折れてしまってもいい、また立ち上がる事が出来れば
俺の後ろの席から姿を現した照示と天乃ちゃんは、店員に一言告げると俺達の席に移ってきた。
しかし二人が座った場所は南雲君から机を挟んで反対側。元々対面に座っていた俺は弾き出されて、結果的に南雲君の隣に座る事となった。
「──あの……、えっと……久しぶり、だね?」
二人が席に座ってからしばらく、俺達の間には沈黙が広がっていた。
そのままではいけないと思ったのか口を開いた南雲君だったが、流石の陽キャ筆頭イケメン男でも気まずさを禁じ得ないらしく、辿々しい口ぶりだった。
「お、お久しぶり……ですね、先輩」
口をキツく閉じて下を向いていた天乃ちゃんだったが、ある時ゆっくりと顔を上げてビクビクとしながらそう告げた──俺が初めて会った時よりもびくびくとしている様子からは、話の中の『あまの』が目の前の少女である事を何よりも示していた。
話を続けるには少々困る返答に一瞬硬直した南雲君だったが、沈黙が和らいだこの瞬間を逃す訳にはいかないと思ったのだろう。
普段の彼では絶対にしない様な焦った質問を繰り出してしまった。
「元気にしてたかな……?」
恐る恐る尋ねたその質問に天野ちゃんはぎこちない笑みを浮かべて言葉を返そうとした。
しかし彼女の口が開かれる前に、彼女の兄の口が開いた。
「──元気にしてたわけねぇだろ」
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん!」
天野ちゃんはあまりに敵意丸出しな兄の口を閉じさせようとしたが、照示は止まらなかった。
「知ってるか? あれがきっかけで、天乃は極度の対人恐怖症になった。家から出られなくなるだけじゃなくて──俺とすら関わるのを拒絶する様になって、部屋に引きこもった」
「お兄ちゃん、ちょっと黙って!」
「──いや、良いんだ……。神代、続けてくれ」
照示が口を開く度に南雲君の表情はどんどんと曇っていった──元々、悲痛な表情を浮かべていた所為で目を向けられない程に。
その様子を察して、天乃ちゃんは照示の口を本格的に塞ぎに掛かった。
しかし、それを止めたのは予想外にも南雲君だった。
逃げずに受け止めたいと思ったのか、果たして……。
「あれから二年経ってようやく俺と打ち解けて、部屋からは出てこれる様になったが……まだ一人で外に出る事は出来ない。当然、中学にも通えていない」
「……勉強は?」
「一応、俺が教えてはいる。だが、あまり効果は見えないな──お前と同じで頭良くねえからな」
「……!?」
途中で口を挟んだ俺も悪いけど、なんで突然ぶっ刺されたんだ!? いや、確かに散々教えてもらっておいて、碌な成績上昇が見られなかったのは事実だけど……事実だけど!
俺の反応が余程面白かったのか、今まで仏頂面を貫いていた照示だったが「くくっ」と悪い笑みを浮かべた。
(……というか、そういう事か。中学範囲なのによく教えられるなと思った時があったけど、天乃ちゃんに教えていたからだったのか)
やっぱりこんな照示ではあるけれど、ものすっごく妹想いなんだなって感じる──こんな照示だけど。
そんな口に出したらぶっ殺されそうな事を考えていると、天乃ちゃんが小さくなりながら言葉を発した。
「あんまり……気にしないでください、ね? 私は大丈夫なので……」
その言葉に照示はため息を吐き、あんまり言葉の裏を読めない俺も『気ぃ遣ってんなー』と内心で思った。
当然、南雲君もそれには気付いていて、「でも……」と食い下がろうとした。
「本当に……大丈夫ですよ?」
だが、天乃ちゃんは緊張やら何やらで強張らせていた頬を少し緩めて微笑んだ。
ぎこちない笑み。だが愛想笑いの類ではなく、確かに彼女の心からの笑みだった。
「──さっきのお話、私も聞いていました」
「ああ……聞こえていたのか。すまない、嫌な事を思い出させて……」
そもそも照示と天乃ちゃんが居る事を知らなかった南雲君には全く非はないのだが、彼は肩を落として視線を落としてしまった。
しかし天乃ちゃんは申し訳なさそうにしている南雲君とは反対ににっとまだ少々ぎこちなく笑って言った。
「いいえ、嫌な事なんてありません。むしろ──いい思い出です」
「え?」
『いい思い出』なんて飛び出してくるなんて露にも思っていなかったのだろう。南雲君は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてみせた。
そんな滅多に見られないであろう面白顔を前に、天乃ちゃんは笑った顔……ではなく、頬を染めて少し照れたような表情を浮かべて言った。
「先輩、あの時は口では好きだとか言ってくれましたけど、あんまり気持ちが篭ってない様な気がして……いえ、それでも満足はしていたんですけど──」
余程恥ずかしいのか、とうとう天乃ちゃんは元の可愛らしい表情を取り戻して、ゆっくりと語った。
「けどやっぱり心配で……。絶対にないのは分かっていたんですけど、先輩が別れたいと思ってあの人達を差し向けてきたのかなって思っちゃったりして……そんな事を一瞬でも考えちゃう自分が許せなくて、信じられなくなって……。自分を信じられなくなっちゃったら、どんどん周りも信用できなくなっちゃって……果てにはお兄ちゃんも何か隠してるんじゃないかって疑っちゃって……」
可愛らしい表情を取り戻したも束の間、天乃ちゃんの表情は再び少し曇ってしまった。
「確かにイジメは怖かったです……いっぱい嫌な事をされました──けど、それ以上に自分が嫌になってしまったんです。嫌で嫌で嫌で……気付いた時には部屋の中で丸まって動けなくなっていました」
南雲君とは別方向で一人で抱えるには重たい感情。しかし、誰にも頼る事の出来ない感情。
助けてほしいのに、誰も信じる事が出来ない──そんなジレンマがこの子を押し潰してしまったのだろう。
「お兄ちゃんがいっぱい気にかけてくれたお陰で、やっと少しは楽になったんですけど……やっぱり染みついちゃった思考は離れきらなくて、周りを信用出来なくなっていて……まだ怖かったです」
天乃ちゃんはカフェの中に居る人達──学校帰りの学生達から奥様方まで見渡すと少し身体を震わせてすぐに視線を南雲君へと戻した。
グラスに入ったドリンクを飲み干す事で多少荒くなった息を整えて、何回か深呼吸をすると──言った。
「──けど今日、先輩は本当の気持ちを言ってくれました」
暗くなっていた表情を吹き飛ばして、満面の笑みでそう伝えた。
もう一度視線を店内に向けたが、今度は身体も震えず息も乱れていなかった。
──倒れていた神代天乃は南雲君の言葉で立ち上がったのだ。
確かに南雲君は天乃ちゃんへの想いを、それはもう赤裸々に語ってくれた。
聞かされる側からしたら、こう……全身がむず痒くなる様な感じだったが──天乃ちゃんからしたら、一番言ってほしかった人に、一番言ってほしかった事を……ずっと待ち望んでいた言葉を言ってもらえたのかもしれない。
「私をとても大切に想っていてくれた事が分かって胸がジーンってなりました……思わず涙なんか出ちゃって」
上目遣いで「えへへ」と恥ずかしそうに笑った天乃ちゃんだったが、確かによく見てみるとその目元は赤くなっている事に気付いた。
俺がそんな感じでじっと見ていると、「恥ずかしいですから、見ないでください」と照れながら顔を隠してしまった……が、それもすぐに止めて言葉を続けた。
「やっぱり、先輩は優しくてカッコイイ先輩だったんだなって。先輩の気持ちを疑って……思い出すだけでも嫌になっていた記憶を先輩はまた大切な記憶にしてくれたんです。だから──いい思い出です♪」
天乃ちゃんはそう言い切ると、今日一番に明るくて可愛らしい笑顔を咲かせた。
その笑みを前に──ある者は妹の成長を喜び、またある者は彼女の強さに目を見開いた。
「──先輩は私と過ごしたあの日々を……嫌な思い出だったと思いますか?」
最初とは全く別物の沈黙が流れる中、ふと思いついたかの様に天乃はいじらしい表情を浮かべてそんな事を尋ねた。
答えは一つに決まっている問い。だからこそ、両頬をパンパンと叩くと南雲君はいつものイケメンな笑みを取り戻して──言い放った。
「勿論、最高の思い出だったさ」
──その答えに天乃ちゃんは一度頷くと、満面の笑みで微笑んだのだった。




