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康太の異世界ごはん リージョンc  作者: 6k7g/中野在太
踏鞴家給地の鶏白湯
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踏鞴家給地の鶏白湯②

 小麦をひとつかみ、手に取る。

 午後の光が窓からさしこんで、一粒ひとつぶが、きらきらしている。


 ぷりっとした紡錘形。

 茶褐色の外皮が、胚を巻き込んでいる。


 指の腹でなでてみる。

 つるっとした、冷たいてざわり。


「んふう……」


 ため息が漏れる。

 なんて美しいんだろう。


「それ、粉にするんだろ? さっさとやれよ」


 鍋の前で汗だくの悠太君が、僕の感傷に水を差した。

 もうちょっと浸らせてくれないかな。


 踏鞴家給地には、回転式の石臼がない。

 あるのはおもちをつくための木臼と、両端がふくらんだ砂時計型の杵だけだ。

 こいつで小麦を叩きつぶして粉にするのは、簡単なことではない。


 木臼に小麦をざらっと流し込み、杵でつく。

 小麦がぴんぴんとあっちこっちに跳ねる。

 めげずにもう一回つく。

 跳んできた小麦がまぶたに当たってすごく痛い。


「なにしてんだよオマエ」


 右目をおさえてうずくまった僕に、悠太君が容赦なかった。


「いやいや、ないものはない、あるものはある。やるしかないんだ」


 ひたすらついていくと、だんだん小麦が崩れていく。

 ヘーゼルナッツとどんぐりを混ぜたような、甘くて渋い小麦の香りがしてくる。


「んんん……なんか、いいにおいが、なんか……」


 すると、客間で昼寝していた榛美さんがにおいを嗅ぎつけ、寝言を言う。


「榛美さん、いつから寝てるの?」

「オマエが出て行ってすぐ寝た」


 汗だくの悠太君が吐き捨てるように言った。

 なにがどうなるのかさっぱり分からないまま、だんだん白くにごっていくスープの面倒を見つづけるの、すごく意味不明な体験だろう。


「すげえな、小麦。あっという間に粉になんのな」


 しかし、悠太君も僕と同じく文化系男子。

 興味ぶかいできごとが目の前にあらわれると、たちまちそれまでの苦労を忘れてしまうのだ。

 文化系男子というのは、カブトムシと未知のできごとが死ぬまで大好きなのだろう。


「お米とちがって胚がすごくもろいんだよ。だから、粉にして料理するんだ」


 青麦を炙って干した、フリーケみたいな例外はあるけどね。


「クリームパスタも小麦だったな」

「そうそう。あのときも小麦があれば、あそこまでじたばたせずに済んだんだけどね」


 もち米を麺にしようというのは、はっきり言って正気の試みではない。

 よくうまくいったと今でも思う。


 だいたい粉っぽくなったので、ぼろ布でふるってふすまをできるだけ取り除く。

 大きなふすまがまざると、そこで麺が切れてしまうからだ。

 これで小麦全粒粉のできあがり。


「あとは、えーと、なんだろ。あ、だしも引かなきゃ」


 小麦が手に入った興奮と動揺で、手順がめちゃくちゃだ。

 完全に、好きなことからはじめてしまった。

 中華鍋を振るのが楽しすぎて炒めものから手を付け、スープができあがった頃にはもう完全に冷めてる……みたいな失敗をよくやったけど、異世界でも同じ道をたどっている。


 かりっかりに干した小鮎をぬるま湯にひたし、もどったらそのまま弱火にかけておこう。

 しばらく放っておけば、鮎だしのできあがり。


 いよいよ、麺づくりだ。

 小麦粉を鉢にあけて、灰をぶちこんだ水、つまり灰汁の上澄みを注ぐ。


「え……大丈夫なのかよそれ」


 悠太君の言葉は、もっともなものだといえる。

 赤褐色の灰汁は、どう見ても体に悪そうだ。


「ちょっと、かん水のかわりにならないかなーって思ってさ」


 かん水は、中華麺に欠かせない添加物だ。

 アルカリ性の液体で、小麦のグルテンと作用してもちもち感や歯切れの良さ、それと中華麺特有の黄色みを生んでくれる。

 むろん、この土地には存在しない。


 そこで、かん水とほとんど成分の変わらない灰汁の登場。

 沖縄そばでは、麺づくりのときにガジュマルの灰を使っているなんて話を聞いたことがある。


「灰汁を使うって、割とよくある調理法なんだよ。フィリピンにはバイン・ウーっていう、灰汁で煮るちまきがあるぐらいだからね。たしか九州にも同じようなのあったっけ」


 灰汁を粉にちょろっと注いでは練り、練ってはちょろっと注ぐ。


「ここでも、灰がなんか、ありがたいもんみたいに扱われてるけどな。知ってるか? 祭りが終わった後、灰を棚田のてっぺんから撒くんだよ」


 少しずつ粉に水が入っていく。

 ぼそぼそとまとまりの無かった粉が、練るたび、大きなかたまりになっていく。


「ああ、収穫祭みたいのあるんだっけ。灰はね、いいよ。土を肥やしてくれるし、料理に使えばもちもちになったり、防腐効果を高めてくれたりするからね」


 小麦粉がいよいよひとかたまりになったら、掌底を使ってぐいぐいのしていく。

 でこぼこしていた表面が、つやつやぴかぴかになる。

 そしたら、葛布を濡らして堅くしぼり、かぶせる。


「ふいー……よし、寝かせてる間にスープの仕上げだね」


 味覇も出来合いの麺もない世界でラーメンをつくるというのは、なまなかなことではない。

 すでに太陽はかたむきはじめている。

 榛美さんはまだ寝ているけど。

 まあ、色々あったからね。


 木さじで白湯をひとすくい。

 すすってみる。


「んんっふ!」


 むせてしまった。


 鶏の香りと強烈なこく。

 舌にねばりつくようなとろみ。

 頭をぶん殴られるような、すさまじい旨味。


「これは……これは危険なやつだ。悠太君、どうぞ」

「んんっふ!」


 味見した悠太君が、僕とまったく同じ反応をした。


「これ、やべえだろ。なんだこれ、わけわかんねえ……味がねえのに、味がする」

「しかもこれを、鮎だしと合わせてしまうつもりなんだ」

「……やめた方がいいんじゃねえか?」


 悠太君は、心底心配そうな表情を浮かべた。

 たしかに、この先は人類が到達していいやつじゃない気がする。


 煮沸した葛布でスープを漉す。

 鶏がらはぐっずぐずにやわらかくなり、木さじで軽く押しただけで骨が粉々になった。

 骨髄と肉から、一滴残らず旨味をしぼり出してやった証拠だ。


 澄んだ黄金色の鮎だしを、ちょっとすする。


「はあー……これだね、これ。いいねえ。なんかもう、平和だ」


 おだやな酸味と、うるさくない渋み。

 喉を流れ落ちながら、さわやかな川の香りが控えめに主張する。

 ただし、こいつにちょっとでも塩分を加えた瞬間、なにかとんでもないことが起きそうな予感がする。


「よしよし、これで鮎だしもいいね。一休みしたら麺をやっつけちゃおうか」

「んんっふ!」


 悠太君は、白湯をすすってむせていた。

 くせになってしまったみたいだ。

 うまみって、やっぱりよくないものなのかもしれない。


「んん……ん! 麺だな、分かってる。大丈夫だ」

「……もうちょっと味見しちゃおっか」

「んんっふ!」

「んんっふ!」



 この世界には製麺機みたいな便利なものがない。

 というわけで、生地を平たくするのも力仕事だ。


 なるべく大きい木の板に葛粉で打ち粉をして、生地を置く。

 灰汁とふすまのせいで、なんとなく赤茶けた色合いになっている。

 しゅっとしたラーメン屋の全粒粉麺っぽくて、むしろおしゃれだ。


 この生地を、麺棒でのしていく。

 加水を少なめにしたので、かなり伸びづらい。

 体重をこめると、たちまち生地のはしっこに不穏なひびが入る。

 グルテンを傷つけないよう、休み休みやった方がよさそうだ。


「そば打ち教室とか通っておけばよかったなあ」


 生地を四角くするのに往生しながら、僕はぼやいた。

 老後の楽しみだとか悠長なことを言わず、『異世界での製麺』をちゃんとライフプランに組み込んでおくべきだった。


 あっちに伸ばしたりこっちに伸ばしたりしながら、なんとか生地がそれっぽくなった。

 ふたたび葛粉で打ち粉をして、折りたたむ。


 悠太君がこないだどこからともなく見つけてきた包丁と、駒板がわりのその辺の木の板で、これを切っていく。

 素人仕事なりに、なるべく細くなるようがんばろう。

 なにしろ鶏白湯といったら細麺だからね。


 包丁をいれる。

 グルテンの膜がぱつんと弾ける感触。

 生地を刃がかき分けていく時の、さらっとした粉っぽい抵抗。

 ああ、僕はいま小麦粉を扱っているんだなあ。


「なんでオマエちょっと泣きそうなんだよ」

「いやなんか……じーんときちゃって。なにしろ小麦だからね」


 悠太君はものすごく興味のなさそうな顔をした。


 切り終わった生地を一玉ずつ分ける。

 軽く揉んでちぢれさせたら、麺のできあがり。

 

 だしよし、麺よし。

 あとは彼らを組み合わせ、ラーメンという秩序の小宇宙を生み出すだけだ。


「おゥ、やッてンじゃねェか」


 折良く、鉄じいさんがやってきた。


「ほらよ。こンなもンでいいンだろ?」


 手にはせっ器のどんぶりと、割り箸。


「わあ! ありがとうございます! でもこれ、どうやって作ったんですか?」


 割り箸は、どこからどう見てもごくふつうの割り箸だった。

 長方形で、半分ぐらいまで切れ目が入っているやつ。

 ラーメン屋の箸立てに並んでいても、まったく問題ない。


「ひのきの端材を鉋で削ッた。切れ目もな」


 さらっと答える鉄じいさんだけど、踏鞴家給地の鉋は、いわゆる槍鉋。

 なんというか、小さい槍だ。

 それでここまですべすべに表面処理して、かつきれいに切れ目を入れるというのは、簡単な仕事ではない。


「なんだこれ?」


 悠太君は、はじめて見る割り箸に興味しんしんだ。

 両端をつまんでひっぱり、ハの字型に広げている。


「悠太君、あんまり力をこめすぎると――」

「うわあ!」


 割り箸がぱきっと折れ、片方がどっかにすっ飛んでいった。

 手の中に残された方は中途半端なところで割れ、なんかハルバードみたいなかたちになった。

 

「え……なんだよ今の」


 悠太君は床に転がった箸の片割れを見下ろし、ぽかんとしていた。

 割り箸はもちろん、パピコもダブルソーダも存在しない異世界だ。

 ふたつに割ることで成立するもの、という考え方が、そもそも無いのだろう。


「それじゃあ榛美さんを起こして、はじめようか」

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