戦いの果てに
「先ほどの正解で原尾・石須チームは6◯1×となり7◯にリーチ、瀬戸は5◯2×でこれ以上誤答ができず、追い詰められた状況です」
「あと1問……あと1問で勝てる!」
原尾が拳を硬く握る。
解答者たちの緊張感はギャラリーにも伝播し、教室全体を包み込んでいく。
「――さて、準備はよろしいですか? それでは、これで勝負が決まるかもしれない、次の問題へ参りましょう」
解答者3人が身構え、教室はしんと静まり返る。
「問題。『オーストリア出身のフィギュアスケート選手の名前に由来する、国際スケート連盟
《ポーン》
みのりのランプが点灯する。
数秒間の痛いほどの沈黙の後、
「サルコウ」
彼女は解答するが、
《ブー》
不正解を告げる電子音が鳴り響く。
「『オーストリア出身のフィギュアスケート選手の名前に由来する、国際スケート連盟が認定する6種類のジャンプの中で2番目に難易度が高いとされて、フリップとの見分けが困難なジャンプは何?』
A.ルッツ」
「ルッツか……」
みのりは悔しそうな表情でつぶやく。
「な、なんか難しそうな問題だったね。6種類もジャンプがあるってことは、6択ってこと?」
「いや、6種類のジャンプの中で、呼び名が人名に由来するのはルッツ・サルコウ・アクセルの3つだけだ」
阿藤が原尾に応じる。
「参考までに、他の2つが答えの問題を読み上げておくと、
『スウェーデン出身のフィギュアスケート選手の名前に由来する、国際スケート連盟が認定する6種類のジャンプの中で2番目に難易度が低いとされて、日本では踏み切り時に脚がハの字の形になる飛び方が主流のジャンプは何?』
A.サルコウ
『ノルウェー出身のスピードスケート兼フィギュアスケート選手が名前の由来となった、国際スケート連盟が認定する6種類のジャンプの中で唯一、身体が前向きの状態で踏み切るジャンプは何?』
A.アクセル
こんな具合だ。残りのトウループ、ループ、フリップは人名を由来としていない。まあ、ループはヨーロッパじゃ、ドイツのフィギュアスケート選手のヴェルナー・リットベルガーから取って、〝リットベルガー〟って呼ばれることが多いみたいだがな」
「わかってるはずなのに、時間内に思い出せなかった……。得意分野の問題を落としたのはかなり痛いわ」
みのりはしょんぼりと肩を落としている。
「でも、あれぐらい早めに押さなきゃ押し負けてたんでしょ?」
と原尾。阿藤がうなずき、
「サルコウ・ルッツ・アクセルのうち、ルッツだけは、名前の由来が北欧出身のフィギュアスケーターじゃない。いつもなら、瀬戸はさっきの石須より早く押していたはずの問題だった。だが、すでに2回誤答して後がないからな。かなり慎重になってる」
「今ので私も2回目の誤答だから、後がないけどね」
みのりは苦々しい表情で腕を組む。
「競技クイズって、答えがわかってからボタンを押したんじゃ遅いのよね」
「そうだな」
阿藤は相槌を打った後、みのりと原尾を順々に見やる。
「石須も原尾ももう理解していると思うが、競技クイズのプレイヤーというものは、競技クイズの問題文の構造をとことんまで熟知している。たとえ新作問題であっても、どこでボタンを押すのが最適かをすぐに把握できる。〝このあたりで押せばわかりそうだ〟というポイントを狙ってボタンを押せば、実際に高い確率で正解できるんだ」
彼の言葉に反応し、ここで瀬戸も口を開いた。
「〝答えがわかる前に、答えがわかるかどうかがわかる感覚〟とでもいえばいいだろうか。クイズプレイヤーは、答えが完全な形で脳内に浮かぶ前に、自分がその問題を答えられるか否かが判断できる。ボタンを押した時点では解答が頭に浮かんでいなくても、押してからの制限時間数秒以内で、解答を形にすることが可能だ。
もちろん、ボタンを押したはいいが、問題文が想定と違う展開をしていたということも、早押しクイズではザラにある。そうなっても、強いクイズプレイヤーは思考の方向を一瞬で修正し、答えを導き出せる。……作問者が解答者を陥れようとしている場合は難しいが」
瀬戸が阿藤のほうを見やる。
「ま、判断力と瞬発力を競ってるわけだから、スポーツと感覚はそう変わらないってことだな」
阿藤は瀬戸の視線には全く動じず、話を結んだ。
「――さて、先ほどの問題で石須・瀬戸の両名が2×となりました。ですが、原尾・石須チームが7◯にリーチであることには変わりありません」
司会者の口調に戻った阿藤は、石須と原尾へ交互に視線を向ける。
俺はまだ2回誤答できるし、俺が誤答しても瀬戸に解答権は回らない。何がなんでも押さなきゃ……と、勢い込む原尾。
「それでは、次の問題に参りましょう」
教室の空気が一気に張り詰める。
「問題。『小学校で習う常用漢字のうち、部首が「にすい」なのは「冷」と、あと一つは何?』
《ポーン》
原尾のランプが点灯する。
「次!」
《ブー》
不正解を告げる電子音が鳴り響く。
「えっ! なんで?」
豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしている原尾に、
「〝次〟の部首は〝あくび〟よ」
みのりが指摘する。
「そうなの? じゃあ答えは何? 〝凍〟は小学校で習わなそうだし……」
原尾が首をひねっていると、
「……冬か」
瀬戸が静かに言った。
阿藤はうなずき、
「そう、正解は〝冬〟だ。冬の下の部分にある2つの点は〝にすい〟の変化したものなんだ。旧字体だと2つ目の点が右肩上がりになってて、〝にすい〟の形により近い」
「危ないわね……原尾が押さなかったら、同点で並ばれてたわよ」
息をつくみのり。
「そ、そうか……結果としては、ボタンを押しといて良かったみたいだね」
原尾が汗を拭う仕草をする。
「今の問題で、石須・瀬戸が2×、原尾が1×となりました。◯の数は変わらずです」
阿藤は解答者全員を見回し、少し間を取る。
まだだ……まだ俺は1回誤答できる……自分に言い聞かせる原尾。
「――それでは、次の問題に参りましょう」
3人が身構える。
「問題。『「花のいのちはみじかくて苦しきことのみ多かりき」という詩を色紙などに好んで書いていたという、『めし』『浮雲』
《ポーン》
原尾のランプが点灯する。
「二葉亭四迷!」
《ブー》
不正解を告げる電子音が鳴り響く。
「『「花のいのちはみじかくて苦しきことのみ多かりき」という詩を色紙などに好んで書いていたという、『めし』『浮雲』『放浪記』などの代表作で知られる小説家は誰?』
A.林芙美子」
「う、嘘でしょ……?」
呆然とする原尾。
「二葉亭四迷の代表作も『浮雲』だからな。かなり誤答しやすい問題ではある。ちなみに、これと同じようなパターンに、『狂人日記』が代表作の作家が、ゴーゴリと魯迅の二人いるってのがあるな」
と阿藤。
「こ、これで全員2×……」
絶望感のにじむ声で原尾がつぶやく。
「でも、まだ私たちは6◯で瀬戸くんは5◯よ」
みのりが気丈に言う。他の人間が気落ちしていると、かえって自分が冷静になれるらしい。
「今の問題で全員が2×となりました。瀬戸が誤答すると原尾・石須チームの勝利、原尾・石須のどちらかが誤答すると、1人脱落となり、2対1から1対1の勝負となります」
司会者の口調で阿藤が言い、解答者たちを見回す。緊張感はいや増し、教室の中の誰も一言も喋らない。
「――それでは、次の問題に参りましょう」
身構える石須、原尾、瀬戸。
「問題。『跡形もなく消え失せてしまうこと
《ポーン》
瀬戸のランプが点灯する。
「雲散霧消」
《ピポピポピポーン》
正解を告げる電子音が鳴り響く。
「『跡形もなく消え失せてしまうことを、2つの気象用語を使った四字熟語で何という?』
A.雲散霧消
瀬戸の正解。6ポイント目獲得です」
「は、早すぎる……」
原尾はそれだけつぶやき、固まっている。ざわつくギャラリー。
「こりゃ、さすがに説明が必要だな。今のは〝特定を読む〟っていう、かなり上級のテクニックだ」
阿藤が原尾とギャラリーの両方に向かって語り始めた。
「クイズの問題の答えは、基本的に唯一でなければならない。類義語も答えになっちゃ駄目ってことだな。よく引き合いに出される問題にこんなのがある。
『追いつ追われつの試合のことを、公園にある遊具にたとえて何という?』
A.シーソーゲーム
『追いつ追われつの試合』ってだけだと、シーソーゲーム以外の類義語――例えば〝クロスゲーム〟等の回答でも正解になってしまう。だが、『遊具にたとえて』という限定があることで、シーソーゲーム以外の回答は全て不正解になっている。〝特定を読む〟っていうのは、こんな風に1つに絞りやすそうな答えを予測して答えることだ」
「クロスゲームよりシーソーゲームが答えの問題のほうが作りやすそうだから、シーソーゲームって答える、ってこと?」
「そういうことだな。――本当に細かいことを言うと、さっき瀬戸が答えた問題は雲散霧消でも、雲消霧散でも、雲消雨散でも正解で、答えが1つに限定されてはいないんだがな。ま、そこは大目に見てくれ」
阿藤は「ははは」と笑った後、
「――さて、これで原尾・石須チームも瀬戸も6◯となりました」
司会者の表情と口調に戻る。
「次の問題で誰が正解しても、その瞬間勝負が決まります。それでは参りましょう。準備はよろしいですね」
ボタンに手を置く解答者たちはぴくりとも動かず、すでに集中している。教室内の緊張は最高潮に達する。
「問題。『1977年に初めて日本
《ポーン》
みのりのランプが点灯する。
「奥寺康彦」
力強く答えるみのり。
たっぷりとした長い間の後、
《ブー》
不正解を告げる電子音が鳴り響く。
「『1977年に初めて日本にペットボトルが登場しましたが、当時このペットボトルに入れて売られていたものは何?』
A.醤油
3問誤答により、石須は失格となります」
「そっちだったか……。でもまあ、後悔はないわよ」
ベストは尽くせたらしく、どこか晴れやかな表情のみのり。
「なるほど。奥寺康彦は、1977年に日本人として初めてドイツ・ブンデスリーガでプレーをしたサッカー選手だ。読みは決して悪くなかった」
眼鏡のヨロイに手をかけ、瀬戸が言う。
「石須の解答権がなくなったことにより、次の問題からは瀬戸と原尾の一騎打ちとなりました。2人の内どちらが正解しても誤答しても、その瞬間勝負は決まります」
「う、嘘でしょ……?」
目をパチクリさせる原尾。奥寺康彦が不正解だと告げられた際のみのりより、原尾は動揺していた。
「――さて、それでは最後に相応しい問題を出題いたしましょう」
阿藤は問題文の書かれた紙にゆっくり目を落とした。
原尾と瀬戸は身構え、時が止まったような沈黙が教室内に訪れる。
「問題。『第一高等学校在籍時は二塁手として
《ポーン》
瀬戸のランプが点灯する。
原尾にはなす術のない早さだった。
「中馬庚」
迷いなく答える瀬戸。
長く重々しい間の後、
《ピポピポピポーン》
正解を告げる電子音が鳴り響く。
「『第一高等学校在籍時は二塁手として活躍し、ベースボールを「野球」と訳した人物は誰?』
A.中馬庚(ちゅうまかのえ、または、ちゅうまんかなえ)
これは2011年放送の『第31回高校生クイズ』の決勝で、開成高校の伊沢拓司がウイニングアンサーを決めた問題です。正岡子規と誤答されやすく、ネットスラングの〝正岡民〟〝中馬民〟が生まれるきっかけになったことでも知られています」
「うわー! 〝正岡民〟〝中馬民〟って言葉は知ってたのにー!」
頭を抱える原尾。
「綺麗にウイニングアンサーを決められたわね」
みのりが原尾の背中をぽんぽんと叩く。
「――さて、今回の7○3×早押しクイズ変則タッグマッチは、クイズ研究部の瀬戸の勝利となりました。原尾・石須の2人と戦ってみて、いかがでしたか?」
勝負を終えた優勝者に、司会者は感想を尋ねた。
「俺は最初から最後まで一切手を抜かなかった。だがこれだけ接戦になったということは、2人にはクイズの素質があるということだろう。お前(阿藤)の俺に対する罠を差し引いてもな」
瀬戸は眼鏡のブリッジを指で押し上げる。
「――クイズのイメージ向上のためだ。いい機会だから、もう1つこの場で言っておきたいことがある」
ギャラリーも含めた教室の全員に向かって、瀬戸は続けて言った。
「クイズは存在価値のないものだと論難されることも多い。ほとんどの人間は、クイズを様々な分野の知識を浅く広く知っていれば勝てるものだと誤解しているからだ。だが、様々な分野の知識を浅く広く知っているだけでは、100%競技クイズでは勝てない。そこにはスポーツ的な駆け引きや美学、作問者や解答者の個性がある。これにも価値を認めないと主張するのは、将棋やサッカーに価値がないと主張するのと同じようなものだ。――俺からは以上だ」
「ありがとうございました。石須は今回、瀬戸と戦ってみていかがでしたか?」
「最初は原尾と2人で瀬戸くんと戦うなんて心許なかったけど、終わってみれば、私たちが正解した6問のうち、4つは原尾の正解だったわね。フィギュアスケートの問題を落としたのは特に要反省だけど、九九の問題が答えられたことだけはよしとするわ」
みのりの心からは、この場に参加させられたことへの後悔はすっかり消えていた。
「ありがとうございました。原尾は今回、瀬戸と戦ってみていかがでしたか?」
「早押しクイズの面白さがわかったよ。答えられるとすごく気持ちがいいんだね。答えを知ってる問題が来ると、〝俺の領域が来た!〟って感じでテンションが上がるよ」
「そう言ってもらえると、今回の企画を準備した意味もあります」
原尾のコメントが終わったので、阿藤は簡単な挨拶をもってこの場を締めくくった。3人の解答者と司会者に拍手が送られる。
やがて後片付けが始まり、
「アニメか漫画の問題だけのクイズ大会があったら、多分誰にも負けないんだけどなー」
原尾がぽろりと阿藤にこぼした。
「アニメ・漫画の内容や周辺知識を問う問題もクイズには結構出るからな。それだけ集めて、また今度やってみるか? それに、〝落とし〟と呼ばれる問題文の後半部分だけをアニメに絡めた問題なんかも前に遊びで作ったことがある。たとえば、
『英語で「孵卵器」という意味がある、公的機関・民間企業などの既存事業者がベンチャー企業に対し事業が軌道に乗るまで援助を行う制度や、魔法少女まどか☆マギカに登場する契約によって魔法少女を生み出す存在を指す言葉は何?』
A.インキュベーター
『チック・コリアのバンド「リターン・トゥ・フォーエヴァー」でベーシストとして活動していたスタンリー・クラークが、1976年に発表した4作目のスタジオ・アルバムと、伊藤誠が主人公のアニメ・ゲームに共通するタイトルは何?』
A.School Days
こんな具合だな」
「クイズの問題って、ほんとにいろんなことができるんだね」
原尾は目を輝かせている。
「原尾、早くもクイズにはまりつつあるわね……」
やれやれ、といったような笑みを浮かべるみのり。
「結構なことだ」
今まで無表情だった瀬戸も、ほんの少しだけ表情をほころばせた。
――こうして、石須・原尾の人生初の、7◯3×早押しクイズ対決は幕を閉じた。




