第二話 暖かな海と冷たい太陽 その2
というわけで、のんびりと三〇分程度入浴して戻ってきたわけなのだが。
「……やよい。なんだこのご馳走は」
「私もわかんない。手伝ってたらいつの間にか錬金されてた……」
およそ高校生が三〇分で作りましたというには無理があるほどの料理たちが食卓に並べられていた。品目はサラダとハンバーグとロールキャベツ。やよいの言う通り、錬金という言葉でないと物理的にあり得ないクオリティのものが奏汰の視界には映っていた。
「あか……渚ってここまで料理得意だったのか?」
「ええ。『私は』得意よ。一人暮らしだから、自然と身についたって感じだけど」
「え? 一人暮らしなのか?」
渚が一人暮らしということは聞いたことがなかった。奏汰の通う高校には寮などはないため、必然的に賃貸に一人暮らしということになる。高校生のうちから一人暮らしをしている人はあまり聞いたことがなかった奏汰は、思わず訊き返してしまった。
「見たところ、あなたたちも二人暮らしなんでしょう? 事情があって親と暮らしていない人なんて世の中たくさんいるわ」
たしかに、奏汰とやよいが二人で暮らすには大きすぎる二階建ての一軒家に住んでいるのも事情があるからだ。
なるほど、と奏汰が納得してると、早く座れと茜が目で訴えてくるので豪華な食事の前に腰かける。続くようにやよいと茜も座る。
普段では決して食卓に並ばない豪奢な料理を前にしたやよいは、ウキウキした顔で手を合わせる。
「ではではっ! いただきま~すっ!」
やよいの声に合わせて奏汰と茜も手を合わせ、食事を始める。
早速、奏汰はハンバーグに手をつける。レストランで提供されたものかと錯覚するほどの旨味が舌を貫いた。熱い肉汁が洪水のように溢れていた。
「うめぇぇぇええええええ‼」
「お兄ちゃん‼ ロールキャベツもすっごい美味しいよ!」
「本当か!? ……うっめぇぇぇええええええ‼」
キャベツの甘味から遅れて主張してくる肉が完璧にマッチしていた。しかもハンバーグとは少し肉に混ぜている材料を変えているようで、キャベツに合うような配合になっていた。サラダも肉が中心のおかずだからか、かなり軽く食べられるように工夫されていた。
やよいと奏汰による絶賛の嵐が吹き荒れ、静かにサラダを食べていた茜は少し照れ臭そうに二人を見る。
「ここまで喜んでもらえるとは思ってなかったから少し驚いているわ」
「そりゃあ、このレベルの料理をサラッと出されたらこうなるだろ」
「だから言ってるでしょう。一人暮らしなの」
これが茜にとっての当たり前の味で、一人で静かに食べるのが当たり前に生活を普段から過ごしていたのだろう。
ほんの少しの戸惑いと照れくささを奏汰は茜の心の色から感じ取っていた。
ゆらゆらと赤い色が揺れ、蝋燭の火のように灯っていた。まるで、心が赤面しているかのように奏汰には見えた。
幸せそうにモグモグとロールキャベツを食べるやよいは、目を輝かせながら、
「あの! あとでこれの作り方、詳しく教えてもらってもいいですか?」
「ええ。素人のレシピでいいのなら教えてあげるわ」
「やったぁ! ありがとうございます!」
嬉しそうに座りながらもペコリとやよいは頭を下げた。それを見て、茜は穏やかな顔で言う。
「いい妹さんね」
「ああ。こいつがいなかったら今頃俺は飢え死にだよ」
実際、子どもだけで暮らしていくというのはかなり難易度が高い。父親からの生活費は送られてくるので、金銭面での問題がないとしても家事の全てを子どもだけで行うということは、口でいうほど簡単じゃない。
一人暮らしをしているからその苦労が分かるのか、茜は心から感心しているようだった。
「やよいは料理をするのが好きなの?」
「はい! 大好きです!」
いつの間にか茜がやよいのことを呼び捨てにしていることに奏汰は少し驚いたが、おそらくはやよいが茜に呼び捨てでいいと言ったのだろうと検討をつけてスルーした。
「私、いろいろな味を感じるのが好きなんです」
やよいの言葉遣いにわずかに違和感を覚えたようで、少しだけ茜は眉間にしわをよせた。
そんな反応をされることまで想定していたのか、やよいはそのまま続ける。
「渚さんはお兄ちゃんの共感覚については、知ってますか?」
「心に色を感じる、だったかしら?」
「はい。実は、私も昔は持っていたんです。共感覚を」
昔は、という言葉で茜は全てを察したようだった。渚の中にいたときも、奏汰との会話を聞いていたのだろう。母の死をきっかけにして奏汰が共感覚を失い、そしてやよいも共感覚を失ったのだ。
だが、やよいは奏汰ほど鋭敏な共感覚を持っていたわけではないため、奏汰ほど閉鎖的にならなかったことが唯一の救いだろう。
「じゃあ、あなたも色が見えるの?」
「いいえ。私は色じゃなくてこっちなんです」
そう言って、やよいはペロッと舌を出して指差した。
これが、先ほど言ったやよいの言葉の意味だった。
「私は、人の心を味で感じるんです。といっても、触った人の味しか分からないし、そもそも今はもう何も感じないですけどね」
奏汰と同様に、やよいも生まれたときから触れた人の心に味を感じるのだ。兄である奏汰の共感覚があったからか、やよいの共感覚について両親はすぐに理解し、大切な個性だと笑顔で言ってくれたのを覚えている。
「昔から、たくさんの味を感じるのが好きだったんです。だから、料理もたくさんの味を知れるから大好きなんです」
「なら、私もちゃんと教えてあげないとね」
茜が優しく笑うと、やよいは不思議そうな顔をした。
「渚さんって、共感覚を変だって思わないんですか?」
共感覚というものは、言ってしまえば究極に主観的な感覚で、本人にしか理解することの出来ない感性だ。同じ共感覚を持つ奏汰であっても、やよいの味を感じるという感覚は理解が出来ない。
一般的には、共感覚を変だと感じる人も少なくはないだろうし、やよいも理解されない前提で話をしているので、想像以上に茜が共感覚を受け入れたことに動揺したのだった。もっとも、茜もこの兄妹とは毛色が違うとはいえ異常に身を置く人間であるからだろうけれど。
「最初は驚いたけれど、先に奏汰の話も聞いていたから。さっきも言ったけれど、人にはいろいろ事情や個性があるものよ」
「なんだか、渚さんってお母さんみたいですね」
「なっ……!? お母さん……?」
「なんだか、すごく暖かくなるんです。渚さんと話してると」
幸せそうな表情で、やよいは続ける。
「お母さんは私たちの共感覚を一度も変だって言わなかったんです。自分の見れない世界を見れて羨ましいって。だから、私たちは共感覚と付き合ってこられたんです」
一色家は、きっと一般的な家庭よりも温かな家庭だった。食卓では笑顔が絶えず、両親の仲も地域では少し評判になるほどだった。
奏汰たちがこの一軒家に二人暮らしをしているのも、それが理由だった。
「父さんも母さんのことが大好きでさ、この家も二人が一緒に間取りとかを考えて建てた家らしいんだ。だから母さんが死んだ後も手放せなかったみたいで、単身赴任をしながら必死に働いてくれてるんだ。だから二人暮らしなんだよ」
「……そう」
そんな一色家の話を聞いた茜は、やよいの言ってくれた温かさとは正反対の冷たさすら感じるほどの遠い目で小さく呟く。
「私とは真逆ね」
茜の表情から言葉に出来ない寂しさを感じ取ったやよいは、リスのようにおかずとご飯を頬の中にため込みながら、
「渚さんは太陽ですよ! ぽかぽかの!」
「ありがとう。素直に喜んでおくわ」
つい数秒前の冷たさなどなかったかのように茜は優しく笑った。
「ほら、話すのもいいけれど、早く食べないと冷めるわよ」
「それは大変! お兄ちゃん、急いで!」
茜の作った豪華な料理をやよいはかき込んでいく。
奏汰もやよいにすべてを食べられないように必死に胃袋に詰め込んでいき、一〇分もしないうちに食卓の上はまっさらとなった。
さっそく後片付けを始めたやよいへ、茜は思い出したように問いかける。
「そういえば、乾燥機とかはあるかしら? まだワンピースが乾いていないから、できれば使わせてもらいたいのだけれど」
「すいません。乾燥機、先月に壊れちゃってまだ直ってないんです」
「そう。まあ、少しは乾いただろうから家に帰る程度なら大丈夫かしら」
「あ、そうだ! 渚さん、よかったら泊まっていきませんか?」
「それはさすがに迷惑でしょう? そこまで気を使わなくても……」
「大丈夫ですよ! 部屋ならたくさん余ってますから!」
やよいの言うように、二階建ての一軒家は子ども二人が暮らすには広すぎる。茜が一人泊まったところで何の問題もないのだが、問題はそこではない。
「お、おいやよい。一応俺も年頃の男の子なんだし、同い年の女の子が家に泊まるってのはちょっと……」
「大丈夫! 同じ部屋でドキドキお泊りイベントフラグなら私がすべて全力で排除してみせるからっ!」
「お前なぁ……」
どんな思考を経てあんな無邪気な笑顔で親指を立てているのか理解はできないが、やよいがここまで言う以上、あとの判断は全て茜に託された。
わずかな逡巡ののちに、茜は頷いた。
「そうね。ならお言葉に甘えようかしら」
茜が寝る部屋は、やよいの部屋だ。空いている部屋は両親の寝室なのだが、客人に今は使っていない親の部屋を使わせるわけにもいかないため、やよいが動くことになった。
そして、イベントフラグ絶対折るガールとなったやよいの力なのか、奏汰は自分の部屋でいつも以上に静かにベッドで横になっていた。いつもだったらすぐに眠れるのだが、今は高校でも有名な超美人が一応は一つ屋根の下で眠っていると思うと、年頃の高校生一色奏汰は簡単には寝付けないのだった。
どうにかして夢の中へ行こうとしていた奏汰だったが、目をつむっている間に巡る思考がさらに彼を夢の世界から引き離していた。
藤沢渚と藤沢茜。奇しくも今日はそのどちらともたくさん話す機会があったわけだが、話している奏汰としては、見た目は同じだとしてもまったく別の人間と話しているようだった。
心の色も、渚は海のような青で茜は太陽のような赤。まったく別の二色の心。それら二つの美しさを思い出すだけでも奏汰は心が満たされるような気がした。どうして渚と茜の心の色だけが見ることができるのかは未だに分からないが、きっと彼女が二重人格であるということが原因の一つなのだろう。
それに、共感覚を失ってから今まで人を避けて過ごしてきた奏汰がここまで知り合ってすぐの人と話したのは初めてであるし、それ以上にこれまで感じたことのない感情を奏汰は覚えていた。
心の色に感動しているだけなのか、それとも――
「入るわよ」
ガチャリという音とともに、真っ暗な部屋に光が差し込んできた。
ノックもせずに部屋へと入ってきたのは茜だった。突然の光に視界が追い付いていないために心の色が見えないが、やよいではないことは確かだし、今の言葉遣いから察するにおそらく茜だろう。
部屋の中へと躊躇いなく入った茜は、ドアを閉めて再び世界を闇に染めた。
「もう寝てるかしら」
「あんまり寝付けな――」
「寝てるわよね」
「はい寝てます」
半強制的に寝ていることになった奏汰は、恐怖を感じて口を閉じた。
何も見えない暗闇に沈黙が流れる。しかし、わずかに聞こえる息遣いは本物だ。たしかに藤沢茜はすぐ隣にいる。
すると、ポンという音とともに奏汰のベッドの形がわずかに歪んだ。見えないのでよく分からないが、どうやら茜がベッドに腰かけたらしい。
表情もなにも分からない中、茜が小さく息を吐く音が聞こえた。
「渚の意識も眠ってることだし、少し独り言でも言って感傷に浸ろうかしら」
そうして、茜は口を開いた。
「私が……『藤沢茜』が生まれた原因は、虐待だった」
それは彼女が夕食の際に口にした通り、本当に真逆だった。
「他に比べれば、藤沢渚は随分と裕福な家庭に生まれた。両親も二人とも優秀な人間で、娘も優秀に育てるために幼いころから様々な習い事をさせられて育った」
「……、」
「でも、渚は努力が簡単に結果に結びつく人間ではなかった。どれだけ走っても運動は苦手で、どれだけ机とにらみ合っても座学の成績は伸びなかった。きっと、あの親たちはそんな出来の悪い子どもが自分の娘だと認めたくなかったんでしょうね」
淡々とした口調だった。まるで、自分ではない誰かの話をするかのように。
「いつの間にか、渚は失敗するたびに暴力を振るわれるようになった。そんな日々が、一〇歳を超える頃には当たり前になっていた。努力をし、報われず、殴られる。何度も、何度も」
藤沢家は外から見たら優秀な家系だ。どれだけ暴力を振るったとしても、それで出来た痣は全て服の下に隠れるように痛めつけられた。
普通なら、そこで逃げだすか、それとも諦めるか。
「虐待されていたとはいえ、学校の中では相対的には成績は悪くなかった。だから、渚は他の誰かを蔑み、心の痛みに逃げ道を作ることだって出来た。でも、渚はあんな親の元で育つにはあまりにも優しすぎた」
茜の声は震えていた。恐怖か、憤怒か、奏汰には知る由もないが。
「渚は殴られるたびにこう言って謝ったの。『ごめんなさい。もっと強くて凄い子になるから。パパとママが笑ってくれるような、そんな子になるから』って。でも、都合よくそんな子になることは出来なかった」
「……、」
「一二歳になったある日、ついに限界を迎えた渚は家出をした。日も暮れた夜空の下、それでも優しい心を失わなかったあの子は星を見上げながらこう言った。『お願いです。私を強くしてください。誰も嫌な思いをしないように、誰よりも強い子に』。もちろん、その願いは叶わない。都合よく人が一瞬で変われるはずがない。でも、その代わりに彼女の中に変化が起きた」
少しだけ間を空けて、茜は言った。
「渚は変わらず、代わりにもう一人の強い心が生まれたの。そして渚は、そうして生まれたもう一つの心に名前を付けた。……茜、ってね」
これが、藤沢渚が異常になった瞬間だった。
茜が生まれたことによって、渚は他人が気づくことの出来ない強さを手にした。虐待されていたはずの渚が今は一人暮らしということは、きっと茜が何かしらの決着をつけたのだろう。
そうして茜が渚の代わりに表に出て戦った結果が『氷の生徒会長』というわけだ。
きっと、茜は他と冷たく接していたわけではないのだろう。渚の願いを知っているからこそ、茜は強くあり続けなければならなかったのだ。もう一度、渚を茜の生まれる前に戻すことのないように。
今の奏汰には茜が氷だとは思えなかった。渚が優しさに満ちた暖かな海だというのなら、茜は厳しくも逞しい冷たい太陽だ。
なんとなく、渚が図書館で『空に浮かぶ海』に自分を重ねていたことの意味をようやく奏汰は理解した。
「奏汰、起きてる?」
返事をしていいのかどうか分からない奏汰はとりあえず返事をしないで黙っていたが、すぐに圧力の感じる声が奏汰を貫く。
「独り言を話し終わったから起きなさい」
「はい、なんでしょう」
すぐに奏汰は体を起こした。
少し動けば肌が触れてしまうほどの距離で茜は座っていた。真っ暗とはいえ、もうすでに目が慣れていた奏汰は近い距離がゆえに茜の細部までをはっきりと視界に映していた。それによって、闇の中から色鮮やかな赤が薄らとした青を背景に浮かび上がった。
海と太陽が同時に存在していた。本来交わることのなかったはずの二つの色が、歪な形で完成していた。
「じろじろ見ないでくれる?」
「ご、ごめん。色が、見えたから」
「こんな暗い中でも見えるの?」
「ある程度表情とかが見えれば、色は見えるんだ」
奏汰の共感覚が色を感じるためには、一定の条件がある。
無意識に色が見えると言っても、無条件に全ての人の心の色が視界に入るわけではない。奏汰の共感覚は鋭敏とはいえど、失う前も私生活に支障が出るようなものではなかった。実際、共感覚が私生活まで脅かすというケースはゼロではないとはしても決して多くない。奏汰も例にもれず、この感覚に苦しんだことは一度もなかった。
それは共感覚が、一つの感覚ともう一つの感覚を結びつけるものだからだろう。
「俺の共感覚は多分、その人の表情とか仕草とか、そういった視覚の情報を無意識に統合して心の色として浮かび上がらせてると思うんだ。だから、最低でも横顔までの表情が見えていないと色は見えないんだ」
つまり、奏汰が意識的にその人の表情を見てから、無意識に色が浮かび上がると言うことだ。それゆえに、人混みの中にいても視界に映る人々の心の色が次々に見えるわけではない。
奏汰が渚と茜の心の色を見たのは本当に偶然だったのだ。
「ふぅん。じゃあ、こんな暗闇の中でも色が見えるぐらい私の顔を見つめていたってことね」
「うっ……」
「冗談よ」
それが冗談じゃないと心を一目見るだけで分かってしまう奏汰はいたずらに笑って顔を覗き込んでくる茜に何も言えなかった。
この話題を掘り下げられると都合が悪いと思った奏汰は、半ば強引に話を変える。
「なあ、どうしてわざわざ俺の部屋に来たんだ?」
「妹さんがいる場所じゃあ、『藤沢茜』として話せないでしょう?」
奏汰は最初に玄関で茜が渚として自己紹介をしたのを思い出した。
しかし、奏汰が訊きたいのはそれではなかった。
「じゃあ、どうして俺に話してくれるんだ」
「渚の中であなたの話を聞いていて、いろいろ思ったのよ」
「表に出ていなくても、話は聞こえるのか?」
二重人格についての知識がない奏汰は自分の中で話を聞くという感覚が理解できずに思わず問いかけてしまった。
「渚と変わったときは少し特殊な感覚なのよね。例えるなら……深い海に沈んでいるって感じかしら」
「沈んでいるのに声は届いているのか?」
「だから例えが難しいって言ってるでしょう。中にいる意識にも深浅があって、浅いときは声とかも聞こえるし、逆に意識が深くで眠っているときは何も聞こえない。ちなみに、渚は図書館で疲れたのか今もぐっすり深くで眠っているわ」
自分の胸元を茜は優しく撫でた。
「そしてあなたの話を聞いて、少しくらいならば信用してもいいかなって思った」
「少しだけですかい……」
「さすがに出会って一週間程度の男を心から信頼するほど優しい人間じゃあないわ。でもまあ、そこらのやつらよりは信用してあげているのは本当よ」
「なるほど。さすがは『氷の生徒会長』様だ」
むしろ、誰とも仲良くしない茜がこんな短い期間で信用してくれたことが幸運なのか。
茜はベッドに座りながら足をブラブラと揺らしていた。
「私だってなりたくてこうなったわけじゃないわ。私の目的は渚を守ること。あの子は一人で生きていくには優しすぎる。友達を作ったとしても、秘密を打ち明けたら渚はきっといいように利用されてまた傷つくのがオチよ。だから、独りになるしかなかった」
「……、」
「でも、二重人格のまま、私に依存させたまま渚を大人にさせるわけにはいかない。私がいなくても生きていけるように成長しなくちゃいけない」
「それって、茜が消えるってことか」
茜は首を振った。
「私だって簡単に消えたくはないわ。でも、渚が私という内部に依存する状態は良くない。せめて、外から渚を助けてくれるような存在を得ることが必要だった」
「それって……」
奏汰が言葉を紡ごうとすると、茜はそれを遮るようにグッと顔を近づけてきた。
茜の息が顔にかかり、奏汰は思わず顔を下げる。
そんなチェリー感満載の動作を見て、茜は妖しく笑う。
「あなた、渚のこと好きでしょ」
「は、はぁ!? なんだよ急に」
「とにかく答えなさい」
そんなことを急に言われても、奏汰は結論が出せなかった。渚に近づいたのは、その心の色がきっかけだった。だが、実際に渚が好きかと言われてしまうと返答に困る。
それでも、渚や茜の心の色に、いや。彼女たち自身に興味を持っていることは間違いない。
「まあ、気になってるってのは否定しないけど……」
「素直じゃないのね。まあ、今はそれでもいいわ」
おもむろに立ち上がった茜は、凛々しいポニーテールを闇の中でなびかせながら不敵な笑みを浮かべて奏汰を見下ろす。
「一色奏汰。私に協力しなさい」
「きょ、協力……?」
「そう。これから私と一緒に行動して、約二ヶ月後に行われる文化祭の運営の手伝いをしなさい。渚と一緒にね」
突拍子もない提案に、奏汰は困惑の表情を浮かべた。
今は六月に入ったばかりだ。そして文化祭があるのは、夏休みに入る直前の七月下旬。定期試験の直前にあるイベントで、器用でない者は文化祭の準備に没頭しすぎて赤点を取ることが多々あるらしい。もっとも、行事などにまったく関与しない生活をしていた奏汰のテストの点に変化はなかったが。
だが、茜の手伝いということは生徒会長の仕事を手伝うということだ。行事に参加するどころか、運営にすら関わることになる。
「ど、どうして俺が文化祭の手伝いを……? それに、渚と一緒って……?」
「今日はもう遅いわ。詳しいことはまた明日話す。でも、そうね。一言で言い表すのなら……」
少し悩んだ茜は自分の髪を結んでいる髪留めを外し、長い髪を下ろした。
心の色以外で茜と渚を見分ける大きな要素である髪型。ポニーテールが茜。おろしているのが渚。だが、茜はそんな象徴の髪留めを外しながらも、茜の口調のままこういった。
はっきりと、力強く。
「『藤沢茜卒業計画』ってところかしら」