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「須藤君!・・・須藤・・・」
全身の痛みを覚えながら狒狒に蹴られた部下のもとに這って来た涼子はその姿を見て泣き崩れた。顔面が陥没して眼球が跳び出している。即死だった。
風丘と所轄二人が足を引きずりながら近づき黙礼をする。聡史が宗麟の肩を抱き加わる。
九鬼の従者が藪から藤次を抱いて近づいて来た。藤次は意識を取り戻している。吐血しながら苦しそうに口を開いた。
「僕達が来たのに・・・申し訳ありません・・・相手の戦力を見誤っていました。」
後から来た従者の男が一志との通話を終えて、内容を説明してから言う。
「一志さんからの指示です。我々はこのまま本部へ向かいます。歩けない者はいますか?お亡くなりの方は私が担いでお連れ致します。代わりの人間三人がこちらに向かって来ますが、一刻も早く本部に向かった方が安全でしょう。通常ならあと30分あれば着きます。逢魔が時までには間に合います。本部の牟田さんも来てくれますから急ぎましょう。」
従者たちは藤次を担ぎ、須藤の顔を白い布で巻いて担ぎ始め、涼子達も立てるか聞いた。幸いなことに残った者は軽傷で済んでいる。
「先に進んでください。私は責任者としてあの子達を追います。申し訳ありませんが、お一人だけ貸していただけませんか?」
涼子が言い、宗麟も同行すると言った。
従者は自分にはその判断を下す権限がない。と言い、「楓様に伺っていただけませんか?」とそっと耳打ちした。
涼子は「はっとした。」直ぐに報告しなかった事に驚く。すぐさまスマホを取り出し楓に連絡を入れた。
「はいは~い。もう着いたの?」明るい楓の声が胸に深く突き刺さった。
「楓さん。やられました。翔君と忍さんが連れ去られてしまいました。死者一名。須藤が殉職です。助けに入ってくれた九鬼藤次君も全身を強く打って重体です。その他は重度に差はありますが自分の力で歩けます。一志君の指示で本部に進むよう言われているそうですが、私は翔君達を追います。」
話しながら感情の高ぶりが消えて行く。監理官としての思考が蘇ってきている事に気付いた。
「そう・・・。裏目裏目に動くわね。須藤君はお気の毒だわ。いい子だったのに。涼子ちゃん。大丈夫?私のせいよ。ごめんなさい。甘く考えていたわ。」
楓の神妙な発言は聞いたことが無かった。
「楓さんのせいではありません。襲撃して来たのは、小屋に現れた一番大きな奴でした。一志君の話しでは、本部を襲った者とは違う個体だそうです。翔君と忍さんを追います。どうすれば可能か教えてください。」
「涼子ちゃん。気持ちは分かるけど、一君が言う様に、今残っている人達の怪我の手当と、須藤君を弔ってあげて。私が動くわ。一君でも追い込めない相手よ。どこに現れるか分からない。史君も追いつく頃だから本部は安全になるよ。」
楓の言う通りではある。狒狒相手に自分一人向かっても勝ち目がない事は充分に身に染みていた。
「分かりました。皆と本部に向かいます。」
言って通話を終えた。
宗麟に内容を伝え、従者たちにも話して本部に向かい始めた。それぞれが立ち上がり出立しようとしたところで涼子が気付く。
「聡史君は?」
迂闊だった。聡史は翔達が消えた森を暫く眺めている姿は覚えているが、楓との通話中、誰も見ていなかった。
従者の一人、山住衆が「自分が探すから先に行ってくれ」と言い、動き出そうとしたのを見て涼子は宗麟に「皆を頼みます。私も行きます。」と言った。
宗麟も仕方なく同意し、従者達に担がれた藤次が自分も行くと言ったが立ち上がれず断念した。
避難隊を見送った後で、案内の山住衆は「脊山と申します。」と言い涼子と歩き出す。
名を聞いた涼子が驚き、訊ねる。
「脊山って・・・巳葺小屋で亡くなられた方と繋がりが?」
「父でした。もう山住なんて時代じゃない。って馬鹿にしていたんですけど・・・鍛えられてはいますから信じてもらって大丈夫ですよ。」
二人は、霧が消えた付近に来ると聡史の足跡を見つける。
脊山はその先をみて口を開いた。
「驚いたな。巳葺山、小屋へ進んでいる。彼は山に詳しいんですか?」
涼子に聞くが、涼子は「今回が初めての登山と聞いているわ。」と言った。
足跡を追いながら巳葺山へ向かい、深い森に入って行った。
岩屋の前で通話が終わった楓は小屋の先にある森を見つめていた。直立して両手を腰に当て、暫く動かない。顔に当たる風を感じると眼を閉じてゆっくりと深く息をした。
「やり過ぎじゃないの?昔の馴染みだと思って大目に見てあげれば・・・人を喰らった段階で手遅れだったのね。可哀想に・・・お互いに、永く生き過ぎたみたいね。でもね。私は今を生きていくの。あなたは辛いのね・・・もう、終わりにさせてあげる。」
誰にでもない。虚空に向けて呟いた。