てぇてぇ&幸せ警報発令中
しばらく投稿が止まってしまい、すみません。今日より再開いたします。
「へっ……?」
溝口さんは今なんて言った? ありがとう? 何に……何の為の?
予想の対極にすらなかった言葉が聞こえて、俺は目を白黒させて戸惑うしか出来なかった。
そんな様子が気に食わなかったのか、溝口さんは机の上に乗り出してきた。
すると褐色の丘の間に存在するI字の谷間が視界に迫ってきた。一瞬にして思考が奪われて、性欲の信徒になる前に俺は美しい一直線から視線を逸らした。
しかし、細いのに意外としっかりとした力で両手で顔を挟まれて、強制的に前を向かせられてしまった。
改めて対面する谷間。楓はここまで露出度の高く、それに胸元を広く開けて谷間を見せる服を着ないから、こうマジマジと見せつけられてしまうと流石に危ない……何がとは言わないが。
「ありがとう、って言ってんの!」
「わ、分かった。分かったから、手を離してぇ」
「寒ッ……」
意図せぬ所で良からぬ勘違いをされてしまったが、Iの谷から解放されたから良いか……お陰でビンビンなんだけど……何がとは言わないけど。
「どうして急に感謝を? まだ南雲君の好きな人は聞けていないよ?」
「その事じゃないし。と言うか斗弥に早く聞けし」
「ご、ごめん。中々、良いタイミングがなくてね……あはは……」
俺が誤魔化し次いでに軽く笑ってみせると、「ああ、もうっ」と言って頭を振った。
いや、本当にごめんね。勿論聞こうと思ってたし、意思はあったんだけど……昨日はあれからずっと南雲君の様子がおかしかったから、近寄りがたかったんだよなぁ。俺の顔に免じて許してちょ。
「アンタと話してると話がすり替わってヤダ。早くしないと楓が帰ってきちゃうじゃん」
「いや、ごめんね。なんか気に触れるような感じで……。もう何も言わないから、続けて……」
「はあ……」
大きなため息を一つ吐いて、ジト目で俺を見つめてくる。おおよそ「なんでこんな奴を楓が……」と思っているのだろう。
本当にごめんね、こんな男で。今までの人生で一番反省しているよ。
──なんか溝口さんを前にすると謝ってばっかだなぁ……俺。情けないけど、仕方ない。そうやって諦めている自分が嘆かわしい。
「昨日、あのムカつく女子二人に立ち向かってくれた事……感謝してる」
「ああ、あれかぁ……。俺的には煽られてブチ切れてただけだから、感謝される謂れがないよ」
「それでも、あの場で動いてくれたのはアンタだけだった」
本調子の南雲君だったら上手く事態を収められていた、と言うのはやめておいた。そんな事を言われた溝口さんからしたら、なんで南雲は動かなかったのってなってしまうし、南雲君は南雲君で何かしら抱えている様な気がしたからだ。
あまり不用意に突っ込んで良い話ではないのは確かだろう。
「──だからこそ、今度何かあったらやめて」
「……ん?」
どうしてそういう話になった? 自分の問題に関わってほしくないから? 別に自分でなんとか出来たから?
分からない。分からないが……溝口さんの表情からはそんな身勝手な理由でやめてほしい様には見えなかった。
「なんでって聞いていいかな?」
「気軽に入ってきて良い世界じゃない。女は陰湿でねちっこい」
「つまり?」
言葉が足りなくて話の全容が掴めない。それ故に聞いたが、聞いて後悔した様な、してない様な気分に陥った。
「次の標的がアンタになる可能性があるってコト。ああいうタイプは気に入らなければ、男でも女でも排除しようとする」
「…………マジか」
殆ど感情で突っ走った結果、自分があの女子二人の標的になってボコボコにされる?
中学の時はそんな事なかったから完全に油断していた。あの時は脅しだけされて、結局関わって来なかったからな。
つまりだ。南雲君が間に入らなかったのはそういう事態も考えてのことだったのか? 俺が人付き合いがなかった所為で、その辺の事情を理解していなかった……?
えっ……マズくない? いやマズイだろ。精神的にダメージを受けて、不登校になっちまう可能性が高いのだが……。
「まあ、あくまで可能性の話だから、ないかもしれないけど」
「きっとそうだ。間違いなくそうだ。絶対にそうだ。あの二人もあれっきりで懲りた筈だ……はっはっはっははは」
怖えぇぇぇぇ。マジ怖ええ。あの二人があれで懲りるわけないじゃん。寧ろ燻っている火種にガソリンばら撒いたまであるぞ!!!
そんな感じで内心で暴れ回っていると溝口さんは本当に申し訳なさそうな表情を浮かべて謝ってきた。
「本当にごめん。私の所為で……」
「いや、溝口さんの所為じゃないよ。悪いのはあの二人さ」
恐怖心は置いておいて、あの無策特攻の利点は対象が溝口さんから外れた事だ。俺に標準が向くにしても、向かないにしても恐らく溝口さんは解放される。二度とあんな顔をさせずに済む。
今ので分かったが、溝口さんは優しい。楓が言っていた通りだ。
自分が傷つくよりも俺が傷つく可能性を排除する為に「やめて」と言ったのだろう。それに楓がいないこの状況を狙ったのも、彼女に余計な心配を掛けさせないためだろう。
虐められる可能性というのは怖いには怖いが……こんなに優しい彼女が傷つけられるよりは良かったのではないかと思ってしまう。こういうのを偽善的だというのだろうか。
「そっか……そう言ってもらえると助かるかも……」
「──何の話をしているんですか〜?」
「楓、お帰り〜。長かったね」
「あまりレディのお花摘み事情を聞くもんじゃありませんよ。まあ、私は帰ってくる途中で給仕の方とぶつかってしまって、時間が掛かってしまっただけですが」
そう言えば、溝口さんと話している最中にガチャンという音が聞こえてきた気がする。あれは楓だったのか。
「大丈夫? 火傷とか切り傷とかない? 華の乙女に怪我なんてあったら大変だけど」
「大丈夫です。ギリギリで避けましたから。それとももしかして、傷物になってしまったら貰ってくれませんか?」
「傷物って……楓の思っている意味とは違うと思うよ。それだと結構ヤバい意味になっちゃうよ」
「えっ?」
溝口さんがスマホをポチポチと弄り、楓にその画面を見せた。恐らく意味を調べてくれたのだろう。
それを見た楓は爆発する様に顔を赤くして、手をブンブンと振ってきた。
「違います、違いますからね! 私は歴としたしょ……もごもご」
少女としてマズイ事を口走りそうになった楓の口を溝口さんがすぐさま塞いだ。本当にナイスだ。
「いくら焦っていたからってそれは駄目でしょ……」
「ごめん……ありがとう」
前に聞いた話からして楓が溝口さんを引っ張っていると思っていたけど、割と溝口さんの方がお母さんなのかもしれない。
楓は偶に突っ走る嫌いがあるからちょうど良いのかもしれない。
「それで何の話をしていたんですか? わざわざ呼び出したとなると相当な気がしますが」
「まあ相当というか、なんというか……」
ここでさっきの事を正直にいうのは溝口さんが嫌がるだろう。しかしあまり嘘はつきたくないなぁ、と思っていたら溝口さんが口を開いた。
「こいつが楓に相応しいかっていう話。楓は私にとって大切……だから」
「柚茉ちゃん!」
「……くすぐったいし」
楓がガバッと盛大に抱きついた。そしてわしゃわしゃと愛犬を撫で繰り回す様に全身に手を這わせている。手付き的には犬だが、テンションは全然懐いてくれなかった猫がデレた時だ。
溝口さんの小さな抵抗なんて無いかのようにワシャつく楓は心底幸せそうだ。その表情を見ると俺まで嬉しくなってくるようだ。
ワシャつかれている溝口さんも嫌そうな態度を取りながらも内心幸せそうだ。ぼっち系褐色ギャルちゃんはツンデレなのだろう。
「うーと、これは……」
俺の言いたい事はただ一つ。それは──眼福眼福、てえてえ最高。
これを見た者は怒りは吹き飛び、悲しみは消え、戦意が折れて、幸せで心が満たされる。やがて皆、輪になって踊り出すだろう。
これで世界が救われるといっても過言では無い。過言というより寧ろ確定だろう。
そんな天上天下唯我独尊な幸せを目の前で感じながら、俺は意識を絶った。
──知ってるかい? 幸せもある程度いくと毒なのだ。これは良い教訓となった。




