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朧 OBORO  作者: 悠良木慶太
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「お母さん、早く。何にも持って行かなくていいよ。私達は多分、登山口までしか入れて貰えないって言われたんでしょ。二人は無事なんだから私達が着く頃にはきっと戻って来るよ。警察の救助隊が山に入ってくれるんでしょ。」

雫が運転席に片足を入れて玄関に叫んだ。弥生は大きなバックを持ち玄関ドアに施錠をして歩き出した。

「朝早いんだから叫ばないで。何が必要か分からないから着替えとかタオル持って来ただけよ。話せたから少し安心したわ。兄さんに連絡したら先に行ってくれるって言ってたし。史さんも向かってくれるって。それにね・・・」


翔と会話が出来た後、弥生は黎明寺に電話を入れた。

宗麟は朝の務めを終え、境内の掃除をしているところを妻の妙子が子機を持って知らせに来た。受話器を受け取り、内容を聞くと、「そうか。先に登山口に向かう。気を付けて来るんだぞ。」とだけ言って(たけ)(ぼうき)をしまった。

静岡の神崎総本家へ連絡したときには「楓さんから聞きました。楓さんの指示で、一族全員で動きます。今、用意して向かいますが、そちらの方が早く着くと思います。弥生さんは無理せず、安全なところで待っていた下さい。」と言われた。

『楓さんも動いてくれている』弥生は安堵(あんど)して電話を切った。


待ちきれずに雫がバックを引ったくりハッチバックを開けて押し込む。助手席に弥生を乗せ、運転席に飛び乗るとアクセルを踏み込んだ。

市街地を抜け横浜横須賀道路に入ると渋滞に巻き込まれる。

「ん、もう!人が急いでいる時に限って。」雫が声を荒げるが一向に進まない。

「しょうがないわよ。土曜日なんだから。私達が急いで行っても何もできないし、皆動いてくれている。翔とも話せたし。ゆっくり行きましょ。何かあれば連絡来るわ。」

弥生は落ち着いて話す。

「なんでそんなに余裕なのよ!連絡来てからじゃどうしようもないじゃない!

ああああああ、イライラする!」

普段の雫を知る者が見たら卒倒するような態度である。

「大丈夫よ。楓さんも向かってくれてるって。」

弥生の言葉に雫は急激に落ち着きを取り戻した。

「なあんだ。先に言ってよ。あー落ち着いた。安全運転で行きましょ。」

ブレーキランプが並ぶ河の流れに雫の右足はシンクロしていった。



槍穂岳登山口。7時21分。

バスロータリーにけたたましい羽音を立たせ「神奈川県警」のマークを付けたヘリコプターが下降して来た。既に規制線が張られ一般の人間は立ち入り禁止となり地元マスコミらしき記者と脚立に乗ったカメラマンが何人もいる。長身の女性一名と先に降りた女性よりも背の高い、機材を持った二人の男性警察官が下りるとヘリは上昇し、東の空に消えて行った。県営の無料駐車場は出損ねた2台の車を人力で端によけ臨時の捜索本部が設営されていた。

「監理の佐々木です。」出迎えた年配の警察官に向かって敬礼する。

野外活動用の神奈川県警と刺繍の入った制服に、短く整えた黒髪を県警のエンブレムが入ったキャップで覆い、黒いセミロングのブーツを履いた女性は、二十代後半くらいにしか見えず、173センチメートルの長身で登山用ザックを左肩に引っ掛けていた。

敬礼をして「所轄の村井と申します。こちらへ」と言い仮設テントの本部に向かう。トイレの外部コンセントから配線を引き電力を供給された仮設テント内は外から見えずモニターとパソコンが数台あった。

状況をお互いに確認し、佐々木が「巳葺小屋」へ行ける人間の選定を依頼すると、「既に県の公園緑地管理課から出張所勤務の人間を紹介されて、その案内人一名と先行隊の捜査官2名が向かっています。」と告げた。

「武器類の所持は?」佐々木が訊ねる。「通常の拳銃です。」と村井が答えた。

佐々木はヘリに同乗していた男性の警察官を呼びケースを開けさせて2丁のライフルを組み立てさせた。二人とも180センチメートルは越えている。村井が驚いて見ていると「要救助者と直接アクセスできました。大型の獣による被害のようです。念のため重火器の使用を許可します。」と佐々木が言った。

「他に現場まで案内できる者はいませんか?」佐々木が聞くと「巳葺山は登山コースではないので猟友会の人間でも『聞いたことはある』程度しか分からないんです。」先行隊とは連絡取れますんでこちらでお待ちください。もうすぐ本隊が編成出来て8名で向かいます。」

テントの外で声がする。「関係者と言う男性が来ています。どうしますか?」所轄の警察官が顔を出して言うと、村井が「関係者?誰だ。今打ち合わせ中だ。待たせとけ。」と言い放った。

佐々木が立ち上がり外に出る。黒いワゴン車が崖側の路肩に停車していて、中年の男性が警官と話していた。規制線の前なのでマスコミが取り囲んでいる。別の警官に追い払うよう指示して近づいた。

「関係者と言うのは、そちらの方?」佐々木が言い。

「西丹沢の黎明寺で住職をしている弓削英俊と申します。神崎翔の伯父です。」

登山服を着込んだ170センチメートルくらいの体の締まった中年の男性だった。

「監理官の佐々木です。こちらにお越しください。」

言われ、弓削は警官に車のキーを渡し、帽子とザックを持って佐々木に従った。

テントに入ると地図の置かれたテーブルに向かう。

「宗麟住職ですね。深山さんから伺っています。翔君と仲村聡史君は二人とも無事です。今、三名の先行隊が救助に向かっていますが、現場の巳葺小屋までの道を知る者が不在のため本隊を編成中ですが難航しています。これから私達だけでも救助に行きます。」

佐々木が言い、座るよう合図した。

宗麟は立ったまま佐々木を見上げ、「私が案内します。」と申し出た。

「場所が分かるんですか?」村井が口を挟んだ。

「神崎翔と隆一の事件は御承知ですか?十年前の事件以降、何度も現場に入っています。山住の人達と交流しましたから巳葺小屋にも行った事はあります。」

宗麟は、村井には目もくれず佐々木に訴えた。

「準備にどれくらいかかりますか?GPS座標は分かっていますから私達だけでも入山しようと思っていたところです。」

佐々木は応え、宗麟を見る。「今すぐ行けます。」宗麟が答えた。


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