昔の日記とかって、歳を取ると大切に思えてくる
「──あ〜ん」
「あ、あーん……」
ぷんすかと怒りながら開かれている口に、ご飯とその上に載せた小さく切り分けた焼き魚をそっと入れた。
もぐもぐもぐ……とゆっくり咀嚼してから飲み込むと、ミオは再び口を開いた。
そこに今度は卵焼きを入れて食べさせた。
折角美味しいご飯を食べているというのに不機嫌なミオを見て、俺は気付かれないようにため息を吐いた。
──不機嫌なミオの気を荒立てない様に接する俺は完全に従者。『重たい』発言をしてしまった俺は罰としてご飯を食べさせているのだった。
「そろそろ、お味噌汁をどうぞ……」
「ん」
汁物を飲ませようとして溢したら目も当てられないから、俺は彼女に汁の入った器を渡した。
静かに味噌汁を口に含んだミオ、しかしすぐにむせてしまった。
「あっつい……」
「ひぃぃぃぃ、すみません!」
器を机に置いたミオはキッと視線を鋭くして俺の方を見てきた。
(──ミオが猫舌なの忘れてたアアアアアア!)
外から触っても分かるくらい熱い汁なんてミオは飲める訳ないじゃないか!
主人の気を悪くしてしまった時の対処法なんて素人の俺には分からない。故に「すみません、本当にすみません……」と謝るしかなかった。
それに対してミオは──
「──にひひ、もう許したげるよ」
──にっこりと微笑みながら、しょうがなさそうに俺の事を見ていた。
「びっ、くりしたぁ……。マジでどうされちゃうかと……」
「にっひひ♪ 私の反応の一つ一つを気にするピリオド、新鮮で面白かったよ」
「人が悪すぎるだろ……」
面白かったよ☆とか言っているが、俺視点ではミオがむせた瞬間、本気で死を覚悟したんだからな、怖かったんだからな!
つか、熱い冷たいなんてミオの目なら幾らでも分かっただろうし、わざとやったな……コイツめ!
「でも、怒ってたのはホント何だからね」
「いやそれは本当にごめんなさい」
女の子に重たいなんて古来からの禁句だ。
いくら気心が知れた仲とはいえ、それはミオに対しても当てはまるわけで……ごめんなさいするしかない。
「まあ、ピリオドが口を滑らせる事なんて今までも何度かあったし、今更だよ♪」
「そう言えば……そっか。どうしてミオの胸はぺたんこなのかって聞いたりしてたよね……ひッッ!」
「──お仕置きされたいなら、言ってくれれば良かったのに」
「いや、そういう訳じゃなくて……」
ぷるぷるぷると首を振って、お仕置きなんかいらないと必死にアピールした。
しかし、にっこりと笑ったミオはそんなアピールを意にも介さず、巨大な壁となって俺に迫ってきた。
椅子から転げ落ち、腰をずりずりと引き摺りながらミオから逃げる。しかし、両の足で標的に迫るミオの方が早かった。
二本の指を立てたミオに襲われる直前、俺の脳内に『どうしてそんなに口を滑らすの』って声が響いてきた──いや、知らねぇよ! そんなこと聞く暇あったら助けろ……って、あ……。
「──にひひ、覚悟してね……えいっ!」
「んぎゃああああァァァァア!」
──何をされたとか具体的には言わないが、特大の『お仕置き』を食らって俺は二度目の絶叫を上げたのだった……。
★☆★☆★☆★☆
「──うぅ……」
両目からとめどなく涙が溢れてくる。悲しくないのにどうしてか涙が溢れてきちゃうんだ!
じゃあ、嬉しいのかって? んな訳ねぇだろ、痛ってぇんだよ!
止めようにも止められないから、飯食いづらくて仕方がなかったわ!
「それで──ピリオドは明日どうするの?」
「どうするも何も、補習だけど?」
「補習? なにそれ?」
「補習知らないの?」
俺が尋ねるとこくりと首を縦に振ったミオ。それに対して俺は多少驚いたが、自分ですぐに納得した。
恐らくだが、ミオの通っていたアメリカの学校では補習なんてなかったのだ。もしくはあったとしても、絶対に引っ掛からないミオは気付かなかったのか。
中学の頃は補習なんて無かったし、それなら分からなくて当然なのかもしれない。
ならば──
「──説明しよう! 補習とは成績不良者を強制的に集めて、学習をする事を強要してくる忌まわしき体罰行為なのであーる!」
「……つまり、ピリオドはおバカだから勉強させられるってことね♪」
懇切丁寧に教えてあげたというのに、一ミリも要点を掴んでいない要約をしやがったな!
要約っていうのは自分の考えを書いちゃあいけないでっせ、お姉さん?
「おいミオ、てめぇ! ちょっと天に愛されたからって、舐めてっとぶっ飛ばすぞ!」
「にひひ、ごめんごめん。お詫びにその補習は付いて行ってあげるから」
「え?」
「え?」
その才能ちょっとは分けろてめぇ……って、え?
ミオが補習に付いてくる? それはつまり……。
「ミオが補習に付いてくるってコト?」
「だから、そうだって言ってるでしょ?」
「──いやいやいやいや、それは困っちゃうぜ」
「どうして?」
きょとん顔をしている貴女が引き起こしたんですよ、おねーさん?
どうしてって、そりゃ──
「──さっき楓とドンパチやりやってたでしょ、ミオさん?」
「かえで……? ああ、あの女狐のこと?」
「女狐って口悪いなぁ……、楓はどちらかというと子リス……って話が逸れた。まあ、とにかく明日は楓が居る日だからダメ」
楓が引っ掛かっている補習教科は数学と科学系統というバリバリの理系科目。それに対して俺は全教科だから、理系科目がない日だけにしてほしい。
それも全て楓とミオの折り合いが悪いのがいけない。出会って初日でどうしてあんなに一触即発の空気が作れるのか……まだ殆ど言葉を交わしてもいないというのに。
「だって、ピリオドはあの女狐の所為で神じゃなくなっちゃったんでしょ?」
「いや、楓の所為というか自分の所為というか……まあ、その話は沢山したでしょ?」
ミオから厨二病感が抜けているのは単に俺がこの春からの事を語ったからだった──元々、特徴的な言葉遣いになったりとかは殆どしていなかったから、普通か厨二病かは分かりづらくはあったが。
「とーにーかーく、明日付いてくるのはダメ。もう少し打ち解けたら……」
「──お風呂の準備が整いました……ってあれ? 今はマズかったですかね?」
「いいよ怜音、|good timing!」
空気を読まずに、俺の話に割り込む様に言葉を掛けてきた怜音さん。よくよく見ると彼女の服は水こそ滴っていないがびちょびちょで、すっ転んだんだなって感じさせた──やはり、ポンコツ。
そんな彼女にアメリカに居た時の癖なのか、サムズアップして流暢な英語を飛ばしたミオはニヤリとこちらを向いた。
「ピリオド、本当に付いていっちゃダメ?」
「ああ、ダメだ。あんな空気の真ん中に置かれる俺の気持ちになってくれ。周囲からの視線も痛かったんだぞ?」
「そう、それはごめんね……」
ミオはしゅんとした様子で謝ってきた。
まさか謝ってくるなんて思っていなくて拍子抜けしていると、ミオはニヤリと口の端を上げた。
「──けーど、明日連れていってくれないなら、これから私とお風呂に入ってもらいまーす!」
「はーーーーー!? 何でそうなる!」
「だってぇ、ピリオドが言う事聞いてくれないんだもん」
言う事聞いてくれないって──
「俺はこの家の家主だぞ? あんまり我儘言ってると、追い出してもいいんだからな?」
「ふーん、そういうこと言っちゃうんだ……」
ミオがそう言った直後、俺の背筋がヒヤリと凍りついた。
理由は分からない。俺がミオに恐怖を抱いている、何故? 今のミオが俺よりも上の立場に立てるわけ……。
「怜音」
「はい、お嬢様」
名を呼ばれた怜音さんは、その手に『本』の様な何かを持ってこちらに近付いてきた。
彼女の服からは湿り気の一つも感じられず、いつの間にか気がていたらしい──知覚も出来ないほどの早着替え、俺でなきゃ見逃しちゃうね。
「んで、そのノートはなに?」
「んへへ、知〜り〜た〜い〜?」
勿体ぶるようにそういうミオは表紙が真っ黒に染められたノートをパラパラと開くと、大きな声で読み上げた。
「──天地を創りし我らが最高神ジハード」
「ん?」
「──我は彼の大神に忠誠を従いし、時空の神ピリオドセイヴァー」
「んん!?」
「──誕生間もなくして上位神へと成り上がった我はそう……天才。他の追随を許さぬ出世王とは我の事である!」
「んんんんん!?」
ミオが読み上げている文章、それにはそこはかとなく嫌な覚えがあって……。
もう一度表紙を見ると──
「──俺がめちゃめちゃ昔に書いた黒歴史じゃねぇか!」
──そこに書かれていたのは『我的時空神神話』というタイトル。俺が厨二病期に入って二、三年くらいに書いていた日記の様な禍々しい何かだ。
「何でミオがこれを持っている?!」
「ピリオドがこれを見せてくれた時にうちに置いていったでしょ? その時からずっと持ってたの♪」
「持ってたの♪──じゃねぇよ! こんなもの、こうだ!」
ノートの橋と端を持って、力一杯破った。
ビリビリビリ……という小気味良い音を立てながら、無惨にもゴミへと成り果てた黒歴史。
「あーあ、破けちゃった」
「ふん! これでミオは俺に対する優位を……」
「──あ、あれ複製品だから♪ はいこれ」
「んなアアアアアア!」
ミオが振り向くとそこに立っていた怜音さんは、直前に破いてゴミへと変えた筈の漆黒のノートを持っていた。
それを受け取ると、ミオは気色満面といった笑みで渡してきた。
俺が再びそのノートを葬り去ろうとすると──
「原本は別の所で保管してるからね〜♪」
「ばたっ……」
ミオのその言葉が俺の身体から力を奪った。
俺は床へと倒れ込み、車に轢かれた蛙状態になっていると──
「──さて、ピリオド? 私は明日、付いて行っていいかな?」
「はい……。お好きになさってください……」
「にひっ、作戦成功!」
「ちくしょぉ……。風呂入ってくる……」
「いってらー♪」
たった一冊の漆黒のノートに立場をひっくり返された俺はひらひらと白旗を揚げた。
一人称が『ピリオドセイヴァー』だから、俺の物じゃないって言ったらどうにか出来るだろって?──あのノートの裏表紙にはデカデカと『湊柊仁』って書いちゃってるんだよ!?
未来の自分の黒歴史になる事を分かっていたかの様に、嬉々としてノートを漆黒に染め上げた過去の自分を恨みながら、俺はふらふらと風呂に向かったのだった──ってあれ? もしかしなくても隷属ルート入っちゃった?




