ノミの心臓?──おいおいノミの失礼だろ
今は土曜の昼下がり。本格的な夏に入り、外はかなり暑い。
俺は空調を効かせた部屋でゴロゴロしながらライトノベルを読んでいた。
「ん?」
主人公が事件の謎を解き明かすクライマックスのシーンに差し掛かった時だった。
突然、俺のスマホが唸った。どうやら何か連絡が来たようだ。相手は──楓だった。
『こんにちは! 今日、これから何か予定があったりしますか?』
今日は……何もなかったはずだ。だからこうして本を読んでいる。
予定を聞くという事はデートか何かだろうか? だとしたら準備が必要だけど──
『今日は特に何もないよ。どうしたの?』
『一緒にカフェに行きませんか?』
既に送信の準備をしていたのか、俺の質問に対してノータイムで返信が吹っ飛んできた。何も予定がないのはお見通しらしい。
また、それ同時に祈るように手を前で握っている可愛らしいウサギのスタンプも追加ですっ飛んできた。
『良いよ、ちょうどお腹も空いていたし。カフェと言ったらカメダ?』
この前、南雲君と言った時に食べたご飯が忘れられない。楓のお弁当とはまた違ったベクトルの美味しさ。
言うなれば、楓は家庭界最強に対して、カメダは外食店界最強。二つの最強を知る俺こそが真の最強に見えてくる。
『柊仁君がカメダが良いのならカメダにしましょう。あそこなら十分にお腹も満たせますし』
『じゃあ、直ぐに準備して向かう!』
『はい。私は先に行っていますので、ごゆっくり』
俺は敬礼をするクマのスタンプを飛ばして、早速準備に取り掛かった。
まあ、準備といっても軽い身支度だけで済むのだが。
空調止めたし、電気消した。財布にしっかりお金を詰めていざ出発。
★☆★☆★☆★☆
我が家からカメダまでは割と近い。徒歩十分もすれば着くが、今日はそれ以上に長く感じた。
何故なら──
「あっちい……」
昨晩から空調付けになっていた俺には外の気温が暑くて暑くて仕方がない。
そう言えば、南雲君同伴で初めてカメダに行った日も梅雨の蒸し暑い夜だった。
暑い日にしか行ってはいけない呪いでも掛かっているのだろうか?──いや、季節だな。
どうせ、雪が降る寒い日にカメダに行けば、寒い日にしか〜と思うのだろう。
──人間とは業の深い生き物である。いや、てめえだよ。
そんなこんなで体感三十分の道のりを制覇して、カメダに来ると外から楓がいるのが見えた。
本当に俺よりも早く着いた様だ。
俺は玉の様な汗を制汗シートで拭き取ってから店内へと入った。一応と思って持ってきて良かった。
カメダ店内は外界とは切り離されているのか、外とはレベルに違う冷気がお出迎え。これだよこれ、夏はこうでなくちゃ。
圧倒的な涼しさに俺はしばらくポカンと立ち尽くしていると、不意に横から袖が引かれた。
大体の目星を付けて横を向くと、そこには想定通り楓が立っていた。
予想していたから、滅茶滅茶端正な顔立ちの少女が立っていても驚やしない。
しかし、予想と大きく外れたのは楓の服装だった。俺は楓の服装というと白のワンピース姿しか見た事がない。
実際楓にどハマりしていて、楓をより引き立ててくれるのがあのワンピースだと思っていた。
しかし、今目の前にいる楓は黄色のトップスとデニム生地のショートパンツ、そして透け感たっぷりの薄手の黒ストッキング。
彼女の服装はまさに下界に舞い降りた光を司る天使様。可愛らしさと美しさの両方を兼ね備えていて、その上彼女から発される瑞々しさは俺の目を焼きにかかってくる。
「可愛い……」
「ふふ、ありがとうございます。柊仁君もカッコいいですよ」
「いや、お世辞はいいから」
「本当ですよ?」
俺がカッコよかったら南雲君とかはどうなってしまうんだ。ド平均の普通顔に対して上の上の上に位置するイケメン。
評するならレベル違いにカッコいいでレべッコイイかな? いや、語感悪すぎだろ。
「こっちです」
超絶可愛い楓に手を引かれて、俺はさっき外から楓を見た席に行った。
すると──
「……溝口さん?」
外からはちょうど死角になっていた所に溝口さんは座っていた。
惜しげもなく褐色の肌を晒している青いベアトップに白のショートパンツというほぼ水着の様な格好をしている溝口さんは、ゆっくりとこちらを向くと「うっす」と言ってスマホに目を戻した。
「どうして溝口さんが?」
俺はてっきり楓と二人でランチを楽しむつもりでいたのだが……。昨日体調崩していなかった分、話したい事も山ほどあるし。
まあ、楓はご飯食べられないから、目の前でパクつくのは少々忍びないんだけどさ。
「私も詳しくは知らされていないのですが、柊仁君に何か直接伝えたい事があるそうで」
「へぇ、伝えたい事」
わざわざ休日に呼び出してまで伝えたい事とは何なのだろうか?
もしかして……カツアゲ!? 楓とのランチで多めに持ってきたお金を毟り取るつもり?
「──それで、連絡がなかったのはどうしてなの? 溝口さんが居るなら居るって言ってくれればよかったのに」
「もしかしたら柚茉ちゃんを怖がって来ない可能性もあったので。一応です」
そんな溝口さんが居るから来ないなんて事ある訳が……ない事もないか。殆ど話した事がない人が居ては弾む話も弾まない。
現に今、恐ろしいほど気まずい空気が流れている。そんな状況を更に加速させたのが──
「お手洗いに行ってきます」
楓の不在だ。溝口さんと二人っきりにされた俺達の間には更に重く、息苦しい空気が流れ始めた。
はっきり言って気まずい。はっきり言わなくても気まずい。今こそ気まずいの極み。この世は気まずい時代。
「あ、あの〜……」
頭を使え、湊柊仁! この気まずい空間を脱するんだ!
さもなくば死ぬ。緊張に耐えかねて爆発してしまう…。
「その服、寒くないですか……?」
「あ゛?」
「ヒッ……。すみません、何でもないです……」
怖い。今までに感じた事がないくらい怖い。
一触即発。次、私に話しかけたらぶち転がすぞ、と言わんばかりの鋭い目つきとドスの効いた声。
それらのバインド効果によって俺は何も行動出来なくなってしまった。
ノミの心臓?──おいおいノミに失礼だろ。
「……寒いけど……それが?」
「…………! いいえ、足やらお腹やら肩やらが出ているのに、これだけ空調が効いていて寒くないのかな〜、って気になっただけですから」
まさか会話が続くとは思っていなかったから、不意を突かれた。最初に何を言われているのか分からなくて固まってしまった。
その所為で、その後が異常に早口になってしまって、怪訝な顔をされてしまった。
「そう……女子は大体そんなもんだし。寒かろうが暑かろうが、ファッション第一」
「そう、なんですか。覚えておきます」
「……別に、こんな事覚えなくていいし」
何となく会話になってる……よな? 恐怖と気まずさに打ち勝った事で会話が出来ている!
俺って凄くね? 溝口さんの怖さを完全に克服したんだぜ!
「アンタ……いや湊柊仁!」
「はっ、はいぃぃ……。調子に乗ってごめんなさい!」
「調子? 何が?」
「いや、何でもないです。ごめんなさい」
克服? なにそれ美味しいの?──ん? お前の会話は上手くない? うっせぇ、黙ってろ。
早とちりした結果、また凄い不満そうな鋭い眼光が俺の目と心臓を貫いた。こ、怖えぇ……。
「それで、湊柊仁」
「は、はい……」
調子に乗っていた事を怒られたんじゃないんだったら、何で名前を呼ばれたんだ?
その答えを考えていると、先に答えがやってきた。
「──昨日はその……ありがとう」
視線を斜め下に流した溝口さんは髪を弄りながらそう言った。




