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第二話 奥方が多すぎる 三

 本日新租界にお集まりの「奥方」たちは、文字通り、洛中の貴顕の家の「奥の方」からやってくることだけは確かだろうが、たぶん正妻はいないだろうと月牙は踏んでいる。


 ――貴顕の家の奥つ方といったら、一度入ったら外には滅多に出ないし、輿か車に乗らないで道を歩くなんて論外だし、家の外で顔を見せることさえはしたないといって嫌うもんなあ。いくら旧・後宮の中とはいえ、同じ家格から嫁いできた正妻が来るとは思えないよ。


 元・後宮女官としては珍しくもない経歴だが、月牙は寡婦である。

 十三のときに美貌を見初められて往時の北塞都督の後妻として嫁したが、父親というより祖父の年だった夫が二年もたたずに死んだあとで、よりにもよって義理の息子に言い寄られてしまった。

 婚家は若様の乱行を隠蔽すべく、「すべてはあの北夷女が誘惑したせいだ」と十五歳の月牙に責任を被せて生家へと突き返した。

 北夷というのは「北の野蛮人」という意味だ。

 月牙の属する北塞の蕎家は、多数派の双樹下人とは系統の異なる「カジャール人」と呼ばれる北方騎馬民族の末裔である。三〇〇年間ばかりも昔に双樹下に服したかジャール人の家系は、下級武官にはしばしば見られる。

 白鷺の羽矢の箙を負って後宮を守備した「武芸妓官」という官職自体が、その昔カジャール三氏族が双樹下に服したとき人質として献じた三人の姫に由来している。

 月牙たちカジャール系の家にとっては、「柘榴庭どの」は名誉の称号である。

 あらゆる名誉を喪った――と、そのときは確かに思った――十五の年から十三年が立つ今、月牙は今も頭領として「柘榴庭」に立っているのだった。



 ――きっと私は最後まで「柘榴庭どの」と呼ばれるだろうな。でも、きっと私が最後だ……



 貴顕の家の奥方、という言葉に思い出したくもない記憶が触発されてしまった。黙り込んだ月牙に、

「やっぱり尊夫人じゃだめなのか?」

 と、桂花がちょっとじれたように訊ねる。

 月牙は我に返った。

「ああ。今日来る方々の殆どは、たぶん正妻ではないだろうからね。その呼ばれ方をしていたと侍女の口からでも本物の尊夫人に伝わるとご苦労なさる方もいる、かもしれない」

「なら姨太太(おへやさま)?」

「いや。そっちも好ましくはない。実際みんな姨太太だとは思うんだけどね、一応、尚書省礼部からのお達しでは、大舞踏会に連なる官は必ずしかるべき身分のパルトゥネールを伴うことってなっているんだし」

 最近覚えたばかりのリュザンベール語を巻き舌を強調して発音してやる。隊士たちが一斉に感嘆するのが分かる。

と、小蓮が小首をかしげて訊ねてきた。

「ねえ頭領、ずっと思っていたんですけど、その〈ぱるとぅねーる〉って結局なんなんですか?」

 月牙は聞こえないふりをしたかったが、好奇心旺盛な十五歳はなぜなぜ期の幼子みたいに答えを待っている。

心なし、目の前に並んだ隊士たちの全八〇もの眸も、きらきらとした期待を込めてこっちを見ている――ような気がする。


 月牙は冷や汗をかいた。

 さっき立て直した頭領の威厳が音を立てて崩れていくのを感じる。

玉夏(ぎょくか)さまに聞いたら、(わらわ)にとってはアンリのことじゃって答えられたし、九龍さんに聞いたら、俺にとっちゃ今はこれだなって磨きすぎてやたらピッカピカのマスケット見せてくるし」

「私は麗明(れいめい)さまに聞いたんだが」と、桂花まで口を挟む。「頭領にとっての判官様だって答えられた」

「アンリさまとマスケットと雪衣様? 共通点って何?」

「……マスケットを除けば、二人とも人ではあるな?」

 桂花が真剣に不毛な考察を始める。

 顎先に手を当てたポーズはもしかしたら謎解き名人判官様のものまねなのかもしれない。

 恐ろしいことに平隊士たちも真剣に続きを待っているようだ。

 アンリはリュザンベール人男性で雪衣は双樹下女性。そしてマスケットはマスケットだ。

 その三点に共通点が何一つないことだけは明らかである。

 きっと伝達間違い的な何かが起こっているのだろう。

 どう考えてもその謎はここで解明すべきではない。

 月牙は慌てて話題を変えることにした。

「ま、あれだよ。きっといろいろ意味のある言葉なんだよ。パルトゥネールがなんであれ、しかるべき身分のと決められているんだから、今日おいでになる方々はしかるべき身分のお方として扱うわなけりゃならない」

「じゃ、なんて呼ぶんだ?」

「う――ん」

月牙はしばらく考え込んでから、すばらしい解決策を思いつけた。

「マダム! 全員それでいこう」

 大家の奥方に入った妾は、少なくとも双樹下ではきちんとした既婚者と見なされるのだから、全員マダムでたぶん問題はないだろう。

「頭領冴えてますねえ!」と、小蓮が褒めてくれた。

「それじゃみな解散だ! 基本的に私は外砦門にいるから、何かあったらすぐ報せにきなさい! 昼餉はおのおの時間を見つけて、正午の出発までに司令部(カルチエ)の厨でとっておくようにね!」

「はい頭領!」

 若者たちが元気に答える。


 根が頭領気質の月牙は、むさっ苦しい新入りたちが内心すっかり可愛くなっている。

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