ドクター◯トレンジ面白かったなぁ
大変長らくお待たせいたしました。
「あっ、いや、その……!」
楓の可愛さに溶けていた脳が凍った空気によって冷やし固められて正常な思考を取り戻した頃、俺の脳は今の状況を正確に掴み取った。
そして、その状況はどう足掻いてもマズイ展開にしかなり得ない事を。
「あ、あのあの柊仁君……」
「な、なんでしょうか……?」
楓は俺の手を掬い取るようにして握りしめて、俺の目を見つめてきた。
そこには何かの熱い意志が宿っていて、事態の収拾を図る事からその意志を受け取る事を優先せざるを得なかった。
「あ、あの……柊仁君。もし良かったら私と付き合……」
「──させるかあああああああ……ぎゃあああああ!」
楓が何かを言いかけたその時だった。楓の言葉を遮るように武雄さんは大声で叫んだ。
──大声で叫びながら宙に浮いた。
この字面だけでは武雄さんが超能力者になってしまう。もっと詳しく説明する必要がある故に説明させてもらおう。
楓が何かを言いかけたその時、武雄さんは地響き程の大声で叫びながら僕の腹を目掛けて殴りかかってきた。
その拳にはこの前のジョークグッズ騒動の時とは違って、本気の殺意が乗っかっていた。
咄嗟に受け止めようと手の平を目一杯開いて防御しようとした。
手の平で受けたとしても骨折は免れぬダメージ。しかし、命を守れるならマシだと思った。
武雄さんの岩石のような拳が俺の手の平に触れる瞬間だった。
対面に座っていた早苗さんがいつの間にか僕らの間に割り込んでいて、武雄さんの土手っ腹をアッパーカットで打ち抜いていた。
──ここまでで脅威の僅か五秒。残りは言わずもがなである。
悍ましい程の威力を内包した拳は武雄さんの巨体をかち上げて、かち上げられた身体は宙に舞った。
着地地点まで計算された力であったのか、宙に舞った身体は綺麗に近くのソファに落ちた。
「「おおおおおおお……」」
俺と楓の拍手と感嘆の声が静寂に包まれていた空間に響く。
そして、アッパーカット後の体勢から戻った早苗さんは満面の笑みでピースを繰り出した。
「いえ〜い♪」
「──早苗……恐ろしい女」
ピースの裏には死にかけのおっさんが一人──あっ、魂が……。
口から魂が抜けていくのが見えた。
まあ、殺人パンチの代償と考えれば良いか。ピッカでチュウなゲームの『飛び膝蹴り』も同じような感じだし。
貴方の事は一週間は忘れません。楓とは絶対ね。幸せになりますので、是非是非お眠りください。楓パパ、アーメン。
ゆっくりと天に登っていく魂に手を振って、武雄さんとの別れとした。
「いや〜、お母さん凄かったね。過去一のアッパーカットだったよ!」
「ふふん、私もそう思うわ〜。現役の時以上だったと私も感じたもの〜」
「……俺が来た時限定で殴っているんじゃなくて、常習的なんすね……。何と言うか、お疲れ様です」
殴る楓ママにも、殴られる楓パパにもその言葉を送っておいた。比重的には前者九十、後者十くらいだ。
何で殴られる側の方が低いのかって?──そんなの殴られるような事をする方が悪いに決まっているじゃないか。どうせ無理矢理キスを迫ったりとか──
「──最近だと、お母さんにルパ○ダイブしてきた時が一番良いのが入ったよね」
「そうね〜。私は寝たいのに寝させてくれなかったから、強制的にお父さんを眠らせたのよね〜。そうしたら、二、三日起きなくなっちゃってね〜。あれは流石に焦ったわね〜」
楓パパ、意外とやる事はっちゃけてた事実に少し引いた。
もっと厳格な人だと思ってたんだけどなぁ……いや、厳格な人は殺人パンチを繰り出してこないんだよなぁ。
けど、三日間気絶させた楓ママの強さにもドン引き。
まだガタイの滅茶滅茶良い楓パパだから良いが、もしも俺が殴られたら、生きて帰ってこれなそう……。
やっぱり、一番怒らせてはならないのは普段静かでおっとりとした人なんだなぁ。
「大丈夫よ〜、私が湊君に手を出すことなんて絶対に無いわ。そんな事したら楓に怒られちゃう」
「読心術だ、と……」
「そんな大袈裟なものじゃ無いわよ〜。ちょっと視線と筋肉の動きを見て気付いただけよ」
──もう何でもアリだな、早苗さん。服の上から筋肉の動きを読む事は、普通ちょっとでは済まないんですよ。
これこそが伝説の女ボクサーたる所以なのだろうか? いや、それ以外にないだろ……ないよね……?
この先、まだ見ぬ超パワーが出現する事がない様に俺は祈っている。
超パワーには危険が付き物だからネ。怪しい組織とかに狙われたら困るもの。
気分的にはア○ンジャーズに守られる一般市民。守られてはいるけど、被害に巻き込まれる可能性がある。
そう言えば、ドクター○トレンジの続編面白かったなぁ。まさか、────(ネタバレ禁ず)になるなんて。
「──それじゃあ、私は武雄さんを二階に運んでくるから、あとはお若い二人でごゆっくり〜」
「う、うん。ありがとう、お母さん」
早苗さんは「うんしょ!」と言うと二倍ほど差がある武雄さんを軽く持ち上げて、扉を通過して出ていった。
途中、壁に楓パパの頭をぶつけたのは偶々だったんだろう……うん、きっと……。
早苗さんが出て行って暫く経った後、俺と楓は目を見合わせて笑った。
「あはは。すみません、騒がしい両親で」
「いいや、とても良い家族だと思うよ」
これが楓家の今まで積み重ねてきた結晶なのだ。
その結晶が素晴らしいと、前までは素直に思えなかった。俺も俺の事情があったからだ。
しかし、楓のお陰で両親と再会する決心がついて、その後何度も顔を合わせた事で引きずってきた黒くて苦い、苦しい気持ちも塗り替えられた。
本当に、本当に感謝で一杯だ。
──って、俺はこれからも何度も何度も思うんだろうな。
「本当にありがとうな」
「えっ、何がですか?」
「何もかも、だよ」
「ちょっと柊仁君。くすぐったいですよ、あはは」
俺は楓の頭を少し強めに、少しガサツに撫でた。
特に意味はなかったが、そうしたい気分だったのだ。
「もーっ、私だって怒っちゃうんですからね!」
「へん、楓が怒ったところで……ってやめろ、何を考えて──っう」
「ふふ、馬乗りになられては、いくら柊仁君でも生意気な口を聞けませんよ♪」
そう言って、指先で鎖骨をゆっくり、艶かしく、焦らす様になぞってくる。
鎖骨を中心に電流が流れる様な感覚が全身に広がって、やがてその勢いは一点に集中する。
「楓……ついこの前もこんな様な事して、どうなったのか覚えていないのか……?」
「む、私とてそこまでアホではありませんよ。だからこそ、座る位置を調整してみました♪」
今彼女が座っているのは俺の腹の上。電流が行き着いた先、膨張した例のブツには気づかない位置だ。
確かによく考えている。よく考えたのだろうが……──
「思考が短絡的と言うか、何というかだよなぁ……」
「何がですか!? この完璧、絶対、確実、確然たる私の作戦に何の問題が……」
「いやぁ、そのほら……」
俺は恐る恐る指差して、指摘した──
「パンツがね……見えておるんですよ……白色のやつ……」
「ひゃぁぁぁぁああ……!」
俺がそう指摘すると、楓は声にならない悲鳴を上げて、顔を真っ赤に染め上げた。
直後、ワンピースの前を押さえつけながら、もう片手で俺の事をペンペンと叩き始めた。
──降りる事はプライドが許さないらしい。
「もう、もう、もう!」
「牛?」
「ちがぁう!」
さっきから思っているのだが、彼女の体重程度ならいくらでも持ち上げることが出来るのだ。
しかし、それを何故しないかって? そんなの──
──こんなに可愛い顔を至近距離で見られる特等席を、自分から離すわけがないんだよなぁ。
という事で、楓が落ち着くまでの間、俺は胸にマッサージを受けながら、楓の照れ顔を見続けたのであった。




