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康太の異世界ごはん リージョンc  作者: 6k7g/中野在太
踏鞴家給地の誕生日
4/9

踏鞴家給地の誕生日①

本短編は『康太の異世界ごはん 4』(ヒーロー文庫)に収録された『踏鞴家給地の掃討』の続編となっています。WEB版との設定、登場人物の差異について、あらかじめご了承くださいませ。

 放牧林をうろつくカピバラが、深い考えもなく目の前の草をほおばっていた。もぐもぐ動く口元には目線を吸い寄せる効果があって、オレはなんだかじっと、見つめてしまった。

 手もとから紙束が滑り落ちる。拾い上げようとしてバランスを崩し、オレは机から落っこちた。

「なにやってるんですか、悠太さん」

 アンベル・エルダの呆れ声が降ってきて、オレはつっぷしたまま苦笑する。

「なにやってんだかな。ほんとな」

 一瞬、自分がどこにいてなにをしているのかも忘れていた。ここは商館の執務室だ。商館長のアンベルと打ち合わせのついでに、自分の仕事をしようとしていた。いつの間にやら、窓外のカピバラから目を離せなくなっていたのだ。

 顔にへばりついた紙をはがし、文面に目を落とす。領民からの嘆願書。放牧林の使用料について、共通法コモン・ローを持ち出して批判する声を集めたものだ。

 オレはため息をついて立ち上がった。

「かしこいボクにはすぐ分かってしまいましたよ。今の悠太さんに必要なのは休暇です。いったんなにもかも忘れて、旅にでも出るべきですね」

 羽ペンの軸をつまんでくるくる回しながら、アンベルは気遣いと冗談を混ぜたような顔だった。

「何日寝てないんですか? はっきり言って、面相が邪悪です」

 オレは首を横に振って、机に尻を乗せた。

「かしこいアンベルなら分かるだろ。いま休んだら後でしんどいんだよ」

 アンベルは鼻を鳴らし、巻き角をなでた。

「よくある諍いでしょう。ご惣領がじきじきに出張ることだとは思えません」

「ここはオマエが言うところの、非文明的な土地だからな」

「それ、そろそろ忘れてくれませんか?」

 オレたちはすこしだけ笑った。

 逃散してきたよその村人やら季節労働者やらがうろついていた踏鞴家給地は、じわじわと人口を増やしつつある。川向は集落としての体裁が整い、投網の株仲間やら――率いているのは足高のおっさんだ。笑えるな――脱穀用の水車小屋やらが発生した。

 栄えるのはオレの望んだことだ。だから、あぶくみたいに次から次へと沸き上がってくるもめごとも、オレの責任だ。

「土地所有なんて考え方はなかったからな。とりあえず、この土地はまるごと領主のものってことにしたわけだ」

 自分の頭を整理するため、口に出してみる。

「雑木林も領主林で、淡雪あわゆき……南の斜面の松林も領主林。そうでもしなきゃ破滅だった」

「分かってますよ。放置すれば共有地の悲劇ですからね」

 過度な放牧を制限するため、放牧料を課した。当たり前に、反発が起きた。いまやあっちこっちでカピバラの無法な放牧が猖獗している。なにもかも泥縄だ。

「巡回裁判はここまで来ませんからね。やはり、王の裁判所が必要だと思いますよ」

 オレは返事をしなかった。王権に頼るということは、文化も道路もカイフェに従うということだ。今度はもとの住民からとんでもない不興を買うだろう。

「まあでも、法か、けっきょくは」

 オレは紙束を机に置いた。

「どちらに?」

覚書おぼえがき、つっても知らねえか。入植したジジイがヒマに任せていろいろ書いた本だよ。もといたエルフといっしょにつくった法も、明文化されてる」

「へえ! それはすばらしいことですね。さすがは賽様、とても文明的です」

「オマエをとんかちで脅すだけのジジイだと思ってたろ」

 アンベルはなんとも言わず笑って、書類に目を落とした。

「覚書持ち出して、こっちにはこっちの法があるって分からせるわ。それしかねえだろ」

 一瞬、アンベルは判断に困るような顔をした。康太だったらぱっと読み取って合わせるんだろうな、っていいう、複雑な顔を。

 だがオレはとにかく、へろへろだった。つかみ合い同然の折衝を繰り返し、領主林を這いまわるカピバラを親父といっしょに追っかけまわし……まあなんというか、ありとあらゆるできごとにうんざりしつつあった。

「山あいで鉄穴かんな流しをされてる方がたとの鉄取引、もうすぐまとまりそうです。終わったらお手伝いしますよ」

「助かる。さっさとこの件片付けねえとな」

 扉に手をかけふと振り返る。草を食い終わったカピバラは、横たわって大あくびしていた。一瞬でも、あんな風に生きたいと思ってしまった自分にぞっとした。

「あーーーー。終わったら寝る。めっちゃくちゃに寝るからな」

 なんだか無数に人生上の愚行を思い出しはじめたオレは、まぬけな長い声でばかげた過去にふたをした。



「アンベル! ねー! アンベル!」

 悠太とすれ違いに飛び込んできた鷹根たかねは、書類に目を落としたアンベルの『あ、いまちょっと立て込んでますんで』という顔を踏み倒して叫んだ。

「なんでしょう」

 アンベルは羽ペンをインク壺から何度も抜き差しした。これが彼女なりの『いよいよ忙しさがのっぴきならなくなってきぞ!』という表現であることは間違いなかった。

樫葉かしばと鷹根はアンベルにお願いします」

 扉をそっと閉めた樫葉が、鷹根の横に立ってアンベルを見下ろす。アンベルはちいさなうめき声をあげ、巻き角を撫でながら顔をあげた。

「これ読んで! ユータのためなの!」

 鷹根は机に一冊の本を叩きつけた。ぼろぼろの布張り表紙に、ひっかき傷みたいな汚い筆致でカイフェのアルファベットが書きつけてある。アンベルは馴れない文字を読み解こうと目をすがめた。

「カイフェ東北部の博物誌、また現住するエルフの生態、エルフと交わしたる法についての覚書、踏鞴家給地における……」

「覚書! ユータのとこから持ってきた!」

「あー」

 アンベルは「あー」と言った。自分が、なにか途方もないめんどうごとに巻き込まれつつあるのを察したのだ。

「あのね、ユータが最近すごく疲れてて、元気になってもらいたいって思ったの。覚書に書いてあることをしたら、ユータがよろこんでくれるんだよ」

「あー」

「アンベルも樫葉も手伝います。そうですね、アンベル」

 樫葉にうながされたアンベルは、しぶしぶ本を開いた。

「書いてあることをする、うん、それはいいでしょう。ですが、具体的にはなにを?」

「うーんとね、わかんない! でもやる!」

 鷹根は力いっぱいにこにこした。アンベルは救いを求めて樫葉を見た。樫葉は鷹根を見て力いっぱいにこにこしていた。

「ボクにできることであれば、協力はしたいんですよ。それは本音ですからね」

 一度たりとも聞いたことのない不可解な儀礼だとか、絶対に口にしたくないうさんくさい保存食のレシピだとか、ページをめくるたび、疲れはてたアンベルの脳をややこしい情報が攻め立てた。

「どう? いいのあった?」

「口から文字を吐き出しそうです……うん、ああでも、これなんか悠太さんは好きそうですね」

「どれ!」

 鷹根が覚書を覗こうと頭を突き出し、アンベルはすっと体を引いて質量と速度から身を守った。

「民話でしょうか? 田んぼに花の精霊がおりてきて、水をお酒に変えたっていうお話ですね」

「あー! それ! それ覚えてる! ユータが教えてくれたもん!」

 興奮した鷹根が、固めたげんこつを上下にぶんぶん振った。まずまず勢いがあったので、発生した風が机上の紙を数枚吹き飛ばした。

 樫葉が、にこにこしながら紙を拾った。アンベルは受け取りがてら椅子から降りた。

「なんのことかは分かりませんが、座りっぱなしも飽きてきたところです」

 覚書を鷹根に返して、おおきく伸びをする。

「田んぼの花を探しに行きましょうか、みんなで」

「いいの!? ありがと、アンベル!」

 鷹根はアンベルの巻き毛をぐしゃぐしゃっと乱暴になでた。アンベルは鷹根のてのひらをぽんぽんっと叩き、ふたりのすこし先を歩き出した。


 木立と草はらが拓かれ、よく踏み固められたまっすぐな道の脇に建物が並んでいた。悠太がかつて住み着いていた廃墟もとっくになくなって、当人でさえどこにあったのか覚えてはいない。

 名前も知らないひとびとが、小枝を蒸した炭だの笹で編んだかごだのを売り歩いている。だれにとっても、もう当たり前の光景だった。

「ほら、ここですよ。このくだりです」

 アンベルと鷹根は、開いた覚書をふたりで持って、肩をくっつけ道を進んだ。樫葉はかすかな音で鼻うたをうたいながら、背丈の似ているふたりの後ろすがたをゆっくりと追った。

「そうなんだ! わかんない!」

「ボクもカイフェ文字には明るくないですけどね」

 三人は領主館をぐるりと囲む雑木林にさしかかった。春の嵐が過ぎたあとで地面はぬれ、朝露を吸ったばかりの大気は冷たく湿っぽかった。

「勉強しようって思わなかったんですか?」

「だってユータが読んでくれなくなっちゃうもん」

 アンベルは笑った。

「あー! なんで笑うの! ほんとのことだもん!」

「鷹根さんらしいと思っただけですよ。ねえ、樫葉さん」

「樫葉も、アンベルと同じことを思います」

「なにそれ! ばかみたい!」

 鷹根がむくれて立ち止まり、アンベルがなだめ、斜面をすさまじい勢いでカピバラが下ってきて樫葉はふたりの首ねっこをつかんで後ろにひっぱった。

「ひゃあああ!」

 鷹根とアンベルがいた空間を、三頭のカピバラがきいきい鳴きながら駆け抜けていった。

「やべえ! アンベルさんだ! 商館のアンベル・エルダだぞ!」

 怒鳴り声と足音。見上げた三人は、ほとんど四つんばいの格好で逃げ出す数人の領民を見た。

「走れって、おい、走ってくれよ!」

 草をもしゃもしゃ食みはじめたカピバラの尻を、男が泣きべそで押している。

「顔、覚えましたからね!」

 樫葉につり下げられながら、アンベルが叫んだ。男は動こうとしないカピバラを諦め、走り去っていった。

「ありがとうございます、樫葉さん」

 すとんと地面に降りたアンベルは、巻き角をなでた。

「どうして逃げるのか、樫葉には分かりません」

「もちろん、無法の自覚があるからですよ。領主林では、落ち葉一枚でさえ領主の所有物です。踏鞴家給地に限らず」

 樫葉はかすかにまゆをひそめた。

「それは……知っています。樫葉が、灰かぶりだからです」

 左のまぶたからほほにかけて稲妻型に走る傷を、樫葉は中指でなぞった。

「うん? 灰かぶり?」

 樫葉はそれきり、考え深げな沈黙の中に沈んだ。アンベルはしばらく樫葉の言葉を待ったが、やがて鷹根に目を向けた。

 うなだれた鷹根の視線を追う。ぬかるみには、カピバラの足跡がくっきりと刻印されている。

「あっうわ……あー」

 アンベルはうめいた。

 踏みつぶされた覚書が、吸えるだけの泥水を吸って、睡蓮のようにゆっくり開こうとしていた。

「どうしよう」

 鷹根の声は、泣き出す直前でかすれていた。

「どうしよう、どうしよう、どうしよう!」

 ぬかるみに膝をついて、鷹根は泥まみれの覚書を拾い上げる。ぬれてくっついたページを開こうと爪を立てる。古い紙はあっけなくちぎれ、濡れた紙くずが指にへばりつく。

 鷹根は覚書を胸のうちに抱いた。青ざめたほほを、雨のように涙が伝った。

「あ、あやまりましょう、鷹根さん!」

 アンベルが、ほとんど不当に思えるほど明るい声を出した。

「平気ですよ! 悠太さんなら許してくれます! かしこいボクが言うんですから、平気です!」

 あまりにも人をなぐさめるのが下手だったし、アンベルはそのことに自覚があった。自失した鷹根に声は届かず、アンベルは途方にくれて小さな肩とまるまった背中を見た。

 抱え膝でしゃがんだ樫葉が、鷹根を抱き寄せた。

「アンベルと樫葉は、同じことを思います。だから鷹根は、樫葉たちと、悠太に謝ります。そうですね?」

 鷹根は樫葉を見上げ、まっさおな顔で、言葉なくうなずいた。


 三人であちこち歩きまわって、ようやく悠太を見つけたのは昼過ぎのこと、領主館の扉の前だった。扉を押し開けた悠太は、まず、鷹根と樫葉が泥だらけなことに仰天した。

「うお、どうしたんだオマエら。転んだのか? ケガしてねえか?」

「へいき……あの、ユータ」

「鷹根、覚書見かけたら教えてくれ。部屋に置いたと思ったんだけどな、どっかで読んでそのままにしちまったのかな」

「ねえ、ユータ、あたし」

「悪いな、最近たてこんでて」

 悠太は鷹根のほほをさらりと撫でた。

「今夜はいっしょにめし食えると思う。オマエが待っててくれるならだけど」

 通り過ぎようとした悠太の服を、鷹根は掴んだ。悠太の肩が、抑えきれない苛立ちにぴくりと跳ねた。

「悪いとは思ってんだよ、本当に。これ落ち着いたら休むからさ」

 鷹根に背を向けたまま、言い訳がましい早口だった。

「ちがうの。あたし、その……覚書」

 振り向いた悠太は、差し出された泥まみれの本を見て、きつく目をつぶった。ゆっくり息を吸い込んで、吐き出されたのは、冷たいため息だった。

「探す時間無駄にしたわ」

 かすかに開いた鷹根の口から、風鳴りのような音がした。瞳が雨季の曇天の湿度をたたえ、あっという間に涙になった。

「ごめんね、ユータ。ごめんね」

 悠太はうつむき、鉤のように曲げた指を眉間に当てた。がりり、と、歯を強く噛みあわせる音がした。

「いや、悪い。今のはオレの言い方が悪かった」

 感情を無理に押し潰した、低く平たい声だった。悠太は口から短く鋭く息を吸って、威嚇するような音がした。

「責めたかったんじゃない。悪かった、鷹根」

「でもあたし、だめにしちゃって、ユータの大事な」

 泣きながら伸ばした鷹根の指先は乾いた泥に汚れていた。悠太は、半歩、身を引いた。

「いいよ、いいから、頼むよ」

「でも」

「頼むから!」

 悠太はうつむいたまま、鷹根を制して怒鳴った。

「……オレもオマエも謝ったろ? それで終わりにしてくれよ」

 覚書が、ページを下に、鷹根の手から滑り落ちた。悠太は本を拾い上げ、泥にまみれた表紙に視線を落とすと、乾いた表情をつくった。

「ジジイのところ行ってくる」

 ほとんど逃げ出すように、悠太は去っていった。

 ふらついた鷹根を、樫葉が支えた。

 ことの成り行きを呆然と見守っていたアンベルは、跳ねた泥が頬に触れる冷たさで我に返った。

「あれは、いくらなんでも……いや、うーん」

 アンベルは巻き角に触れた。鷹根にも悠太にも同情的な気分だったし、それが余計にやるせなかった。

「鷹根と樫葉は、話します。これからゆっくり、たくさん」

「ボクも付き合いますよ」

「アンベルには、仕事があります。それはアンベルだけができることだと、樫葉は知っています」

「それはまあ、そうですけど」

 樫葉は、あやすようにアンベルをなでた。

「分かりましたよ。いい報告をお待ちしています」

「樫葉はお世話を焼くのが好きです」

「もちろん、よく知っていますとも」

 にっこりした樫葉は、鷹根の肩を抱いて領主館の扉を押し開けた。アンベルは頬の泥を親指でぬぐうと、穏やかな晴天めがけてため息をついた。

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