ミオしゃ……オススメです
──怜音さんのとんでも察知能力でミオの安否が確認されてから一時間が経過した頃、ようやくミオが帰宅した。
「お、おかえり〜……」
怜音さんに教えてもらってミオの帰宅タイミングを知っていた俺は、玄関で立って彼女をそう迎えた。
俺の経験上、ミオが怒ったり不機嫌になったりしても一時間も経過すればケロッと元通りに直っていて、いつも通りに「ピリオド〜っ!」と駆け寄ってきてくれる──ハズだった。
「……ぷいっ」
「えぇ!?」
もう機嫌を取り戻して「たっだいま〜」と言ってくれる筈だったミオ。
しかし、実際の彼女は──俺の言葉を無視して目の前を素通りしていったのだった。
「み、ミオさん……?」
「…………」
「俺が悪かったです、ごめんなさい。だから許して……?」
「……ふーんだ、ふーんだ」
俺の言葉を無視するかそっぽを向くという、あたかも聞いていないかのようにミオは振る舞ってくる。
うわぁ……これはミオ、ガチ怒りしてますやん。共感覚持ちでない俺ですら、彼女の背後で炎が燃え盛っているのが分かる──しかもただバチバチと燃えている紅火じゃなくて、静かだけど超高熱の蒼炎。
「ねえミオ、許してよ〜。何でもするからさぁ」
「──付いてこないで」
「うっ、ぐはッ……」
俺は繁華街のキャッチのように、べったりと粘着してミオの隣を歩き話しかけていたのだが──ピシャリと告げられた『付いてくるな』の言葉。
普段じゃ絶対にあり得ない、ミオによる完全なる拒絶の言葉を投げられた直後、俺はその場にへたり込んだ。
「うえぇぇええん、ミオぉ〜〜〜!」
「ふーんだ」
床にへたり込んで泣く俺の横を、なんの気も掛けることなく通りすぎていくミオ。
そのまま彼女はリビングへと消えていった。
「まーじで不機嫌だな……」
「──その不機嫌を生み出したのは貴方ですよ、柊仁様」
「……居たんですか」
「はい。柊仁様のお上手な泣き真似も拝見させていただきました」
いつの間にか俺の隣に立っていた怜音さんは早々にド正論パンチをかましてきた……痛てぇ、胸が痛てぇよぉ。
まあそれはそれとして、泣き真似も見られていたのか……ちょっと恥ずかしい──ととととというか、アレはガチ泣きだしっ! 決してミオの情が揺れるのを狙った泣き真似なんかじゃないですしっ!
「……というか、ミオが帰宅したっていうのにこっちに居て良いんですか?」
「それをお嬢様が望まれて──っと、どうやらお呼びのようです」
恐らく『望まれていない』と言おうとしていたのだろうが、それを打ち切って今度は『お呼びだ』と言った怜音さん。
主人の望みを声で聞く前に察知するとは……やはり流石です。
「今夜中にお嬢様に機嫌を戻していただけるよう努めますので、柊仁様は、その……」
「邪魔をするな、と」
「そういう事でございます」
「じゃあ、今夜は部屋に引きこもっていた方が良いですね」
「ご不便をおかけしますが……」
「いえ、元々俺が悪いので。それに、ミオの事があろうとなかろうと今夜は部屋に引きこもるつもりでしたので」
「……? でしたら、ミオ様の夕御飯は私の方で用意致しますのでご心配なく」
今夜はどうしても外せない予定があるのだが、流石の怜音さんもそれは分からなかったらしくキョトンとしていた。
だが、怜音さんにとってキョトンでも、俺にとっては命よりも大切なもの。
──Vtuberの記念配信なのである!!!
今朝から爆速で家事を終わらせていた理由がその記念配信を見る為。
気合が入り過ぎて少し……ほんの少し空回ってしまったが、そんなもの瑣末なものだ──いやコイツ、全然反省してねぇな?
「それじゃあ、ミオをお願いします」
「はい、引き受けました」
夕食の問題をどうしようかとか、いつも俺の周りをうろちょろしているミオの存在をどうしようかとか悩んでいたが、それも一挙解決!
これぞ正に怪我の功名、ミオから好感度を失って推しの記念配信に全身全霊を懸けられるようになった!
(待ってろよ、ミオしゃ〜〜〜!!!)
こうして俺は黒髪ケモ耳少女系Vtuber──愛称『ミオしゃ』の記念配信の待機画面へと直行したのだった──
★☆★☆★☆★☆
──数時間後、柊仁の両親の元寝室にて。
「──なんで〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
「ちょっ、お嬢様っ! 突然大声を出さないでくださいませっ!」
怜音を丸太に見立ててコアラの様に抱きついていたミオが何の前触れもなく大声を上げた。
普段は滅多に怒らない怜音だが、体勢上ミオの口が怜音の右耳付近にあって、回避不可能な爆音攻撃には流石に叱りつけた──あわや鼓膜破壊まであり得るレベル、そりゃ怒る。
しかし、当のミオには全く届いていないようで『ごめん』の一言もなかった。
それどころか、再び大声を上げて今は居ぬ彼に抗議をぶつけた。
「なんで、ピリオドは来ないの!?」
「だからっ、声が大きいですって!」
耳を塞ぐ事も叶わず、再び爆音攻撃を食らった怜音は再びキレた。
だがすぐに、主人の乱心の原因を理解して冷静な面持ちを取り戻した。
「お嬢様は柊仁様に『付いてこないで』と確かにそう仰られていましたが?」
「あんなの、ちょっとピリオドにお灸を据えようと思っただけで本心じゃないよ〜〜っ!」
「……つまり、あの場では柊仁様は押し続ければ良かったと?」
「そうだよ〜〜〜!」
怜音の身体をポコスカ叩きながら心中を吐露するミオ。
それを聞いて怜音は思った。
──恋する少女、わっかんねぇ……。
今までの練習と実践の成果から、怜音はミオの思考を完全に模倣出来る様にしている。
それはミオが何を望み、何を叶えたいかをすぐに察知する為に磨いてきた技術。
今回も、ミオの気持ちを読んで『柊仁をしばらく近付けないのが最善』という判断を下した。
しかし、目の前に居る主人が望んでいたのは『隔離』ではなく『密着』。
100%の精度を誇っていた読心能力を狂わせたのは──恋心だった。
──実はこの怜音、高校一年生のミオよりもいくつか年上にも関わらず、恋の一つもした事がないのである。
何をさせても超一流の成果を上げる怜音だが、こと恋愛においてはてんでダメ、クソ雑魚ナメクジ以下である。
そんなナメクジさんが三角関係という非常に複雑な恋愛をしている主人の心をどうして読めようというものか……いや、読めない!
「もういい! 私、ピリオドの部屋に突撃してくる!」
「ええ!? けど、現在柊仁様は……」
さっき柊仁を前にした時では分からなかった、彼が『部屋で引き篭もる理由』。
だが今はそれが始まっていて、怜音は何をしているのか気配と若干の音で掴んでいた。
澪が行ってしまえば、柊仁との『今夜は相手を任せろ』という約束を反故する事になるし──何よりもミオがどれだけ憤慨してしまうか分からなかった。
故に柊仁の元にミオを近付けてはならないという解を、怜音は一瞬の間に脳内で弾き出していた……のだが。
「い、いない……?!」
──恋する乙女の行動力の高さたるや、すでにミオは怜音の知覚を振り切って柊仁の元へと直行してしまっていた。
(ピリオドのバカ、ピリオドのバカ……ピリオドのバカ〜〜〜〜!)
二度も連続した異常事態を前に思考停止に陥った怜音の事なんかお構いなしに柊仁の元に走るミオ。
彼女のちっぽけな胸の大きな内では──
(昔は私の望んだように振る舞ってくれたのに、そんなにあの女狐の事がいいの!? ちょっと譲ろうかとも思ったけど──くうぅぅぅ、やっぱり絶対にイヤ!)
そんな風に、悲しさに怒り、嫉妬……他にも色々な感情が暴れ回っていた。
それだけ荒れた心が下す行動は、柊仁の部屋へ強行突入しかない。
ミオは沢山の文句を喉まで待機させて、彼の部屋のドアに手を掛けた──その瞬間だった。
『──ミオしゃ〜〜〜〜、いつまでも愛してるよおおおぉぉ!』
「……!?!?」
突然、部屋の中から飛び込んできた柊仁の感極まった声。
その声はミオの突入を中断させるに足るものだった。
(ミオしゃ、愛してる……ふふ、ふふふふふっ。そっかぁ、そういう事だったのか〜♪)
『しゃ』ってどうしてか名前の後ろに付いてるけど……柊仁はミオと仲直りをする為に、部屋に篭って一生懸命仲直りの言葉を練習しているんだ!────Vtuberをよく知らないミオの脳内ではそう理解された。
そして、そう理解してしまえばミオの中で柊仁は──『仲直りがしたいけど気恥ずかしくて出来ない可愛い男の子』となった。
(ふふっ。それじゃあ、私がいつまでもぷんすかしてたら可愛そうだよね♪)
健気で真っ直ぐな可愛らしい男の子に意地悪は出来ない。
そう思ったミオは、来た時とは打って変わってスキップをしながらルンルンで怜音の待つ部屋へと帰っていったのだった。
──こうして柊仁の与り知らぬところで事件は収束を迎えていたのだった。




