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康太の異世界ごはん リージョンc  作者: 6k7g/中野在太
踏鞴家給地の誕生日
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踏鞴家給地の誕生日②

 領主館に用意された樫葉かしばの部屋は、ひどい散らかりようだった。

 イーゼルには、風景が描きかけになった木板が乗っていた。いくつもの木炭画が、壁に立てかけられていた。弦楽器に打楽器、錆びの浮いた剪定ばさみが床に転がっていた。

 樫葉は、ここに鷹根たかねを連れてくるなり服をはぎ取り、大きすぎる着替えを押しつけ、洗濯すると言って出ていった。ベッドに腰掛けて樫葉を待つあいだ、部屋を眺める以外にできることはなかった。

「鷹根は泣きやんで、すこし落ち着きます」

 戻ってきた樫葉が、イーゼルの前にあった椅子を引っぱってきて、鷹根の向かいに座った。

「……鉄じいさんのおうちみたいだね」

「たくさんの、好きなことを樫葉は探します」

 樫葉は手を伸ばして板絵を拾い、ももの上に置いた。

「おじいさまが、つくってくれます。カンバスと、炭です。だから樫葉は、絵を描くことが好きです」

「楽器も?」

 樫葉はうなずいた。

「お父さまは、おじいさまとたくさんのものをつくります。ときどき、樫葉のためです」

「そっか。いいね」

「はい」

 板絵を椅子の足に立てかけ、弦楽器を膝に乗せる。親指と人差し指で、はじく。音は細く鋭く流れた。鷹根は雨季の道に生まれる瀬を思い浮かべた。

「樫葉の好きなものは、たくさん増えます。樫葉は、悠太も鷹根も好きです」

 鷹根はよわよわしく笑った。

「だれかに火をつけてしまうとき、その人は、もっとけています。からだじゅうが、燃えています」

 左目の傷に触れて、樫葉の顔に、思慕と哀悼と、まだ消しきれないほんのかすかな憎悪がまざった。

「うん、知ってるよ。ユータはきっと、あたしにごめんって思ってる。あたしが悪いのに」

 樫葉は腰を曲げて手を伸ばし、鷹根の頭をなでた。

「だから、ふたりは仲直りできます。火の痛さを知っているからです」

 鷹根はうなずいた。ぎゅうっと指を握りこんで固いげんこつをつくると、両腕を振り上げた。

「わああああ!」

 おおきな声で叫ぶと、両足を振り上げ、背中からベッドに倒れ込む。

「そうだよ! いつもそうだもん! あたしかユータが怒って、けんかして、また仲良くなるの! ずっとそうだったんだもん!」

 樫葉は楽器を置くと、鷹根のすぐ脇に身を投げ出した。鷹根はくるっと横を向き、樫葉の腕に頭を置いた。

「あたし、すごい仲直りするから」

「すごい仲直りのしかたを、樫葉は分かりません」

「あたしも分かんない! でもすごい仲直り! ユータがびっくりしちゃって、愛してるって言ってくれるぐらいの仲直りする!」

「悠太はまだ、愛してるとあまり言いません」

「あまりじゃないよ! 一回しか言ってもらったことない! 歌継かついだときだけ!」

 鷹根はペダルを漕ぐみたいに足をぐるぐる回し、清潔なシーツを巻き込んでぐしゃぐしゃにした。

「白神さまは榛美さんにいっぱい言ってるのに!」

「そのことは、樫葉には分かりません」

「分かんないけど絶対そう! だからね、すごい仲直りしたら言ってもらえるの!」

 ちょっとのあいだ、樫葉はしずかに考えた。

「悠太がそれを言うのか、分かりません」

「なんでえ!? ばかみたいばかみたい! ぜったい言うよ! ぜったい言うもん!」

 樫葉は腕を曲げて鷹根の頭をなでた。鷹根はむくれながらあれこれ知恵をしぼったが、なにがなんでも樫葉に認めさせたいという意地がやや勝っていた。

「なんだろなあ、どうしようかなあ……あー! 白神さまだ!」

「康太のことですか?」

「ふふん!」

 ぽーんと跳ね起きた鷹根は、勝ちほこった顔でもったいぶった。

「あのね、白神さまが教えてくれたんだよ。誕生日のこと!」

「それを樫葉は知りません」

「生まれた日! 白神さまの世界では、生まれた日に歳を取るんだって。だからね、その日になかよしの人たちと、ちいさいお祭りをするんだよ。生まれてきてくれてありがとうって伝えるの」

 樫葉はうなずいた。

「それでね、そのことを聞いた榛美さんが、いますぐやりたいってわーってなっちゃったんだ」

 立ち上がった鷹根が、部屋の中をぐるぐる歩きまわった。

「榛美はお祭りが好きです」

 板絵や楽器をかたっぱしから蹴飛ばして回る鷹根に対して、樫葉は度を超えた寛容さで接した。

「うん、あたしも大好き! そのときの白神さまはね、なんか……なんか分かんないけど調べて、榛美さんの誕生日を見つけたんだ。すごいよね! よーし!」 

 鷹根がいきなり部屋を飛び出そうとした。ゆっくり立ち上がった樫葉は、鷹根が楽器につまづいた隙をついてその腕を掴んだ。

「なに! どうして!」

 つながれた犬みたいに、鷹根はじたばたした。

「鷹根はひとりで行こうとします。でも、樫葉もいっしょです。そうですね?」

「そっか、ほんとだ、もぉー! いつもだ! いつもわーってなっちゃう!」

「だから樫葉は、鷹根のことを好きになります。とても好きに」

「んへへ、ありがと! じゃあ行こ、樫葉ちゃん! はやくはやく!」

 鷹根が樫葉を力のかぎりひっぱって、ふたりは笑いながら、もつれあうように駆け出した。



 歴史と時間を重ね、棚田下の風景は、やや古ぼけながらも変わらない。棚田が見下ろすのは、わずかな畑を持ち、それぞれが独自の宇宙のようにぽつりぽつりと散在する家々だった。

「讃歌さん! 誕生日教えて!」

「うおおお!?」

 鷹根が矢のように飛び込んできて、うとうとしていたじんは悲鳴を上げた。

「樫葉たちは悠太の誕生日を知ろうとします。それは悠太と鷹根がすごい仲直りをして、生まれてきてくれてありがとうって伝えるためです。そうですね?」

 あとからやってきた樫葉が過不足のない説明をしたため、仁は口を半びらきにした。

「だから誕生日教えて!」

「分かった、分かったからいっかい座れ」

 ものすごい迫りようの鷹根を落ち着かせ、仁は身を起こした。

「誕生日……覚えてんぞ。白神様と榛美ちゃんのときにもあったなあ」

「うん! ユータのも知りたいの!」

 正座のままむちゃくちゃ身を乗り出し、鷹根はほとんど四つんばいになっていた。仁はかなり気圧されてのけぞった。

「その、この日だってのは分かんねえぞ。ありゃあ俺たちの話を聞いて、白神様のこよみと突き合わせたもんだからな」

「いいからはやく!」

 仁に顔を向けたまま、鷹根は膝つき腕立て伏せの要領で弾むように上下した。仁はけっこう気圧されて後ろに下がった。

「まあちょうど、今時分だよ。よく覚えてるぜ。さしょうさんが八番花はちばんばなをつけた日だからな」

「さしょうさん?」

 鷹根と樫葉は顔を見合わせた。

「ああそうか、田んぼに出やしねえからな、てめえは。さしょうさんも知らねえか」

「はやくはやく!」

 仁は腕組みし、胸を反らした。道理をわきまえない子どもに、できのいいおとなが説教するときの態勢だった。

「さしょうさんってのはな、あれだ。棚田のまんなかに一本でっけえ木が生えてるだろ。桜ってんだが、棚田の桜は佐精さしょうなんだよ」

「きれいだなーって思ってたけど、そういう名前なんだね」

 仁は自分の話に真実味を付け足そうと、ゆったりうなずいた。

「さしょうさんってのは女の妖精で、花の妖精なんだ。月から降りてくる。で、米蒔きのいい時期になると、花をつけて教えてくれんだな。いい妖精だ」

「うん、うん! それでそれで?」

「八番花ってのは、一番花をつけて八日目だ。だから、今時分ってこった」

 仁はやおら立ち上がり、尻をはたいた。

「おまえらも、さしょうさんに一度は挨拶しとかねえとな。行くぞ」

 鷹根はぴょこんと立ち上がり、樫葉の手を掴んで引っぱり起こした。

「ありがと、讃歌さん! 樫葉ちゃん、行こ!」

「鷹根はいつも、すこしはやいです」

 樫葉は笑いながらたしなめた。

「だってがまんできないんだもん! いこいこ! えあー!」

 鷹根は奇声をあげながら樫葉の背中に飛びつき、腰に腕を回してぐいぐい押し出しはじめた。

「樫葉ちゃん、このばか叱ってもいいんだぜ」

 苦笑を向けられた樫葉は、穏やかな表情で左目の傷に触れた。

「まぶたがむずむずするようです。それを幸せと呼ぶことだって、樫葉はもう知っています」



 樹齢はどれほどになるだろうか、野放図に伸びた幹は、タールを塗られた支柱で支えられていた。ざらりとした幹はこぶだらけで、ぶあつい苔におおわれていた。

 くの字に伸びたの、丸まったの、くちばしのように鋭いの、思い思いの形を採る枝はたっぷりと緑の葉をつけ、葉ずれの合間にうすもも色の花を覗かせた。

 踏鞴家給地のひとびとがさしょうさんと呼ぶ、ヤマザクラの大木だった。

「いち、に、なんか……もぉー! たくさんある! たくさん咲いてる! 二十個はある! 二十番花!」

 目をこらして花を数えた鷹根は、わめいて地団駄をふんだ。仁は笑った。

「一番花二番花ってのは、もののたとえだよ。一日ひとつ花をつけるわけじゃねえ」

「えぇー? 変!」

「俺に言うこっちゃねえぞ。昔っからそうなんだからよ」

 仁は田んぼの水で手をぬらし、さしょうさんの樹皮を撫でた。

「ほら、おまえらも」

「なにそれ?」

「樫葉には分かりません」

「なにって、さしょうさんに挨拶するんだろうが。分かんなくてもやっとけ」

 それで樫葉も鷹根も、仁の真似をした。鷹根は顔をしかめ、手にくっついた苔を払った。

 木陰はやさしげに薄暗く、田の水面に反射する陽光もここではやわらいだ。三人は腰を下ろした。鷹根と樫葉が肩をくっつけて木にもたれ、仁は草の上にあぐらをかいた。

 風はまだすこし冷たく、鋭くふちどられた木漏れ日はまたたくように揺れた。鷹根はぽかんと口を開けて樹冠を見上げた。

「ユータの生まれた日も、こうだったんだね」

「ああ、そうだよ。とんでもねえ時期にできちまった子だからな。無事に抜けてくるかどうか、こわくて仕方なかったぜ」

「うれしかった?」

 仁は唸り、あごを指でこすった。

「お母ちゃんが死んじまったし田んぼの世話もあるしで、うれしいだのかなしいだの、思ってるひまもなかったなあ」

「そっか」

 仁も、鷹根のように顎を持ち上げ、樹冠を見た。しばらくふたりは、そうしていた。

 ふいに樫葉が、くすっと笑った。

「なんだい、樫葉ちゃん」

「上を見ると、口が開きます。榛美みたいだなって、樫葉は思います」

「あんなに年がら年じゅうぽかんと開いちゃいねえよ」

 悪態をつきながら、なつかしさに仁のくちもとはゆるむ。

「まあ、なんだ。生まれた日がありがてえなんて、俺は思わねえけどよ。てめえらがめでてえ日にしてくれるってんなら、そうしてやんな。白神さまと榛美ちゃんがそうしたみてえにな」

 鷹根は口を開いたまま、ちいさくうなずいた。

「うん、そうする」

 それから、

「わぷっ!」

 わぷって言った。

「口、なんか口……ぶぇ!」

 突き出した舌にへばりついたものを指でつまみ、おずおずと顔の前にかかげる。

「花だ! 花落ちてきた!」

「はっはっは! よかったじゃねえか、さしょうさんの挨拶だよ」

 だが鷹根は仁の軽口を聞いていなかった。花弁をじっと見つめ、くちびるを尖らせていた。

「花……んんん? なんだろなあ」

 ついさっき、田んぼと花に関するなんらかのやり取りがあった気がした。だが一日にけっこう色んなことが起こりすぎて、もう朝の記憶はだいぶぼやけていた。

「田んぼ、花、田んぼ、花、田んぼ! んわぁー! 思い出せそうなのに!」

「………………酵母」

「えっ!?」

 声が聞こえてきて、飛びあがった鷹根は中腰になってきょろきょろした。

「いまユータの声した!」

「いや、してねえよ」

「樫葉も聞いていません」

 鷹根はふたりを均等に睨んだあと、首をかしげつつも、あきらめて座り直した。

「おかしいなあ。ぜったい聞こえたもん」

「で、てめえの中の悠太はなんつってたんだ」

「なんかね、酵母って……あ! 酵母! 聞いたことある! 白神さまが言ってた!」

「お酒づくりに、それを使います。花や果物にそれが住んでいると、樫葉は知っています」

「思い出したー!」

 鷹根は勢いよく立ち上がり、かなり高めに跳ねた。

「田んぼの花でお酒をつくるんだ! 覚書に書いてあったの、アンベルが教えてくれた!」

 着地するなりかかとでくるっとターンし、さしょうさんに向き合う。

「あの、さしょうさん……ちがう!」

 田んぼの水で手をぬらして、苔だらけの幹に、指を当てる。振り返り、正否を問う目で仁を見る。仁は笑って、うなずく。

「あのね、さしょうさん。好きな人に、ごめんって言いたいの。よろこんでもらいたいの。だから、花をわけてくれる?」

 返事はない。伸びほうだいに伸びた枝は、春の風にさわさわと揺れている。

「どいてな、鷹根」

 太い腕が伸びてきて、枝を折り取った。仁は花と葉をつけた枝を、鷹根に押しつけた。受け取って、鷹根は、はにかんだ。

「ないしょだよ、讃歌さん。びっくりさせたいんだもん」

「わざわざ話したりゃしねえよ。それ持ってとっとと帰んな」

「うん! ありがと、行ってくる! ねえいこ樫葉ちゃん!」

 手をつないだ樫葉と鷹根は、ほとんど転がり落ちるような勢いであぜ道を駆け下っていった。

「忙しい連中だな」

 後ろ姿を見送って、仁はやさしげな苦笑いを浮かべる。それから、

「もういいぞ」

 用水路に向かって、声をかけた。

「……なんなんだよったくよ」

 びしょぬれの悠太が、草をかきわけ這い上がってくるなり悪態をついた。

「てめえこそ、なにしてやがる」

「仕事に決まってんだろ」

 手で顔をぬぐいながら、悠太はおおざっぱな言い方で応じた。

「どっかのばかが、そいつの地元で食われてる貝を用水路に放ったんだとよ。調査しにきた。うえっまっずっ」

 舌にへばりついた藻を前歯でかきとり、唾といっしょに吐き出す。

「なんだそりゃ。それもご領主様の仕事なのか?」

「さあな。でも康太に外来種のやばさはさんざん聞かされてる。こういうの、危機感持ったやつが動いた方が効率いいだろ」

 ぬれた服をひっぺがすように脱いで絞ると、泥っぽい水がぱたぱた垂れ落ちた。悠太はうんざりしたように鼻から息を抜き、ぐしゃぐしゃになった服を着直した。

「じゃ、帰るわ」

「鷹根と樫葉ちゃんな」

 悠太は足を止めた。腰に手を当てて頭をかたむけ、警戒的で威圧的で、けれど根底に怯えのある目を仁に向ける。

「……なんだよ」

「へっ」

 仁は笑って、立ち上がった。

「ま、てめえらがてめえらでやることだ。くっつくも離れるも、てめえらの勝手だわな」

「はあ? なんだそれ」

「知らん知らん。俺は知らんぞ。くだらねえ貝でも探し回って、勝手にくたばりやがれ」

 あぜ道をのしのし下りながら、仁は頭の上にかかげた手を挑発的にひらひらさせた。悠太は濡れ髪をかきあげ、遠く青い山並みに視線を送った。

「分かってんだけどなあ」

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