普段大人しい子が大声を出すとびっくりする
楓の細い指先がボタンを押した事で発されたピーンポーンというこれからの人生で星の数ほど聞くであろう呼び出し音を耳にして、俺はより一層緊張を感じた。
そして、緊張とは別口にこんな事も思っていた──
(──あれ、本当に俺が居ても良いのか?)
事の重要性やここまで来たという事から考えて、まず間違いなくこのまま家に上がらせてもらう事になるだろう。
ただでさえ、女子二人に男一人と場違い感があるのに、このまま家の中に上がる?! 何だその状況?
女子の家といえば楓の家しか行った事がないのに、更に新しい女の家に……?──いや、それに関しては彼女の家であり、しかも両親とも鉢合わせている状況から楓の家の方がウエイト高いか……。
それでも話した回数は数知れない女子の家に乗り込んで、「学校に来て♡」と説得するのはなんともまあ役不足感というか、お前じゃねえよ感が凄い。どうして南雲君を連れてこなかったんだ……って、そういえば彼も彼で妙な状態に陥っているんだった……。
楓が入っている陽キャグループはどうなっているのかだろうか──と考えていると、何よりも重く頑丈に見えていた扉が音を立てて開いた。
そして、その中からは雑にクリップで纏められた黒髪に、丸メガネという如何にも仕事が終わって、家で絶賛ダラダラ中のOLみたいな人が出てきた。
「──はーい……って、楓ちゃん?」
「お久しぶりです、おばさん!」
丸メガネの女性は楓の姿を見るや否や、細めていた目をパッと開いて驚きの表情を浮かべた──そりゃ、こんな時間に来るとは思わないだろうな……本当に俺の頭がおバカですみません!
そんな驚いている女性に対して、楓は誰が見ても百点満点の笑顔で挨拶を繰り出した。その笑顔の眩しさたるや……まるで太陽、いや太陽そのものだった。
そんな太陽の笑みに気を取られてくれていたのも束の間、おばさんと呼ばれた丸メガネの女性──溝口ママは俺の方に視線を寄越しては楓に移し……と交互に続けた。
言葉を発さずに「誰?」と問われている事に一瞬で勘付いた楓は「頼れる彼氏です!」と説明をした。
「ああ、彼氏……彼氏?!」
「いや……──」
楓に彼氏が……と驚く溝口ママに対して、「いや、彼氏じゃないんだけど……」と訂正をしようとしたのだが、彼氏じゃないならなんで?──と面倒な事になりそうなのが目に見えたから俺は口を噤んだ。
どうやら、楓も同様の事を考えていた様で、『よく出来ました』と言わんばかりに頷いてきた。
「──それで、楓ちゃんとその彼氏君が何の用かな? もしかして……柚茉の事、かな?」
何とか第一関門を突破したと思ったら、溝口ママは表情を曇らせてそう聞いてきた。
その表情を見ているだけで分かる……状況は芳しくないらしい──どうやら、第二関門はすぐにやってきてしまっている様だ。
「そうなんですが……柚茉ちゃんのご様子は?」
「うーんと、取り敢えず上がって」
「分かりました、お邪魔します」
「お、お邪魔しまーす」
溝口ママに招かれるままに既にこの家を訪れた事がある楓はすらすらと、反対に俺はおどおどとしながら入った。
仕方ない、女子の家に上がった経験が少ないのだから。家の中でも通報されないかとかちょー心配。あまりキョロキョロしない様にしないと……あっ、くまさんパンツ…………。
「散らかっててごめんね」
「いえ、突然押しかけた私達が悪いんですから。それに綺麗ですよ」
「そう言ってくれると嬉しいわ。ここに座っていてくれるかな?」
部屋の中に通された俺達は入り口付近に置いてあったソファに座れとの指示をもらった。
逆らう理由もなく二人で腰掛けていると、溝口ママはココアを淹れて持ってきてくれた。何も聞かずにココアをチョイスとは何とも出来る御方だ──コーヒーを出されていたらどんなに苦痛だっただろうか?
「それで……柚茉の事なんだけど──」
俺らが何をすれば良いか分からない状況下でココアを啜る中、溝口ママも自らのココアを何回か口含んで話し出した──
★☆★☆★☆★☆
「──御両親にも顔を見せないとは……」
楓のその言葉は殆ど独り言の様に漏れ出したものだった。それだけ楓にとって衝撃的な話であったという事だろう。
俺は殆ど終わりかけていたココアをゆっくりと飲み終えて、冷静に話を整理していた。
──溝口ママ、怜さんの話によると溝口柚茉は完全なる引きこもり状態にあるらしい。両親とも碌に会話をせずに引きこもってしまい、理由も不明。親側は心配な気持ちで一杯であるが、どうする事も出来ていない……と。
「もう、どうすれば良いか分かんなくて……っ」
怜さんは声を震わせながらそう言って、赤く腫れた目の端から更に涙を流した。
楓はそんな怜さんを抱きしめながら、見た事もない様な難しい表情を浮かべていた──怜さんは溝口さんについて話をしている時に、感極まって泣いてしまったのだ。
「大丈夫です。私達にお任せください」
「本当……?」
「はい♪ なので、泣き止んでくださいよ」
友人の母親を抱いて、「も〜、泣かないで」とあやす様に接している楓の姿が俺には聖母に見えた。
ここに来るまでの道中であんなに緊張していた人とは思えない程の変わり様だった。
楓にとって自分の緊張よりも他人の不安な気持ちを晴らしてあげる方が断然大切なのだ。
だからこそ、彼女は優しく、そして『天使』なのであると改めて思った──あと、この間、同じように泣いていた自分を幻視して少し恥ずかしくもなっている……。
「──うっ、うう……んん、ありがとう」
「いえいえ、困った時はお互い様です」
楓はようやく泣き止んだ怜さんから離れて、満点の笑みを繰り出した。
悩める子羊を明るく照らすその光はまさに神の発するもの。楓は『天使』ではなく『女神』だった。
「それでは行ってきます。柊仁君も良いですね?」
「あ、ああ。ばっちこいだ」
男というのは悲しいもので、泣いている人を前にしても中々その悲しみを感じ取る事が出来ない。
けどそのお陰で、に楓が怜さんを優しく抱擁している間に俺は気持ちを完全に固め切っていた。今なら女子の部屋でも突撃出来る……いや、するんだけど。
俺達は怜さんが汲んでくれたココアをもう一杯飲み干して、互いの顔を見て頷いた。
溝口宅の前で一度気持ちを整えて、ココアを飲みながらもう一度気持ちを落ち着けて──今の俺達は気持ちの準備万端な完璧星人。
二階にあるという溝口さんの部屋の前まで来ると、俺らは足を進めて目を瞑った。
──どうか上手くいきますように。
言葉には発していないが、確かに二人の胸の内ではその事を祈った。
そして──楓は部屋の扉を三回ノックした。
「────」
しかし、反応はない。中から多少の物音はしているし、確かに気配を感じるから間違いなく潜んでいるが出てきてくれない──ここまでは怜さんから聞いた情報通りだ。
そこで楓は鼻からゆっくりと息を吸い込んで……叫んだ。
「柚茉ちゃん、開けてええええええ!」
楓から今まで聞いた事もないくらい大きな声が発された。
その声に驚いたのか、中から「ゴトッ」という確かな物音が聞こえてきた──俺もビクってなった。
そのままトットットと小走りをしている様な足音が確かに聞こえたと思ったら、鍵が開く音が鳴り響いた。
そして──バンっと開かずの扉が勢いよく開かれた。
「──楓が何でここに!?」




