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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

4番線の彼女

作者: 藤海昇


 私が父親の故郷であるこの街に一時的に移り住むことになったのは、合格した大学が自宅から遠く離れており、なおかつ父親の故郷に近かったからだ。父親の実家に住むのなら、下手に1人暮らしをするより安上がりだし、祖父母が未だに暮らしていたから、そう家事が得意でない私にもメリットが大きかった。そうしたことから最低でも学部の間は、父親の実家で祖父母と同居することになったのだ。

 父親の実家には例年正月と盆に一家揃って車で遊びに行っていた。その為、一から生活基盤を築く必要がなかったということもあって、私は割とすんなりこの生活に順応していった。生活に不便さを感じることもなかったし、祖父母との関係性も基本良好だった。1ヶ月もすると大学にも慣れてきて、まるで何年もこの生活を続けているような錯覚さえ覚えた。


 父親の実家から通っている大学までは、通学に電車で2駅ほどかかる。私はいつも最寄りの駅から電車に乗り、大学まで通っていた。

 自転車通学という手段もあったのだが、この周辺は高低差が激しく坂が多い為、自転車で走るには不向きな地形だった。自家用車で通学は流石に通学ルール的にも免許的にもできなかったし、バスは2回も乗り継ぎが必要だったし、歩くには些か遠すぎた。

 実家の最寄り駅は3面5線の駅だった。私はいつもそのうち3番線に来る電車に乗って通学していた。講義の時間帯によって通学時間にバラツキはあったが、大概8時過ぎの電車に乗ることが多かった。乗る場所も決まって10両編成の3号車2ドア目。そこが1番大学最寄り駅の出口に近いということを覚えたからだった。







 そんな生活に慣れ始めた頃、いつものように実家最寄り駅3番線ホームに立って電車を待っていた私は、ふと前を向いた時にあることに気づいた。私の立っている3番線の向かい側、すなわち4番線に、私の方をジッと見つめて微笑む制服姿の少女がいたのだ。

 今時珍しくなった古めかしいセーラー服。黒髪を長く垂らし、前髪は長めだったが、目が隠れるほどではなかった。革の鞄を両手で体の前に持ち、自然な微笑みでこちらを見つめていた。線路を2本挟んでいるので詳しくは分からないが、背丈は特筆すべきほど高くも低くもないように思えた。


 最初は微笑みかけているのは私ではないだろうと思っていたので、そのままスルーしようとしてふと気づいた。この駅の4番線は、普段列車が発着するホームではないのだ。この駅には直通を除いて主に2つの路線が通っているのだが、そのうちの1つ目の路線が1、2番線を、2つ目の普段私が通学に利用している路線が3、5番線を使用している。

 4番線発着の列車は存在しないし、通過列車がそこの線路を通っているところさえも見たことがない。長らく使われていないであろう証拠に、4番線の線路には青々と草が生い茂って、線路を覆い隠していた。


 列車が来ない4番線に向かって立っているというのは、流石に奇妙なように思えた。周囲の人の様子や線路の状態を見れば、4番線が使われていないことくらい分かりそうなものだ。平日朝方で制服姿だから、普通に考えれば通学途中だろうし、もう新学期が始まってから1ヶ月以上も経つのに未だに未使用の番線に立つようなことがあるとも思い難い。

 とはいえ、その時は然程特に気に留めることもなく、来た電車に乗っていつものように大学へ向かった。電車の中から何気なく見ていたが、電車が発車して姿が見えなくなるまで、彼女はこちらを向いて微笑んでいた。


 しかしそれ以降、その時間帯に私が3番線に立って列車を待っていると、決まって彼女がこちらを見つめてくるようになった。私の後ろや前に並ぶ人間が日によって入れ替わっても、変わらずこちらに微笑みかけてくるので、どうやら私に対してその微笑みが向けられているのはほぼ確実と言ってよかった。

 しかしながら、彼女と私は面識はないはずだ。別に私は父親の実家に昔から遊びに行っていたが、そこに住んでいたことは今までなかったし、この地域に昔馴染みの友人などがいたなどのような、どこぞのラノベやゲームの設定のような記憶もない。

 というかそういう話なら、向かいのホームから見つめてくるだけというよく分からないことをする意味がないだろう。正直困惑だった。


 彼女は主観的には美人な方だと思ったので、決して見られる、ましてや微笑まれること自体に不快感を感じることはなかった。寧ろ女性にそこまで縁のない状態が続いていた私にとっては、中々にない女性から純粋に好意的な視線を向けられる瞬間でもあったから、悪い気はしなかった。

 だがそうは言っても、その相手が見知らぬ誰かであるという事実が、私の心に幾らかの不安と疑問をもたらしていた。加えて私の方が先に電車に乗って行ってしまうので、使用されていない4番線に立っている彼女が、その後どこへ向かっているのかが分からないのも、それに拍車をかけていた。


 そんな日が何週間か続いた。彼女に対して感じる奇妙さは増していった。周囲の他の学校の学生が夏服に切り替わっていく中、彼女は衣替えすることなく、ずっと最初に見かけた時のセーラーのままだった。例年より早い梅雨に入り雨の日が多くなっても、彼女の手に傘が握られていることは一度もなかった。

 気になるのなら、あえて電車を遅らせて4番線に回り、彼女に直接声をかけてしまえば良いのではと思ったこともある。だがどうにもそういう勇気が湧いてくることはなかった。それは、私に対して微笑みかけているのではなかった場合に私が被るだろう恥だとか、世情的にもし彼女に強く拒絶されたり怖がられたりしたら、私自身の社会的な地位が脅かされるのではないかなどという懸念などもあった。


 だが1番の理由は、彼女に対して感じる拭いきれない違和感から発される直感的な警告が、彼女に対して直接接触しようとする自分の意思を抑え込んでいたからだろう。つまりそれは、「身に覚えのない好意」に対する恐怖だったのだ。

 それでも、特に実害を被っている訳でもないし、前述の通りその行為自体に悪感情を感じなかったから、結局対応保留という名の放置に徹していた。


 そうしたことがありながらも、順調に大学生活を送っていたある日、父親が出張で近場までやってきて、そのついでに私の様子を見がてら自分の実家に顔を出して、一緒に夕飯を食べることになった。家は日本に典型的だった母親主体の家庭だったから、父親との交流がこれまで多かったとは言い難い。父親と不仲という訳では決してないが、父と呼ぶべきか親父と呼ぶべきかお父さんと呼ぶべきか、はたまた何と呼ぶべきか、一瞬迷う程度には関係性が薄い。

 そんな父親と顔を突き合わせて夕食を食べるのは、自宅から離れて生活を始めたということを差し引いてさえ、久しぶりな気がした。父親は普段食事中に喋ることを好まないのだが、この日はこちらの大学生活について色々聞いてきていて、珍しいこともあると思いつつ、やはり実の息子の様子は気になるものなのかと、少し嬉しかった。


 祖父母も加わって話が弾み、食事も終わりに近づいていた頃、私はふと駅で見かける件の少女の話を口にした。別に何か他意があった訳ではない。単純に気になる話として話題のタネにしただけだった。

 ところが、その話をした途端、普段そこまで喜怒哀楽を表に出さない父親が突然見るからに顔を青くした。そして、私にしきりにその少女の姿形を詳細に訊ねてきた。

 私が面食らいながらも答えると、父親は急に黙り込んでしまい、とりあえず電車通学を控えるか、せめて電車の時間をズラした方がいいと言ってきた。流石に代替手段を用意できないので即座に電車通学から転換することはできないし、父親が何をそこまで彼女のことを気にしているのか—しかもどう見ても悪い方へ—がさっぱりだった。


 父親はそれ以降いつも以上に口数を少なくしてしまい、そのまま帰ってしまった。祖父母も心なしか顔色が暗く動揺しているように見えたし、父親と同じく電車通学を控えるように言ってきた。

 とはいえそういう訳にも行かないので、とりあえず彼女を見かける日はいつもより乗る電車を2本ほど早めることにした。30分ほど通学時間が早くなったが、そうすると彼女の姿を見ることはなくなった。

 そのまま大学は夏休みに突入し、私は自宅に戻った。盆に例年通り家族総出で帰省になるだろうから、私はその時にそのまま残ればいいと思っていた。そして盆に帰省する頃には、もう2ヶ月以上も彼女を見かけておらず、既に彼女のことは頭から半ば抜け落ちていた。







 お盆の間、父親は何やら普段と違って実家でのんびりすることもなく、かなりの時間出かけていた。それを訝しく思いながらも、既に社会人になっている姉に揶揄われながら、父親の実家で過ごしていた。結局父親は盆休み中ずっと実家を開けたままで、そのまま母親と共に、姉より1日早く自宅へ帰って行った。

 怠け癖の強い姉はギリギリまでグウタラしていたいからと、翌日の朝の電車でそのまま勤め先に向かおうとしていた。私はそのまま予定通り残るつもりだったが、自宅に忘れ物をしていたことに気づき、姉と途中まで同行して自宅に一旦引き返すことにした。


 その日は普通に平日で、しかも乗ろうとしていた電車は、前まで彼女を見かけた時間帯の電車であったことを、この時すっかり失念していた。


 最寄駅の3番線に着き、何となくいつも乗りこむドア位置に姉と並んだ時、突然全身が総毛立つほどの寒気に襲われた。慌てて辺りを見渡すと、4番線にあの彼女が立っていた。しかし、こちらに優しく微笑みかけてくるはずの彼女の顔は歪み、明らかにこちらを憎々しげに睨みつけていた。

 ようやく私はしまった、何かやらかしたらしいと悟ったのだが、時既に遅しというやつだった。何が原因か—その時は、何ヶ月も顔を見せず、意図して避けていた為かと思っていた—は分からなかったが、夏休み期間と思われるのにやはりセーラー姿の彼女が、明確にこちらに敵意を向けているのは間違いないように思えた。


 私は焦って左隣の姉をチラと見たが、姉は明らかに彼女の方を向いているにも関わらず、何も気にしていないかのように私に話しかけてきていた。姉は彼女に気づいていないのだろうかと思い、姉に指摘しようと視線を正面に戻した途端、息が止まった。彼女は、いつの間にか4番線から3番線に、それもホームの白線を挟んで私のすぐ目の前に立っていたのだ。


 この時、初めて私は彼女の姿形を近くで確認できたのだが、だがそれは遠目で見ていた時とは明らかに様相が異なっていた。彼女の線の細い顔は右半分が完全に潰れており、残った左半分もどす黒い血に染まっていた。長い黒髪はボサボサであちこちウネっていたが、どうにも髪の毛についた血が乾いて固まっているからのようだった。制服の胸元には見慣れぬ校章が刺繍されており、その紺色のセーラーにもベッタリ血が付着していた。右腕は明らかに曲がってはいけない方向にひしゃげていたし、そして長い前髪の隙間から見える左目の濁り方は、どう見ても生者のそれではなかった。

 余りのことに私は完全に固まってしまい、金縛りにあったかのように顔をひきつらせることしかできなかった。すると、彼女はゆっくりと口を開き、掠れた、女性にしては低い声でこう訊ねてきた。


 その女の人は、だれ?


 どう考えても彼女が言っているのは、私の左隣に立っている姉のことだった。何故彼女がそんなことを聞いてきているのか分からなかったが、しかし私の直感はこの瞬間、絶対に彼女に嘘をついてはいけないと警告してきた。この場で下手に取り繕おうものなら、確実に良い結果にはならないだろうと。

 別に隣の女性が私の姉であるという情報だけなら、諸々を差し引こうがそう重要で隠し通さなければいけない情報でもない。私は素直に、カラッカラに乾いて顎の筋肉が固まった口を無理くり動かしながら、私の姉であると伝えた。


 彼女はそれを聞くと、視線を私から姉の方に逸らし、ジッと姉の方を見つめた。そして、フッと表情が緩んだように見え、次の瞬間彼女の姿はかき消えていた。私はただ呆然と立ち尽くし、電車が来て姉に肩を叩かれるまで、完全にフリーズしていた。夢幻かとも思ったが、鼻にこびりついた鉄の匂いが、それを冷静に否定してきた。

 その日私は忘れ物を取りに帰ったはずなのに、忘れ物を増やして帰ってきた。でも再び自宅に戻る時に電車を使う勇気はなく、バスを乗り継いで数駅先まで行ってから電車に乗った。







 後から父親に聞いた話だが、数十年前、あの駅は1~3番線を1つ目の路線が終着駅として使っていて、4、5番線が私が使っている2つ目の路線が使っていたのだという。高校生時代、父親は私と同じように3番線の電車に乗って高校に通っていたのだそうだ。そして—自慢ではないが、と前置きして—当時の父親は美形で大変にモテたらしい。だが父親は当時恋愛に興味がそこまで無く、特定の相手を作ることは無く過ごしていたのだそうだ。

 当時の父親は知らなかったが、3番線から通学する父親の姿を見て、一目惚れした女子高生がいたのだという。その女子高生は4番線を通学に使っていて、向かいの3番線に佇む若き日の父親の姿を見て一目惚れしてしまったらしい。それが、私が出会った彼女だったのだ。


 彼女は成績優秀で性格も穏やかだったが、引っ込み思案なところがあり、若き日の父親に一目惚れしながらも声をかける勇気が出ずに、毎日通学の際に父親の姿を見るだけで満足していたのだという。当時の父親は薄々向かいのホームからの視線には気づいていたらしいが、よくあることだったので気に留めることもなかった—当然かのように語る父親に、どことなくイラついたのは見苦しい嫉妬なのだろうか—という。

 ところがその彼女はどうやらその性格と成績故に、一部のクラスメイトからやっかみの対象だったらしい。彼女本人が何かしたという訳ではなく、存在が気に入らないという理不尽なタイプの悪口の対象だったのだという。そんな彼女を嫌うクラスメイトの1人が、彼女が恋していること、その相手に具体的なアプローチをかけていないことに気づいた。


 そのクラスメイトは彼女への嫌がらせと、イケメンの彼氏を手に入れられるという一石二鳥を狙い、父親に近づいたのだ。そしてまあ運命とは残酷なもので、なんとその彼女のクラスメイトは猛アタックの末、父親を仕留めてしまったのだ。父親曰く、遠巻きで眺めているだけの女子ばかりで、真正面からアタックしてきた女子は初めてだったから、普通に好ましく思って、とのこと。

 そのクラスメイトは彼女にそれを見せつけようと、休日に彼女を学校に呼び出し、それと同時刻に父親とデートの約束をしてあの駅を待ち合わせ場所にして、その姿を自然に見せつけようとした。まあそのクラスメイトも中々に嫌味なことを考えるものだ。その悪知恵には頭が下がるが、その頭を勉強に回して彼女と成績で張り合った方が建設的だったと思う。


 しかし、その悪知恵は余りに効果的すぎて、悲惨極まる結果を生み出した。その光景を見せられた彼女は思わず衝動的に動いたのか、それともそこがホームであるのを忘れたのか、足を前に踏み出し、入線してきた列車にはねられてしまったのだ。それも父親の目の前で。

 その様子を見て余りに動揺する彼女のクラスメイトを問い詰め、事の次第を知った父親は、マジギレして相手を張り倒し、そのまま別れてしまったという。


 その後1つ目の路線の延長工事が終わって終着駅が動いた事で、始発列車を留置する用の5つ目のホームが必要なくなったことを期に4番線が閉鎖となった。その際駅構内の配線切り替えを行い、現在の配線になったのだという。

 ただ、直後に高校を卒業して地元を離れてしまった父親は知らなかったのだが、彼女の死後4番線には女子高生の幽霊が出るという話が絶えず、列車の運行にさえ支障をきたしていたのだという。それが4番線が閉鎖となった理由の1つでもあったとか。

 多分、お前が親の俺に似ていて、しかもかつてのように3番線を使っていたから、勘違いしてまた出て来ちまったんだろう。俺も駅に行ってみたんだが、どうにも年食った俺は認識されなかったみたいで、自力じゃどうにもならんかったからな。そう自嘲しながら父親は話を締めくくった。







 一応父親はあの後伝手を辿ってお坊さんに頼み、成仏するように簡易的ながら法要を行なったという。それ以降は念の為電車の時間をズラし続けたこともあってか、私も彼女の姿を見ることはなくなった。しかし、そんなに似ているのなら、何故私は父親のようにモテないのだろうかという疑問だけが最後に残った。


 ……もしやすると、彼女は父親の顔ではなく、もっと本質的なものをみていたのかもしれない。そう思っていた方が、彼女の為にも私自身の為にも良いような気がしたのだった。


この構図ならホラーより、ラブコメで書いた方が良かったかもしれないと、書き終わってから思いました作者です。

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[良い点] ヤバい、夢に出てきそうなシチュエーションだ。 今夜は金縛りに遭うかも。 [一言] こちらの短編はホラーだけど読みやすかったです。 ランキング小説の主人公はちょっと節操が無さそうなところが…
[良い点] すぐそばに来たときにゾワワって来ましたー!!((((;゜Д゜))) 丁寧に書かれていて、読みやすくて、リアルっ
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