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次の研修は”被爆体験講話”と資料館の見学だ・・・あぁ、涙が・・・涙が溢れてきて止まらない・・・。

【読者諸氏へ】

 何時も読んでくださっている読者の皆さん、作者の田鶴です。何時も続きを書くことで手が一杯になり、なかなか作者近報や作品に対する想い、考えなどを書き込むことができませんでした。申し訳ありません。もっと読者諸氏と対話したかったのですが、社会人の哀しさ、仕事優先の生活の中で、エタるのだけは避けようと頑張り、その甲斐あって欠くことなくおよそ二年間週一連載だけは死守してこれました。そして、その結果なんと!東和高校放送局も今回で100話目に到達しました。これも一重に読者諸氏のお陰です。本当に感謝しております。読んでくれる人がいなければ、ここまでモチベーションを維持することはできなかったと思います。毎週欠かさず読んでくれた読者様にお礼を言わせていただきます。有り難うございました。

 さて、この作品は最初に書きましたように、”放送部とは何?どんな活動をしているの?”と言うことを皆さんに知ってもらいたくて始めた小説です。1年生で技術的なことはほぼ全部、イベント的なものは2年生の全総文編までで一通り紹介できました。ですが、この作品は”マニュアル”では無く”小説”です。きちんと締めなければ作品として成立しません。この先、物語として成立するよう頑張ります。

 東和高校放送局は、前作のカノーネンフォーゲルとは違って、プロットやコンテを作ってから書き始めたものではありません。なので、明確に後何話ある、とは現時点では作者にも判りません。ですが、ドルフィンの高校生活も折り返し地点は過ぎました。皆様に飽きられないように、またテンポが悪くならないように、重複するイベントなどは上手くキンクリしていきますので、この後まだ100話もある、なんてことにはなりません。それは確かです。

 と、言う訳で、もう少しの間お付き合いいただければと思います。よろしくお願いいたします。

 “被爆遺構展示館”を出た私達は更に南下して“平和記念資料館”へ移動した。館内に入った私達は展示室には行かず、東館地下1階にある会議室へと向かった。

『東和高校の皆さん、ようこそ広島へお出でくださいました。本日は、実際に被爆を体験された方から“被爆体験講話”をお聞きいただきます。実体験から原爆の残酷さ、被爆後も人々に圧し掛かる原爆の残酷さを聞き取って頂けると幸いです。』

 司会者の挨拶の後、車椅子に乗ったおばあさんが現れた。

『ご紹介します。奈義静江さんです。奈義さんは十歳の時、当時住んでいた上流川町で被爆されました。では、奈義さん、よろしくお願いいたします。』

 司会者が紹介すると、おばあさんは車椅子に座ったままゆっくりとお辞儀した。

『皆さん、本日は私の体験談を聞くために広島まで来てくださって、本当に有り難うございます。私は奈義静江と申します。被爆したのは十歳の時です。最近は足腰が弱ってしまって、本来なら立ってお話しするべきところ、申し訳ありません、座ったままお話しすることを許してください。』

 奈義さんはゆっくりではあったが、しっかりとした口調で話し始めた。

『私は、両親と私、妹の4人家族で、上流川町に住んでいました。

 原爆が投下された日、一九四五年八月六日、父は仕事に、母は建物疎開を行う地域義勇隊に動員されて早朝から出かけていました。

 午前八時頃、私は妹と庭で遊んでいました。私の家は、爆心地から1kmも離れていないところでした。

 八時十五分、突然“ピカッ”と眩しくて目を開けてられない閃光が輝いたかと思うと、すぐ後に “ドーン”と言う音が轟き、その瞬間に気を失ってしまいました。気が付いた時には私も妹もずいぶん離れたところまで吹き飛ばされていました。

 原爆の爆風は、一瞬にして街を吹き飛ばし、熱線は何もかもを燃やしました。辺り一面、見渡す限り煤煙と炎に包まれており、その不気味などす黒く燃え盛る景色は、地獄絵図としか言いようのないものでした。・・・・・・。』

 その後に続く内容は全て恐怖でしかなかった。

 避難する途中、道には瓦礫がれきが散乱し、煤煙や火の粉を払いながら進まなければならなかったこと。いたる所で水を求めて喘あえぐ人がいて、中には防火水槽に頭を突っ込んでそのまま亡くなってしまった人、川の中に入ってそのままこと切れた人などが数多く見られたことなど、そのあまりにも酷い惨状を想像すると身震いが止まらなかった。

 妹さんも結局亡くなられたそうだ。熱線に焼かれたためひどい火傷で、着ていた服が血で真っ赤に染まっていたそうだ。 避難所で手当てをお願いしても、なかなか順番が回って来ず、そうする内に体がだんだん冷たくなり、そのまま亡くなってしまったそうだ。

 おばあさんのお話は三十分ほど。話の途中で少し休まれたり、話が一段落すると疲れた表情をされたりもしたけど、それでも、身振り手振りを交えて懸命にお話をする姿からは“命ある限り伝えないといけない”という強い決意を感じた。

『私は原子爆弾を身を以て体験した者として、核兵器の廃絶と世界平和を訴えていきます。 原爆の悲劇を忘れてしまわないよう、特に若い方々に知っておいて欲しくて、講話をさせていただいてます。本日は私の拙い講話を聴いていただき、有り難うございました。』

 私達は無言で拍手をした。掛ける言葉は無かった。でも、お聞きした内容は決して忘れません。ご安心ください・・・。

 おばあさんに代わって、再び司会の人がマイクの前に立った。

『被爆者の方々の高齢化に伴って、被爆体験をお話しされる方が少なくなってきています。広島市では、自らの被爆体験等を伝える“被爆体験証言者”と、被爆体験証言者の被爆体験や平和への思いを受け継ぎ、それを伝える“被爆体験伝承者”を養成しています。』

 そっかぁ・・・このおばあさんももう九十歳。これから被爆された人達から直接話を聞ける機会はどんどん少なくなっていくはずだ。だからこその伝承者の育成かぁ・・・。

 ☆

 体験講話が終わった後に私達は資料館の展示を見て歩いた。

 展示されているものはどれも想像以上に衝撃的だった。ずり上がった陸軍被服支廠の塀や太い鋼鉄製なのにひん曲がった広島富国館の天井の梁は原爆の凄まじい爆風の威力を示していた。先ほどの体験講話の中で“ずいぶん離れたところまで吹き飛ばされていました”とおっしゃっていたけど、そのお話が決して大げさではないことを示していた。

 展示されている品々はただの“もの”ではなかった。遺品の一つ一つがそれぞれ物語を持っていて、それに関わる実在の人間がいたこと、そして生き残ることができなかったことを如実に表していた。

 一番怖かったのは移設された住友銀行の入口階段だった。そこには階段に腰掛けていた人の痕跡が影のように残っているのだ。石でできた階段は何もしゃべらない。だけど原爆の熱線が如何に凄まじいものだったかを確かに私達に語り掛けていた。

 原爆被害者の写真や遺品を見た時、その説明を読んだ時、涙が溢れて来て止まらなかった。私の眼はまるで閉じることを忘れてしまったようだった。皆さんこんな歳で、こんな所で死ぬなんて思ってもなかったろう。もっと生きていたかったろう。見るにつけ、読むにつけ、私は今、自分が生きていることが不思議でしょうがなかった。

「ドルフィンちゃん、大丈夫?気分が悪いんだったら、一緒に出ようか?」

 花音ちゃんが溢れる涙を拭うことも無く立ち尽くす私を心配して声を掛けてくれた。

「ううん・・・心配してくれて有難う、花音ちゃん。大丈夫、全部見ておきたいから、このまま見学を続けるよ。」

 私が彼女の目を凝視しながらそう言うと、花音ちゃんは無言で頷いた。

「ならいいんだけど・・・気持ちは判るよ・・・私も胸が圧し潰れそうだもん。」

「・・・だからこそ、きちんと見ておきたいんだ・・・。御免ね、心配かけて。」

「お礼なんかいいよ・・・でもここに来れて良かったよ。これらを見ることができたから・・・。」

 私達はそれからしばらく無言になって数々の遺品を見つめ続けた。

 ☆

 平和記念資料館を後にした私達は今日の宿へと向かった。今日はシティホテルに宿泊だ。

 楽しいはずの研修旅行だけど、心に鈍よりと澱が溜まったようだった。でも、それが嫌な訳じゃない。そうなったのは私が本当に心を打たれたからだ。本で読んだのとは桁が違ってた。実物に触れること・・・その大切さを実感した。そう言えば、そんなことを理科の西町先生がいつも言ってたな。“本やネットで見て知った気になるんじゃない。実物に勝る教科書は無いのだ。”って。あれって本当だったんだなぁ・・・。

 あんまし食欲も湧かなかったんで、夕食は軽めに摂って私は早々にベッドに入った。

「うん?ドルフィンちゃん、もう寝るの?」

 同室の花音ちゃんが心配して声を掛けてくれた。本当に花音ちゃんは優しいなぁ。

「うん・・・今日は朝も早かったし・・・思いの外疲れたよ・・・明日に備えてしっかりと寝ておかないと・・・。」

「そっかぁ・・・じゃぁ点呼の時は、ドルフィンちゃんは寝てる、って言っとくよ。」

「有り難う・・・御免ね・・・面倒を押し付けて・・・。」

「そんなの気にしなくていいよ。ゆっくり休んでね。」

「うん・・・。」

 その後の事は記憶に無い。私はまるで気を失うかのように寝入ってしまったみたいだ。

 ☆

 朝食はビュッフェスタイルだった。沢山並んでいるおかずを前にどれを取ろうかと結構迷ってしまった。Nコンの時は定食スタイルだったから迷うことなんて無かったからなぁ・・・。

 皆は何を選んでるんだろう・・・そう思って周りをきょろきょろと見回した。花音ちゃんは・・・参考にはならないなぁ。彼女は端から順に取って皿に載せていた。すでに山盛りになっているけど、それを気にする様子は無いな。流石だなぁ・・・。

 それに対して、ほとんどの子はパンにソーセージ、ポテトにスクランブルエッグって言う典型的な洋食スタイルのようだ。うーん・・・私はお米を食べないとお腹が持たない体質なんだよねぇ。で、煮物や焼き魚が美味しそうだったんで、結局和食中心になってしまった。昨日の晩御飯はあまり食べなかったので、かなりお腹は減っている。だから、何時もよりは心持ち多い目によそった。

 席に着くと、山盛りのお皿が幾枚も乗っているプレートが置かれているけど、花音ちゃんの姿が無かった。そこで食べずに待っていると、花音ちゃんが両手にお皿を持って帰ってきた。

「あれ?ドルフィンちゃん、まだ食べてなかったの?先に食べてれば良かったのに。」

「だって、一人で食べてもねぇ・・・誰かとわいわいとお喋りしながら食べた方が美味しいでしょ?」

「あははは、違いない!・・・お待たせ!じゃぁ、食べようか!いただきまーす!」

 花音ちゃんが持ってきたのは、一つは山盛りのカレーライス、もう一つはデザートのプチケーキの山だった。・・・本当にこれ全部食べるの?私が呆然と眺めている間にも花音ちゃんはバクバク食べていく。あぁ、駄目だ。私も食べないと先に花音ちゃんが食べ終わってしまう。

「いただきます。」

 私も両手を合わせ、軽くお辞儀をして食べ始めた。


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