織姫と彦星って、人間の一生に無理矢理当てはめて考えると一秒に三回以上会っているらしい
「柊仁君、大丈夫ですか? 最近、顔色も良くないですし、体調が悪そうですが……」
「ん? ああ。大丈夫だよ」
あの二人の嫌がらせはいつまで経っても終わりを迎えない。恐らくだが、こちらが面白い反応らしい反応を表では出していないからだろう。
あくまで普通の仮面を自らに貼り付けて、普通を装う。そうする事によって二人からの興味を失わせて、逃れるつもりだったが……。
「はぁ……」
根気が強いのか、単純に負けず嫌いなのか分からないが、一向に止める気配はない。寧ろどんどん過激になっていっている気がする。
しかも、してくる事は毎回違う。よくネタが尽きないなぁと感心するほどである。
「また溜め息を吐いて……何かあるのなら話してくださいよ。あの時みたいにいつまでも隣にいますから」
「ありがとう。けど、話したくない」
そう、表では全く反応を見せていない。しかし、裏──二人の目がないこの時間に少しずつだが、現れる様になってしまっている。
それによって、楓は薄々と何かがある事を勘づいてきてしまっている。楓にだけは心配をかけたくないから黙っているが……そろそろ精神的にも限界が近い。
「何も言わずに抱きしめられてくれない……かな? 都合の良い事だって分かっているけど……」
「……! 分かりました。柊仁君が話したくないというなら聞きません。──どうぞ、来てください」
楓は残り半分ぐらいあったカロリーメルトを綺麗に包んで仕舞ってから、両手を広げた。
俺はもぞもぞと動きながら彼女に近付いていき、ゆっくりと抱きしめられた。
「温かい……」
最近は人間の悪の部分──冷たい部分にしか触れていなかった様な気がする。何をするにしても警戒して、頭の中には常にあの二人の悪事が蘇る。
それ故に楓が無性に温かく感じる。楓の肌の柔らかさが、甘い金木犀の匂いが、艶やかな髪が、徐々に速くなっていく心音が「楓はここに居る」と主張している。
それによって、俺の精神の核の様なものが温まっていっている様に感じる。傷ついた心が修復されていく。
自分から問題に顔を突っ込んで、その結果、こんなに小さな女の子に頼って……本当に情けないなぁ。
「──ありがとう。もう大丈夫だ」
「もう良いんですか? 私としてはもっと抱きしめていたいのですが」
「……なら、もう少しだけ」
回復は出来る時に出来るだけ。ゲームの鉄則だ。
楓が求めるのならこちらとしても回復させてほしい。と言うか、ぜひお願いします。あの二人がこの先どれだけ続けるのか分からないし、楓は本当に痩せているのに、柔らかくて良い匂いだから……ぐへへ。
「私はいつも、いつまでも柊仁君の味方です。何かあったら頼ってください。私は貴方にお返しを……力になりたいのですから」
「本当にありがとう」
楓には本当に助けられてばかりだ。父さんと母さんの問題に向き合えたのは楓のお陰。実際に会いに行く事が出来たのも楓のお陰。
俺が彼女にしてあげられている事の十倍、二十倍は助けられてしまっている。まあ、俺がしてあげられている事なんてないのかもしれないけれど。
いずれ、楓に出来るだけのお返しをしたいが……そう言えば──
「楓って誕生日いつなの?」
「私は七月の七日ですよ。私は生まれながらの織姫様。柊仁君は私の彦星様になってくれますか?」
楓は右耳に髪を掛けて、俺を試す様に小さく笑みを浮かべた。楓がちょこちょこ見せる小悪魔の笑み。
いつもの俺なら楓の可愛さに打ちのめされて、されるがままになっていただろう。しかし今回は──
「俺が楓の彦星様なら、年一でしか会えなくなっちゃうけど良いの?」
「はっ……ダメです、ダメです! 一年も柊仁君に会えなかったら、その内に私、死んじゃいます〜。一年に一回なんて言わずに、柊仁君とは何回も何十回も何百回も会いたいです!」
「でしょ〜……」
──とそれとなく言ったが、心臓バクバクでヤバい。
勿論、楓のセリフが思ったよりド直球になってすっ飛んできたからというのもある。しかし、楓が包み隠さず心の内を曝け出してくれるのには慣れてきているから、こちらは被害が小さかった。
真の原因が、「柊仁君と会うのはまあ年一でも良いですね」と言われた時を想定してしまったからだ。
もしもそんな事を言われたら、もう立ち直る自信がない。
湊柊仁の人生完。『湊柊仁先生の次回作にご期待ください』状態になってしまう。──恥ずかしすぎて、絶対に次の人生なんて歩んでやんねぇんだからな!
「まあでも……『織姫と彦星』という関係も悪くないのかもしれません」
「うッ……」
嫌な展開を想定している最中に言ってくれたなぁ! 思考でも読んだのか?!
『織姫と彦星』の関係。それ即ち、年一で会う関係。会えない日は互いの事を想ってせこせこと仕事をして……ようやく会って、また別れて……。
そんなの物語の中だからこそ通用するんだ! 実際は会えない時間に熱されていた気持ちはドンドン冷めていって、やがて他の星の元へと気持ちが移り……待てども、待てども織姫は来なくなって──って絶対になるんだ、そうなんだ!
畜生……あの時、嘘コクだと思わずに断っていなければ……。
「──だって、私にとって……私たちにとって星の寿命は悠久と思える程長いんですから。時間が長ければ長いほど、会える回数はそれだけ多くなりますからね♪」
「楓……」
疑ってごめんな、楓。そんな事を考えてくれていただなんて思いもしなかった。
そうだな、今から一緒に星になろう。そうと決まったら、七夕の主人公達に殴り込みだぁぁあああ!
「柊仁君はどうですか? 私と死ぬまで毎日会わなくてはならないのか、一年に一回しか会えないのを何億年も続けるのか……どちらを選びますか?」
「そうだな……」
楓の言う通り、後者ならば前者よりも最終的な会う数や時間は多くなるだろう。それに物語の様に会えない時間が二人の愛を育て、より強固にしていくのだとしたらそれもそれで良いのかも知らない。
しかし、俺は──
「是非とも、離れる暇もなく俺を楓の隣に置いてくれ。俺の身体は楓なしではもう生きる事が出来ない」
「本当ですか!? 例えば、どんな所ですか?」
さっきまでどこか暗そうな雰囲気を纏っていたが、それは見る影もなくなり、今はただ嬉しそうな表情で一杯にしている。
その所為で、質問に対する俺の素晴らしい返答を期待しているようで、目をキラつかせてこちらを見つめてきている。
しっかりと伝えようと想った。日頃の感謝、厚謝、万謝、拝謝しようと思っていたが……。
求められると緊張してしまって、どうしても誤魔化してしまう。
「主にご飯を作ってくれる所とか、作るご飯どれも美味しいとか、しっかりと栄養を考えてくれているご飯を作ってくれる所とか……?」
「もう、私の価値はご飯を作れることだけですか……? どうやら尽くし足りないようですねぇ」
「ごめん、ごめん。冗談だよ……ひっ……!?」
今までは抱きしめる体勢だったのだが、急に楓が俺から離れた。
どうしたのか、そう思って彼女に目を向けたときにはもう遅かった。
──獲物を見つけた時の猛獣の様に狙いを定めた楓は、俺に襲いかかる様に飛びかかってきた。
「グエッふ……」
「満足されていない様ですので、私の出来る限りで尽くさせていただきます、柊仁様?」
この世の甘い果実を全てぶち込んで擦り合わせたくらい混沌としていて、濃厚な甘い声でにじり寄ってくる楓。
この時、俺は初めて感じた。
──襲われる!!!
俺の貞操が人生最大のピンチを迎えてい……。
「──あっ……///」
「うーん、ちょっとしょっぱいですね。まあ、体育だったから当然ですか」
舐められた……。鎖骨を……舐められた。
彼女の柔らかくて温かい舌がペロリと俺の鎖骨を舐めた時、全身に電流が走った様に感じた。手足が痺れて動かなくなり、何も動けなくなった。
──そして、硬直していく身体と同調する様に硬くなっていくアレ。気付かれたくなかったが、運命とはいつも俺の敵に回る。
「私をその気にしたんですから、最後まで相手を……ん?」
小悪魔から進化して淫魔へとなった楓であったが、何か不自然に気が付くと一気に表情が打ち消えて、ただ目を見開いていた。
具体的に言うと、俺側に楓は身体を倒れ込ませていたが、足の付け根ぼの中心辺りに何か突起があるのを感じ取ったのだろう。
──楓の誘惑に負けた愚息が。
「あっ、えっと……そのぉ……」
楓は乗り上げていた俺の身体からゆっくりと移動して、地面に降りた後に──
「すみませんでしたああああああああ」
そう大声を出しながら、物凄い速度で走り去っていった。
俺はその姿を「楓が走っている姿は初めて見るな」と見当違いな事を思いながら見送った。
「君は俺を襲っているつもりだったのだろうが、実は君が襲われていたんだよ」
俺の何となく思いついた格言は誰に聞かれるわけでもなく、雲一つ存在していない青く暑い空に吸い込まれて消えていった。
──自分自身でも気付かぬ内に、二人の嫌がらせの恐怖は後世に残るはずだった格言と共に完全に消えていた。




