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朧 OBORO  作者: 悠良木慶太
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「おめでとう。深山君もこれでパパさんね~。」

小児用ベッドを覗き込み右手の指先で赤子の額をそっと撫でながら楓が言った。


八年前。深山一博は青嵐学院大学附属病院産婦人科の個別母子室にいた。病室のベッドには出産後の裕子がいて、隣の小児用ベッドに昨日生まれたばかりの赤子。後に裕一と名付けられた男の子が寝ている。

病室内には深山の他、裕子の連れ子の忍が楓に手を繋がれ笑いながら赤子を見ている。県警監理官の新井の姿もあった。裕子の母親である水江和子も小田原からもう一人の孫の誕生を手伝いに来ていた。

忍と神崎翔の件で、深山と水江裕子の距離は縮まり前の年にひっそりと挙式を行い二人にとっては第一子の誕生を迎えていたのであった。


深山には家族というものはいない。中学生の時、学校に連絡があり事故のため両親共に死亡したと伝えられた。両親はY.PACに勤めていて、その前の月から伊豆諸島にある特別研究施設の研究チームに選抜されていた。事故で亡くなったのは両親の他八名の研究者と研究協力者四名の合計十四名に登った。

事故現場は伊豆諸島の青島とベヨネーズ列岩の中間にある人口僅(わず)か二十七人の夢鳴島(むなるしま)で、島独自の生態系調査と気象観測のためY.PACの全面出資による青嵐学院大学との共同研究施設が建設され、第一次研究隊として派遣されはばかりで、その研究施設が爆発炎上する大きな事故だった。

事故原因は地質調査中に吹き上がった天然ガスが施設の発電機に吸引されて起こったガス爆発とされていて、島民のほとんどが島の東側にある江戸時代からの港周辺で暮らしているのに対し中央の潤樽山(うるたるやま)を隔てて西側の断崖上にある研究施設であったため事故の詳細を知るものは無く、負傷した関係者が港まで歩いて知らせてからの対応であったため建物はほぼ全焼し、遺体の回収もほとんどできなかった。

知らせを受けた深山も他の遺族たち同様、Y.PACが用意した青嵐学院大学の海洋調査船に乗り、海上から黒焦げになりながらもなおガスの噴出による青い炎を上げている研究施設に献花して別れを告げただけであった。

両親の父母も深山が小さかった頃に他界していて親戚との付き合いも無かったため、十四歳にして天涯孤独となってしまった。


Y.PACの福利厚生部から担当の女性が派遣され、相談の結果社員住宅の独身寮に住まわせてもらえるようになり、養育資金や月極の小遣いも渡されて、同世代の中流家庭よりも金銭的には優遇されていた。担当の女性は大学に進むまでの間、二回変わったがどの人も親身になって相談に応じてくれて、大学を卒業する際にY.PACへの就職枠があると言われたが『両親がいた会社ではなく別の道を進みたい』と言うと横浜市役所を推薦され、ほぼお客様待遇で入所した。市民生活安全課には当初から配属され、普通の所員とは全く別の研修を受けた。当時の課長から直々に指導を受け、市役所の権限を完全に越える業務を行える課である事を知ったのは二年目に同年入所した人達と会話する機会を得た時だった。

それ以来、同期生は配置移動を受けても深山は転属なしで現在に至る。

市民生活安全課自体が行政サービスとしても変わっていて、市民からの依頼に応える部署というよりも県内、場合によっては県外の特殊な事例を調査しその所轄警察や病院などと連携を図っていく調整係のような性質があり、自然と県警本部や警察庁、国防省の上層部との繋がりを持っている。神奈川県庁には無く、政令指定都市の横浜にだけある特殊な部署で、首長の権限は薄く地方公務員の身分であるが独自性が許されている。議会でもこの課についての質疑はタブーとされ、一部議員が『市民への説明責任』云々と声高に言う時があるが、議長に呼び出された後は皆納得して沈黙するようになっていった。全国的にも各地方の特性・・・特殊事例の発生件数に合わせて配属されているあまり公表されない部署である。


入所して二年目の冬。二十四歳の時に課長に呼ばれ、そろそろ一人で仕事できるだろう。と言われ、箱根で起きた事件の調査と対応を命じられた。現地に着いて初めて別荘地の一軒で、椅子に縛られた女性が数十か所も刃物で刺さて殺された殺人事件の調査であることが分かった。規制線が張られているのを見て有料駐車場に車を止めてから所轄警察官に身分証明書を提示すると不思議なほど容易に中に入れてくれた。小雪が舞う寒い日で、白い息を吐きながら現場のログハウスを目指す。俯瞰の写真を撮り木製の階段を上がる。ガラスのはめ込まれたドアを開けると課長と同じくらい、自分よりも十歳くらい年上のロングコートを着た男性と、その男性の『娘』かと思われる小柄な少女がいた。

ドアの気配に二人はこちらを向く。男性はまさに刑事という感じの短髪細身で軍人の様に姿勢が良かった。

少女に目が移る。アイボリーのムートンブーツにホワイトでロングのダウンコートを身に纏い、やはり白いボアの帽子からこぼれる艶やかな黒く長い髪が際立つとても美しい顔立ちの少女だった。まさに『可憐な美少女』というのが第一印象だった。決して殺人事件現場にいて良い人間ではなかった。深山はその美しい少女から目が離せず硬直してしまう。

少女は深山を見て微笑むと「横浜市役所の人ね。丁度これから地下室。殺害現場に入るところよ。大丈夫?」と言われ、慌てて身分証明書を提示して挨拶した。

男性は県警の監理官で新井と名乗り、少女を「秋月楓先生です。」と紹介してくれた。

これが、新井と楓に会った最初の事件となった。


それ以来、新井は良い兄貴分として必要な知識や身の守り方を教えてくれた。特殊事例に係る人材は深山の様に天涯孤独な者が就き、新井や現在静岡県の特殊事例対策本部を仕切っている監理官の刈谷にも身寄りがない。今の神奈川県警監理官の佐々木も同様である。

戦争の危険性が低くなった現代の日本では、国防省の軍人よりも危険な職務に就く特殊事例対策本部の人間にとって、守るべきは市民、国民であり、それが家族そのものと考える節がある。孤独な者であることが条件ではないが、職に就いてしまうと家族を持つことに二の足を踏む傾向があった。

飲みの席で新井に聞いたことがあったが「そもそも家庭生活をあまり知らないで育ったから今更欲しいと思わないし、自分で言うのも何だが、この仕事が好きだから仮に家族がいても家庭での生活を二の次にしてしまう。俺は家庭生活不適合者なんだろうな。」と静かに言っていた。


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