初めての料理に怪我はつきもの?
「カレーを作りましょう」
俺の料理出来ない宣言から数十秒後、楓は俺の目を見てそう言った。
「カレーなら難しい作業は殆どないので、大丈夫だと思います。食材もしっかりありますし」
「お任せします。と言うか出来れば見ていたいです……」
「ダメです。湊君には健康に生きて欲しいですから、自分でお料理出来るようになりましょう」
「はい、すみません」
そう言われてしまったらやるしかない。俺は男だ、駄々をこねない。
「必要な食材は私が出していきます。私が指示を出しますのでその通りにやってもらえれば、しっかりと作れると思います」
「お願いします、先生」
「お願いされました。──早速まずは、玉ねぎをくし切りにしましょう」
「先生!くし切りって何ですか?」
「言葉で説明するのは大変なので、私がなぞった所を切ってください」
楓はそう言うと玉ねぎを縦に真っ直ぐなぞった。舐めてもらっちゃあ困る。それ位なら俺にも簡単さ!
俺はそのまま切ろうとすると──
「ちょちょちょ、ちょっと待ってください。何ですかその包丁の持ち方、人でも刺す気ですか!?」
「え?」
俺は包丁の柄を握りしめて持っていた。確かにさっきの楓パパと同じ持ち方だ。
「包丁の持ち方はこうです」
そう言って彼女は細い指で俺の指の位置を変えていく。
「この持ち方で今までよく料理出来ていましたね」
「いや、料理した事そのものがないんだよ」
「え?小学校の授業とか、母親の手伝いとかした事ないんですか」
「うん。後者はともかく、小学校では『デストロイアー湊』って料理している所に近付く事さえ禁じられていたからなぁ」
あれは良い思い出だ。俺がハブられ出した最初の出来事がアレだった気がする。
まあ、厨二病を発症して間もなかったから迷走していて、鍋に蝉の抜け殻突っ込んでたりした俺がいけないんだけど。
「そんな事が……私は湊君を見捨てたりしませんから、安心してくださいね」
「別に気にしてないから大丈夫だけど、寧ろ見捨ててもらった方が良いかもしれない」
「見捨てませーん。続きやりますよ」
「あっ、はい」
俺は慣れないながらも楓がなぞった所を思い出して、切った。切れ味が悪いのかなかなか上手く刃が下りなかったから大分力を掛けたせいで、まな板と包丁がぶつかり合い、バゴンと音を立てた。
「包丁は押し付けるのではなく、前にスライドさせるんです」
そう言うと楓は、真っ二つになった玉ねぎの片割れをすいすいと四つに切ってみせた。なんて早業なんだ……お主、手慣れておるな?
「なるほど」
「湊君、もう一個を同じように切ってみてください」
「分かった、やってみる」
楓がやった様に切ってみると少しぎこちないながらも出来た。何だかこの感覚、クセになる。
「おっ、上手上手。しっかり出来て偉いですね〜」
うーん子供扱い。けど何だこの気持ち……心が浄化されていって、精神が若返る。ばっ、ばぶ……おっと危ない。
あまりの母性力に封印されし俺の赤ちゃん心が湧き出てしまった。
「で、あとは頭の所を少し切り落とすと手で小さく出来ます」
「本当だ、気持ちよく取れるもんだね」
「玉ねぎをもう一つ切って下さい」
「はーい」
一度やり方さえ分かればこっちのもんだ。こうサクサクと切っていって……あっ!
「落ち着いてでいいですよ、ってちょっと目を離した隙に何で指を切ってるんですか!」
「痛い……」
「とりあえず流水で傷口を洗い流しておいて下さい。──ああ、えっと絆創膏は……何処だっけなぁ」
パタパタと部屋中を走って絆創膏を探し求める楓。普段なら小動物みたいで可愛いとか思うが、今は痛くてそれどころじゃない。ほんの小さな傷に見えるのに大分深くまで切ってしまった様だ。
ああ、やっぱり俺と料理の相性はとことん悪いのかしら……。
「流水で流せたら、心臓よりも高い位置で圧迫です。ある程度収まったら絆創膏を貼りますよ」
そうして、タオルを渡された俺はソファに座らされた。隣には楓が腰を下ろした。
「もう、全く。料理中に油断してはダメですよ。今回はまだ良い方ですが、もっと酷い状態になっていたかもしれないんですからね」
「はい……すみません」
「油断と言ったら、私が目を離したのもいけないんですが……」
「いいえ、一さんの所為ではなく、俺が調子に乗った所為です……」
「まあ、良い教訓になったでしょう。今後は気をつけてやりましょう」
「あ、もう調理場に近付くな令が出るわけではないんですね」
てっきり危ないからもう近付くなと言われるもんだと思っていた。
しかし、そんな心中とは裏腹に楓はキョトンとした顔で──
「何を言っているんですか、血が止まったら料理を再開しますよ」
「え〜、痛いのやだぁ」
「今度は目を離しません。きっと大丈夫です」
「確証はないのか……」
まあ、俺の行動を全て制御するのなんて無理だ。だって俺は俺だもの。
俺の頭で考えている事は楓には分からない。突発的行動は防ぎっこない。という事で──
「あっ!」
「どうして何も切っていないのに!?」
「おっと」
「また切ったぁ〜」
「くしゅん」
「ッ!」
「あ、ごめんなさい……」
俺は指を切りまくった。最後のに関しては完全に楓の所為だが……。
「で、出来た〜」
「いえーい」
長きの戦いの末に、俺たちのカレーが完成した。名付けるならば『野菜たっぷりのカレー〜血も流れる努力を添えて〜』だろうか。
俺と楓はハイタッチを交わし合う。ここまでの道は長かった。その苦労がこのハイタッチに込められている。
「うーん、良い匂いがしてきたわね。出来上がったのかしら」
「今は腹が減って仕方がないから、カエちゃんに寄り付く悪い虫が作った物でも美味しく感じれそうだ」
「お母さん達……見てたのね」
「いいや、今来たところよ」
「ああ。悪い虫の不器用過ぎるところとか全く見ていないぞ」
めっちゃ最初の方から見てるじゃん。と言うか楓パパも料理出来ないように見えるのだが……。
「そう言う武雄さんも料理出来ないわよね〜。不器用さではどっこいどっこいだから、湊君の事を悪く言えないわよ。寧ろ学習力のある湊君の方が上かしら〜」
「ママは冗談でもそう言う事を言わないの」
「……?冗談じゃないわよ」
楓パパ、言われてやんの。ようこそこちら側へ、歓迎しますよ。
「さてさて、湊君と楓の愛の結晶を堪能しましょうか」
「お母さん!愛の結晶じゃなくて、努力の結晶!」
「どっちも変わらないわ〜」
「全然違う!」
一家族が会話をしているうちに盛り付けを済ませた皿を机に並べる。品はカレーとポテトサラダにキャベツのミルクスープだ。
楓先生監修の元、作った品々だから不味いことはないだろうけど果たしてどうだろうか。
「それじゃあ、料理も揃った事だし、──いただきま〜す」
「「「いただきます」」」
さて、まずはポテトサラダを一口…………美味しい!何だこれは。キャベツの甘みとベーコンの塩味と旨味、生クリームを入れた事で生み出されたコクが絶妙にマッチしている。
ポテトサラダも美味い!柔らかいじゃがいもの食感にシャキシャキとしたきゅうり。ハムとカニカマも美味しい。
最後に本命のカレーだ。それでは一口……、美味しい。お婆ちゃんが作ってくれるカレーとは一味違う。自分で作った故の達成感と喜びがカレーに混ざり合って、美味さを相乗させている。
「うむ。美味しい」
「そうね〜。とっても美味しいわ」
「湊君、美味しいですよ。お疲れ様でした」
楓は大きめのスプーンに小さなカレーライスを作って一口だけ、と食べてくれていた。その美味しいそうな表情たるや、痛い思いをした分すらプラスになる。
「楓、大丈夫?」
「うん。折角、湊君が作ったものだから食べないとね」
「そう、大好きな人のご飯が食べられて良かったわね」
楓はもう一口、とスプーンを伸ばしていた。体調だけは崩さないようにして欲しいものだ。
「付き合ってくれてありがとう、一さん。初めて自分で料理したものが食べられてよかった」
「喜んでくれたなら先生をした甲斐がありました。これからも沢山練習しましょうね」
「お手柔らかにお願いします」
「はーい……、ふふふ」
「ははは」
食事の後も俺は暫く一宅でゆっくりさせてもらって、一家族との会話を楽しんだ。
今日はこれまでで最高に楽しい休日だった。




