昔の父親の写真を見た時、別人かと思ってビビった記憶がある
武雄さんと早苗さんの馴れ初め話を聞いてすぐ、気付いたらのぼせかけていた俺は武雄さんよりも先に上がってきた──武雄さんはサウナに入ると言って残った。
髪を乾かしたり諸々をして脱衣所を出ると、そこには既に上がっていたのだろう早苗さんと楓が待っていた。
楓達と合流してすぐは「銭湯どうたった?」などの会話を軽くしていたが、風呂を上がる時からずっと気になっていた疑問……というか疑い──本当に武雄さんはヒョロかったのかと質問した。
すると早苗さんは「そうよ〜」と答えてくれたのだが、言葉では中々納得しきれなかった俺を見てか、早苗さんは小さな手でゆっくりとスマホを突き始めた。
そして──
「──細かった時の武雄さんの写真……あった。ほら〜♪」
湯上がりでまだ火照っている小さな手から差し出されたスマホ。そこに映し出されているのはヒョロガリ眼鏡でまさにガリ勉野郎といった風貌の男と、今と全く変わらない早苗さんが笑顔でピースをしている姿だった。
話の流れからして、早苗さんの隣に写っているのが武雄さん……信じられない。目つき、肉体、雰囲気──今と共通している点が一つもなかった。
「え〜、これがお父さん? なんか、別人みたい」
「そういえば、楓にも見せた事なかったわね〜」
「普段はお父さん嫌がるからね」
俺と一緒にスマホを覗き込んだ楓は「ほえ〜」と呟いた。どうやら、楓も俺と同じような感想を抱いたらしい。
少し意外だったのは楓が当時の武雄さんの姿を見た事がなかった事だ。いつも通りなら『カエちゃんが言うのだから……』と許す様にも思えるが、過去の姿は自分でも恥ずかしいのだろう。
楓の言葉を受けて、「そうね〜」と相槌を打った早苗さんは言葉を続けた。
「──だからやっぱり成功だったわね〜」
「成功?」
突然、そんな事を言い出した早苗さんに首を傾げた。
しかし意地悪する気はないらしく、すぐにその理由を述べてくれた。
「武雄さんは昔の自分についてはあまり話したがらないもの。やっぱり、日本人の真髄は『裸の付き合い』にあり!」
「……まあ、そうっすね」
銭湯内での会話は普段であれば絶対に起こらなかったであろう。風呂の場であったからこそ、ああやって腹を割って話す事が出来た。
仲良くなったとまでは言わないが、それでも少しは険悪ムードを解消出来たのではないかなと思う──あの部屋から少しでも武器が減りますように……。
「いつか、楓とも一緒に入ってほしいわね〜♪」
「お母さん!?」「早苗さん!?」
「……冗談よ? じょ〜だん」
「全然冗談に聞こえないから!!!」
くつくつと笑って大声で怒る楓を嗜める早苗さん。ここがまだ銭湯の建物内ということも忘れて、仲の良さを見せつけてきた。
あまりの微笑ましさに、これには周りのお客もほっこりとした笑顔を浮かべて二人の事を見ていた。
──その内、何も知らない武雄さんが風呂から戻ってきて、皆んなでコーヒー牛流を一杯飲んだ後に楓宅へと帰ったのだった。
★☆★☆★☆★☆
銭湯から帰ってきた俺と楓は彼女の部屋に一つの小さな机を置いて、それを挟んで頭を突き合わせて課題を終わらせていた。
今日の数学は一段と難しく、またそれに伴って課題も難しくなっていた。
それに、俺と楓は天上天下唯我独尊である補修組……他生徒と違って追加課題がある。
普段は一人寂しく唸りながらやっているが、ここには俺と同じ仲間がいる。二人よらば文殊の知恵じゃ!
──と言いたいところだったのだが……。
「ぐぬぬぬ……何だこの問題は!?」
「むむむむむ……何でしょうか?」
ぶっちゃけ、俺と楓の学力なんてどっこいどっこいであり、二人寄ってもおバカはおバカ。
文殊菩薩の足元にも及ばない考えしか出てこないし、目の前の問題すらも解けない。
「不等号と絶対値記号を合わせんじゃねーよ!」
「えっと、これは三つの場合に分けられて……ぅぅぅん? xが消えちゃったんですけど……」
解き方が全く分からない俺はブチギレ、楓は何とか頑張ってはいるが、頭から煙が出ている様に見えた──こんな問題、文殊菩薩でも解けないぜッッッ!
そも結果、俺と楓は示し合わせた訳でもないのにも関わらず、同時に机に突っ伏した。もう疲れたよ……パト○ッシュ。
「──根を詰めすぎずに適度に休みなさい……って、もう休んでるのね」
「いや、私達つい直前まで勉強してた……。頑張ってた……」
突然部屋に入ってそんな事を言ってきた早苗さんに、既に限界を迎えている楓は死にそうな声で弱々しい反論を行った。
逆に、母親あるある──『休憩しているタイミングに限って部屋に入ってくる』を初達成した俺は何故だか少し元気になった──よっし、もう一丁頑張るか……。
「そうなの? じゃあ、貰い物の桃があるから下でゆっくり休憩しにおいで」
「──頂きますっ!」「もも!」
──前言撤回、勉強なんてしていられるか!
俺と楓は喜色満面で何の容赦もなくノートをパチンと閉じ、早苗さんよりも早く一階へと下った。
普段ご飯を食べている机ではなく、毎度武雄さんが吹っ飛ばされるソファの前に置かれている長机に切られた桃はあった。
先に武雄さんが食べていたらしく、皿に盛り付けられた桃達の間には所々隙間が出来ていたが──
「──すっげ」
お洒落な店で出てくるのと遜色ない程に見事に盛り付けられた桃達に、俺は思わず感嘆の声を漏らした。
皿の上にあるのは桃だけであるのだが、ピンクと黄色の桃をふんだんに使って二種類の大きな華が表現されていた。
「早苗さんはパティシエ系のお仕事をされているんですか?」
「ううん、私のお仕事はこれよ」
早苗さんはそう言って、指をわさわさと動かして何かを表現しようとしている──恐らく、キーボードを打っているのだ。
「プログラマー……とかですか?」
「おっ、柊仁君正解せいか〜い♪」
全然柄じゃなさそうな仕事が飛び出してきたな……。元プロボクサーといい、この人は中々どうしてこちらの予想を上回ってくるのか。
多分、物怖じしない性格なんだろうな。武雄さんから聞いた試合をしていた時みたいに、この人は何事に対しても臆する事なく突っ込んできたからこそなのだろう。
「ボクシングはいつまでやっていたんですか?」
「……楓を身籠った時まで?」
「じゃあ……二、三年で辞めちゃったんですか」
「そうね〜。ボクシングよりも大切なもの、見つけちゃったから
そう言って、近くで桃に手を伸ばそうとしている楓の頭を抱えた。
急に引っ張られたからか、「うおっ」と声を漏らしたのも気にせずに早苗さんはよしよし撫で始めた。
「ちょっと〜、桃が食べれないんですけど……」
「少しぐらい良いじゃな〜い。お母さんも偶にはスキンシップしないと〜♪」
「いつもしてるでしょ!?」
言葉では嫌そうに言っているが、俺から見える顔には嬉しそうな少し恥ずかしそうな表情が浮かんでいた。
そんなよしよしは三分もの間に渡って行われたが、何を思ったのか三分を迎えると早苗さんは楓からパッと離れた──その時、楓が少し残念そうな表情を浮かべていたのは内緒。
「それじゃあ、桃をお食べ。ただ、楓は食べ過ぎは注意するのよ〜」
「はーい」
普段は殆ど何も食べていない楓だが、珍しくも桃は物凄い勢いで食べていた。
どうしてかと思って尋ねると──
「好きな物は後々に悪影響があろうとも食べたくなるものなんですよ──ほら、スト○ングゼロみたいなものですよ、後のことなんか気にせずに今を楽しみたいんです」
「いや、その例えは飲んだ事ないから分からないけど……というか、楓もどんなのか分からないでしょ……?」
「当たり前ですよ〜。未成年飲酒はダメですよ?」
小首を傾げて可愛らしく訴えかけてくる楓──ポスターにして全国に貼ったら、未成年飲酒の事例がなくなりそうだな……。
女子高生とは思えない妙な例えが飛び出してきたのは驚いたが、やっぱり楓は可愛くて法令遵守な天使様だった。
「──お酒と言えば、武雄さんは飲まれないんですか?」
「……私は飲まん」
「どうして?」
「…………」
夜は一杯空けるというのが俺のイメージにある父親像であるが、武雄さんは飲んでいなかった。
それが気になって聞いてみると、武雄さんは断固とした意志を見せてきてから更に尋ねると、武雄さんは押し黙ってしまった。
そんな様子を見て、早苗さんは嬉々として代わりに口を開いた。
「武雄さん、お酒を飲むと幼児化しちゃうのよ〜」
「ちょっ、早苗!?」
「私は可愛くて好きなんだけど、武雄さんは嫌がるのよね〜♪」
「…………」
幼児化について隠そうとしていたのに、まんまとバラされてしまった武雄さんは顔を赤くして部屋を出ていってしまった。
あの武雄さんを幼児にしてしまい、あんな顔をも引き出してしまうとは、やはり酒は恐ろしい。
──そう思う一方で、そんな武雄さんの姿も見てみたいと思った……べ、別に弱みを握ろうだなんて思っていないんだから!