もう十月だよぉ。総文祭に向けてビデオメッセージの作品を作らなきゃ。さぁて、今回はどんなものを作ろうか。
最近は十月になっても全然涼しくならないよね。
昔は十月の頭に体育大会が行われていたそうだけど、私達にとっては体育大会と言えば十一月の行事って感覚だ。十一月に開催されるようになったのは、熱中症を予防するためらしい。
そう言えば春も秋もあっと言う間に終わっちゃって、“良い季節”って小学校を卒業して以来体験したことがないかも・・・。
さて、文化祭が終わって学校行事が一段落したので、私達二年生は県総文に出すビデオ番組の制作に取り掛かかることにした。
えっ?十月に作り始めて間に合うのかって?ふっふっふ・・・心配ご無用。実は二月のコンテストの前から映像を粛々と撮り貯めて来たのだよ!高倉高校の桑畑先生に言われたからね。作品によっては一年越しで撮影しておかないといけない、って。
総文祭の番組のテーマは“郷土(所属する学校がある都道府県内)の話題を高校生に伝える”こと。なので、私達は学校の近くにあるお寺、“松永寺”に着目して、このお寺を紹介する番組を作ることにした。
松永寺は由緒あるお寺だ。伝承によると、敏達天皇十一年(西暦になおすと五八二年)、四天王の一人である毘沙門天を聖徳太子が感得し、その加護によって物部守屋との戦いに勝利したことから、用明天皇二年(これは西暦では五八七年になる)、自ら刻んだ毘沙門天を本尊として当寺を創建した、とある。この話が本当だとすると、千四百年以上の歴史があるお寺なのだ。
歴史があると、一年を通じて様々な行事が行われる。
順に見ていくと、まず正月には“修正会”と呼ばれる法会が三日間行われる。法会の最中、大勢のお坊さん達がうるしの木を打つ行事があるんだけど、凄くダイナミックで見ごたえがあった。因みに、二日の法会の一環として、うちの学校の書道部が書道パフォーマンスを本堂で披露している。また、三日の修正会が終了した後には、除災招福を祈願して牛王宝印が参拝者の額に授けられる。私も授けてもらったよ。
新年最初の巳の日には、山頂にある空鉢堂で大法要が営まれる。巳の日なので、毎年開催される曜日が異なるから注意だ。また、成人の日にはお寺に伝わる華道の流派、弾正山真華流がご本尊に献華する法要が行われる。
十四日には“左義長”がある。これは不要になったお札や〆縄を焚き上げる行事で、私達の地元では一般的に“とんど焼き”と呼ばれている。松永寺では、本堂でお勤めが行われた後、お坊さん達がお堂が建ち並ぶ敷地の入口に立つ“赤門”の前にある広場へと移動し、そこで竜の形をした大タイマツが焼かれ供養される。大勢のお坊さんが詠唱するお経をBGMに、炎が天を焦がす様は何とも言えない高揚感があったなぁ・・・。
二月二日節分の日、“星祭法要”と“鬼追式”が行われる。“星祭法要”とは、全ての人が持つ生まれ年それぞれの星に対して除災・招福を祈願して行われる法要のことだ。この法要の後に“鬼追式”、要は節分の豆まきが行われる。松永寺の豆まきはただの豆まきではない。鬼が金棒やタイマツを持った鬼が本堂から僧侶や年男に追われ、各宿坊の門前まで逃げ廻ると言う結構大掛かりなものだ。この行事は、昔、鬼達が暴れ回って村人達が困り果てていた所、松永寺のご本尊である毘沙門天王が鬼達を退治し、その後吉祥天女が村人達に福豆を授けた、と言う逸話に因んでいるらしい。
四月八日、灌仏会。お釈迦様の誕生を祝う花祭りだ。お釈迦様の像に甘茶を掛けるんだけど、これには一般の参拝客も自由に参加することができる。
五月は、三日に空鉢護法大祭、二十一日に開山堂大祭が行われるけど、これらの大祭には、一般の参拝客は参加することができない。だから取材は出来なかった。残念。
七月三日、弾正山に毘沙門天王が出現したことを記念する“毘沙門天王御出現大祭”が行われる。このお祭りはお詣りが徹夜で行われるため、参拝客が迷わないように灯篭を始め、参道の脇や石段のいたる所に蝋燭が灯され、それはそれは幻想的な雰囲気が醸し出される、らしい・・・。“らしい”と言うのは、私が自分の眼で見ていないから。だって、期末考査の直前で勉強しなきゃいけなかったんだもん。・・・うーん、大学生になったら絶対に参拝してやるんだから!
七月二十七日、猪上神社例祭。神仏混合の名残で、ここ松永寺にも鎮守様である猪上神社が現存している。その神社の例祭で、地元の子供たちが山車を引っ張って街中を練り歩くのだ。えっ?松永寺は山の上に建つお寺じゃないのかって?そう、確かに山の上にあるよ。でも古くから門前町が開けていて、山の上にはお寺だけじゃなくて、街もあるんだよ。
八月六日、施餓鬼供養。九月三日、剱鎧護法大祭。残念ながらこれらの大祭も一般の参拝客は参加することができないんだよねぇ・・・。
十月十九日、毘沙門天王二十八使者守護善神練り行列。練り行列とは練供養のこと。お寺の法会で、来迎する菩薩に仮装して練り歩く仏事のことだ。ここ松永寺では、毘沙門天王のお使いである二十八人の使者が広い境内の中を練り歩く姿を見ることができるらしい。この行事はこれからだから頑張って取材に行かなければ。
十一月三日、柴灯護摩供火渡り大祈願会。年内最後の大きな行事だ。不断の護摩焚きは一般の参拝客は参加できないのだけど、年に一回、この日だけは参加できる。赤門前の広場で、まるでキャンプファイアのように木が組まれ、大護摩が焚かれるのだ。でも、それだけでは無いんだ。タイトルに“火渡り”って言葉が付いてるでしょ。“火渡り”とは文字通り裸足で火の上を渡る事。護摩を焚き終わった後、未だ燃えているそれを崩して、その上を裸足で歩いて無病息災を祈願するのだ。まぁ、ゆっくり歩いていると当然火傷するから、皆さん小走りにささっと渡るらしいけど・・・私は鈍くさいからやめておこう・・・。
このように松永寺では年間を通して様々な行事が行われているんだ。
「さぁてと、どう料理したらいいと思う?」
うーん、と響子ちゃんも紙織ちゃんも腕を組んだまま考え込んでしまった。
「どこまでドルフィンちゃんは撮り貯めてるの?」
暫しの沈黙破って紙織ちゃんが聞いてきた。
「四月の灌仏会までは・・・。その後八月までの行事は忙しくて撮れてないなぁ。」
うんうんと頷いたから紙織ちゃんは再び口を開いた。
「もともと一年間の行事全てを紹介するのは無理があるよね。総文祭までに行われない行事もあるし、何よりも尺が足らない。テーマを決めてピンポイントで作るのが良いように思う。」
振り向いて響子ちゃんの顔を見ると、同意すると目で答えて来た。
「うーん、どこを取り上げたらいいかなぁ・・・。」
紙織ちゃんは腕を組んだまま天井を見上げて唸った。
「・・・作品を作る際、主人公が居るのと居ないのとでは作品の出来が大きく変わる・・・そう桑畑先生が言ってたなぁ・・・。」
私は以前高倉高校の桑畑先生に教わったことをふと思い出して、無意識に独り言として呟いていた。それを聞いた響子ちゃんは目を輝かして大きな声を上げた。
「それだ!ドルフィンちゃん、これから書道部の所に行こう!」
うん?それって・・・。
「大曾根さんに許可を貰って主人公になってもらう・・・ってこと?」
響子ちゃんは私の言葉を聞いて、にやりと笑った。
「流石はドルフィン殿、察しが良い。その通りでござるよ。」
うん!いいかも。
「もし断られたら企画を変えなきゃいけないから、まずは確認だね。すぐに書道室に行こう。」
☆
「ええー!私を主人公にして作品を作るんですか!?」
案の定大曾根さんは驚いた。でも、こんなことは想定済みだ。
「ええ、お正月に松永寺で書道パフォーマンスを披露されましたよね?あれを題材に作品を作りたいんです。」
大曾根さんはしばらく無言で考え込んでいた。やがて、顔を私達の方に向けた。
「判りました。放送部の皆さんにはお世話になっていますから、私でよければお手伝いします。」
おお!引き受けてくれるんだ。良かった!私はぺこりとお辞儀をしてから言った。
「有り難うございます。お寺での書道パフォーマンスの様子はビデオに撮ってます。それ以外に大曾根さんへのインタビューなどが必要になりますので、それはまた改めて依頼させてもらいます。よろしくお願いします。」
すると、大曾根さんもぺこりと頭を下げた。
「いえ、こちらこそ。」
よーし、許可が下りたぞ。早速、物理室に戻って企画会議だ!
☆
既にホワイトボードは大量のポストイットで一杯になっていた。
書道室から帰って来てから既に二時間は経っている。あれから私達はがんがん意見を出し合った。お蔭で何となく作品の形が見えてきたぞ。
「取り敢えず今日はここまでにしようか。もう外は暗くなってるし。」
「そうだね。夢中になり過ぎて時間が経つのを忘れてたよ。」
響子ちゃんは右腕をぐりぐり回して凝りを解した。紙織ちゃんはうーんと大きく伸びをしてから、忘れていたかのように大きな欠伸をした。
「おおよそ形になってきたね。」
「でも、一度頭を冷やしてみると、また見方が変わるかも。」
「そうだね。煮詰まっちゃうと考えが固定されちゃうから・・・。」
うん、その通りだ。焦りは禁物。いい作品を作ろうとするなら腰を落ち着けてしっかりと企画を練らないと・・・。
「続きは明日だね。」
「うん・・・お疲れ様。」
「それじゃぁ、戸締りをして帰ろうか。」
この日以降、私達はフル回転で制作を進めることになった。何故なら残された時間がそれほど無かったからだ。そう、今年の十月は去年とは違うってことを私は失念していたのだ・・・。




