第十二話 竜の洞窟、最果ての剣(中編)
“最果ての剣”ラゴを模した眷属が、大剣を振りかざして猛然とこちらに迫ってくる。
――が、
「おっと!」
背後から迫る影に気付き、瞬時に身をかわした。
寸前まで彼がいた空間を巨大な顎が挟み込む。
僕は咄嗟に魔法銃を放ったが、硬く丸みを帯びた鱗が弾丸を受け流し、無力化してしまった。
頭上の暗闇にうごめく、いくつもの影。
洞窟の天井に張り付いた巨大な蜘蛛の胴体から、8本の竜の首が伸びている。
それらは全方位から僕らを取り囲むと、鍾乳石のような牙を剥き、舌を震わせて威嚇してきた。
「無理~~、クモだけはマジで無理ぃ~~~~っ!!」
てぃあるは岩陰に座り込み、子供のようにわんわんと泣きじゃくっていた。
「てぃある、しっかりしてくれ!」
これじゃ、何のために聖剣を譲ったのかわからなくなる。
僕は本体を彼女のそばに置き、意識体を生成した。
これでいざという時は本体の周囲に意識の檻を展開させ、てぃあるともども防御することができる。
「行くぞ……化け物!」
僕は自らを奮い立たせるために叫んだ。
意識体の両手を融合させ、長大かつ鋭利な剣に変化させる。
フェイントを織り交ぜた軌道で距離を詰めると、竜の首を真上からぶった切った。
大樹の幹のような首が切断され、地面に落下する。
――いける!
しかし、2本目の首を相手取ろうとした時、背後に向けた意識の目が異変を捉えた。
切られた首の断面がメリメリと盛り上がり、新しい首を形成していく。
巨体に対して恐るべき再生速度だ。これでは、キリがない。
僕は本体の蜘蛛を睨んだが、相手は巧妙に巣の奥へ身を隠していた。
幾重にも張られた幕を突破しない限り、攻撃が通らない位置だ。
どうすれば――。
考えている間にも、全方位から首がこちらを狙ってくる。
大きく開かれた口から、唐突に毒々しい緑色のビームが放たれた。
僕が身を翻すと、命中した岩壁からじゅうじゅうと白煙が上がる。
空気に触れることで強酸性に変わる体液といったところか。
――冗談じゃない、生身で喰らったら一発アウトだぞ。
意識の目をフル活用すれば四方八方からの射撃を見切ることも不可能ではないが、問題はこの密閉空間だ。
幕を避けながら動き続けるのは限界があった。僕はとうとうどん詰まりに追い込まれ、酸を浴びた。
意識体に痛みや傷の概念はほとんどない。
しかし、許容量を超えたダメージは意識の混濁という形でフィードバックされる。
僕は意識体をどうにか着地させたが、視界はぐにゃぐにゃに歪み、すぐに飛び上がるのは無理だった。
その間にも、竜の牙がすぐ背後まで迫ってくる――。
グゴオオオーーーーーッ。
奇怪な叫び声がそこら中に反響した。
僕の視界の一部がようやく復旧し、何が起こったかを捉えた。
竜の眼からマグマのような鮮血が噴き出している。
――アローネだ。
見慣れない片手剣と盾を装備し、鱗に覆われていない両眼を狙って複数の首と攻防を繰り広げている。
「アローネ、その武器は!?」
「そこで拾いました。おそらく、かつて魔竜の討伐に挑んだ方の遺品でしょう。ここはひとまず、私に――」
アローネは会話を止め、頭上に盾をかざした。
直後、暗がりにまばゆい火花が散った。
竜の首を踏み越えてきたラゴの剣が、彼女に向けて振り下ろされたのだ。
「俺を忘れてもらっては困りますな、姫様」
「“果ての騎士団”の名を、アルテリリアの誇りを、穢すものめ……!」
「安心してくださいよ。のちの世には、誇り高い神の軍勢として語り継がれるんですからね」
アローネは渾身の力でラゴの剣をはね除け、同時に腹から伸ばした四本の触手でボディブローを叩き込んだ。
これにはさしもの巨体も後方に吹き飛ばされかけたが、地面に剣を突き刺してすぐさま体勢を立て直す。
「やるねぇ」
余裕の笑みを浮かべるラゴに、アローネは追撃を仕掛けようとしたが、それは叶わなかった。
彼女の前後から竜の首が迫り、強酸のビームを噴射する。
まずい――。
僕も援護に入りたかったが、いかんせん敵の数が多すぎた。
二人とも攻撃をやり過ごすのに精一杯で、徐々に体力を消耗していく。
このままでは、遠くないうちに全滅だ。
「てぃある! 頼む、戦ってくれ!!」
現状を覆す最後の希望は、聖剣に選ばれし者しかいない。
僕の叫びが木霊したが、岩陰から返事はなかった。
――駄目なのか。
いや、そんなはずはない。
何より彼女自身が、それを許さないはずだ。
「いいのか、こんなところで死んで。子供にもう会えなくて」
僕の祈るような言葉は、闇の向こうに吸い込まれていった。
◆ ◆ ◆
――いいのか、子供に会えなくて。
その言葉は、確かにあたしの胸をチクリと刺した。
けれど、本当のところはどうなのだろう。
あたしは、子供から逃げたかったのではないか。
あの時と同じように。
やっと幸せが手に入ったと思ったんだ。
結婚した頃のアイツはやさしかったし、あたしの望んだことは何だって叶えてくれた。
ずっとほしかった子供を――美羽を、生ませてくれた。
アイツといっしょに、小さな小さな美羽を抱いてアパートに帰ったとき、これからずっと三人で生きていくんだと思った。
けど本当は、その頃にはもう何かが食い違っていたんだと思う。
美羽の世話はあたしの担当だった。
アイツには仕事があるから、それが当然だと思っていた。
けど、1年が過ぎた頃、あたしは次第に違和感を覚えるようになった。
美羽がぐずるたび、アイツはあたしに冷たい視線を向けた。美羽を抱くこともほとんどなくなっていた。
何か、嫌な気配がした。手に入れたと思った幸せに、黒い影が差すような。
それは、夜泣きが激しい晩だった。
アイツを起こすまいと、あたしは必死に美羽をあやしていた。
背後でドアの開く音がし、続いて男の足音がみしみしと近づいてくる。
まず謝ろうとした。そのとき、平手があたしの頬を打った。
――うるせえんだよ。お前がちゃんとしつけねえからだろっ。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
怒りが収まらない様子で、アイツは美羽のおもちゃを蹴飛ばしながら部屋へ戻っていった。
あたしはその背中を呆然と見送るしかなかった。
それから、暴力は日常的になっていった。
時には美羽に矛先が向かうことさえあった。
あたしができたのは、ただあの子を庇い、嵐が過ぎ去るのを待つことだけだった。
アイツから逃げる勇気も、向き合う勇気も、あたしにはなかった。
そして、誰かに助けを求めることもしなかった。
それをしたら、何もかも終わってしまう気がして。
自分たちが幸せじゃないって、認めてしまう気がして。
だから……。
逃げる場所がほしかった。あたしの心を、守ってくれる場所が。
もともと友達のいないあたしには、ゲームの人間関係だけが頼りだった。
浮気なんてしたかったわけじゃない。ただ、安心できる居場所がほしかった。
それだけだったんだ。
――てめえがほしいっつーからガキまで作ってやったんじゃねえか。それを、ろくに世話もしねえで、他の男と何をしてやがった? 死ね、このクソ女が。死ね。
ガツン、という音が狭い部屋に響き渡った。
床に叩きつけられた端末の画面には、SNSのやりとりが表示されている。
……クロウという、ゲームでそこそこ付き合いの長かった男の子。
イメージ通り、大人しくて、地味な感じの子だった。
浮気相手に選ぶなんて、とてもじゃないけど可哀想だった。
それでも二回会ってしまったのは、アイツと全然違うタイプだったからかもしれない。
あたしを今の状況から連れ出してくれる、何かを――期待したのかもしれない。
アイツは何度もあたしをぶった。
憎い、とはまったく思わなかった。
どう考えても、全部あたしのせいだから。
あたしが馬鹿で、勇気がなかったせいだから。
……でも、この子は悪くない。
美羽だけは、あたしが守らなきゃいけない。
あたしが離婚を切り出したとき、美羽を引き取ると言ったとき、アイツは怒らなかった。
それはアイツなりに最後に見せた優しさだったのか、親としてのケジメだったのか。
あるいは、あたしと美羽に、もうそこまでの執着はなかったのかもしれない。
――パパ、パパ。
――ママ、ママ。
美羽はあたしたちが書類にペンを走らせている間も、無邪気に笑っていた。
生まれた頃から、ずっと変わらない笑顔だ。
なのにあたしたちは、変わってしまった。
こぼれ落ちた涙で文字がにじんだ。
ごめん。
パパを取りあげて、ごめん。
けど、これ以上、あなたから何も奪わせはしないから。
あたしは、ずっとそばにいるから。
そうだ。
もう、美羽から取り上げてはいけない。
あたしは帰るんだ。あの子のところに。
絶対に。
◆ ◆ ◆
「お気の毒ですね、姫様。助っ人が揃って役立たずとは」
「私は信じています。クロウのことも、てぃあるのことも」
ラゴの斬撃を避けた瞬間を狙ったように、アローネに向かって竜の強酸が浴びせかけられた。
受け止めた盾が、白煙とともにみるみる溶け落ちていく。
「では――これにてお別れですな、姫様」
ラゴは完全にアローネの背後をとっていた。
大剣が彼女の頭へと一直線に振り下ろされる。
「アローネ!!」
僕の叫びにそれを止める力はなかった。
肉が裂かれ、骨が割れる鈍い音を僕は覚悟した。
しかし、響き渡ったのは甲高い金属音だった。
その鋭く澄んだ音色は、この空間に溜まった瘴気を一瞬で掃き清めた。
「……ほう」
ラゴが目を細め、唇の端を歪める。
ふたつの視線がぶつかり合っていた。
一方は野獣のように獰猛な赤い瞳。
そして一方は、丸く潤んだ栗色の瞳。
――てぃある。
聖剣を携えた彼女は、アローネを庇い、ラゴの一撃を正面から受け止めていた。
「さんきゅークロウくん」
先程聖剣が奏でた音と似た、澄み切った青空のような声だった。
「思い出させてくれて、ありがとね」
ゾクゾクと鳥肌が立つような感覚に襲われた。
僕らは、今まさに目撃したのかもしれない。
――この世界に、真の意味で“選ばれし者”が降誕した瞬間を。




