急がば回れ。されど回りすぎるのも悪し
「──うぅっ……ゆまちゃんがぁ、ゆまちゃんがぁ…………」
溝口宅を出た俺は楓の家に向かってゆっくりと歩を進めていた。
未だに号泣している楓は俺の胸の中──正確には俺の首に腕を引っ掛けて、肩に顔を乗っけている。つまりどういう事か?
──そうだよ! 『抱っこ』って奴だよ!!! 何だこれは!? 何だこの行為は!?
過去に一度だけ楓をおんぶした事はあるが、あれとは全く違う感覚……と言うか、あの時は殆ど初めてのおんぶで落とさないかと心配になっていたから、今ほど楓を感じていなかった。
大号泣している楓には悪いが、色々密着している部分は柔らかいし、鼻にかかるふわふわの髪はめちゃいい匂いするし──正直、これ以上に無いほど幸せですっ!
すれ違った人達に変な視線を向けられるというマイナス効果があるといえども、それも気にならないくらい『一楓』という少女の魅力がガンガンと脳を叩きつけてくる。
心臓は早鐘を打っているし、野生を無理矢理押し込めている所為なのか、最早頭が痛くなってきた。
しかし、ここで楓を下ろす事は出来ない。
「──ひっ、ひぐっ……ぅぅぅ…………」
ご覧の通り、未だに泣いているのだ。
少し前に俺も楓の前で大泣きして醜態を晒したが、ここまで長い時間泣けたかというとそうではない──人間泣き過ぎると、枯れた様に涙が出てこなくなるものなのだ。
だというのに、楓さんときたら……まあ、良いんだけどさ。
そもそも、泣いている楓を溝口さん宅から無理矢理連れてきたのは俺なのだ。
発端が俺な以上、途中で下ろすのは有り得ない。
そもそも何でこうなったのか──
──溝口さんの心の呟きを耳にした俺は楓を追って階下に降りた。
そこではこの家に来たとは反対に、怜さんに抱きしめられながら涙を流している楓が居た。
部屋の中でも大きな声だと思っていたのだ、当然ながら怜さんの耳にも溝口さんの言葉は聞こえていた。
娘が楓を傷つけたと泣き止ませようとしている怜さん自身も「ごめんね……ごめんね……!」とひたすら呟いて泣いていた。
二階では溝口さんが泣き、一階では楓と怜さんが泣いている──もう何が何だか、てんやわんやでわっしょいわっしょいだった。
もう訳が分かんなくなった俺は楓を抱き抱えて諸共の荷物を肩に下げ、溝口さんを部屋から引っ張り出せず申し訳ないという言葉を残して溝口宅を出たという訳だ。
急いで出た所為で全く考慮していなかった事態は距離近すぎ問題以外にもあった。それは──重量問題だ。
楓自身は全く重たくないのだが、一日の教科書、ノートが詰まった二人分の鞄は流石に重く、俺の肩を順調にすり減らしていった。
厨二病時代に筋肉=カッコイイのイメージでせっせと筋トレを積み重ねていたから何とかなっているが、あれがなかったら道端に俺の鞄がポイ捨てされる事態につながっただろう──楓の鞄は意地でも落とさないが。
そんなこんなで楓との距離が近すぎて理性がやばいだの、鞄が重たくて肩がやばいだの考えて今に至るという訳だ。
幸いにも楓宅の場所はたった二回の訪問で完全に脳内マッピングされていたから、迷わず向かえている──全世界の親御さん、ゲームをやるとこんな力も身につくんですよっ! だからゲームが悪だなんて思わないでっ!
「──すぅ……すぅ……」
全世界に向かってゲームの有効性を訴えていると、いつの間にか楓が寝入っているのに気付いた。
さっきまでと変わらず左肩に顔を乗せて、それはもう気持ちよさそうに寝ている──どうやら、ようやく涙が枯れ果てたらしい。
目の周りは真っ赤に腫れていて、溝口さんの言葉が彼女にとってどれ程のダメージだったのかが窺える。
しかし、俺は溝口さんを責める気にはならない。だって──
──『楓には迷惑掛けたくないんだよ……』
あの時のあの言葉を俺はしっかりと聞いていたから。楓の身を第一に考えたからこそ楓を自分から突き放すという決断、俺はしっかりと受け取った。
あれを聞いていたからこそ、今俺の心の中では一つの目標が燃えている──楓と溝口さんの関係性を元通りに絶対にする。
しかし、その為にはこの件を完全に集結させなければならない。何の気兼ねもなく二人が接する事が出来る環境を作り出さなければならない。
だが、事態の収集には俺では役不足だ。だったらどうするか──ここは『彼』しか居ないだろう。
さて、どうやって彼を引っ張り出してくるか──そこが俺の腕の見せ所だ。
楓と溝口さんが再び仲良く学校生活を送れるようにする為に、ここは一肌脱ぎどころだ──
★☆★☆★☆★☆
──とは言ったものの俺の足りない頭では中々思いつく問題でもなく、気付いた時には楓宅の前で立っていた。
どうしていつぞやの様にインターホンも鳴らさず、楓宅の前に立ち尽くしているのか。それは……言い訳を考えていなかったのだ。
目の周りを真っ赤に腫らしながら寝ている楓が俺の胸に抱かれている。もうこんなに謎な状況はそうあるものではない。
楓ママ──早苗さんが出てきてくれればまだ良いのだが、問題は武雄さんと遭遇した時だ。
前回殺人パンチを食らわせられかけたあの人にこんな状況を目撃されたら、今度こそ確実に殺されてしまう──どうしてその可能性を考えていなかった、俺!? ちっくしょう、俺のポンコツ知能めッ!
楓を落とさない様にしっかりと抱き抱えつつ、ペチンペチンと脇腹を掌で叩いて自らの身体を痛めつける──あれ、全然罰になっていないぞ?
なんてバカな事をしていられる余裕は俺にはない! 早く、早くどうにかするか考えなければ……!
楓宅の前でぐるぐるぐるぐると歩き回りながら、同じように頭の中をぐるぐるぐるぐると回していく。
俺の頭はミックスジュース、俺のお膝にはグルコサミン。
そんなこんな答えが出せないまま、その場をぐるぐると回り続けていると遠方から自動車がやってきていた。
流石にこのままぐるぐるしていたらあの車がこの道を通る事が出来ない──そんな優しさから俺は道の端に身を寄せた……のだったが。
このままこの狭い道を通り過ぎていく……と思っていた白の軽自動車は俺の前で止まるとバックライトが点灯した。
ライトの通りにその車はバックで楓宅の前に侵入して行き、最終的に駐車され──駐車された?!
それから程なくしてドアが開き、そこから軽自動車の大きさに見合わぬ巨体が姿を表して……──
「──たたたたたたたた武雄さん!?」
「お前は……ゴミムシか」
「うゴッ……!?」
顔を見た瞬間に武雄さんから放たれた言葉の先制パンチ。物理防御無視の精神的ダメージが弱々豆腐メンタルにクリーンヒット!──おめえの大事な大事な娘を落っことすところだったぞ、気をつけろっ!
こんな事何度も言われ慣れている筈なのに、何故か過剰なまでに心が抉られる。
しかし、骨が折れようと心が折れようと、こんな程度で挫けていては男として楓に顔が立たない──今は寝てるけど。
問題が起きてしまうのならば、ここは気丈に堂々と振る舞って少しでも立場的有利を勝ち取ろうではないか。
「武雄さんは仕事帰りですか?」
「そうだが? それがどうした?」
「いえっ、何もありません!」
ギョロッとこちらに向けられた視線に俺は一撃でKOした。
前言撤回! この人相手に気丈に振る舞うなんて無理だ!──恐ろしく早い前言撤回、俺でなきゃ見逃せないね♪
と言うか、さっきからどうしようか悩んでぐるぐるぐるぐるグルコサミンしていた時間、問題の種であった武雄さんは家の外にいたらしい。
つまり何も考えずに凸っていれば、何の問題もなくミッションを達成できていたらしい……。
──さっさと入ってれば良かったってマジ?