭さまは宰相公のお気に入りだって、あちこちでしょっちゅう聞いたよ?」

 咄嗟に応えに窮していると、今度は芳春が口を切る。

「私も吃驚したんだよ。柘榴庭さまは大層ご器量がいいって噂ではあったけどさ、役者みたいな美男に見える背丈の高い年増だって、そういう話だったのに」

「そうそう、到底女には見えないって」

「姐さんたち、何を言い出すの!」と、蝶仙がなだらかな眉を吊り上げて怒る。「あんまりご無礼でしょうが!」

「いや蝶仙さま、お気になさらず」月牙は苦笑した。「マダムがた、私はまさしくその通りのものでは?」

 答えるなり芳春に舌打ちされた。

 蝉玉がはっと太い息を吐く。

「何言ってんだい。あんたどう見ても女だ。十八のときにはきっとあたしより綺麗だっただろうなって思わせる、滅多にない上等の女だよ」

「造作としてはそうかもしれませんが」

 月牙は素直に認めた。

「私は妓官ですよ。―-いえ、もう元・妓官ですが」

「それがどうしたってのさ」

「妓官は守り戦うものです」

「だから?」

「だから――いわゆる女というものとは、また違う存在なのですよ」

 月牙は本気でそう思っていた。

「あんた、意外と嫌な女だね! いわゆる女ってものを馬鹿にしているんだろう?」

「いえ、とんでもない。まさかそのようなことは」

 蝉玉はフンと鼻を鳴らすと、今度は雪衣が駆け下りて行った石段の下を横目で睨みつけた。「案外と言えばあのお方も、ちょいと案外だったねえ。芝居に出てくる判官様といや白髪の老太婆(おばあさま)なのにさ――」

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