第五話 賢人と、剣
「さて、上級眷属の中には幻覚を操り、同族でも見抜けぬほど完璧に化けるものがいる。こいつらのようにな」
謎の女性が手に持つ水晶玉を頭上に掲げると、レーザーのような幾筋もの光線が闇に走った。
その光に貫かれた瞬間、アローネを取り巻いていた人々が一斉に苦しみだした。
彼らの頭を、胸を、四肢を突き破り、灰褐色の触手がもがくように這いだしてくる。
「うわ……!」
そのえげつない光景に、思わず僕の口から声が漏れる。
「正体見たりだ。さ、遠慮は要らん」
女性は僕をうながすように言った。
……味方とみて、よいのだろうか。
「グ。それは、ググ……こちらの、台詞……ダ。その男には、利用価値があると思ったガ……、楯突くならば、姫ともどもここで始末すル」
半人・半異形の姿となった市民たちが、本性を剥き出しにして猛り狂う。
僕は銃の残弾をすべて撃ち込んだが、それで完全に動きを止めたのは2体のみだった。
あの力を使うか……いや、ここではアローネやあの女性を巻き込みかねない。
逡巡するうち、僕をめがけて何本もの触手が襲いかかってきた。
――刹那。三日月のような弧を描く、光の軌跡が僕の眼前を通り過ぎた。
荒ぶる触手は一本残らずぶった切られ、水揚げされた魚のように床をのたうち回っていた。
「……アローネ」
右腕の無いアローネが、左手に斧を携えて立っている。
彼女を拘束していたはずの枷は、いつの間にか残骸となって床に転がっていた。
近づく触手を一振りで切り落とすと、彼女は斧を頭上に放った。
背中から伸びた触手がそれを受け取り、天井から床にかけて一気に振り下ろす。
眷属の一体が脳天からまっぷたつにされて左右に転がった。
さらに、アローネが舞うようにステップを踏むと、遠心力で加速した刃が周囲の敵を横薙ぎに切り裂いた。
間一髪、床を転がって回避した眷属が銃を拾う。
しかし、それも見透かされていた。
触手の先を離れた斧が回転しながら飛翔し、銃を構えた腕ごと寸断すると……、次の瞬間、矢のような膝蹴りが眷属の胴体にめり込んでいた。
アローネが飛び退ると、それはおびただしい血液を吐き散らし、水風船のように萎んで果てた。
そこから先も圧倒的だった。
人間という器に閉じこめられたことで、どこかぎこちない動作を見せる敵たちに比べて、彼女は完璧に今の自分の体を使いこなしていた。
邪神の軍勢と戦うために、たったひとりでどれだけの鍛錬を積み重ねてきたのだろう。
彼女の触手に捕らえられた眷属は床や天井、壁に叩きつけられて破裂し、あるいは体を引きちぎられ、素手で殴られただけで頭や四肢が吹き飛び、次々と絶命した。
眷属はある程度の再生能力を備えているはずだが、彼女の一撃一撃はすべて相手の急所を的確に捉えているように見えた。
あの優しく穏やかなアローネと同一人物とは思えないほどの戦いぶりに、僕は、罠にはめられ、傷を負わされたこと以上の――冷徹な、断固とした怒りを感じずにはいられなかった。
そうだ。きっと物心がついたその時から、自分のあまりに呪わしい境遇を知ってしまったその時から、彼女はずっと怒りとともに生きてきたに違いない。
僕は、その片鱗を覗いたに過ぎないのだ。
「終わり……ましたね」
僕ら以外に何も動くものがなくなると、アローネはこちらを振り向いて言った。
背後にあるガスランプのために、その表情は逆光となって見えなかった。
「ああ」
僕は言葉少なく応え、すぐ彼女に駆け寄った。
「ごめん、何もできなかった。……すぐ手当をしないと」
アローネはかぶりを振り、僕を見上げた。笑顔だった。
「いえ、信じてくれて嬉しかった。このくらいなら、平気です」
アローネは自分の切断された右前腕を拾い上げ、肘のあたりに近づけた。
すると、断面同士が引き合うかのようにそれぞれの内部から触手が伸び始め、絡み合って一体化し、何事もなかったかのように傷口がふさがっていった。
それは、端から見たらドン引きするような不気味な光景だったかもしれない。
けれど僕はただ、アローネの傷が癒えたことに安堵し、涙ぐんでいた。
「いや、素晴らしい。こんなに心が震えたのは、百年ぶりだ」
背後からの声に、僕はぎょっとして振り向いた。
しまった。謎の女性のことをすっかり忘れていた。
僕はアローネを庇うように前に出つつ、相手を睨みつけた。
しかし、その女性は意にも介さず、くるりと身を翻して言った。
「さ、行くぞ。君たち」
え?
行くって、どこに――。
問いかけようとしたとき、表から何かが室内に飛び込んできた。
それはつむじ風のように体をさらい、気が付くと、僕は――僕らは、夜空を舞っていた。
傍らを見ると、先程の女性がタイヤのないバイクに似た乗り物に跨がっている。
どうやら僕は、サイドカーのような部分に乗せられているらしい。
「強引だが許せよ。まあ、善は急げということだ」
反対側にはアローネが同じように乗っていた。
彼女は風に逆巻く髪を整えることもなく、きょとんとした顔でこちらを見ている。きっと僕も同じような表情をしていることだろう。
乗り物の後部からは鮮やかな魔力光がほとばしり、眼下を流れていく夜景に彩りを加えていた。
翼らしきものは何もついておらず、どうやら魔法の応用だけで機体を制御しているようだ。
眩しいカッパー色のボディと、航空力学をガン無視したような箱型の機首が異彩を放っている。
「こいつはロシュナート。魔力を浮力に変換して無限に滑空できる。俺が設計した、世界に一機だけの魔導艇だ」
女性がさっとフードを脱ぐ。銀髪が花開くように夜風になびいた。
僕は思わず目を見開いていた。
こちらを向いた彼女の顔全体が、まるで花のように鮮やかな紫色に染まっていたからだ。
「俺を訪ねてきたんだろう。……ここにおわすのが大賢人。プワル・メルケミトスだ」
この人が……!?
肌の色はともかく、顔立ちや背格好は僕と同年代、あるいはそれ以下の女の子に見える。
「あなたがメルケミトス様……。私は、アルテリリアの王女アローネです。初めてお目にかかります」
アローネもさすがに面食らっているようだ。
「この肌の色だな。驚いたろう。気にするな、慣れている」
大賢人プワルみずからが語ったところによると、彼女はここ150年ほど、人体と魔法石の共鳴現象について研究を重ねていたらしい。
ところが、悲しいことに誰からも賛同を得ることはできなかった。
ゆえに、自分自身を実験体としながら研究を進めるしかなかったらしい。
「まったく――法というものは、いつの世も技術の発展を遅らせるものだよ」
こともなげに恐ろしいことを語る大賢人の姿に、僕とアローネは思わず顔を見合わせた。
心強い味方には違いないが、平時なら絶対関わり合いになりたくない人種である。
「あ、僕はクロウって呼んでください」
「名前はどうでもよい。どうせこれ以上覚えられんからな。召喚されし若者よ」
「しかし、どうして私たちのことを?」
「お父上とは古くから親交があってな、もちろん君のことも聞いていた。近いうちに、異界から英雄を召喚する儀式を行うつもりだということもな」
ひと月ほど前、プワルが遠征のついでにアルテリリアへ立ち寄ると、そこは眷属に姿を変えられた人間たちで溢れていた。
邪神の本格的な侵攻を察した彼女は、聖剣を確保すべくレミロウへ密かに舞い戻った。
「……しかし、こちらでも厄介なことが起こっていた。研究機関の人間をはじめ、かなりの数の国民が眷属にすり替わっていたのだ」
プワルは、姿を変えられた人々、これから狙われるであろう人々を可能な限り保護し、匿った。
そのうえで、召喚されし英雄が訪れるのを待っていたのである。
ともに聖剣を奪取し、一気に邪神のもとへ攻め込むために。
「とにかく、先程の騒ぎが広まる前に大聖堂へ潜り込むぞ。そこの地下が魔導研究所になっている。聖剣の在処は最深部だが、なあに、俺の庭のようなものだ」
町でひときわ背の高い建物に向かって、魔導艇はゆっくりと弧を描きながら近づいていった。
「伏せろ、突っ込むぞ」
プワルがさらりと言ったので、僕とアローネはあわてて座席に身を沈めた。
窓を破って建物に侵入すると、魔導艇は音もなく減速して宙に制止した。
プワルは颯爽と床に降り立ち、僕たちもそれに従う。
そこは広い廊下の真ん中で、周囲に人の気配はなかった。
「この階層は見張りが手薄だからな。……さて、後は通気口を伝っていけば聖剣まで一本道だ」
プワルは慣れた手つきで壁の一部を取り外し、中を指し示した。
とは言うものの、壁の奥は完全な縦穴になっており、梯子も何も取り付けられてはいない。
「あの、どうやって降りるんですか?」
「それは、そこのお姫様の力を借りる」
アローネはドレスの裾や開いた背中から触手を伸ばし、四方の壁に吸盤を張り付けながら、器用に縦穴を下っていく。
僕とプワルは、彼女の左右の腕にそれぞれ抱きかかえられる格好になっていた。
視界はほぼ真っ暗だが、下を見なくて済むのはかえってありがたい。
……だが、問題がないわけではない。
狭い空間の中、淡い香水の匂いに鼻孔をくすぐられ、僕は悶絶する。
先程の凄惨な戦いのわりに、血の臭いはほとんどしなかった。
眷属の血液がもつ特徴だろうか? むしろ、血の染みている部分から特に甘い香りが漂ってくるような気さえする。
考えてみれば、アローネとこんなに密着するのは初めてだ。
出会った時のあれはさておいて。
人間の姿をしているのは表層だけといっても、彼女の体は柔らかく、しなやかで、張りがあって、……きっと、普通の女の子と変わりないのではないか。
そう思うと、僕の顔は自然と熱を帯びてしまう。耳のあたりまで真っ赤になっているかもしれない。
視界が暗いことにあらためて感謝した。
「……おい、召喚されし者よ」
「な、なんでしょう?」
「おかしなことを考えるなよ?」
「考えて、ません!」
僕の声は裏返り、情けない残響が通気口にこだました。
無限にも感じる煩悶の時が過ぎ、僕らはようやく穴の底に到達した。
今度は内側から、プワルが壁の一部を取り払う。
一気に空間が開け、ひんやりと冷たい空気が肺を満たす。
そこは円形の部屋で、僕らの立つ場所から中心に向かって床が段階的に低くなっており、もっとも深い場所に水晶のような半透明のドームがあった。
内部にうっすらと十字型のシルエットが見える。
常夜灯の薄明かりの中で、それはおぼろげな光を放っていた。
「これが……聖剣」
「そう。有史以前から存在するオーパーツだ。一説によれば、邪神の降誕と同時にこの世に降り注いだ、とも聞く」
僕は吸い寄せられるようにそれに近づいていった。
長く幅広な刀身を持つ、いわゆる大剣と呼ばれるものだ。鍔の部分には、燃え上がる炎を思わせるような装飾が施されている。
刀身の輝きは異様だった。歳月を経て錆び付くどころか、つい先程研いだばかりのように見える。
その剣と相対して、僕は奇妙な既視感を覚えていた。
ゲーム等でありふれたデザイン、といえばそうかもしれない。
しかし、自分はこれと同じ剣の実物をかつて目の当たりにしたことがある。そう思えてならなかった。
「あまり近づきすぎるな、魔力の檻に触れると侵入がバレるぞ。今、ロックを解除する」
プワルはドームの傍らにある石版のようなものに手をかざし、なにやら呪文を唱え始めた。
反対側を見ると、アローネも僕と同じく、魅入られたように聖剣を見つめていた。
彼女にとっては、家族と祖国を救うための、夢にまで見た剣なのだ。
今は、じっくり眺めさせてあげよう。
プワルの作業が終わり、聖剣を包むドームが消えるのとほぼ同時だった。
「お久しぶりですね、大賢人」
女性の声が響き、目映い光が室内を照らしだす。
いつの間にか、僕らは大型の魔法銃を携えた兵に取り囲まれていた。
その中心には白いローブをまとった赤毛の女性が立っている。金縁の眼鏡がギラリと光った。
……しまった。
またしても、僕らは罠にはめられたのだ。