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小屋の裏から猿の悲鳴が聞こえ、一斉に猿達が木の上に逃げ出した。不思議に思い、皆が棒立ちになった時。史隆が叫ぶ。
「陣形を整えろ!何か来るぞ!」
小屋の正面に哲也が、その左を一志、右に琴乃が三角の陣を作り、この隙に怪我人を岩屋の楓に連れて行く。玄司と希代司に楓達の護衛を頼み史隆も前線に向って行った。
腐臭が流れて来たと思うと紫色の炎に包まれてガサガサと這いまわるものが八体現れた。
猿の頭を前に投げ入れ、その頭を踏みつけて達也の前に来る。
1メートルほどのラグビーボールのような腹からは四本の脚があり、それぞれに鉤爪が付いている。そこから逆三角形の甲羅を背負った身体があり、両側に鎌状の腕が付いていた。
肩の上に鬣を持った一つ目の山羊に似た細長い顔を持ち、深く横に切れて肉食獣のような牙が並んだ口があった。その口からは紫色の毒々しい息を噴いている。腹だけが明るい茶色でそれ以外はコールタールのような照りのある黒い身体をしている。全体的には巨大なカマキリのような物怪であり、息と同じ色の炎を纏っていた。
「父さん。何あれ?」哲也が聞く。一志や琴乃も振り返った。
「いや。分からん。初めて見た。祟り神の一種か?あまり近づくな。毒気にやられるぞ。」
言って、楓を見る。珍しく楓が驚いた顔をしていた。
「へえ~。あのお猿。こんなのを召喚できるようになったのね。『猖獗』よ。史君の言う通り瘴気を吐いてるから吸い込んじゃダメよ。山住達は下がりなさい。」
楓が言い終わらないうちに八体の猖獗は散開して前に進む。目的は楓のようだった。
「眼中ないってか?少し遊んでけよ!」
哲也が山人刀を振る。斬撃が宙を切って先の木を割った。命中するはずだった猖獗はあり得ない動きで哲也に向って来る。切っ先を変え薙ぐと鎌で受けられ、四本ある足が別々の動きをして予測不能な攻撃をしてきた。刀を掴まれたまま空いた鎌が哲也を狙う。身を屈めると前足の鉤爪が襲ってきた。山人刀を放し、左手でもう一本の短刀を抜く。そのまま前足を払うと二本の前足は関節から下が落ち、紫色の液体を撒き散らす。バク転して回避したところに奪われた山人刀が投げつけられた。
「サンキュー。これ、結構高いんだ。」
飛んできた刀を右手で受け取り「気」を込めて二本脚でバランスを崩している猖獗に打ち込んだ。鎌で防御するが、ガードした腕と共に猖獗の頭が裂ける。
甲羅の胸には一本の亀裂を開けた。
「なんだよ。あの甲羅。硬いなー。」
哲也の戦いを見ていた琴乃が祓糸を持ち替える。
金色の蚕の繭のような糸玉に変えていた。
「まさかこっちの糸使う必要があると思わなかったわ。ちょっと本気出すわよ!」
琴乃が両手を振り、右に動いた猖獗に狙いを付ける。四本ある足の一本。右前足だけが飛ぶ。敵意を琴乃に向け三本の足でランダムに軌道を変えて攻めて来た。
「だからさ。本気出すって言ったよね。」
猖獗の動きが止まる。金色に煌めく糸が全ての足を切断し、腹を裂いた。紫色の瘴気を吐きながら呻く首が肩から離れて地面に落ちる。
左に回った二体が一志を襲っていた。式を放つと同時に無数の羽根を投げ上げる。鉄扇を開き舞上げると二体の猖獗に多角的攻撃を仕掛けた。式が腹に貼り付くと『爆!』と唱える。人型の紙は炎を上げ爆発する。張り裂けた傷口から紫色の液体がこぼれると地面から白い煙が上がった。なおも動き続ける猖獗に舞い上がった羽根が降り注ぐ。胴体の甲羅に向った羽根は全てはじき返されてしまうが、頭から顔面に多数の羽根が突き刺さりそれぞれが白い炎を上げると猖獗は唸り声をあげて動かなくなった。
初戦で四体の猖獗を葬り、残り四体を追う。前線の三人が岩屋に向いた時。史隆が叫ぶ。
「まだだ!油断するな!」
言って山人刀を振るう。二体の猖獗が首と胴体、腹にバラバラになった。
「流石!」一志が言うのを「前を向け!」史隆が叫ぶ。
一志が振り返ると倒したはずの猖獗の胴体から六本の長い脚が生え、その先には長い爪が一本ずつある。両肩からは関節が三つある腕が出て来てその先には鎌ではなく大きな鋏があった。手足が生えそろうと甲羅の大きさが倍以上になり、もとの頭がもげると甲羅の中からヌメヌメとしたスッポンのような首の長い頭が出て来た。新しく生えた足が腹を蹴り、分離すると地面を這い、ガサガサと爪を立てる。今度は巨大な黒い蟹の様相で、甲羅を地面と平行にして炎を上げている。新しい頭が左右に動き一志を見つけ襲ってきた。式を送るが背中の甲羅から上がる炎に式が近づくと黒く焦げてしまう。破邪の法も猖獗が口を開き吼えると術が消えてしまった。
「一志君下がれ。」史隆が言い一志の前に出る。山人刀を両手で持ち、重心を下げ、丹田に気を溜めてから両腕を振る。雷鳴にも似た乾いた衝撃音がして、攻めて来た猖獗の頭から甲羅が割れる。自らの炎と共に、紫色に燃え上がると煙になって消えた。
一志が倒したはずのもう一体と、哲也と琴乃の相手だった二体がそれぞれ残った甲羅から脚を生やし、首を出してきた。
二体の猖獗が瘴気を吐き紫色の霧を発生させる。哲也と史隆が山人刀を振るい風を起こした。烈風が吹き、風の通った木々が枯れ、その木の上にいた猿神がバタバタと落ち、煙を上げ土塊になって行った。