二人きりの保健室……うーん、えっちだ
──あまのと付き合うようになってからしばらくが経過した。あの日から本当に楽しい事続きで、俺の人生はとっても充実していた。
デートにだって何回も行ったし、ハグとかキスとかそういう中学生の恋人らしい事も何度も経験した。
呼び方だって『あまのちゃん』から『あまの』に変えたし、向こうも『南雲先輩』ではなく『斗弥くん』と呼ぶ様になった。
多少の喧嘩は勃発した事はあったが、当初心配していた仲違いをする事なんて全くなく、寧ろ以前よりも何十倍も仲良くなったとお互いに思っている。
兎にも角にも幸せで、毎日がキラキラと輝いていた。
──そんな時だったのだ、普遍だと思っていた幸せに不穏な影が差し込んだのは……。
「──四の五の言ってないで、早く別れなさいよ!」
今日は朝当番の日であったのだが、教室で友達に呼び止められていて図書館に来るのが遅くなってしまった。
そして用事を済ませて、いそいそと図書館に向かったら──その声が真っ先に耳に入ってきた。
冗談では済まないレベルでキレているであろう怒声。
何があったのかと急いで中に入ると──小さくなっているあまのに対して複数の女子が取り囲んでいて、中央の女子は手を振り上げていた。
このままではあまのが叩かれてしまう──そう直感して、普段は出さない様な半分怒鳴っている声を発した。
「何をしているんだ!?」
「──っ、南雲くん……! アンタ達、行くよっ!」
「は、はい」
あまのを囲っていた女子達は俺の顔を見た瞬間にその場を離れて図書館を出ていった。
その際にすれ違った顔には見覚えがあった。
「神田さん……」
あまのを叩こうとしていたのは俺のクラスメイトの神田遥。その他の女子も軒並み見覚えがあった。
何故なら──全員、俺が好意を感じ取った事がある女子達だったのだ。
「──そんな事より……あまの!」
「うっ……、ぅぅ……っ!」
床にペタリと座り込んでしまっていたあまのに駆け寄ると、彼女は泣きながら俺に抱きついてきた。
俺はしばらくそのまま彼女の背中を摩りながら抱きしめていた。
いつもならば彼女の温もりや甘い匂いが脳を刺激して幸せな気持ちになるハグ。
しかし、今はとてもじゃないがそんな気分ではなかった。
──そうして十五分程が経過した頃、ようやく彼女は泣き止んで事情を説明してくれた。
どうやら神田遥が『神代天乃……アンタさ、もしかしなくても南雲くんに『告白』なんて分不相応な事……してないよね?』と詰め寄ったらしい。
どれだけ圧を掛けられようと、俺達の関係は出来るだけ口外しないという約束を守って黙っていてくれたそうなのだが──どうやら裏は取られていたようで、最終的に『別れろ』という話になってああなっていたらしい。
今日は不幸にも司書のオババが休みを取っていて、制止する者が居なかった。
その結果、あまのに負担を掛けてしまった。
「ホントにごめんな。俺がもう少し早く来れていれば」
「いえいえ……斗弥くんが来てくれたから、助かった……」
慣れない……というか怖い思いをしたからか、あまのは何処かぼんやりとしていた。
当然だ。殆どが先輩の女子に囲まれてあんな声を浴びせられれば、誰だって相当な心的ストレスが溜まるだろう。
どうせこのままここに居た所で誰も来やしない。
今は委員会よりもあまのの方が心配だ──という事で……。
「あまの、少し歩けるかな?」
「ぇ……はい、大丈夫ですよ……」
椅子に座らせていたあまのの手を取って立ち上がらせ、俺は図書館を出た。
早朝の校舎、しかも端っこの方に位置する図書館の前には人が全く居なくて、俺は躊躇する事なく彼女の手を握って歩けた。
「えっと、何処に……行くの?」
「ん? 保健室」
「えっ!? 大丈夫だよ、別にそんな……」
さも当然のように『保健室』と告げると、あまのは一瞬だけ調子を戻した様に良い反応してくれた。
ただの一瞬だったがそんな彼女の反応を嬉しく思い、俺は更にぎゅっと手を握りしめて保健室へと向かった。
★☆★☆★☆★☆
──保健室に入ったのだが、中には誰も居なかった。先生は時間が早いからまだ到着していないのだろう。
俺はあまのをベットに座らせてから、備え付けられている冷凍庫を開いて、中から氷を取り出してビニール袋に入れて水を注ぎ、簡易的な氷嚢を作った。
そして、その氷嚢を躊躇なくあまのの目元にくっつけた。
「──冷たっ!」
「我慢しなー、取り敢えず腫れるのは防げるはず」
日光が当てられたゾンビの様に「くきゅぅぅぅ」と呻くあまのを他所に、ベットの用意を着々と進めていた。
程なくして、ベットメイキングは完了して完璧な仕上がりとなった。
「どうぞお嬢様、お眠りなさい」
「──えっ、別に大丈夫ですよ? 斗弥くんのお陰でもう元気になりましたから」
そういうあまのの顔色はさっきよりかは良くなっている。
だが、まだ少し疲れが抜けきっていない様にも見えたから、俺は彼女をお姫様抱っこをして強制的にベットに転がした。
最初は抵抗していたが、俺の何が何でも寝かせて嫌な事を忘れさせるという強い意志を感じ取ったのか、あまのは毛布を被ってごろりと転がった。
「もう、強引なんだから」
「ちょっと強引になるくらい心配なんだよ。あまのは俺の可愛くて大好きな彼女だから」
「……んもうっ!」
甘く囁きながら頭を撫でると耳を真っ赤にして、頭まで毛布を被ってしまった。
いつまで経っても囁きに弱いなと苦笑して、毛布の上から頭を撫でた。
(──こんなに可愛いあまのを傷つけた彼女達は何者だ……?)
あまのを可愛がりつつ、俺の頭の中ではそんな事をずっと考えていた。
あの場に居た女子達には俺に好意があるという事以外、共通点が見当たらない──いや、そこを共通点として集まっているのかもしれない、か。
(後で誰か知っているやつが居ないか聞いてみるか)
学年の、そして学校の情報に詳しそうで口が堅い友達を脳内でピックアップしていった。
口が硬い事を条件に入れたのは連中を変に刺激しない為だ。俺が動き回っているなんて知られたら、あまのへの仕打ちが一層酷くなる可能性がある──まあ、その逆に転がる可能性もあり得るが。大事な彼女が危機なのだ、下手に博打は打てない。
あまのが安心して暮らせる事を願って、頭の中で解決法を組み立てていると──
「──斗弥くん、手を繋いでもらっても良い?」
「ああ、勿論さ」
顔は毛布下に隠しながらも、すすすと手だけを出してきたあまのは可愛い事にそんな事を頼んできた。
それに俺は喜んで了承して、その手を握った。
冷え性──という理由だけではあまりにも冷たくなりすぎている彼女の手に、俺の熱が伝播していく。
温もりを感じて安心したのか、あまのは「ほふぅ……」と息を吐くと、程なくして「すぅ……」と寝息を立て始めた。
ものの数分で寝入ってしまった彼女を見て、やっぱり大分精神的に疲労が貯まってしまっていたのだと思った。
彼氏に遠慮するんじゃないよと叱る代わりに、俺はあまのが頭まで被っていた毛布を少しずらして顔を出させると、彼女の頬をゆっくりと慈しむ様に撫でた。
「ふふん……」とくすぐったそうにしていたが、完全に寝ていてさっきの様に逃げられる事はなかった。
抵抗がないのを良い事に、誰も来ない保健室の中でそのままいつまでもあまのの事を撫でていた。
──どうか、あまのの身にこれ以上嫌なことが起こりませんように、と願いながら……。




