紀元前5万年から2015年までに誕生した人の総数は1082億人くらいらしい
──俺の心の叫びは早苗さんに届く訳もなく、俺は楓の部屋に敷かれた布団に横になっていた。
当然ながら楓は別で、彼女は自らのベットに横になっている。しかし、隣に居ないとしても彼女の気配や吐息が確実に存在しているという事を主張してきて、俺は寝られないで居た。
しかも、この布団には何処となく楓の甘い匂いが付いていて、それも俺の睡眠を妨害する一因となっていた。
そんな中、てっきり寝付いたと思っていた楓が言葉を掛けてきた。
「──もう寝ましたか?」
「全然。どうしてだか、全く眠たくならないんだよね」
「……私もです」
そうは言っているが楓の声は何処か眠たそうで、殆ど寝ている状態で声を掛けてきているのだと思った。
「何だか信じられません……柊仁君と一緒に寝られる日が来るなんて
「ね……。俺も同年代の女の子と寝る日が来るなんて思ってなかったよ」
本当に、全ては早苗さんが強引なのが原因だ。どれだけやんわりと断ろうと、全部「良いじゃないの〜♪」と反応してきた。
俺の初めてをこんな美少女に捧げる事になるとは入学前の俺は思ってもいなかった──まあこうして横になるのではなく、寄りかかって寝るだけならアイツと経験あるのだが……こんな色っぽいものではなかったしな。
「…………」
思い出に耽っていると楓が静かになっていた。起き上がって彼女の顔を見てみたが、目はぱっちりと開いていた。
寝たのか……と思ったが、どうやらそういう訳でもないらしい。
「むぅ……他の女の事を考えていましたね」
「えっ……何でバレたし?」
「分かりますよ、それくらい」
楓はいじらしい声そう告げると、「ふんっ」と呟いて俺の居る方向とは逆──つまり壁の方を向いてしまった。
どうしようかと思って、楓の背中を見ていると再び彼女は言葉を発した。
「柊仁君は万年ぼっちの厨二病男だったんじゃないんですか?」
「そ、そうだけど……そうはっきり言われると心に来るなぁ……」
うぅ……せんせー、楓さんが俺の黒歴史と悲しい過去を突いて虐めてきまーす。
しかしまたどうして急にそんな事を言ったのか──その答えはすぐに分かった。
「なのに、他の女の事を考えるなんておかしいじゃないですか!」
「ああ……うん、まあ色々あったんだよ」
「いろいろ?」
「そういろいろ」
俺の言葉に偽りはない。俺は厨二病でぼっちではあったが、色々あったのだ。
しかし、アイツの話をする必要はない。もう、アイツには二度と会えないのだから。
「柊仁君はその女の人と喧嘩した事、ありますか?」
「喧嘩した事……?」
そう呟いた時、俺は一つの考えに至った──楓は俺の話を通して、溝口さんの件をどうすれば良いのを知りたいのだ。
さっきまではきっぱりすっぱり気にしていないかのように振る舞っていたが、心の底ではずっと悩んで悩んで悩み続けていたのだ。
──だから、寝ている俺に抱きついたり少しリスキーなスキンシップを求めたのだ……人の温もりが欲しかったから。
その悩みが、眠気によって解放されたから、彼女はこうして俺に問いかけてきたのだ──まあ、憶測だが。
ただ、俺はそれに対して答えを持ち合わせていない。だから、素直に「いいや」という言葉を返した。
「そうですか……。はぁ、どうすれば良いんでしょうね……」
「どうすれば良いんだろうね……」
今回の件を収束させる方法は思い付いているのだが、楓を関わらせたくないという溝口さんの思いを汲んで黙っておいた──それに楓は虐めの件を知らないしな。
ただ、楓も裏に何かがあることぐらいはとっくに気付いているだろう。あくまでまだ何も知らないだけなのだ。
早くこの件を終わらせないと楓があのド畜生女達の元に辿り着いてしまう。
そうなったら、どうなってしまうのかは容易に想像がつく。妙な事態になる前に終わらせなければならない。
「柊仁君……手を繋いでもらっても良いですか?」
「……ああ、勿論」
彼女は壁の方から俺の方へと視線を戻して、彼女の小さくて細い指をこちらに伸ばしてきた。
俺はその手をゆっくりと握り、反対の手で彼女の髪の毛を撫でた。
「あったかいです」
「楓は冷たい。けど、気持ちいい」
眠気が迫ってきている所為か、俺の体温が物凄く高まっているのを感じる。
それに対して楓の指は夏の夜だというのにひんやりとしている。恐らく贅肉のない細い身体だからなのだろうが、体温が上がっている俺にとっては気持ちの良い冷たさだった──だからこそこの子が冬を越えられるのか、心配ではあるのだけれど……気付いたら氷漬けになってそう、いやマジで。
「私は柚茉ちゃんとまた友達に戻れるでしょうか……?」
「ああ、戻れるよ、絶対にね」
「そうですか……。それは、良かった……です」
眠気の限界が訪れたのだろう。楓の言葉尻がどんどんぽわぽわとしていって、最後の方なんて殆ど消えてしまっていた。
名残惜しいが、俺は握っていた彼女の手を離して掛け布団の中に押し込んだ。
ずっと彼女の頭を撫で続けていた左手を止めて、俺は自らの布団の中に潜り込んだ。
そして、目を瞑ってこれからどうするかを考える。どうやって彼を奮起させて、どうやって締め括ってもらうのか。
「──うふふ……しゅうとく〜ん、わたしは食べ物じゃないですよ〜」
「どんな夢を見てんだか……」
顔は見えないが幸せそうな顔をしているのだろう。「んふふ」と溢れた楓の声には悩みなんて一切感じられない、純度百パーセントの天使の笑みだった。
そして俺はそんな楓の幸せな笑顔を守る為に動く。
その間に拾えるものは全て拾って、明るい未来にしてみせる。
──やばっ、俺ってメチャクチャ主人公じゃね? まあ、問題解決に至るまでに俺の力は一ミリも役に立たず、全て他人頼りの作戦なんだが……やだやだ、俺も活躍したいいいいぃぃ!
まあ、仕方ない。元厨二病ぼっち男に出来ることなんてほんのちょっとしかないのだ。
俺にもっとイケメン力に知力、コミュ力に、運動能力、イケボ、長い足があったら……!──って、そんなに変わったら俺じゃない全く別の別の究極完全生命体やないかーい。
あ、後ついでに厨二病期に関する記憶の完全抹消とかも出来ませんか? 出来ませんね、はい分かっています。
一千億人以上のキャラクリをした神様に来世はもう少し手を込んだ作りにしてね──そう祈りながら俺は瞳を閉じた。
部屋一杯に溢れていた月光を感じていた視覚が遮断されて、何も食べていないから味覚には仕事がない。
よって、機能している感覚は五感のうち三感のみとなった。
一般的に、目を閉じて視覚を遮断した状態で何かを食べると、味覚は更に鋭敏になってより味を感じられると言われているらしい。
つまり、何を言いたいのか? それは──閉じた二感に代わって、嗅覚はこの布団から漂ってくる楓の甘い匂いを、聴覚は楓の小さな寝息を感じ取っていて、俺の頭の中は楓で一杯になってしまった。
さっき楓を襲い掛けた時のようなマズい感覚が一瞬にして広がっていく。
次第にマトモな思考力が奪われていき、俺は寝ていた身体を起こした。
顔を横に向けるとそこには目を閉じてすやすやと寝ている楓。
自分にはないたわわな膨らみが、呼吸に合わせて上下している。その光景はまるで誘っているかのようで、俺の手は無意識に動いていた。
そして、彼女の双丘に触れるというまさにその瞬間──
「──しゅうとくん……ぅへへ」
そんなどこか気の抜けたような声が彼女の口から発された。
その声は俺の耳を通って、全身に響き渡った。瞬間、俺の野性は一瞬にして砕かれて、マトモな思考が帰ってきた。
無意識的に近付いていた楓から跳ねるように離れて、一度自らの顔をぶん殴った。
咄嗟に殴られた俺の右頬は痛く熱かったが、俺はそれを受け入れて噛み締めた。
(またやらかしやがったよ、この男。さっき一回やらかしたばかりで良くもまあぬけぬけと……ふざけとんのかっ!)
心の中で自分自身にブチギレていると、ほとほと自分が嫌になってきた。
どうしてこんなに理性の壁が崩壊しやすいのでしょうか……まあ、圧倒的な女性経験の少なさが故なんだろうが。
──当面は理性強化、そして野性のコントロール訓練をしていこうと思った……どうやるか分かんないけど。
けど、やらないと確実に間違いが起きてしまう。それだけは絶対に許される事ではない。
取り敢えず、今夜は布団ではなく床で寝る事にしよう──布団に入ったら絶対に暴走しちゃうからな!




