忠言には耳を傾けるべし
──何の前触れもなく突然姿を現した南雲斗弥はいつもの人当たりの良い笑顔ではなく、冷徹で情が全く篭っていない笑顔を浮かべていた。
普段の南雲では絶対に見られないような表情。その違いにイロハはいち早く気がついたが、残念ながら怒り頭身のメイには気づく事が出来なかった。
だからこそ、こんな南雲の思考を一ミリも考えていないような言葉が飛び出した。
「ごめんね〜、南雲くん。この子、何でかずっとここに居座ってるの〜……。南雲くんも言ってあげてくれない? この場でイロハは不要だって!」
南雲の目的は自分であると全く疑っていないメイは嬉々としてそんな事を言った。それに加えて、空気を全く読まず頭にある言葉を端から言っていくメイ。
その様子を何も言わずに伺っているイロハにだけは、南雲の顳顬で血管がピクついている様に見えていた。
「あ、あの……」
「私は南雲くんと話してるの。アンタは黙ってて!」
「あ……うん」
南雲の様子の変化をいち早く捉えたイロハはメイの勢いを止めようとした。
──いくらさっきまで悪口を言い合っていたとはいえ、メイは友達だ。彼女が南雲に嫌なやつだとは思われて欲しくなかったのだ。
しかし結果は思いの逆を行き、止めに入ったのが仇となりメイの勢いは更に膨れ上がった。
メイの口からは暴走列車が如く勢いで悪口が飛び出し、誰にも手がつけられなくなった。
もうダメだ──イロハがそう思った瞬間だった。
南雲が大きく息を吸うと、声量は大きくないが低く脅迫するような声で言い放った。
「──うるせぇよ、ちょっと黙れ」
さっきメイがイロハに向かって言った事と殆ど同じような内容。しかし、そこに込められている圧が天と地ほどにに違った。
心の臓に重く響いて縛り付けてくる様ま沸々と怒りが沸き立っている声。そしてそれを発した本人は何の感情も覗かせない無表情。
相反する二つの恐ろしさにペラペラと言葉を発していたメイであったが、徐々に勢いを無くして口を噤んだ。
また前提として、普段の南雲は絶対にそんな口の悪い事は言わない。キリッとした笑顔で話されている事に対して反応を示してくれる様な男だ。
だからこそ、メイは口に蓋をせずに言葉を発していたのだが、今回は違った。
「あ……えっと……」
余りの事態である事をようやく感じ取ったメイは口をパクパクとさせて困っていた。
そんな様子を見てか、南雲は深呼吸をして自らの頬を両手でパンパンと叩いた。
「……すまない、取り乱した」
無表情であった顔を困った様な笑いで染めて、肩を竦めて反省した。
そんな南雲の行動を見て、何もなかったと感じ取ったメイはまた新たに口を開いて南雲を小突いた。
「も〜、びっくりしちゃったじゃ〜ん! 勘弁してよ〜」
「ああ……あはは、すまない」
名に小突かれながら僅かに表情を硬くした南雲は、小さな声で「危ない危ない……」と呟いたのだが、二人には届かなかった。
届いたところでそれが何を指しているのかは分からないのだろうが。
「──それで……どうしてウチを呼び出したの?」
南雲が謝った事で調子は取り戻したが、それでも多少は冷静になったメイは一白置いて尋ねた──ただ、『ウチ』とイロハの事を含んでいない所からはまだ頭は回り切っていない様だが。
自分から切り出そうとしていたのか、南雲は少し困ったかの様な表情を一瞬浮かべたが直ぐに切り替えて言葉を繰り出した。
「逆にどうして呼んだと思う?」
「それは……南雲くんが告白をして、それからウチをめちゃめちゃにする為でしょ?」
──あたかも当然かの様にそんな事を告げるメイ。
本人を目の前にそんな事を言える精神を、そしてその言葉自体が余程可笑しかったのか、天からくすりと笑う様な声が聞こえた。
誰かを嘲笑う事に関して秀でているメイはすぐに自分は笑われたのだと思ったと思ったが、目の前の南雲は笑っていないし、周囲に目を向けても誰も居ない。
質問をし返した南雲としてもまさかの回答で、彼を包むあらゆる時間が一時的に停止した。
ただ、彼は彼で自分のやるべき事を思い出して、停止した頭を再び動かした。
「……残念ながら君達を呼び出した理由はそんな事じゃない」
「君達……かぁ。じゃあ、告白なんかしないで、そのままここでおっ始めるって事? 3P? 3Pなの? いや、私はそれも悪くはないと思うけど……この子、見ての通りぺったんだし、私一人だけにしておいた方が良いと思うよ?」
今度は明らかに笑い声が聞こえた。まるで自分を馬鹿にした様な笑いは依然として天から響いてきていた。
しかし、周囲を確認してもやはり誰も居ない。メイは首を傾げながら正面で困った顔をして自分を見てきている南雲の目を見つめ返した──気のせいかと思ってメイは確認を止めたが、それはあまり良い選択とは言えなかった。ここで気付けていたらこれから起きる破滅を回避出来たというのに。
「はぁ……一旦そこから離れよう」
「けど、そうしたら……」
「──俺は君達と少し話をしたかったんだ」
「話?」
メイのペースでは永遠と本題に入らないと思ったのか、南雲は仕方なさそうに自ら話を振った。
本当はあまりよろしくないのだが、多少の計画変更は致し方なしと決断して中空を見上げた。
「──溝口柚茉って……覚えているよね?」
何処か冷えた声色でその名を発された瞬間、黙って話を聞いていたイロハの背筋に凍るような感覚が走った──これはマズい、と。
「メイ、あのさっ……」
「──煩い! アンタは黙っててって言ってるでしょ!?」
「わ、分かった……」
しかし、メイは一ミリたりとも恐れを抱いていない様で、話をどうにか逸らそうとしたイロハの言葉をピシャリと切り捨てた。
今のメイの頭には告白やファックではないにせよ、『南雲斗弥がこの私と話したい事がある』という念が殆どを占めていたのだ──ある意味バカ……というか真正のお花畑女だ。
「君達は彼女に一体どんな事をしたんだい?」
「えーっとね……色んな事かな? とにかく精神を追い詰めてぇ、南雲くんの前に姿を現さなない様にしたの♪ 南雲くんもうんざりしてたでしょ? 南雲くんにだけ良い顔をして他には感じ悪いあの女」
「…………」
メイの言葉に対して南雲は否定も肯定もしなかった。ただ、無言でメイのことを見つめ続けていた。
その様子を見ていたイロハはもうダメだ……と思いながら天を見上げた──メイはもう止められない。このまま全てを白状するだろう、と。
そうして天を見上げた時、この屋上には自分達三人しか居ない筈なのに何かが動く影が見えた。
その影はこの場から更に梯子を登った先にある場所で動いていて、それを認識した瞬間イロハは全てを悟った。
自分の横で誇るような顔をしているメイにこの事を伝えようとしたところで、恐らく彼女は再び自分を叱りつけてくるだろう。
そう思って、彼女は肩を落として自分の相方を呪った。
「──それを君達二人で?」
「それがさぁ……聞いてよ〜! この子ったら、いざ実行する時に『やっぱ止めよう』なんて言い出してさぁ。南雲くんを好き好き言っている割には、悪い虫の一つも払えないなんて本当に好きなのかね〜」
「……じゃあ、実質的には君一人でやったのか」
「そう! 私は南雲くんのガチ恋勢だから……いや、ガチ恋超えて本妻──なーんちゃって♪」
本当に状況を読めていないメイはそんな馬鹿な事言っているが、言われた南雲は上の空。
南雲は吟味するかの様に言葉を発し、再び誰も居ない筈の中空を見上げたのだった──




