第四話 何を信じて、何を為す
「レミロウの地下では、古代魔法陣を現代技術で再現する試みが行われているのです。聖剣も、その研究材料として保管されています」
円環型の魔法都市を指し示しながらアローネが言った。
古代魔法陣――というと、城の地下神殿にあったあれか。
僕をこの世界に召喚したという代物だ。
「じゃあ、その研究機関に事情を説明して……」
「はい。しかし、それだけでは聖剣は手に入りません」
「と、いうと?」
「大賢人メルケミトスを探し、協力を求めなくては」
「大賢人?」
「不老不死の秘法を解き明かしたとも言われる、レミロウ最大の技術者です。……しかし、大変奔放な方で、国の内外を自由に飛び回っては、独自の研究を進めておられるのだとか……」
「それじゃ、会える保証はないってこと?」
「……手がかりくらいは、得られるかと。いずれにせよ、大賢人でなくては、聖剣に施された魔導鍵を解くことはできないのです」
また先行きが不安になってきたが、とにかく地道に問題をクリアしていくしかないってことか。
「とりあえず、今日はもう遅いですから、閉まる前に宿を借りてきます。少しだけ待っていてください」
金髪を群青のリボンでくくると、アローネは僕と荷車を残し、風のように丘を下っていった。
お姫様に使い走りさせるなよ、自分……と思ったが、三日間の眠りから覚めたばかりの体は、まだ言うことを聞きそうにない。
すでに空は藍色に染まり始めていたが、町には数え切れないほどの明かりが灯り、こちらまで熱気と活気が伝わってくるようだった。
あそこには、こちらの世界の人が大勢いるんだな。僕はふと思った。呪いを受けたり、眷属にすり替わられたりしていない、普通の人々と会うのは初めてになるわけだ。
アローネの背中はあっという間に小さくなり、やがて町の光に溶けるように消えた。
僕はしばしの間、その温かな輝きの群れを眺めていた。
……だが。
「遅い……な」
時計は持っていないから、正確な時刻はわからない。
それでも、かなりの時間が経過したことは間違いない。
町の光はすっかり数を減らし、代わりに、空では無数の星々が瞬き、頭上には青白い月が浮かんでいた。
僕は、その寒々とした光に何か不吉なものを覚えた。
……探しに行こう。
体の調子もだいぶ戻ってきている。
僕は荷物に布を被せると、夜を迎えつつある町へと飛び込んでいった。
◆ ◆ ◆
ここで、最後か。
僕は小さな民宿の前に立っていた。
ここに至るまで町中の宿を回り、アローネの姿を探し求めた。
息は切れ、足は棒のようになっている。
すでに辺りは静まりかえり、人影もない。
魔力を応用したものだろうか、薄紫色の外灯がぼんやりと光っている。
宿の明かりは消えているが、かといってこのまま去るわけにもいかない。
少し控えめにドアを叩く。
「どうぞ、お入りください」
即座に返答があった。抑揚のない、男の声。
僕は思わずぎょっとして白い木製のドアを凝視する。
当然ながら、そこから室内の様子を読みとることはできない。
不気味だが、入ってみるしかない。
いやに冷たいドアノブをひねり、僕はゆっくりと扉を開いた。
瞬間、闇の中でいくつもの炎が燃え上がった。
その眩しさに、思わず腕で顔を覆う。
ガスランプのようなものを一斉に点灯したらしい。
オレンジ色の明かりの中に、大勢の人間がいた。
「いらっしゃいませ。お待ちしていました」
部屋の中央にいる、がっしりした体躯の男が言った。
先程の声の主だろう。
他にも、老人から若者まで、少なくとも10人以上の男女が宿のロビーにひしめき、みなこちらを見つめている。
異様な雰囲気だった。
そしてその中に、見覚えのある顔が混じっていた。
「……アローネ」
彼女は手枷、足枷をはめられ、両脇から男に組み伏せられるような形で床にひざまずいている。
「クロウ……」
痛々しくかすれた声が、かろうじて僕の耳までたどり着いた。
驚きのあまり硬直していた自分の体が、かっと熱くなるのを感じた。
「どういうことですか……何をしてるんですか、あんたたちは!」
僕は怒りのままに叫んだが、彼らは表情を一切変えることなく、こちらをじっと見つめている。
「彼女が何をしたっていうんですか!?」
駆け寄ろうとした僕を、左右から出てきた男が制止する。
「化け物ですよ」
先程と同じく、中央の男が言った。
「それは邪神の呪いで……」
「ええ、聞いていますよ。東のアルテリリアでは、邪神の呪いによって人が化け物に変えられ、代わりに化け物が人の皮を被ってなりすましているとね。まさか、この国にまで入り込んでくるとは」
厄介なことになってしまった。
アローネが邪神の手先でないと説明しても、信じてもらえるかどうか。
……いや、待てよ?
「待ってください。どうして、彼女が化け物だなんてわかるんです。彼女は僕の連れです。放してください」
そうだ。外から見ただけでは、普通の人間と、人間に化けた眷属との区別はつかない。
僕も、アローネと視界を共有したからこそ、真の姿を見ることができたのだ。
つまり――
「わかったぞ。あんたたちこそ化け物だ。邪神の命令で送り込まれた、スパイだ!」
僕は叫んだが、やはり彼らは動じなかった。
それどころか、こちらに向ける表情は、どこか憐れみを帯びていた。
「可哀想に、騙されているんですな。では、証拠をお見せしましょう」
中央の男が目配せすると、アローネを拘束していた男のひとりが、暗がりから何かを引っ張り出した。
それは、ランプの光を映してぎらりと凶暴に輝いた。
「! やめ……」
僕の言葉を遮り、ドン、という鈍い音が室内に響きわたった。
床板がビリビリと揺れる。
男が振り下ろしたのは、木こりが使うような斧だった。
絞り出すような少女の悲鳴がこだまする。
青い血痕が床一面を染め、その中央に、アローネの華奢な右腕が転がっていた。
その断面から、切断された灰褐色の触手の一部がはみだしている。
「……ッ!!」
僕は腰から銃を抜き、すぐさま引き金に指をかけた。
「クロウ! やめて!」
「アローネ!?」
涙をこぼしながら、アローネはかぶりを振った。
「この人たちは眷属じゃない……人間です。だから、撃ってはいけない」
「そんな……」
立ち尽くした僕の手から銃がもぎ取られた。
「お可哀想に……美しい姿に惑わされたのでしょう。こいつらは人の心をもてあそんで餌食にします。事実……この子の父親をたぶらかし、喰っているところを、私たちは見たのです」
男が手で示したところに女の子が立っていた。年の頃はアローネとさほど変わらないだろう。
その頬は涙で濡れている。
嘘だ。そんなことがあるはずはない。
「お父さんを、返して」
女の子は震える声で呟きながら、アローネに近づいていった。
そして、床に刺さった斧を柄を掴み、力を込めた。
「待ってくれ……何かの間違いだ!」
僕の叫びは届かなかった。
彼女は斧を引き抜き、ゆっくり頭上に振りかぶると……一気に振り下ろした。
刃はアローネの肩口にめり込み、鮮血がほとばしった。
だが、彼女は悲鳴を上げなかった。
その代わり、立ち尽くす僕の方を見て、精一杯の笑顔を作って言った。
「私も……きっと誤解だと思います。けど、それでも……この方たちが救われるなら……」
アローネはすでに、自分の命を諦めている。ここで死ぬつもりなのだ。
「クロウ、あなたは旅を続けてください。どうか、人々を呪いから救ってください……」
「もういいでしょう。こいつの言葉に耳を貸すことはありませんよ」
いつの間にか、中央の男の手に僕の銃が握られていた。
男はそれをアローネの額に向け、引き金に指をかけた。
「……さようなら」
彼女の言葉をかき消すように、銃声が響きわたった。
重いものが床を転がる音がした。
僕の手には、懐から抜いた予備の銃が握られている。
銃口の先には、男の苦悶に満ちた顔があった。
先程まで銃を握っていたその手からは、どくどくと血が溢れ出している。
……青い血が。
「何故、わかった……?」
男がうめいた。
「違う。関係ないんだ。あんたらが眷属だろうと、人間だろうと、僕のすべきことに変わりはない。それだけだ」
「よくぞ言った。それでこそ、異界より招かれし英雄――といったところか」
気が付くと、ローブをまとった女性らしき人影が戸口に立っていた。
目深にフードを被り、顔の大部分は隠れている。
……何者だろうか。
少なくとも、あちらは僕が何者であるかを知っているらしい。
とすれば、敵か。味方か。
眷属か、人間か。
僕だけでなく、アローネや市民たちも闖入者の動向を窺っているようだ。
張り詰めた空気を意にも介さず、
「さて、今宵の実験は楽しくなるぞ」
どこか芝居がかったような調子で女性は言った。
夜闇のヴェールで隠された口元に、不敵で危険な笑みを見た気がした。