第三話 すれ違いの不思議 二
ほぼ米麺の話しかしていません。
「え? 米麺?」
芳春が頓狂な声を出す。
「あんたいきなり何言い出すのさ」
「米麺がどうかしたの?」
雪衣も戸惑い顔だ。
蝶仙が真剣な顔で首を横に振る。
「ただの米麺じゃありません。洛北名物鶏米麺です。これは本当に美味しいんです。鶏ガラと川海老の合わせ出汁のあつあつの湯に透き通った細い麺が泳いで、こりこりっとした軟骨入りの鶏肉団子がたっぷり入っているんです……!」
小さな拳を握りしめて熱く語る。
芙蓉の花びらでも食べていそうな儚げな見た目に似合わず食に執着のあるタイプのようだ。
「ああ、あれは美味しいよね」と、蝉玉まで言い出す。「冬になると鶏団子に刻み蓮根が入ってさ。あたしはちょいと八角入りの胡麻油を垂らして食べるのが好きだった」
「姐さんまで何の話を始めるんだよ」と、芳春が呆れ声を出す。「ま、でも私は香菜だね。そろそろ時期だろう。天后娘娘さまの御池でとれた瑞々しい青いのをどっさり乗せて食べるのがいいんだ」
「香菜? なぁに気取っているのさ」と、蝉玉が鼻を鳴らす。「あんたなんでも生の香菜のせときゃ洒落た妓だと思っているだろ? 蝶仙、あんたどっちが好きだい?」
「あ、あたしは韮入り油と刻み大蒜ですぅ」
「……あんたそれ、客と一緒に食べてたのかい?」
「水月楼の双蝶が何やってくれちゃってるんだよ! 洛北妓みんなの恥になるじゃないか!」
「お、お客と何か食べていませんって! 蝶羽とです。妹妹と食べていたんです!」
「双蝶が二匹並んで韮と刻み大蒜ぅ! ますます何やってんだよ!」
「だっておいしいんだもん! 一番おいしいんだもん!」
茫然と聞いている月牙と雪衣を尻目に、お若いマダム三人は洛北名物鶏米麺の話題で盛り上がっている。
「……ええと、マダムたち?」
息継ぎのために会話が途切れる隙を狙って、雪衣が恐る恐る口を挟む。
「洛北名物鶏米麺がとても美味しそうなことは分かりました。私なら八角抜きの胡麻油和えの香菜ですかね――いや、それはいいんですが」
と、口元を押さえて唾液を飲み込んでから続ける。
「その麺にどういう謎が?」
「いえあの、麺に謎はないんです」と、蝶仙が――韮と刻み大蒜入りの鶏米麺を思い浮かべているのか――哀しげに眉を寄せながら応える。
「実はあたし妹がいまして、妓楼にいたころは、いつも月の中日に外出を許して貰って、二人で天后娘娘さまの御堂にお参りしていたんです」
「ああ、洛北の媽祖分堂だね。たしかあの堂は大きな蓮池のなかに立っているのだったか」
「そうなんです。あたしたちのいた水月楼とは、大橋道を挟んで向かい側で、御池の端にはいろんなお店がずらっと並んでいて、とっても楽しいんです」
「祭日なんかは賑やかなもんだったよねえ」と、蝉玉が懐かしそうに眼を細める。「あたしと芳春は真ん中の煙花楼にいたんだ」
「真ん中とは?」
「あれ、判官様知らないのかい? 洛北の三軒楼だよ」と、芳春が不服そうに説明する。「私と蝉玉姐さんのいたのが真ん中の煙花楼。蝶仙がいたのが右隣の水月楼。左隣の明星楼と並んで、洛北じゃちょっとした名だったんだ」
「なるほど。―-すると、今日お集まりのマダムがたは、かなりの部分がその三軒から?」
「いや、そんなことないよ」と、法春が鼻をそびやかす。「三軒楼から来たのは今が盛りの若いのだけさ」
「御職を張った姐さんがたは、落籍されないまま盛りが過ぎれば大抵は他の妓楼に移るからね」
「しかし、どちらにしてもみな顔見知りなんですね?」
「大体はね」と、蝉玉が眉をよせる。「でも、幾人か全然知らない姐さんがいたんだ」
「田舎の宿駅の姥桜だよ」と、芳春が鼻を鳴らす。
「ね、判官さま、柘榴庭さま、あたし不思議なんだけどさ」と、蝉玉が訊ねてくる。「京の外の宿駅の官妓が、どうして洛中の大官さまと古なじみになれるんだろう? なんだか怪しくない? ほんとは密偵だったりしてさ」
蝉玉がきらきらと目を輝かせて訊ねる。
「いや、それは怪しくありませんよ」と、月牙は苦笑しながら応えた。「在京の大官の多くは、前職として諸道節度使を経ていますからね。節度使は平時は在京していますが、年に一度は任地を巡検しますから」
「それに、正三位節度使の前職として多いのは、尚書省六部の判官でなければ、正四位相当の諸都市の都督ですからね」と、雪衣も言い添える。「都督は在官中は任地に赴きますから、その時期になじみになった官妓を、京での地位を確立したあとで奥方に迎え入れるのは割合によくあることだと思いますよ」
「なんだ、謎じゃないのか」と、蝉玉がつまらなそうな顔をする。
「柘榴庭さまもよく知っているんだねえ」と、芳春が微妙に失礼な感心の仕方をする。
「そういえば蝶仙、あんたの謎とやらはどうなったのさ?」
「あ、はい。続けますね」
忘れかけられていた蝶仙が忠実な子犬みたいに頷いて口を再び口を切る。