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朧 OBORO  作者: 悠良木慶太
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・・・まだ死ねない。麗香や寛美に何も恩返しできていない。学校の皆にも、丹沢の人達にも。勿論親戚たちにも支えられたままだ。どうやったら恩を返せるのか分からない。分からないからこそ恩を返せるその時まで自分の命は残さなければならない。自分の義務としてそう思った。

そして心の奥から本音が湧き上がって来る。『麗香に。寛美に。また会いたい。』


自分を中心に空気が澄んで行く。この空間の全ての配置が手に取る様に分かった。

人間は三人。自分と弟の翔、あと一人は知らない女の子・・・寛美に似た空気感の子がいる。精霊が一柱。途轍もなく大きな力のある神様のような存在が二柱いる。

どこか懐かしさを感じる二柱の神の名が心に浮かび上がって来た。自分が呼んで良い方の名が分かる。

化け物は、警察官に酷い事をした大きな猿達が六十四頭。山の様に大きな猿が三頭。

一番大きな猿にも懐かしさを感じる。この猿だけは他と違い、もの悲しさを漂わせている。

個々の思念が伝わって来た。


翔は今までに感じたこともないほどに怒っている。いや、「憎しみ」を感じる。

『この子にも人並みの感情があったんだ・・・』

翔は、一緒に育ってきて泣き虫だったころも相手を憎んだり怒ったりすることはなく、泣いている理由を聞いても、相手が人を虐めなければならない衝動を抑えられない事に哀れを感じて、どうしてあげたら良いのか分からなくて哀しくなった。と言っているような子供だった。泣かなくなってからもその性格は何も変わらずにいる。

「お姉ちゃんにも分からないよ。」そう言って抱きしめて一緒に泣いた事は何度もあった。

『憎んでいる』翔の感情に焦点を絞って覗き込む。父がいなくなった時の情景が心に飛び込んできた。

『・・・そんなことがあったのか。』

父の死についてぼんやりとだが見えた。同時に『家族を置いて勝手に怪我して帰って来る自分勝手な父親』と思っていた自分を恥じる。英俊の伯父さんが言っていたように父は人のために命を削って生きていた事を垣間見た。

『必ず生きて帰って、お父さんにも、「ありがとう。」と言おう』

もう一つの生きる理由を見つけた。


翔に抱かれている女の子にも入って行く。意識は朦朧としているが何か昔の夢を見ていた。『忍ちゃん。って言うのね・・・』記憶の波が押し寄せて来る。胸が熱くなり涙が止めどなく(あふ)れて来た。

どことなく自分や翔に似た境遇と知り、彼女自身の心の美しさを感じる。

澄んだ空に桜の香を乗せて心地よくそよぐ春風のような華やかで温かい心だと思った。

『・・・寛美と同じ香りがする・・・』

翔に対する好意を持った感情と、楓との繋がりも見えた。

『楓さんに、この子のお母さんに必ず送り届ける』心に刻む。


一番大きな猿の心に入り込もうとした時、自分に対して『拒絶』する衝撃が伝わる。

胸に(えぐ)り込むような衝撃が走り、声が漏れた。

その瞬間、ほんの一瞬だったが大猿の記憶が見えた。

淡い朱色の狩衣(かりぎぬ)(まと)い、涼し気な表情で父や翔にも似た男の人が、山の民や村人達と一緒に神社の境内で宴に興じている情景だった。境内の中央に舞台が築かれ、麻の衣装を着た自分が村の人達と踊っている。皆楽しそうに酒を酌み交わし、粗末だが温かい食べ物を分け合っていた。狩衣の男の隣に普通の猿よりも一回りくらい大きな猿が小さな烏帽子(えぼし)と、同じ色の狩衣を纏って静かに座っている。その猿は穏やかな表情で人間と同じものを食べて、狩衣の男から酒を貰って飲んでいた。

宴が終わり男が立つと、一緒に山を降りて行った。大猿は人の言葉を理解し、狩衣の男を慕っていることが伝わる。

見えたのはそれだけだった。それ以外は、ただ自身に対する後悔と懺悔(ざんげ)の叫び、哀しく辛い感情が押し寄せて来て壁を築いてしまった。

『・・・猿哮(えんこう)・・・』何故か名前が分かった。

『・・・終わらせて欲しいの?・・・』

どうしてなのか分からないが涙が(あふ)れて来た。


霽月(せいげつ)

自然に口から声が(こぼ)れた。大きな猿に喰らい付いていた大狗(いぬ)が青白い光になって戻って来る。猿に切られた左の背中が赤く、肉が見えていたが見る間に傷が塞がっていった。

翔が驚いて振り返る。

「ねーちゃん?」

翔を見て、また心に飛び込むものがあった。巨大な蛇が訴えている。

戻って来た大きな狗。霽月からも声がする。

猿哮を見て立ち上がった。

「もういいのよ。終わりにしようね。・・・ごめんね・・・ありがとう。」

自分でも何を言っているのか分からない。潜在意識のもっと奥。遥かに遠い時の彼方から自分の身体を使って出た言葉だと理解した。


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