カッコいい王子との遭遇
俺が楓家を出ても、重く降り頻る雨は止んでいなかった。神様の涙が傘を打ち、バチバチと激しい音を立てる。これ程泣くとはどれだけ嫌なことがあったのだろうか?悩みの一つや二つ、聞いてあげない事もないぞ。
「はあ……」
俺はいつから神を神として思うようになったのだろうか……。生まれた時から?物心ついた時から?神が干支を決める為に動物を競走させた絵本を読んだ時?
いいや、俺が確かにその存在を認識して、憎むようになったのはあの時だ──。
──お父さん……お母さん、どこに行ったの?僕を置いていかないでよ……。
あの時もこんな様な重たくて生暖かい涙の様な雨が降っていた。あの家で金だけが残された家で泣いていたあの日、あの瞬間。
「……っと、こんな風にしんみりするのは止めたんだ。前を向いて、ただひたすらに進むんだ、湊柊仁」
過去を振り返っても、返ってくることはない。その行為の果てにあるのは悲しみだけ。
そう思っているはずなのに、こうして思い返してしまうのは、あの家族の温かさに触れてしまったからだろう。俺の胸がこんなに痛んで、苦しいのも。
「今日の晩ご飯は何にする?」
「うーんと、はんばーぐ!」
「じゃあ、お肉を買って帰りましょう」
「はーい!おかしもかっていい?」
「今日は頑張ったから、一つだけ買ってあげる」
「やったー♪」
手を繋いで歩く母親と子が俺の隣を通る。いつもなら気にも留めないその小さな幸せの光景が、いつにも増して特別なものに感じた……。
★☆★☆★☆★☆
『そうか、俺はてっきりデートは延期だと思っていたが、家デートとはな。しかも、親がいる中で。天使様は想像以上に湊にご執心の様だ』
「とても楽しかったよ。とっても……」
『それなら良かったな。湊が楽しんでいたなら、天使様もきっと、いや間違いなく楽しんだんだろうな。好きな人が楽しいと、総じて自分まで楽しくなるものだからな』
「照示もなるの?」
『あー、俺はなぁ……楽しいんじゃないのか?』
「何故に疑問系」
照示の返答はフワッとしていて、楽しいとは感じていなさそうであった。
しかし、もしそうであるならば、何故照示は何十股も掛けて女子女性方を取っ替え引っ替えに遊んでいるのだろうか?
『ショウくーん、まだぁ〜♡』
「……!?!?」
『ああ。今行くから待っていてくれ。すまないな、もう我慢出来なくなってしまった様だ。話はまた今度ゆっくり聞く。じゃあな』
ポロロンという音が鳴ると共に通話が切れた。しかし、俺は暫くスマホ耳につけたまま固まっていた。
「なんだったの……今の声」
照示の方から聞こえてきた半分以上溶けてしまったチョコの様に甘くねっとりとした女性の声。仄かしてはいたが、まさか本当に照示は……!?
今の状態のままいくと魔法使いになる俺にとってその事実はあまりにも刺激が強すぎた。
そんな衝撃も束の間、この静かな空間の中では虚無に帰す。照示の声が響いていない部屋の様子に注意が向かうと、俺の心は冷たくなる。
「……ご飯でも買いに行くか」
俺は楓の家から帰ってきて脱ぎ捨てた上着を着直して、足早に外に出た。
最近は照示が相手にしてくれていたから感じる事のなかった孤独感。それが一気に襲ってきた今、俺はこの家に居たくなかった。
「蒸し暑ッ」
いつの間にか雨は止んでくれていた様だ。しかし、高温多湿となった外気は俺の身体を包み込み、簡易サウナへと姿を変える。
俺は涼しい場所を求めて明るい夜道を歩いた。道には誰も居なくて、世界に俺一人が取り残された様だ……とか思っている時に車に通ってほしくなかったなぁ……。
「あれ?湊君じゃないか」
「南雲君、こんばんは。奇遇だね」
「こんばんは。あの高校に通っている生徒は大抵この辺に住んでいるからな、偶然会うことも珍しくはないさ」
偶然会った南雲はいつも通りのイケメンだった。なんというか、南雲の外見はオフの気楽さの様なものは一切なく、学校にいる時の様な完璧さであった。
楓が可愛いの天使なら、南雲はカッコいいの王子だな。行動一つ一つに格好良さが滲み出ている。
「湊君はどこに行くつもりだったんだい?」
「あー、夕ご飯を求めて適当にどこかに行こうと思っていたけど」
「じゃあ、俺と一緒にカフェでも行かないか?」
「カフェ!いいね、行ってみたい」
カーストトップ男子とのカフェ。我が校には南雲をカフェに誘っても、叶わない女子がごまんといるだろう。貴重な経験を逃すわけにはいかない。
「ここで良いか?」
「おー、このカフェは!」
店の雰囲気も相まって映える写真が撮れまくるとの噂の有名カフェではないか!一度来てみたかったのだけれど、俺一人じゃ二の足踏んでいたからありがたい。
「是非行こう。すぐ行こう、今すぐ行こう」
「分かった、分かった。そんなにガッつかなくてもカフェは逃げないぞ」
初めて入った店内は木造りを重視した古風な様子でとても良い。それにコーヒーを看板商品として置いているが、特有の嫌な臭いがしないのもなお良し。
「いらっしゃいませ。二名様で宜しいでしょうか?」
「はい。お願いします」
「…………はッ。畏まりました」
うーん、南雲の微笑みにやられた店員がここに一名。やはり強すぎるな、この男。
「湊君はどうだ?中間対策の様子は」
「中間……真ん中……カーストトップ?」
「いや、どうしたらそうなるんだよ。中間考査だよ」
「ちゅう……かん、こうさ……だと……。そんな物があるのか?」
「銀堂先生がこの前言っていただろう……聞いていなかったのか?」
「記憶にない、な」
中間考査、思い出した。他のテスト同様、ちょこっと書いて寝るだけの暇な時間だと思っていたが、そう言えば歴としたテストだ。
昨日、一昨日の朝礼の中で言っていたのだとしたら、照示とデートについて話していたから聞いていなかった気がする……。
「その様子だと、かなりヤバいか」
いえ、かなりどころでは無く、致命的にヤバいです。正直、一ヶ月なしに中学一年から振り替え終えるのは不可能だった。
数学を中心に行っていたから、数学はなんとかなりそうだが……特に高校化学が、中学の化学すら碌に理解していない俺は出来ない。その他も十分致命的に出来ないのだけれど。
「俺が教えてあげようか?って言っても俺も滅茶苦茶頭が良いかと言われればそうではないんだが」
「折角の申し出だけど、ごめん。照示に教えてもらっているんだ。南雲君に教わったなんて耳に入って日には絶交されかねない」
「はは、確かにそうだな」
「……答えにくいのなら良いんだけど、なんで二人ってそんなに仲が悪いの?」
照示には答えるのを拒否されるけど、もう一人の当事者に聞いてみるのも手だと聞いてみたら──
「まあ、大したことじゃないよ。俺が彼の女性に対する不誠実さに怒っているだけさ」
「照示はアレだからねぇ」
「そうなんだよ。俺は前から改善する様に口煩く言っていて、いつの間にか一触即発の雰囲気になっただけさ」
「へぇ、そうなんだ……」
本当にそうなのだろうか?あの照示の態度は、女性関係について口出しされたが故の怒りではない様に思えるのは、俺だけだろうか?
もっと深い理由がある様な気がしてならないが、南雲が嘘をついている様にも見えない。
「他に思い当た──」
「お待たせいたしました。ご注文のコーヒーとメロンソーダ。特製ピザとナポリタンスパゲッティ、デニッシュパンのソフトクリームマシマシです」
質問をしようとしていた最中の配膳、なんて間が悪いんだ。
ただ、なんだこの、そんな事はどうだって良くなってしまうくらい美味しそうな料理達は……!