料理も出来ちゃう天使
「すうー、はああ」
バレーという地獄を切り抜けた俺は昼食を食べに校舎裏に来ていた。
俺の身体は殺人ボールに当たらないように気を張り詰めていた所為で強張ってしまっている。それを元に戻す為に深呼吸をした。
鼻先に抜けていくのは春の柔らかな空気とは違って、湿気を含んだ重ための空気。
例年よりも遅れていた梅雨も目前までやって来ていて、空気が少しどんよりとしている。
しかし、一人の天使はそんな空気の中に優しく甘い匂いが混ざり込ませて、俺の気分を晴れやかにしてくれる。──やはり、空気清浄機だったか。
「一さん」
「おっと。バレてしまいましたか。驚かせようと思っていたのに……」
「多分、今の一さんには無理だと思うよ」
金木犀の香水が特徴的すぎる。学生で金木犀の香水を付けているのは一さんぐらいしかいない。
だから近付いてくれば、匂いで大体分かる。
「えー、何でですか。湊君の驚いた顔を見てみたいです」
「さっき散々見せていたよ。俺の事を見て物凄く笑っていたよね?」
どこか上品に感じさせる一さんが俺達のバレーを見て、ケラケラとお腹を抱えて笑っていた。
あの楽しそうな表情たるや、もう……癒されるよね。他の人があのデスゲームを目の前に爆笑していたらブチギレていただろうけど、一さんは別だった。とにかく癒される。
「えへへ。とっても面白かったです。ボールが飛んで来るたびにギョッとした表情になって……ふふ」
「一さんはアレの勢いを知らないから笑っていられるんだ。あんなのに当たったら、また病院送りだよ」
「そうなった時はまた看病しますよ」
楓が看病をしてくれるのか……いいな、それ。次の授業でわざと当たりに行こうかな………また?
「また、ってどう言うこと?」
「あー。湊君、意識なかったですからね。湊君が入院中に、時間が空いた時だけですけど看病に行っていたんですよね」
「そうだったの?」
「行けなかった日が続いて、次の日の放課後に病院に行こうと思ったら学校にいるんですもん。驚きましたよ」
一刻も早く学校に行こうと焦ってたからなぁ、あの時。まさか白石さん以外に看病されていたとは思っていもいなかった。というか、言われていなかった。
「そうだ! 看病なんてどうでも良いんですよ。お弁当を作ってきたんでした」
いや、どうでも良くはないと思ったのだが、後半の言葉を聞いてどうでも良くなった。
一さんが後ろに組んでいた手を前に出すと、そこには円柱状の包みが握られていた。
「本当に作ってきてくれたんだ」
「はい! 頑張って作ったので食べてください」
「ありがとう。頂くよ」
包みを開くと飯盒の様な形の弁当箱が出てきた。割としっかりした重みがあって、中身が気になる今日この頃。
しかし、開ける前に一つの質問を飛ばした。
「珍しい形だね。普通、四角くて平べったい弁当箱だと思うけど」
「そうなんですよ。良い気づきですね、湊君。──今回ご紹介する商品はこちら、保温弁当です。なんとこちら、お汁の熱でご飯を冷めない様に出来るのです」
「な、なんだってー」
急な説明口調に俺は棒読みでそう返した。ウキウキでやっているのだから流れを遮っては悪いと思い、俺は続けさせた。
「残念ながらお 菜は保温出来ないのですが、それでも出先で食べる熱々ご飯は極上。更に保冷もする事が出来ます。一人一つは持っておくべきお弁当でございます」
「でもお高いのでしょう?」
「なんとお一つ二千円、一年使えば一日百円以下! どうですか?」
「買います! ──って俺まで何をやっているんだ……」
あまりにノリノリでやるからいつの間にか乗せられてしまっていた。
俺は別に値段の高い、安いなんて気にする必要ないんだけどなぁ。
「えへへ、一度やってみたかったんですよね」
「そう……何というか変わってるね」
「そうですか? 年頃の子はみんなやりたいと思うんですけど、テレビショッピングごっこ」
同級生の面々を思い浮かべてみるが、やりたそうな人は思い浮かばない。
年頃って、一さんは何歳を思い浮かべているんだ?
「少なくとも俺の周りには一さんしかいないなぁ」
「そうなんですか?もしかして、湊君……交友関係が狭いのですか?」
「う゛ッ……」
痛い。一さん、そこ痛い。俺の痛い所をそう易々と刺さないでくれ……死んでしまう。
「冗談ですよ。だって、罰ゲームをさせてきたお友達さんがいますからね」
「う゛ッッ……」
心に傷がザクッ、血液がドバッ。出血が多すぎて、患部が見えない! ガーゼ、もっとガーゼを!
楓の刃がどんどん鋭くなっていく。印象とは違って一さんは上品なお嬢様と言うより、からかい上手と言うか、人を弄りたい側の人間なんだろう。──まあ、それも可愛くて許しちゃうんですけどね!
「早く食べないと時間が終わっちゃう。こんな事していないで食べ始めないとね」
「ええ。いっぱい食べてください」
一番上の蓋を開けるとそこには色とりどりの野菜や卵のお菜達。
二段目には温かくてツヤツヤふっくらの米。
最後の段には人参や新じゃがを使ったシンプルな豚汁。妙に重かったのは汁物が入っていた影響らしい。
一眼見るだけでよく栄養を考えて作られていて、一さんの思いやりに感動する。これはもう、見た目だけで美味しい。
「いただきまーす…………美味しい」
こんなにダブルミーニングで温かいご飯を食べたのはいつぶりだろうか。
まず、豚汁は玉ねぎや新じゃがの甘味と味噌の塩味が絶妙にマッチしていて、そこにごぼうと蒟蒻の相反する食感が咀嚼する事に楽しみを与えてくれる。
可愛らしくタコの形に切られたウインナーや顔が描かれたご飯。子供の遠足の為に作る様な弁当を食べるのは初めての経験でとても胸が温かくなってくる。
「良かった。喜んでもらえて」
胸を撫で下ろした楓は心底安心した様子で、何だか食べているこっちまで嬉しくなってくる。
「本当に美味しいよ。こんなに一杯作るの大変だったでしょ。本当にありがとう」
「いえいえ、本当に美味しそうに食べてもらえて嬉しいです。湊君が良ければですけど、これからも作りたいな、と思っていまして……」
「──これからもお願いします。ただ、眠たかったり、体調悪かったら、作らなくても大丈夫だからね」
「ふふ。初回にして、湊君の胃袋をギュッと握ってしまいましたね」
えへへ、と笑う楓はとっても可愛らしくて、気付いた時にはその頭に手が伸びていた。自分でもよく分からないが、無性にそうしたくなった。
「……ッッ!」
手を頭に乗せて撫でると急に楓の身体がピクンと跳ねて、ゆっくりと俺に手に自分の手を重ねてきた。
「おっと。ごめん、嫌だった?」
俺の手に乗せてきたのは拒否の意だと思い、直ぐに退けようとすると、予想外の力で握り締められて頭の上に固定された。
「も、もっと撫でてください……」
「いいの?」
「はい。お願いします……///」
照れるのか、続けさせたいのかよく分からない反応をとった一さん。
照れる一さんを見ていると何だか俺まで恥ずかしくなってきて、手を離したくなるが楓の手がそれを許さない。
「あの時……事故の時も湊君はこうして頭を撫でてくれましたよね」
そう言えば、意識が途切れる直前もこうして撫でていたっけな。一ヶ月も前のことだが、昨日の事のように思い出せる。
「とてもとても悲しかった。ほんの少ししか関わっていないのに、私の凍りついた心を溶かしてくれた貴方を、私は傷つけてしまった。湊君が気を失って私の頭から手が落ちていく時、ああ、もう私はこの人の温かさに触れる事は出来ないんだ、と思いました」
楓は自分の中の思いを吐き出す様にゆっくりと言葉を紡いでいく。
「けど、またこうして湊君に撫でてもらえて私はとっても幸せです」
ポロポロと涙を零し始めた一さん。
あの時は意識が朦朧としていて何となくした行動であったから、一さんにそこまで影響を与えていたなんて思わなかった。
そう言えば、あの時の光景を毎日夢に見ているとこの前、言っていた。
それほどまでにあの時から俺を求めてくれていたと考えると、無性に愛おしさが溢れてくる。
「この先も授業があるんだから、泣いちゃダメだよ」
「だってッ……」
とりあえず、一さんの目周りにハンカチを当てておいた。冷やせるものなんて持っていないからほんの急拵えだ。
折角の機会だから存分に味わってもらおうと、ゆっくりと優しく楓の頭を撫でていく。それに伴って楓の涙の量が増えていくが、もうどれだけ泣いても変わらないだろう。この後、保健室に連れて行けば良いだけだ。
優しく、優しく。楓の言う俺の温かさを存分に込めて撫で続けた。
──やがて、予鈴が鳴った頃、楓はすうすうと寝息を立てて寝てしまっていた。
「いくら何でも、男の前でそれは無防備すぎるぞ」
俺の胸骨の辺りにおでこをつけて眠る一さんに優しくデコピンしてみると、顔を綻ばせて気持ちよさそうにしている。多分、弁当を作るのに早起きした疲れが涙を流した事によって出てしまったのだろう。
俺は一旦、楓を膝に寝かせて、楓が作ってくれた弁当を食べ切り、俺は照示に『授業、遅れる』とだけメッセージを送った。直ぐに既読になったから読んでくれたのだろう。
空になった弁当箱を携えて、一さんを落とさない様にしっかりと背負って保健室に向かった。
とは言え、一部分にしか脂肪が付いていない一さんはとても軽いから落としようがないんだけれど。
幸いなのか、そうでないのか分からないが、授業が始まったから廊下には誰もいなく、元厨二病が天使を背負いながら保健室に向かうという状況を誰にも見られていない──
──はずだった。




