◆◆⑧◆◆
「まあ陰陽道ってぇのは、そのルーツを辿れば修験道、密教、道教に繋がるからな。
大元の修験道を出汁にして味付けしたのが陰陽道とも言えるな。」
小角は、鰯の干物を噛りながら冷えた冷酒を口に運んだ。
「かあっ!うめぇ!」
「でもぉ、と言うことはですよ?陰陽道は修験道の進化版って事でぇ、修験道よりも陰陽道のほうが優れているって事になりますかぁ?」
少し下がった席でチビチビと冷酒を舐めていた原口の肩先がピクッと動いた。
目はみやびを睨み付けている。
小角はそれをヒラヒラと手を振って抑えた。
「まあ、優れているとかじゃぁねえだろうな。
陰陽道には修験道なり道教なりがベースとしてあって、その土台の上に陰陽道が乗っている。
だから修験道を否定すれば陰陽は開かず、式神の使役も出来ない。
九字を切っても、葬式の経文程の効果もない。」
「なるほどぉ▪▪▪」
「ところでみやび?」
「はい。」
「四獣なんて重てぇもん何処で仕込んだんだ?」
「仕込んだ?」
「ああ、使役するにも従わせる盟約を結ぶか、跪かせるかしないと出来ないはずだ?」
みやびがポカンと意味がわからないといった顔をしていた。
「いや、聞き方が悪かったか?
あのな▪▪▪」
「あのぉ、四獣はゲームで使っていたので、何となく出きるかなぁって▪▪▪」
「?」
「ええとぉ、これです。」
みやびが小角に見せたのは、スマホのゲームアプリだった。
「これ?ゲームだよな?」
「はい、ですから、このゲームのSNS機能を使って、今回の事件の被害者さんのスマホに四獣を監視に行かせたりしてたので使えることは分かっていたのですが、実体化するかは『ダメ元』でやってみました。」
小角は混乱した。
「まてまて?話を整理するぞ?
つまり、ゲームで手に入れた四獣を陰陽で動かしてSNSを辿って監視をして?そのなかで使えたからあの場面でやってみたら出来たと?」
「はい▪▪▪」
小角は息を呑んだ。
なんという才能、無鉄砲さ▪▪▪
本当に使い方を間違えると周囲を巻き込む大災厄を招きかねない。
「くっ▪▪▪くっくっくっ▪▪▪おもしれぇ▪▪▪」
小角はこみ上げる笑いを抑えきれなかった。
「ちょ、ちょっと良いですか?」
原口が控え目に小角に聞いた。
「おう、ぐっさん、遠慮しねぇでくれ。今日はぐっさんの昇進祝いも兼ねてるんだ。」
「有り難うございます▪▪▪」
原口はみやびに向き直って聞いた。
「みやび、あの時私と本部長に『勘です』と言った背景には、その四獣を操って監視網を敷いていたことが根拠になっているのか?」
みやびの肩がピクッと動いた。
「すみません課長、だってあの時ゲームの四獣なんて話をしたら課長信じましたか?
ふざけるなって怒ったでしょ?」
原口はこめかみに怒気が上がるのを必死に堪えた。
人界では部下だが、鬼界の序列では、牛頭に昇進しようとも、圧倒的に後鬼のほうが上位者である。
「まあ、一本やりなよ。」
そう言って小角が差し出した煙草を、原口は怒りで小刻みに震える手で受け取った。
「ほれ、みやび、火だ。」
小角は、そう言ってみやびにライターを投げ渡した。
みやびはおずおずと原口の煙草に火を着けた。
「遅くなりました。」
そう言ってやってきたのは辻谷だった。
小野を伴っていた。
「行者さんよ、ほれ、京都土産だ。」
そう言って小野はみやびに包みを渡した。
「あっ!生八ッ橋だ!これ好きなんですよぉ!」
みやびが包みを開けるのを横目に、小角は小野に向き直った。
「元さん、鞍馬山付きになったって?凄いじゃないか?」
「なあに、面倒事が増えるだけだよ。」
小野はそう言いながら胸ポケットからくしゃくしゃに潰れ曲がったハイライトの箱を出した。
小角が灰皿を勧めた。
小野はぺこっと頭を下げてマッチを擦った。
「それにしてもとんでもねぇ姉ちゃんだったな。」
小野は手酌で冷酒を注ぎながら、立て続けに三杯口に運んだ。
そして、辻谷に目をやり、小振りのグラスを勧めた。
辻谷は、促されるままグラスを受け取り、注がれた冷酒を口に含んだ。
「さて、集まって貰ったのは他でもない。」
小角は、姿勢を改めることもなく片膝立ちのまま話し始めた。
「後鬼の後任を正式に通達する。」
「え?正式じゃ無かったんですかぁ?」
不満げに声をあげるみやびを無視して小角は続けた。
「まあ、今回の件で見て貰った通りだ。」
「以上でよろしいですね?」
そう言って辻谷が立ち上がりかけた。
「まあ待て、本題はこれからだ。」
小角の言葉に皆は訝しんだ。
「そろそろ来るだろう。」
小角がそう言ったそばから、明るく月光に照らされていた庭から、無明の闇が湧いてでた。
一瞬緊張が走った。
「待たせたな!お?皆揃ってるな?酒はまだ有るんだろうな?」
そう言って闇の中から赤ら顔の男が現れた。
真ん丸の目と大きな団子っ鼻、その目元に人懐っこい笑みを浮かべた小男だった。
ザザっと畳が擦れる音がした。
みやびが見回すと、原口、小野、辻谷までも手を突き頭を低くしている。
「ああ、有るぜ。まあ座んなよ。後ろのオネェちゃんも座りな。」
小角が促すと、小男とその女は座敷に上がり空いていた座布団に腰を下ろした。
「みやび、一応挨拶しておけ。」
「ええとぉ?どなた様▪▪▪」
みやびが言い終わらぬうちにその女はみやびに飛び掛かり仰向けに押し倒して喉元に小刀を当てた。
「これこれ、金熊よ、お控えなさい。」
「しかし酒天童子様に無礼な振る舞い、許せませぬ。」
「酒天童子?」
そう言ってみやびは起き上がった。
その左手は金熊の小刀を持った右手首を掴み、身体を捻り入れ替えて金熊を床に押し付け、その背に膝を当てて金熊の動きを封じていた。
「ほう?これは見事じゃの。金熊を手玉に取るとはな?」
「は!放せ!」
「あ、ごめんなさい、でも先に手出ししたのは貴女ですからね?」
そう言って無造作に手を放したように見えたが、しっかり距離を計っていた。
「ホッホッホッホ。行者殿、これはなかなかでございますな。」
酒天童子と呼ばれた小男は、座るなり手酌で飲み始め、数本の徳利を空けきり、一升瓶を既に2本空にしていた。
「すまねぇな。だが金熊も流石だな。一度はマウント取ったからな。」
「ホッホッホッホ、まあ、あの通りじゃ。良いように使ってくれ。」
「ああ、だが牛鬼はなんとかならんかったのか?幼なじみだったろう?」
「そうじゃのう。だから一度は助けたが▪▪▪
今となっては我とて力が及ぶかどうか▪▪▪」
「ふん。まあ、こっちに来ないならどうでも良いが、どうやら寝るのにも飽きたようだからな。」
「まあ、我もやれるだけやってみるがの。」
「▪▪▪」
「さて、馳走になった、これ金熊。」
「はい、酒天童子様。」
みやびに掴まれた手首を擦りながら金熊は居ずまいを正した。
「何事も行者殿の言われるようにな。」
「はい。」
チラリと小角を横目に見て金熊は低頭した。
「みやび、そう言うわけだ。金熊をよろしくな。」
「えっ?私がですか?」
「俺は独り身だ。何かと不都合が有るかもしれん。」
そう言った小角に、金熊は言い放った。
「そのような細い腕の男に組敷かれる訳が無かろう!」
「この!小娘がっ!」
激高したのは原口だった。
「ダメッ!課長っ!」
みやびが止めるのも間に合わず、金熊に飛び掛かった原口は、見事に投げ飛ばされて中庭の池に放り込まれた。
「カッハッハッハ!オネェちゃん強いな!」
そう言って小野が懐から出した団扇を一扇ぎした。
身を低くして風を避けた金熊は、小野の右腕を取り、そのまま原口の沈んだ池に小野も放り込んだ。
「もう、課長も元さん課長もだらしないですよ?」
そう言いながらもみやびは、自分の足が濡れるのも構わずに二人を池から引き上げた。
「自己紹介は済んだようだな。」
小角の言葉に、辻谷が立ち上がった。
「いえ、まだ私が済んでいません。」
辻谷は、優雅な手つきで上着を脱ぎ、袖のカフスを外した。
「フゥゥゥゥッッッ▪▪▪」
大きく息を吸い込み静かに吐いた。
「何でも良いけど、家を壊すなよぉ?」
ダッ!
言ったそばから畳が割ける程のダッシュを見せたのは金熊だった。
『先手必勝!』とばかりに肩から辻谷、前鬼の腹に突っ込んだ。
『ドッゴォォォォンッッ▪▪▪』
まるで戦車の主砲が放たれたような衝撃音が辻谷の腹で響いた。
金熊を受け止めた足が、畳を焦がした。
「そんなものか?」
金熊の突撃をがっしりと受け止めた辻谷は、そのまま持ち上げて、たった今原口と小野が助け出されて水面が波打つ池に投げ込まれた。
「くはっ!」
「酒天のオジキはどんな教育をしてんだ?」
「おいおい、修、そのくらいにしておけ。
金熊ちゃん?このオジサン怒らせると怖いからね。
さて、そう言うわけで皆よろしくね。」
小角の言葉に、誰も頷かなかった。
◇◇◇
「結局犯人を特定できない警察に批判が集まってるって?」
「そうなんですよぉ。でもぉ、鬼退治しましたなんて言えませんしねぇ?」
ズズッとお茶を啜り、八ツ橋を頬張りながらみやびはテーブルに肘を突いてテレビを眺めていた。
「まあ、仕方ねぇな。修が上手いことやるだろう。」
小角も茶を啜りながら八ツ橋に手を伸ばした。
「あ?八ツ橋が無ぇぞ?」
「はい、金熊ちゃんと美味しく頂きました。」
「なにっ!」
「なかなか美味であったぞ。もう少し食べたい。天狗に言って持ってこさせるが良い。」
「なっ?」
金熊は、大振りの湯呑みに注がれた茶をゴクゴクと喉をならしながら飲んだ。
「ねえ、金熊ちゃん?さすがに行者様に命令口調は良くないんじゃない?」
「気にするな。我はあくまでも酒天童子様に仕える者だ。まあ、今は『レンタル』中なだけで、そのひょろひょろには何の義理もない。」
「お前ら二人?いつの間に親しくなったんだ?」
「えぇ?別に親しくないですよ?」
「はぁ?」
「そうじゃな、親しいわけではない。
まあ、後鬼だと言うからな、我から一本取った腕を認めただけじゃ。」
涼しい顔して二人は茶を啜った。
「あ、行者様?金熊ちゃんの面倒見ろって言ってましたよね?」
「ああ、うん。」
もうこいつらとなるべく一緒に居たくない。
と思ったのだが▪▪▪
「なので、私がここに引っ越してきて金熊ちゃんの面倒見ますね。」
「▪▪▪え?」
「ですからぁ、官舎のワンルームじゃぁ狭すぎますから。
ここなら部屋も余ってますし、本部長もそうしなさいって言ってくれましたので。」
「そう言うことだ。
よしなにな。」
「▪▪▪」
晩夏の庭に、日暮しの鳴き声が響き渡る。
小角はよろよろと庭に出て半ば折れ曲がったピースを出した。
ライターが無い。
落ち葉を拾い印を結び火を着けた。
夕焼けの空に細々と煙草の煙が立ち上った。
◇◇◇
「座主様はお会いになりません。」
「酒天が来たと伝えてくれたか?」
「勿論でございます。」
「そうか。ならばずっと隠れたままで居てくれと伝えてくれ。」
「畏まりました。」
慇懃に頭を下げた怪異は、そのまま姿を滲ませて消えた。
「牛鬼よ、何を望む▪▪▪」
酒天童子は踵を返して歩き始めた。
付き従う屈強な影は、相手の非礼に髪を逆立てていた。
◆◆◆
第1章 終わり