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朧 OBORO  作者: 悠良木慶太
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2

十年前。

翔は槍穂岳西側にある崖下の川原で発見された。大きな怪我はなかったが夏にもかかわらず凍傷を負っていた。緊急搬送され回復したものの、家を出てから五日分の記憶を完全に失っていた。

五日前、翔は父親と槍穂岳に入山した。その後二人は行方不明となる。

翔の記憶がないためその間に何があったのかは未だに解明されていない。

事実として、翔が救助されてさらに二日後に父親、神崎隆一(りゅういち)の遺体が発見された。翔が見つかった場所から北に約2キロメートル。槍穂岳と巳葺山(みぶきやま)の中間に位置する登山道からは大きく外れた原生林の中である。遺体の損傷はひどく、熊に襲われた事故として即日地元の猟友会による山狩りが組織された。一週間の調査の後、オスの月の輪熊が撃ち殺され事態は終結した。事故の詳細は報道されず「親子の悲劇」とだけ小さく取り上げられたのみである。

法衣の(そで)の中で腕を組み薄く眼を閉じて住職が話し始める。

「十年間、いろいろ手を尽くして真実を探ったのだが、当時の調査以上のものは何も出てこなかった。私も何度か山に入ったが時間も経ってしまい正確な足取りは掴めないままだ。登山道の外を彷徨(さまよ)っていたおかげで、東丹沢のマタギ、私がそう呼んでいるだけだが、彼らは猟友会とは別で、山住をしながら猟生活している林業や農業事業者たちだ。そうした人たちと知り合いになれた。彼らからは山道の見立て方や山での不思議な事柄はいくつか聞けたよ。ただ一つだけ。あの年だけは東丹沢で槍穂岳周辺の山々からは、なぜか大型の獣が姿を消していたという事は分かった。でも、それだけだのことだった。」


十年前、翔が七歳の誕生日を迎えた日のことだった。朝、父親に電話が入った。長い問答のあと、「わかった」とだけ言って電話を切っていた。それから着替えて父の車で槍穂岳に向かった。母や姉にはすぐに戻ると告げていたようだった。覚えているのはそれだけだ。その次の記憶は入院していた病院で父が死んだと告げられた場面になってしまい、ただただ泣いたことしか覚えていない。

「僕の記憶が戻れば何か分るんでしょうか。」精一杯の返事になった。

「検死、司法解剖の結果は理解できるようになったかい?」住職は静かに問うた。

「獣と思われる切り傷による外傷で出血多量が原因と。」

司法解剖の結果や当時の出来事を母も姉も教えてはくれない。もしかしたら本当に知らないのかもしれない。発見が遅れたのも父の隆一が行き先を告げていなかったため、捜索願を地元警察署に出したのち、父親の車が槍穂岳登山口付近の無料駐車場で発見されてからの山岳捜索となったためであった。事故の経緯を自分で調べるようになったのは中学校に入学してからのことで、協力してくれたのは目の前にいる伯父であり、いとこの俊之であった。

「表向きの情報はその通りだけどね。」

「え」息をのんだ。

「さっき、『当時の調査以外わからない。』と言ったけど、公にされている情報には隠蔽されている部分があるのさ。」閉じていた眼をゆっくり開き、翔を見据える。

「もう話してもよい頃だと思う。弥生、お母さんだけは知っていることだが。お父さんの本当の死因は・・・。」


住職の話では、隆一の体は一本の大きなシラカシの木に引っ掛かっていたという。まるで弾き飛ばされたかのようにその木自体、根が地面から浮き上がり後方に傾いていた。隆一が飛ばされたであろう軌道にある木々は20メートルに渡り左右に倒れていた。隆一の死因はその衝撃によるものであった。外傷の傷は確かにあった。傷は右の胸から左下腹部にかけて六本の裂傷を負っていた。刃物か鋭い鉤爪状のものによる傷であったが、その傷による出血多量死ではない。というのである。


「大丈夫かい。」

住職は話を切って翔を見る。

「はい・・・」情景は浮かんだが自分の所持している情報との違いや、伯父の話が常識離れし過ぎていて理解には遠く及ばない。

子供から見ると大人は皆大きく感じるものだが、父の体はとても大きかったと思う。記録によると、当時隆一の身長は187センチメートル体重約70キログラムであった。奇しくも今の自分と同じくらいの体格である。20メートルもの距離を、木々をかき分けるほどの力で、そんな大きな人間を吹き飛ばすことができる生き物が、もしくは何かしらの装置が存在するのだろうか。

翔にとって父親の記憶は七歳までのもので、(かすみ)をつかむような感じだった。ただ、いつも一緒にいて楽しかったと思う。父と出掛ける時はいつも白い大きな犬がいて遊び相手になってくれていた。

『あの犬はいつからいなくなったのだろう・・・。』



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