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第一話 形容しがたき、異なるもの

 空想することが好きだった。

 子供の頃からずっと、そこは僕の、僕だけの王国だった。


 眠りにつくまでのわずかなひととき。

 布団の中で思考の翼を広げ、誰にも邪魔されない深淵へと羽ばたいていく。


 めくるめく異世界を、いくつも巡りめぐって。

 魔物がひしめき、剣と魔法が輝き放つファンタジー。

 冒険、危険、そして、恋。

 いつだって僕は、無敵の英雄で、救世主で、最高にカッコいい主人公だった。


 だから、準備はできていたはずだった。

 いつ何時、目の前が見知らぬ異世界に変わっていようとも。

 僕ならできる。


 ……そして、遂にその時はやってきた。

 神様がようやく僕を選ぶ時が。

 何千回と夢見た冒険が、現実となる時が。


 しかし、この神様は、少々ひねくれた趣味の持ち主であったらしい。

 それがつまり、僕の奇怪な冒険譚の始まりであったのだ。



 ◆ ◆ ◆



 冷たい。そして硬い。それが最初の感覚だった。

 僕は目を閉じたまま、ゆっくりと思考をかき混ぜた。


 なぜ床の上で寝ているのだろう。

 自慢じゃないが、寝相は良い方だ。それに、ちゃんと布団に入って明かりを消した記憶もある。

 では、なぜ床の上で――床?

 部屋のフローリングにしては妙につるりとして、キンと冷えた肌触りがする。

 石だ。曇り空のようなマーブル模様で彩られた、大理石のイメージがぱっと浮かんできた。


 では、ここは何処なのか?

 とにかく、こう硬くては寝ていられない。

 思考を切り上げ、僕は観念して重い身を起こした。


 そして、見た。

 果たしてそこは、見飽きた狭苦しいアパートの一室ではなかった。



 教会。第一印象はそれだった。


 おそろしく高い天井。豪奢(ごうしゃ)だが気品のある内装。

 燭台の炎がゆらめき、石造りの壁に陰影を浮かび上がらせる。


 しかし、宗教的なシンボルはどこにも見あたらない。

 祭壇があるべき場所には、黄金に輝く玉座のようなものが備え付けられていた。

 そして……そこへもたれかかっている灰褐色の物体に、僕の目は釘付けになった。



「うっ…」


 思わずうめくような声が口の端から漏れた。

 それは、世にもおぞましい――おぞましいという言葉を、そのまま具現化したような物体だった。


 大型犬ほどもある、粘膜に覆われた塊。

 その胴体(?)から、タコかイカのような吸盤付きの触手が何本も伸び、玉座から続く階段を伝って、床の方にまでぶら下がっている。

 頭や目、口に該当する部位は見あたらないが、触手と逆方向から短いチューブ状の突起が数本つきだしていて、フシューフシューと呼吸音のようなものが聞こえてくる。


 生きているのだ。

 “それ”は玉座にもたれたまま、触手の一本も動かすことなく、ひたすら呼吸だけを続けていた。

 だが、僕は背筋を駆け上がる激しい恐怖と嫌悪の感情に揺さぶられていた。

 “それ”から目を逸らすことも、凝視することもできないまま……ただこの場から離れることだけを考え、背後へと後ずさった。


 瞬間、何かが踵に引っかかり、僕は弾かれたように振り返って足元を見た。

 そして気づいた。

 床一面に彫られた、幾重もの巨大な同心円と、見たこともない文字、図形の羅列。

 魔法陣。そうとしか形容できないものだった。


 これは、ここは。

 ……まさか。

 目の前に散らばった光景が、状況が、僕の頭のなかで次第にひとつの像を結びつつあった。

 そして、その答えは、ある人物の出現によって決定づけられた。


 魔法陣の中心に立つ僕の視界の隅に、何か白いものが映った。

 玉座とはちょうど正反対の方向――蝋燭の明かりだけではよく見えないが、そちらに出入り口があり、誰かが入ってきたらしい。


 カツ、コツ……と、ヒールの音が高い天井に反響しながら近づいてくる。

 薄闇の中から、純白のドレスが浮かび上がった。


 まるで、ゲームやアニメの世界からそのまま飛び出してきたような、「お姫様」がそこにいた。

 すらりと背が高い、亜麻色の髪をした、綺麗な女の子。

 頭には白金色のティアラ、胸には宝石のペンダント。

 白手袋をはめた両手は、腰の前でゆるく組まれている。


 顔立ちはまだあどけなかったが、穏やかな微笑をたたえたその表情は、こちらの心を優しく包み込むかのようだった。

 彼女と見つめ合ううち、僕を虜にした不安や恐怖はどこかへ消えていた。


「あのっ…」


 話しかけようとして、僕は言葉に詰まった。


 問うべきか? 説明すべきか?

 ――何を? どこから? どこまで?


 僕の逡巡を読みとったかのように、少女はうなずき、にこりと笑顔を見せた。

 その愛らしさ、美しさに、先程とは別種の感情の乱れが僕の内側を揺さぶった。


 ここがどこかは知らない。いや、どこだっていい。

 ここはきっと、僕が夢に見続けた世界なのだ。


 実ったばかりの果実を思わせる、みずみずしく艶やかな彼女の唇が、何かを語るようにゆっくりと開いた。

 僕の視覚と聴覚に全神経が集中していくのがわかる。


 そして、彼女の口から――

 口から――、


 口から耳元までが、ぱっくりと裂けた。

 いや、箱の蓋が上がるように、開いたというべきか。

 優しく可憐な表情を浮かべたまま、彼女の顔の上半分は90度後方に倒れ、紅い粘膜の光る口内が露わになった。


 そして、天に向けて開いたその喉奥から、噴水のごとく灰褐色の触手が溢れ出したのである。

 僕は意味不明の言葉で絶叫したが、反面、体は凍りついたように動かなかった。


 触手は僕の頭や四肢をめがけて空中を泳ぎ、吸いつくように絡んでくる。

 ヌメヌメとして生温かい感触に吐き気がこみ上げ、意識が遠のく。

 僕は死ぬのか。こんなに呆気なく、理不尽に。何の冒険もすることなく――。



「もし…」


 少女の声がした。優しく温かい声だった。

 幻聴か、それともお迎えか。どちらでも同じことだ。

 僕は目を閉じ、静かに最期の時を待っていた。


 ……しかし、一向にそれは訪れなかった。

 全身にまとわりついた触手の感覚は、いつしか消えていた。


「驚かせてごめんなさい。……あなたのことが知りたかったのです」


 鈴を転がしたような、美しく可憐な声。

 目を開くと、そこにはつい先程までと変わらない、綺麗な女の子の顔があった。

 僕は安堵した。あれは幻覚だったのか。あるいはまだ寝ぼけていて、悪夢を見たのかもしれない。


「ああして触れることで、わずかですがあなたの記憶を読みとることができます」


 その言葉は、確かに目の前にいる彼女の唇の奥から発せられている。あのおぞましい触手の影はどこにもない。


「あなたは、確かに人間で――そして、異界の方なのですね」


 ……やはりそうか。ここは僕のいた世界じゃない。

 確信とともに、僕の中でようやく英雄としての自覚と自信が首をもたげてきた。

 僕は、先程の醜態を打ち消すように、胸を張って言った。


「そうです。いかにも、僕はここではない世界からやってきた者です。……それはおそらく、あなたをお守りするためでしょう」


 そう――たとえば、あの玉座にもたれた化け物から。

 僕はさっと彼女の前に手をかざし、庇う体勢をとった。


 今この手には武器も何もない。が、僕が選ばれて異世界に召喚された勇者なら、負けるはずがないのだ。最初に出会うザコ敵などに。

 僕の視線の先を辿った彼女は、ややうつむき加減になって言った。


「あれは……父です」


 ん?

 ……今なんて?


「父も喜んでいるでしょう。どうか、私たちをお守りください」


 彼女は僕の足下にひざまずき、祈るように両手を掲げた。

 それはあまりにも尊く、胸を打つ姿だった。

 だが、それはそれとして、だ。


「あれが……いや、あそこにいるのがお父さんって、じゃあ、君は――」


 彼女は顔を上げ、にこりと笑って言った。


「私はアローネ・セルヴァン。恥ずかしながら、この国の王女です」


 彼女のドレスの裾から、しゅるりと伸びてきた触手が、人懐こい蛇のように僕の腕に巻き付いた。

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