第三話 すれ違いの不思議 三
「ええと、どこまで話したのでしたっけ――」
「あんたと妹妹が、月の中日にはいつも外出して天后娘娘御堂にお参りしていたってとこまでだよ」
「あ、そうでした。それで、あたしたち、お参りが済むと必ず御池の一番左のお店で一緒に鶏米麺を食べていたんです」
「なんで左側?」と、芳春が首をかしげる。「水月楼とは正反対じゃないか」
「それは――」
蝶仙が口ごもる。
「女将さんが、妓楼の前で二人して刻み大蒜入りの麺をお代わりするのだけはやめとくれって」
「なるほど」と、雪衣が深く納得したように頷く。「そして?」
「そして――あたしは二月前に、南大辻の塩政さまのお邸に入ったんです。それで、この耳飾りを買ってもらいました」
蝶仙が頬を赤らめ、ちょっとばかり得意そうに左の耳元を示す。
蝶を象った銀の台に小粒の真珠を嵌めた美しい細工である。
「綺麗なもんだね」と、蝉玉が悔しそうに褒める。「法狼機風の細工だけど、わざわざ海都から取り寄せたのかい?」
「ふん。その石じゃどうせ奇瑞商行だろ」と、芳春が小ばかにしたように言う。
「奇瑞商行とは?」
「え、判官様知らないの?!」
「主計判官っていうのは日々勘定で忙しいんですよ。月は知っているの? その奇瑞何たらというの」
「うん。まあね。小耳に挟んではいる。私はてっきり雪はよく知っているもんだと」
「悪かったね、もの知らずで!」雪衣があからさまに悔しそうな表情をした。「何なの、その名からして露骨に怪しげな商行?」
「このごろ南大辻に店を構えた雑貨商でね。どういう仕入れの伝手を持っているのか、海都租界のリュザンベール商人を介さずに舶来品を扱っているんだ」
「大した品じゃないけどね」と、芳春が鼻を鳴らす。
「たまにいいものもあるよ」と、蝉玉。
「へえ。そんな商行があるのか」
「雪が知っていると思ったのは、京洛の店の主人は雇われ人で、奇瑞商行の本拠は海都だって話だったからさ」と、月牙はとりなした。「柘榴隊の九龍と子明も全く知らなかったし、たぶん本当にこの頃出てきた新興の商行なんだろうね。私が知っていたのは、あの商行の雇人がみんなお仕着せとしてリュザンベール服を着ているからなんだ」
「ああ、赤心党の標的になりかねないんだね?」
「そういうこと。どっちにしても店の位置からして柘榴隊の巡邏範囲の西端に引っかかるから、念のためにいつも気にはかけているんだ」
「なるほどね――。蝶仙どの、その耳飾りは、やはりその奇瑞商行で?」
「あ。はい。塩政さまのお邸は南大辻ですから、あたしが入るとすぐ、法狼機服を来た売り子がいろんな小間物をもって訪ねてきたんです。お名前にちなんで蝶の品をって。老爺はそのなかで一番高価いのを買ってくださいました」
「高価いたって奇瑞商行だろ? たかが知れているよ!」と、蝉玉が顔の前に手を広げて自分の指輪を見せびらかす。「あたしのこの紅玉の指輪は海都のベルトラン・エ・ルナール商会から取り寄せたんだよ」
「私の飾り櫛はラルサン商会だよ。蝶仙、あんたももっと強請って本当にいい品買ってもらわなけりゃ」
「いいの! あたしはこれが好きだから」
蝶仙は唇を尖らせて言い、耳飾りをちょっと撫でてから続けた。
「売り子はそれからもときどき来ました。いつも蝶の形を揃えてくれるから、あたし、妹妹にも何か贈ってやりたくなって、老爺が好きに使うようにってくださったお小遣いで、綺麗な碧の琺瑯の簪を買ったんです」
「その奇瑞商行はリュザンベール風ではない品も扱っているの?」
「はい。なんでも扱っているんです。蝶羽は――妹妹は法狼機風のものが大好きですけど、あたしたちのいた水月楼の女将さんは、あんまり新しいものは好きじゃなくて」と、蝶仙が表情を曇らせる。「だから、いきなり法狼機服の売り子が訪ねたら妹妹が肩身の狭い思いをするかと思って、月の中日に御池の左端のお店で渡してくださいって頼んだんです。蝶羽はあたしとよく似ているし、中日の昼時に行けば必ず韮入り油と刻み大蒜入りの鶏米麺を大盛りで食べているはずだから、見ればすぐ分かるからって」
「そうだねえ。それはすぐ分かるだろうねえ……」と、芳春が遠い目をする。
「でも、売り子が言うには、中日の昼前から夕方近くまでずっと待っていたけど、そんな妓はとうとう現れなかったって」
「簪はどうなったんです?」
「売り子が持って帰ってきました。一緒につけた手紙だけは、店の丁稚に頼んで水月楼に届けてもらったけど、簪のほうは、もう代価をいただいている品を買い手に無断で他所の店の者に預けるわけにもいなかいからって」
「しっかりした売り子ですね。末端までそういう躾が行き届いているとなると、そう怪しい商行でもなさそうだ。それで、妹さんがなぜその日は現れなかったのかというのが謎なのですか?」
「違います。そうじゃないんです。蝶羽だってたまには出られない日だってあるでしょうし。その日はたまたま会えなかったんだろうなって、そう思っていました。でも、あとで手紙の返事が届いたとき、こないだの中日にいつもの店にいったらもう香菜が出ていたから、三杯目はそっちで食べてみたって、そう書いてあったんです。今年もすごくおいしいから姉さんにも食べさしてあげたいって――」
蝶仙がぐすっと鼻を鳴らす。
「三杯目……」
芳春が怯えたように呟く。
「―-つまり、妹さんはいつも通り、先月の中日にも鶏米麺を食べに出ていたと、こういうことなんですね?」
「そういうことなんです!」