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「続けてもいいかな。」
放心している様子の翔に住職が問う。
我に返る。
「お願いします。」
「事故の現場を発見したのは先ほど話したマタギの一人だ。捜索本部に通報すると規制線が張られ、すぐにヘリで搬送されてしまった。しかも森の上空からワイヤーで担架を吊っての収容だった。一遭難者、しかも絶命が確認されている場合、危険を押してヘリを使うはずがない。さらに、あの辺りからの搬送先はふつう松田にある総合病院だが、そのまま横浜の大学病院に送られていた。家族が横浜在住だからという配慮とは考えられない。」
実際、先に発見された翔は大勢の救急隊により陸路を使って登山口まで運ばれ、神奈川県立松田総合病院に緊急搬送されていた。
「大学病院って、市大病院のことですよね。」
市立大学病院法医学教室の医師が検死の報告書を作成していた。
「搬送先は青嵐学院大学附属病院。そこの法医学者による執刀で解剖、検死がされた。我々遺族の同意は一応とったが、隆一の行き先はその時点では知らされていなかった。」
「青嵐大病院って」
「お母さんが今、働いている病院さ。雫や俊之も在籍している大学の附属病院でもあるね。」
私立青嵐学院大学。大学令施行時における最も古い私立大学の一つであり、メインキャンパスは神崎家の三人が住んでいる横浜市綾南区にある。大学病院も道を挟んで向かいにあり専用の地下道で通じている。行政機関や、隆一の勤め先でもあった地元企業のY.PACをはじめ全国の企業などからの依頼を受け数多くの研究が行われている。戦前までは帝国海軍の極秘研究所が置かれていたとも言われている総合大学であり海洋研究も行われていて校内に専用港と研究船まで所有している。また、図書館の蔵書数は国内屈指であり分野によっては国会図書館や国立博物館を凌ぐとさえ言われている。
翔が通う高校はこの大学の附属校である。
「検死の報告書は、公式には市大の先生が発行したものが使われているが、その先生は実際には存在しない。しかし市大も警察も正式な検死報告書であるとしている。」
「検死官が存在していないってどういうことですか。それに、アレ?その状況だと、事故死ではなく・・・。」
決定的な違いにやっと意識が追いついた。
「解ってきたかい。そう。隆一は何者かに殺されたのだ。熊などではない。人智を超えるほどの何か大きな力で。現場の異常な状況から十分に事件性はあった。しかし事故として処理してしまった。事情により我々も同意したのだがね。」
人が死んだ場合、事件性の有無が問われる。そのための司法解剖であり検死の報告書なのだ。隆一の検死報告書には「事故死」と結論づけられていた。しかも熊のような獣に襲われて傷を負い出血多量によるものとされていたはずなのである。「熊」しかも本州の熊は北海道にいる大型のヒグマと違い月の輪熊である。大柄な人間を20メートルも吹き飛ばす力はない。ヒグマであってもできる芸当ではない。そもそも木々をなぎ倒して飛んだ人間の肉体がどのような状況になるのか。考えたくもなかった。検死結果は嘘だったという伯父の言葉が間違っているのか。思考が加速して空回りを始めるのを感じた。いずれにしても、検死の報告書は実際に有効となった。行政手続きもすべてその報告書に乗っ取って行われていたのである。なのに、その報告者が存在しないという。
「でも、そこまで知っていて何故事実を隠したんですか?」
「その、事情っていうのは・・・。母さんも知っていたんですよね?」
「うん、県警から連絡があって青嵐大病院に呼ばれたのはお父さんの発見後二日経ってからだった。君と雫を妙子にまかせて、先代の住職であった父と私、そして弥生の三人で向かった。」
話し始めると宗麟は組んでいた腕を膝の前に出し座禅を組むような姿勢で軽く眼を閉じた。