二人の学力は如何ほど?
「──それで結局、何点だったの?」
現在は放課後であるが、部活に所属していない俺と楓は教室に取り残されていた。
何故、今になってテストの点数を聞いているのか。それは、昼休みに昼食を食べながらじっくり聞こうと思ったら、楓は気分が悪いからと言って、弁当だけ渡して女友達の所に行ってしまって、聞けなかったからだ。
因みに、校舎裏で初めて一人で昼食を食べたが、それもそれで乙なものだった。あの空間の謎の神聖さを静かに感じながら、極上の弁当を食す。ぼっち飯の極点だと思った。
そんなこんなで俺は調子を完全に取り戻していたが──
「……言わないといけませんか?」
楓はそうではなかったらしく、今も不機嫌真っ最中だった。
教室に戻ってきた時、他の女子から頬をグニグニされて、満足げにしていたはずなんだけどなぁ。
「けど、比べないと勝負がつかない──」
「この教室にいる時点で、勝利も何もありませんよ!」
うーん、今日の楓は本当にかなり荒れておる。早く調子を取り戻して欲しいものだが……。
「まあねぇ……このクラスで赤点に引っかかったのは俺と楓だけだったもんね」
他のクラスはちょこちょこ引っかかっている者もいるらしいけれど、このクラスは俺らだけだった。
それに本来は追試のみであるが、あまりに致命的なほど点数が低いから、俺達だけ補習らしい。
「まさか、自分があれ程、勉強が出来なくなっているとは思いませんでしたよ」
「楓、受験はどうしたの? 俺と同じレベルだと相当やばいと思うけど……」
俺はヤマ勘全ヒットの超奇跡男。今考えると本当に俺ってアホなんだなと思う。
そんな人生の幸運を全部使い切ったアホが、同じ時代、同じ時に二人もいるわけがないだろう。だとしたら──
「私は推薦でここに受かったんですよ。当時は成績も優秀でしたし……けど、受かってからしばらく勉強から離れていた所為でこんな事になっているのでしょうね」
「なるほどねぇ」
しかしそれはあるあるなんじゃないのかな? 前期で通った人がそれから勉強しなくて、入学後の成績が低いのは。
中学の知り合いがいないから今はどうか分からないが、前期で通って浮かれて、勉強を一才しなくなった連中が、後期組のヘイトをかっているのを見たことがある。
──まあ、前期で受かってもいないのに、勉強をしていなかったのが俺なんだが。
「もう切り替えていくしかないんじゃないかな? 過去は変えられないんだし」
俺の厨二病の痛い痛い過去も消えないし。
もう過去を消すなんて大仰な事をしてほしいなんて言わない。その代わりに、あの時の俺を知っている者の記憶を消去してほしい。
「その通りなんですけどね。柊仁君の隣を歩く人がこんな点数を取っていて、良いわけがないのですよ」
「俺の隣を歩く云々は置いておいて、言っておくけど俺は想像以上にヤバいよ」
「教室のど真ん中で叫ぶくらいですし、当然ですね」
「うっ……」
また恥ずかしい記憶を思い出させてくれる。辛辣さが帰ってきたと言うことは調子が戻ってきたのかな?
「柊仁君が勉強出来ないのは前からよくよく聞いていますし、実際に授業の様子を見ていれば分かりますよ。それも柊仁君の魅力ですし、私は大好きです」
中々に恥ずかしい事をさらっと言った後に、楓は机にべたーんと持たれかかって、ぽつりぽつりと更に言葉を続けた。
「柊仁君が私を支えてくれるように、私も柊仁君を支えてあげたいんですよ。それなのに、私は一緒になって成績が低くて……」
そう言うと突然、ガバッと身体を起こして、俺と真っ直ぐ目を合わせてきた。
そして言った──
「普通、頭の悪い彼氏に勉強を教えてあげるのが、彼女の役目でしょう!」
「…………」
訪れる静寂。力強く見つ合う目と目。流れ始めた羞恥の空気。
この教室には楓と俺しかいない。両者が黙ってしまうと、教室は自然と静かになってしまう。
しかし、静かになることで更に羞恥心は高まっていくが、話そうにも羞恥心で言葉が出ない。
どうしようもないジレンマに陥った俺達は互いの行動を図りながら、どうするべきか考えていると──
「遅れてすまない。職員会議が長引いてしまった」
今日の補習担当の先生が入室してきて、羞恥を含んだ静寂はどこか虚空の彼方へと消えていった。
まさに救世主。ありがとう、名も知らぬ先生よ。今日の補修は一層真面目に受けちゃう♪
★☆★☆★☆★☆
「──はぁ……はぁ……殺す気かよ」
あの岸田とかいう先生が救世主? 笑わせるんじゃあない。
あれは悪魔だ。人の苦しむ姿を栄養に、未だこの世に生き続けている悪魔だ。
とにかく問題を解かさせられた上に、正解をそのまま伝えただけのような分かりづらい解説。
しかも、自分の解説は適当なのに、こちらに解説を求めるときは完璧にしないと気が済まないあの性質。
とにかく今日の補修の事は許すまじ。次会ったときは覚えていろよ。
──そんな小物感たっぷりなセリフを脳裏に反芻させながら、俺は教室を出た。
「いやぁ〜、疲れましたねぇ〜」
「本当に疲れた。途中から何を言っているのかさっぱりだったし」
「ふふ、あの時の柊仁君、とっても面白かったですよ。手が止まって、中空をポカーンと見上げていて、完全に思考停止していました」
因みにあの時は思考停止していた訳ではない。時計を眺めて、あの短針が何周したら世界が滅びるのだろうか、って真面目に考えていたのだし。
「それを言うなら楓だって、シャーペンで顳顬をトントン叩いていたら、案外強く入っちゃって痛がっていた所を見ていたからな」
「え〜、恥ずかしいです〜♪」
艶々な髪の毛をくしくしと弄りながら、全く恥ずかしいとは思っていなさそうな声でそう言った。
寧ろ嬉しそうなくらいだ。何か嬉しくなる要素あったか?
「何でちょっと嬉しそうなの?」
「だって、それを知っているっていう事は、柊仁君が私の事を見てくれていたって事じゃないですか♪」
「まあ、そうだけどさ」
岸田先生のきらりと輝く眩しい頭皮と、呪文の書かれている様な黒板と天使な楓。
どれを見るかなんて、言うまでもないだろう。
「えへへ。勘違いでも柊仁君の意識が私に向いていた、って思うと嬉しいです」
「そう? 割と普段から意識は向いていると思うけど」
「へっ?」
割りかし授業中とかに、楓の姿を目で追っている事が多い気がする。それは照示や南雲にも然りである。
多分、高校で初めて出来た『友達』という存在が、自分の中で特別に感じているからだと思うけれど。
「意識、向けてくれているんですか?」
「まぁ、そうだね。向けているよ」
「私のアプローチの仕方は良かったですか?」
「……? うん、多分良いんじゃないのかな」
アプローチがどう言う意味なのかよく分からないけれど、まあ楓に悪い所はないから多分良いのだと思った。
「良かった……。今まで男の人にこういう事をした事なかったので、手探りで……」
こういう事ってどういう事……? そう聞きたかったが、今にも飛び跳ねそうなくらい嬉しそうに微笑んでいる楓の邪魔をしたくなかった。
それにしても、やっぱり笑顔の可愛い子だと思う。太陽のような暖かさと、チョコレートの様な甘さを孕んだその微笑みは見る者全てを幸せな気分にしてくれる。
それ故に、多くの男子の心を奪う『怪盗天使』の異名がつけられているのだろうけど。
「可愛いんだよなぁ」
「へっ!?」
おっと、つい口に出てしまったが、まあいい。いつもは押されっぱなしなんだから、偶には俺からやり返すのも悪くないだろう。
「……そんなご冗談を」
「嘘じゃなくて本心だぞ」
「っく〜〜///」
不意打ちを食らって苦しそうにもがく楓。ハハハ、良いぞもっと苦しむんだ。いつもの仕返しじゃ。
まあ、そんなこんなで調子に乗っていると──
「……柊仁君もカッコいいですよ…………」
「ぐっ……」
──楓の決死の一撃で、盛大に反撃を食らったのであったが。




