第九話 帰された男、帰ってきた女
僕は混乱と焦燥のさなかにあった。
冒険の途中、突如として召喚前のアパートに戻されてしまった。
しかも、あちらの世界の住人であるアローネを巻き添えにして。
これからどうしろというのか。
その時、背後でドスン、と何か重たい音が聞こえた。
居間を覗くと、先程まで寝ていた布団の上に、聖剣が突き立っている。
時間差でこっちに飛んできたのか?
危うく串刺しになるところだった。
というか、下手したら下の階までいってるだろこれ。どう説明したらいいんだ……。
僕が頭を抱えていると、追い打ちをかけるようにインターホンが鳴った。
今度はなんだ!?
「クロウくん、いる? てぃあるだけど」
……てぃある。
ドア越しにその女性の声と名前を聞いた時、また別の記憶が、僕の脳裏に蘇っていた。
てぃあるはオンラインゲームで知り合った女の子だ。
2回だけオフで会って遊んだが、それっきりだった。
一年ほど前、彼女からの連絡はぷつりと途切れていた。
この部屋にも一度だけ案内したけれど、結局キスさえする仲には至らなかったし、お互いの本名も知らないままだ。
それがなぜ今……。
「なんか大きい音したけど、大丈夫ー?」
居留守を使おうかとも思ったが、これで大家でも呼びに行かれたら余計に厄介だ。
外のてぃあるに聞こえるよう、大きめの声で僕は応えた。
「大丈夫。ちょっと待って、散らかってるから!」
玄関に鍵がかかっているのを再確認し、眠るアローネの肩を揺さぶる。
「起きて、アローネ」
「は、はい……?」
床に手を置いてゆっくり身を起こすと、彼女は目をこすりながら周囲を見回した。
「あら、ここは…」
「理由はわからないけど、僕の世界に来てしまったらしい」
「クロウ……の、せかい……?」
まだ寝ぼけた様子で状況が呑み込めていないアローネを、僕はむりやり立たせ、居間に追いやって引き戸を閉めた。
玄関の外をてぃあるが所在なげにぐるぐる歩き回っている気配がする。
「ごめん、もう少しだけ待って。……ていうか、急に何の用?」
まさか、今さら交際の申し込みではあるまいが。
「うーん……それがねー、直接顔を見て話したいっていうか」
困った。
中に入れなければ用件を話さないし、かといってこのまま帰るつもりもないらしい。
カノジョがいるから出直してくれ――とでも言うか?
しかし、てぃあるの家からこのアパートまでは、それなりに時間と交通費がかかると言っていた覚えがある。
表では話せないような、重大かつ緊急を要する事情があるのかもしれない。
「奥の部屋がどうしても片付かないから、玄関入ったとこで立ち話になるけど。それでもいい?」
「うん、大丈夫」
ええい、ままよ……。
僕は意を決してドアを開けた。
そこには、一年前とまったく変わらない、ボブカットの小柄な女の子がこちらを見上げていた。
ゆったりした黒いTシャツを着て、桜色のバッグを斜めがけにしている。
水色のジーンズも記憶のままだ。足元には、白いパンプスがちょこんと並んでいる。
「おひさー」
流石に少し気まずいのか、てぃあるはぎこちない笑顔で手を振った。
「……ひさしぶり」
僕も、どういった表情で返したものかわからず、目を逸らしながら呟くしかなかった。
玄関をくぐり、後ろ手でドアを閉めながら、てぃあるは僕の服装を一瞥して言った。
「寝起き? ごめんねー」
言われてみれば、僕はパーカーに短パンという服装だった。
いつの間に着替えた? あちらの世界で着ていた服はどうなった?
履いていたはずのスニーカーはいつも通り玄関に並んでいる。
あちらの世界に召喚される直前の状態にそっくりだ。
まるで今までの旅をリセットされたかのようで、僕は不安になった。
……いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
「まあ、気にしないで。……それより、用件は」
「大した用じゃないんだけどー、あ、いや、大した用なんだけどー……ぶっちゃけ、お金貸してくんない?」
は?
「ガチでやばいんよー。生活。ほら、通帳見てよ」
そう言って彼女はごそごそとバッグの中を探った。
しかし、よほど整頓されていないのか、目的のものはなかなか見つからない。
そのうち、化粧品などに混じって、何か別の手帳のようなものが床に落ちた。
それは非常にカラフルで、様々なキャラクターが描かれた、可愛らしい装丁が施されていた。
おととし結婚した姉が、つい最近これとよく似たものを見せてくれた。
そこには、母子手帳と書かれていた。
「子育てする金がないからって、ネットで知り合って、しかも2回しか会ってない男に金の無心とかするか!?」
僕は思わずアパートの廊下まで丸聞こえになるほどの声で言っていた。
すると、てぃあるはうつむきながらも口を尖らせて反論した。
「仕方ないじゃん、子供は悪くないし、あたし友達少ないし……それにさー、クロウくんにも責任、あるよ」
「は?」
「クロウくんとのやりとり、旦那に見られてさ、それで離婚までいっちゃったんだから」
なにそれ……。
自分は知らずに浮気相手を演じさせられ、あげくに家庭崩壊の片棒を担がされていたのか……?
僕は怒りを通り越して寒気がした。訴訟沙汰とかになっていなければいいが……。
「どのみち、お金は貸せないよ。僕だって貧乏なんだから」
「ちゃんと返すよー。来月にはナントカ手当も入ってくるからさー」
「てぃあると同じで、今、現時点で、お金が足りないの。だから駄目」
嘘ではなかった。
僕も大学を中退して以来はフリーター生活で、しかも最近は頭痛だの理由をつけてバイトをさぼりがちときている。
このままいいように金蔓にされてはたまらない。
「そっかぁー。ダメかぁ」
彼女が案外素直に引き下がってくれるかと思った、その時だった。
きゃっ、という悲鳴が居間から響いてきた。
アローネだ。
何があったのかは知らないが、戸一枚を隔てているとはいえ、てぃあるにも聞こえたのは間違いない。
「えっ、誰かいるの。彼女さん?」
「そ、そうそう。だから、早く帰っ――」
「えー見たい見たい! 会わせて! お金諦めるからさぁー」
言葉選びを間違えただろうか。
……いや、お金は諦めるって言ってるし。
これ以上面倒なことにならないのを祈りながら、僕はしぶしぶ戸を開けた。
アローネの怯えた眼がこちらを見た。
どうやら、枕元に転がっていたテレビのリモコンを踏んでしまったらしい。
液晶テレビに映った子供向けアニメを見て、びくびくと震えている。
「絵画のようですが……まるで生き物のように動いています。これはいったい……」
「えー、なに!? 彼女さん、外国の子!? めっちゃキレイ。っていうか、コスプレ中??」
「え、えと……私は……その」
アローネが視線で助けを求めてくる。
「そ。アニメ好きで日本に来たんだけど、まだ人慣れしてないんだよ。ほら、邪魔だから申し訳ないけど帰って」
僕は力ずくでてぃあるをつまみだそうとしたが、彼女は居間の中をひょいと覗き、一点を指差して言った。
「それ本物の剣でしょ。やばくない? 銃刀法違反だよ」
布団に突き刺さった聖剣だった。
「通報してもいいかな? お金くれたら黙ってるけど」
この女は……。
「本物のわけないだろ、コスプレ用のやつ」
口調はなるべく平静を装っていたが、僕の背中は冷や汗でびっしょりと濡れていた。
頼むから、騒ぎを起こさないでくれ。
言うとおり金を渡すことも考え始めた時、てぃあるが隙を見計らったかのように居間へ踏み込んでいった。
「絶対本物だよ。触らせて」
「わ、やめ――」
僕の制止は間に合わず、てぃあるの手が聖剣の柄を掴んだ。
そして次の瞬間、僕らはまた、あの光の渦に呑まれていたのだった。




