フェイカー・ホリック
「今日も新しいクイズを用意してきたぞ」
みのりが弁当を食べ終わるのを見計らい、阿藤睦実が切り出してきた。
「ふーん」
みのりは水筒のお茶を一杯飲むと、
「で、今度はどんなのなわけ?」
慣れた様子で応える。
「ふふふ……お前には、俺が出題した文章が、〝文豪の書いた小説の冒頭部分〟かどうかを見分けてもらう」
阿藤は不敵に笑い、コピー用紙の束を取り出した。
「文豪、ねえ……。ひと口に文豪っていうけど、文豪の範囲はどこからどこまでなのよ」
「ひと口に言うなら、〝青空文庫にある小説の冒頭部分〟が、このクイズにおける〝文豪の書いた小説の冒頭部分〟だ。よって、死後七十年以上経っていない三島由紀夫や川端康成、志賀直哉といったような作家達の小説は出題されない」
「なるほどね」
「ちなみに、ダミーの文章は全部、俺の書いた文章だ」
「へえ。面白いじゃないの」
みのりはにやりと笑う。
「じゃあ、文章を読んで、あんたの書いた文章かどうかを見分ければいいってことでしょ?」
「ま、そういうことだな」
阿藤はうなずき、
「――さて、説明も終わったし、それじゃ早速第一問目いってみるか」
コピー用紙を一枚めくると、最初の文章を提示した。
文壇の、或る老大家が亡くなって、その告別式の終り頃から、雨が降り始めた。早春の雨である。
「これが一問目の文章だ」
「なるほどね……」
みのりはまじまじとコピー用紙に印刷された文字を見つめた。
「一見シンプルですぐ書けそうな文章だけど、よく読めば読むほど、奥行きというか、情緒をじんわりと感じられて、文豪の文章にも思えるわね」
「ほう」
阿藤は何か感心したような声を漏らすが、その調子からは本気なのかどうかは窺い知れない。
みのりはしばらく考えた後、
「ま、一問目だし、最初は文豪の文章を出してくるでしょ。それに、あんたが私を騙そうとして書いた文章なら、もっと何か仕掛けてきそうだし。ってことで、この文章を書いたのは文豪ね」
「いいのか? まだ今なら解答を変えられるぞ」
「変えない」
阿藤の揺さぶりに彼女は動じない。
阿藤は少し間を置くと、
「正解!」
みのりにパチパチと拍手をした。
「いやー、当てられたな。この文章は太宰治の『グッド・バイ』の冒頭部分だ」
「へえ、タイトルは聞いたことあるわね」
正解したみのりは満足げな表情で言う。
「グッド・バイは太宰の死の直前に書かれていて、未完のまま絶筆している作品だ。――それじゃ、この調子で二問目も行ってみるか」
阿藤はコピー用紙に書かれた二問目の文章を指し示した。
誰か慌ただしく門前を馳けて行く足音がした時、代助の頭の中には、大きな俎下駄が空から、ぶら下っていた。けれども、その俎下駄は、足音の遠退くに従って、すうと頭から抜け出して消えてしまった。そうして眼が覚めた。
「これは上手いわね」
とみのり。
「『そうして眼が覚めた。』っていう一文が来て初めて、目が覚めかけてる状態で下駄の足音を聞いてたっていうのがわかる構成になってるでしょ? この構成が、小説の読者にも、そこで目が覚めたみたいな印象を与えてるわけよ。
それに、下駄が空からぶら下がってるとか、頭から抜け出して消えるとかって、ほどよく独創性がある表現だけど、なんとなくみんなわかる感覚じゃない」
「ああ、たしかに」
阿藤は今度は本心からうなずく。
「っていうかこれ、たぶん夏目漱石でしょ。どの小説なのかはちょっと忘れちゃったけど、とりあえず、あんたの書いた文章でないことはたしかね」
みのりは阿藤の目を見据える。
阿藤は数秒の間の後、
「正解だ」
パチパチと拍手をする。
「この文章は夏目漱石の『それから』の冒頭部分だ」
「やっぱりね。俎下駄なんて言葉、他で見たことないし」
みのりはほくほく顔である。
「いい調子だな。それじゃ、次はこの文章だ」
阿藤は三問目を指し示した。
要白といふ言葉が御座います。字引には載つて居らぬのですが、私の様な絵描きにして見れば、これは肝要な言葉なので有ります。
「この冒頭に見覚えは?」
「ないわね。知らない小説なのか、あるいは、あんたの書いた文章なのか……」
みのりは顎に手を当てる。
「とりあえず、旧仮名遣いなのがあからさまに怪しいわね。文豪の書いた文章のほうって、青空文庫にあるやつをそのままコピペしてるの?」
「ああ」
「そう。青空文庫って、一つの作品でも、旧仮名遣いと新仮名遣いの両方読めたりするから、文豪の文章をあんたの書いた文章に見せかけたかったら、新仮名遣いのほうを選ぶはずなのよね。一問目と二問目みたいに」
「なるほど。だが、旧仮名遣いのテクストしか青空文庫にない作品も結構あるぞ」
「うーん……」
みのりはこめかみに人差し指を当てる。
「旧仮名遣いといえば、もう一つ気になる点があるのよね」
「おっ、なんだ?」
みのりはシャープペンシルを取り出し、コピー用紙の空いたスペースに文字を書きながら、
「御座いますは〝御座居ます〟って漢字で書くことがあるでしょ? だったら、〝居る〟はワ行の動詞だし、〝御座居ます〟も〝御座います〟じゃなくて、〝御座ゐます〟って書くのが旧仮名遣いだと正しいんじゃないの?」
「ほぉ……いいところに目をつけるな」
阿藤は机に肘を乗せ、みのりのほうへ上体を少し倒す。
「お前の言うことはもっともなんだが、実は〝御座居ます〟の漢字表記は当て字なんだ。あれは元々〝ござります〟から変化した言葉だ。だから〝御座います〟が正しい表記なんだよ」
「ふーん……」
頬杖をつくみのり。
しばらくの沈黙の後、
「他に何か気づいたことはあるか?」
阿藤が問うた。
みのりは頬杖をやめて頭をゆっくり上げると、
「旧仮名遣いってことは、これが文豪の小説の書き出しだったら、その作品は結構古いってことよね?」
「まあ、そりゃそうだな」
「でも、私は要白って言葉が、そんなに古い言葉だとは思えないのよ」
「ほお」
阿藤はにやりと笑みを浮かべる。
「要白って言葉は、現代でも使われてるのよ。漫研の原尾が使ってるのを聞いたことあるしね。でも私の記憶だと、この言葉、たしか今でも辞書に載ってないのよね。これがもし昔から使われてる言葉だったら、辞書に載ってるはずでしょ」
「なるほど」
「それにこの文章、旧仮名遣いのせいで一見わかりにくくなってるけど、要白っていう言葉さえ知ってたら、文豪じゃなくても書ける内容なのよね。ってことで、この文章はあんたの書いたダミーよ」
みのりは真っ直ぐに阿藤の目を見据える。
阿藤は少し間を置くと、
「お見事。正解だ」
パチパチと拍手をする。
「いやー、見破られちまったか」
「ま、三問目だし、そろそろダミーが来そうでもあったしね」
みのりは「ふふん」と得意そうな笑みを浮かべる。
「一応補足しておくと、〝要白〟っていうのは〝意味のある余白〟のことで、『風神雷神図屏風』で有名な俵屋宗達が、要白の巧みな使い手としてよく例に挙げられる。俺の書いた通り、本当に辞書には載ってない言葉だが、絵画やデザイン・写真の世界ではよく用いられている言葉らしい。おそらくお前の読み通り、要白は比較的新しい言葉だろう」
説明を終えた阿藤は視線をコピー用紙に戻し、
「――さて、それじゃ次の第四問目にいってみるか」
次の文章を指し示す。




