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羅刹の女 完結  作者: 神邑凌
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羅刹の女 まるで羅刹


「それで今日は貴方に事件の流れを、お話出来る範囲ですがさせて頂こうと思いまして」       

「そうでしたか。それは楽しみです。では私の家にお越し頂いても胡散臭い所、ですからこの拝殿にお参りして少し歩けば大きな池がありますから、水鳥でも見ながらお聞き致します。それほど環境も良い。」

「あっ見えますね池が」

「ええ、お参りを済ませたらあそこへ」

「神話でしょうが、日本はここから始まったのですね。紀元二千六百七十年前に始まった様に書かれていますね。」

「だから天皇陛下までが来られるのです。」

「それを思うと凄い話ですね。」     


二人は厳かな気持ちで手を合わせ、拝殿を後にして池に向かった。水鳥たちが餌を催促する様に集まって来て二人を歓迎していた。

「岩下の妻と子殺しの容疑を掛けてある男を逮捕致しました。貴方も知っておられると思いますが、碇谷と言って田之倉の親分の運転手をしていた男です。

あの岩下が殺したと思われる内縁の奥さんがですね、当時元亭主の結城がお金を田之倉金融から借りていてその保証人になって居たようで、そんな事で奥さんや家族の財務調査を碇谷が担当していて、岩下さんに保険が掛かっている事や、その妻にも元夫の結城が受取人に成っている保険が掛けられている事を調べあげた訳です。


そこで私は推測しうるには、碇谷は岩下か或はその奥さんを殺す事を考えたと思います。寧ろ奥さんを殺せば間違いなく結城に保険金が入り、それを狙えるからです」                   

「でも結城に保険金が入って何故碇谷が得をするのです?そんな危険な事をしてどんな得が?」    

「そこで理沙が出てくる訳です。理沙は結城が言っていた事を碇谷に全部話していたと言う事実があります。

つまり結城は元妻に保険が掛けられていて、万が一死ねばその保険金は自分に入ってくる様に成っていると何度も口にしていた様です。更に保険が入ったならそれを持って来てあげるからと、理沙の心を引く様な事を言って居た様です。

何度もその様な話を聞かされていた理沙は、碇谷に同じ事を言って居たようで、碇谷は結城の元妻が死んでも岩下さんが死んでも、何れ理沙にお金が入って来る様に思えていたのです。

だから私はこの事件は岩下の犯行ではなく、碇谷が狡猾に企んだ非道で残酷な犯罪ではないかと、碇谷を今追い詰めている所なのです。

沢村さんが心の底から岩下いや山根さんが無実であって欲しいと願う気持ちを十分解かっている積りですから」


「ありがとう御座います。貴方が居なかったら山根さんは浮かばれる事なく葬られるでしょうね。犯罪者として、その様に思うと恐いものですね。

全国で毎日の様に事件が起こる時代に成って来ましたが・・・冤罪など在っては成らないと思いますが」

「おっしゃる通りですね。これだけ起これば我々警察にも捜査に限界が在るかも知れません。

犯人も想像を超越する企みを持って犯罪に及びますからね。盤根錯節と言いますか」         

「そうでしょうね。第一人間に義理とか人情とかが無く成ってしまった昨今、事件は思わぬ所で起こり思わぬ方向に進んで行くと思いますね。晩節を守るものには解きほぐせない事件が在るようですね。」  


「ええ、訳が判らない動機であるとか、稚拙な考えで簡単に犯罪に走るそんな事も結構在りますから」 

「それで碇谷を母子殺しで起訴出来るのでしょうか?」           

「いやそれはまだ」

「つまり物的証拠たるものが何一つ見当たらないのでしょうか?」                 

「ええ、今の所は」

「でも貴方の話から想像すると、碇谷は既に逮捕されているのだから、逃げる事も隠れる事も出来ない筈ですから、時間を掛ければ何れ解決するでしょうね。」                      


「ええ、それは私も思います。しかし物的証拠が全く無いと成ると自供に頼る以外に無い訳で厳しいものがあります。」

「つまり山根さんの無実を立証出来るかはまだ判らないと言う事に繋がりますね。」         

「ええ、それもまた法律ですから」

「ではお聞きしますが、碇谷と猪村加奈子さんの関係は?」                    

「それは全く無いと思います。お金を借りたのは実際は結城自信で、勿論保証人になっていたことは事実

ですが」

「でしたら碇谷と殺された結城の関係はどうなのですか?」              

「それは結城が碇谷の女を取り上げた様に成っている過去があり、だから結城は碇谷の言わば刺客に殺された様なもので、碇谷は結城が死んで怨念を晴らしスカッとしたと言って居たようです。」

「その関係を考えると、やはり結城から情報を掴んで、何もかもを碇谷に告げていた理沙さんを問い詰めれば、何か重たい事実が出て来るのではないでしょうか?」                    

「重たい事実ですか? そうですね、私も今は理沙に聞く 事が一番であると思っています。理沙は何かを知っているでしょう。」


「ところでその理沙さんは今どうされています?」

「ええ、大正区の泉尾でスナックをされていましたが小火にあって今は休業で」  

「だから理沙さんはお金が要ったのですね。碇谷は理沙さんにお金を都合付けてあげる為に危ない橋を渡った、言わば墓穴を掘ったわけですね。」  

「そうです。其れで小火では収まらなく成ってしまったと言う事です。」              

「成程ね。権藤さん、それならやはり理沙さんを問い詰めれば吐かないでしょうか?碇谷が理沙さんに岩下さんの保険金の事を口にしたとか、或は奥さんの保険金の事を話したとか、それともっと大事な事は、理沙さんが碇谷の事を信頼しているのでしょう。結城の心の内を全部話していたと言う関係だったから」

「ええ、将来を考えていたとか、二人は同郷ですからそんな関係で」                

「ならチャンスかも知れませんよ、碇谷をおとしいれて何もかもを白状させる。」       

「と言いますと?」


「だから二人の仲に不和感を抱かせるのですよ。理沙が碇谷の事を信頼していると思っていますが、その反対なら碇谷が隠している事が出て来るでしょう。 

それは碇谷にも理沙さんにも言える事で、もしその様に成れば相乗効果と成って暴露合戦に成りはしないかと思われます。これは素人の考えですが」

「いやぁ沢村さんは流石探偵さん。先ずその事を思いつくのはたいしたものです。心理作戦ですね。成程・・・」


「これは私が言っている言葉と言うより神様が言われている言葉かも知れませんよ。

実は私この裏山に良く登るのです。畝傍山と言いまして厳かな雰囲気のご神体です。また機会がありましたら登りましょう。今私が言った言葉は『神様のお告げ・・・』まさかですか笑わないで下さい。素人が考える様な事を言っておきながら」

「いえ、貴方が言われた事は残された道かも知れません。」                    

「でも変なものですね。貴方と始めてお会いした時、貴方は理沙さんの事をお気に入りだと言って居られました。

其れで私もあの方を店に尋ね、店の外から初めて見ましたが、何と言う美しかった事か心が震える思いがしました。」

「ええ男なら誰でも理沙さんの魅力を感じるでしょう。それぞれ違う印象は持つと思われますが、それでも理沙さんを苦手には思わないでしょう。


それは結城にしても田之倉にしても碇谷にしても同じだと思います。其れにこれまで大正区でやっていたスナックの客でも、理沙さんの魅力に取り付かれた者が居たと思われます。理沙さんとはそんな女なのでしょう。」

「まるで男達にとって運命の人と言うのでしょうね。あの人が現れたが為に、みんな人生と言うか生き方を狂わせている訳ですから」

「それを言われると私も言い返せませんなぁ、まったく。」             

「貴方もお気に入りだから理沙さんが」

「ええ、それが証拠にあの人が大正区で自分のお店を持ってから私も格好付けて数回行っていますからね。天王寺のエデンにはまるで行っていないのに」

「それは危険ですね。『ベテラン刑事妖艶な女に溺れる』なんて見出しに成って」          

「まさか・・・でも私も婚期を慰した情けない心と淋しさを忍ばせた男、可能性がありますね。」

「でもどんな運命に成ってもあの人なら仕方ないでしょう。納得でしょう。」             

「まぁね」

「其れでこれから?」

「ええ、貴方が言われる様に理沙に詰め寄ります。それと他にも突破口が無いか探ります。貴方の山根さんを信じる切実な思いを叶えさせて貰いたいから。」                       

「ありがとう御座います。私長い人生でこの事だけは全うしておかなければ、我が人生の生きて来た意味が薄れるのではないかと思えています。この思いが山根さんの無実を立証する事に繋がると考えます。」

「解かりました。私なりに頑張って、また貴方に笑顔でお会い出来る様に精進致します。」      

「権藤さん、今日は近くで美味しい物を食べさせてくれるレストランがある事に今気が付きました。以前から噂で聞いていましたのでこんな機会だからご一緒下さい。自宅へ帰って嫁に会って頂くのは事件が解決した時に祝勝会と言う形で」


「はい、プレッシャーですね。これはきつい」

「何を言われます。貴方ほどのお方が」

「沢村さん、私も所詮男ですから壊れる事だってあると思いますよ。」    

「それもまた人生と言うことですな」

「ワッハッハ」 

「だからこうして神様がおられるのですよ」

「これはきつい」


翌日権藤は碇谷の動機を理論付けた事で、物的証拠に繋がらないか他の捜査員に助けを求めた。

碇谷が当時岩下に近づいていないかと言う事も大事で、万が一そこに証拠があれば大きい意味がある事も判っていた。

しかし権藤はおぼろげな過去より、沢村が言って居た様に理沙が全てを把握していないかと言う事に興味を持ったのである。

それが近道である事は解かっていたが、これまで理沙は何事に於いてもはぶらかせて、決して罪を認める事は無かった。常に蚊帳の外であった。

現に権藤は理沙が田之倉に遣られた痣を長らく心配していたが、実際は痣などとっくに治っていて、理沙はカモフラージュに痣をファンデーションで言わば厚化粧をして、田之倉初め権藤たちをも騙していたのであった。


そんな事があったから、理沙の心の中に何が詰まっているのか権藤には判らなく成っていた。

この思いは沢村に言われる事が無かったなら、理沙を攻める事もしなかったかも知れない。只管碇谷の自供に頼っていた事も確かであった。

理沙の自宅を訪ねた権藤は偶々一人であった事が理沙にとって意味があったのか応接室に案内された。「権藤さん、お店にも何度も来て頂き助けて頂いているのに、こんな事に成って本当に残念です。折角お店を持てたのに悪夢の様に壊れてしまいました。

私って不運ですね。貴方に言われた様に田之倉さんと知り合いに成って狂い始めたのかも知れませんね。取り返せない現実に耐えなければ成らないのですね。」        

理沙はそう力無く口にして鼻を軽く押さえた。


「理沙さん、だから私言ったでしょう。でも貴方が選んだ道は決して間違っているとは思いません。田之倉と縁を切ってこうしてお店を構えたのですから、其れに碇谷と何れは所帯を持つ積りだったのでしょう?でも残念ながらそれも適わなく成りましたね。」                

「・・・」

「前にも言いましたが碇谷は恐ろしい奴かも知れませんよ。結城を殺した主犯格である事は判っていますが、それ以外にも」

「碇谷さん他にも容疑が掛かっているのですか?」 

「ええ、結城の元妻とその子供を殺した事も考えられます。」 

「・・・まさか碇谷さんが・・・」

「残念ながらその可能性が在ります。どなたかが碇谷がやったと言う物的証拠を示せば即逮捕に成ります。詰まりもしそれが事実ならはっきり言って死刑に成るでしょう。」

「死刑?」

「そうです。三人もの命に係わる様なら」


「碇谷さんが・・・信じられませんねぇ」

「それは貴方が碇谷の事を愛しく思っているからで、決して冷静では無いからだと思います。貴方の身内で命を亡くした者が居てその容疑が碇谷に掛かっていたなら、決して今の感情ではないと思われます。

誰でも悪い事をして隠せばその人は事実が判った時必ず罰せられるでしょう。

理沙さんこの際冷静に考えてみませんか?碇谷は今の状態でも十数年は出られないと思われます。特赦があっても十年近いでしょう。その人を貴方は待ちますか?待って、待って帰ってくればあの人とやり直しますか?

どんな理由が在っても人の命を殺める事は絶対してはいけないのです。貴方はそんな人とこれから暮らせますか?

私は貴方ほどの美貌なら、それを武器にして更に活かしながら芯はしっかり持って生きて行けば良いと思いますよ。決して難しい事ではない筈。どうです?そこに碇谷が要りますか?」

「そんな風に言われましても・・・」

「近々碇谷の公判が始まります。貴方も検察から呼び出されると思います。逆らったなら嫌疑が掛けられてスナックの再建どころではないと思われます。信用も下がり金銭的にも不自由に成るでしょう。

理沙さんじっくり考えて下さい。実は私貴方に提案があります。貴方の一言で碇谷は完全に道を絶たれるでしょう。つまり碇谷は地獄へ行くのです。それは結城信を海の底に沈めた様に」

「そんな事を?彼が・・・」

「そうですよ。簡単に虫けらの様に殺したのですよ、結城信を。だから言っているのです。考えて下さい。碇谷はこれ以上生きて行かない程良いのです。

理沙さん良く聞いて下さい。あの男はこの二年間の間に結城の元奥さんの猪村加奈子さんを殺した事を口にしなかったでしょうか?

やったのなら何かそれらしい事を口にしている可能性がある筈、思い出して下さい。頭痛がする位思い出して下さい。碇谷は生きていてはいけない男なのです。そんな男で在ったのだと意識しながら一緒に過ごした日々を思い出して下さい。」

「そんな事言われましても、私にとってどれだけ大切な人であったか、私を大事に思っていてくれたか、それもまた事実ですから・・・。」


「理沙さん私は後数年で退官します。長い間警察官をして色々な人間を見て来ました。

碇谷が貴方にとって大事な人で大好きな人であったのかも知れません。しかし貴方に喜んで貰う為に人を殺していたとしたらどうでしょう?

 貴方がお金を必要とするからと言って、他人のお金を奪ったとしたら、そのお金を喜んで使えるでしょうか?それが平気ならこれ以上何も言いません。

でもお店を再開してお客さんが戻って来た時巷の噂で『この店は人を殺して手に入れた保険金で再開したらしいよ』と広まれば、お客が一目散に散ってしまうのは間違い在りません。


その時貴方が幾ら言い訳をしても、それなりの理由を付けて弁解しても遅いのです。

それは人の道ではないからです。それは非道なのです。碇谷が貴方に岩下の事や奥さんの猪村加奈子さんの事を何か口走っていなかったか思い出して下さい。これからも碇谷が罪を重ねると貴方も不幸になる可能性があります。

この儘では十年近くで碇谷は刑務所から出てくるでしょう。そして真っ先に貴方を尋ねて捜すでしょう。一年でも二年でも三年でも、その時貴方が例え結婚していても乗り込んで来るでしょう。

そして刑務所で描いている様に成らなかったなら、碇谷は貴方を殺すかも知れないのです。

幾ら頑張って一生懸命健気に生きても碇谷は認めないでしょう。そして貴方にこれまで尽くして来た事を恩だと言うでしょう。そして貴方とまた暮らす事に成ると三人もの人を殺めた男と貴方は暮らさなければならないのです。


そんな事出来ますか?事実を知ったなら、それを警察に言おうものなら直ぐに貴方を殺すでしょう。言っている意味が解かって貰えますか?」

「刑事さん碇谷さんは本当に結城さんの元奥さんを殺したのでしょうか?」     

「ええ、私はそう思っています。犯人とされる内縁の夫岩下が大台ケ原で自殺をして、その時に『自分は絶対やっていない』と遺書を残して死にました。

私の経験で言うとどんな人でも死ぬ時は例えそれが自分にマエナスな事であっても事実を言うのです。事実を言わないと心に思い残す事が出来る事に気が付き、死んで逝く意味さえ薄く成ると思う様です。それは今までの経験からでその様な事実を見てきたからです。


だから自殺をする人が遺書を残す時は、その殆どに事実が書かれている事が多いのです。

 若い人には勘違いして被害妄想に成る事もあり、死を選ぶ者も居ますが、立派な大人では余り在りません。だから母子殺しの犯人と言われている岩下は、真面目で誠実な人の様で無罪だと私は思っています。無罪にも関わらず罪を着せられ死んで逝かなければ成らない心の内を思うとお気の毒です。」     

「でもその人はどうして死んでしまったのですか?生きて自分では無いと言えば良いのに?」     

「そうですね。でも岩下には若い頃の事ですが好きな女性が出來、初デートの日にとても悲しい経験をしたのです。


その相手の女性は大学の後輩で、岩下と初デートをする前日に買い物へ行き、帰り道で車に撥ねられ即死したのです。

タイヤで轢かれ顔がぐしゃぐしゃに成って棄てられた人形の様であったと岩下が言って居た様です。

そんな事がありもう二度と恋などするまいと誓って来て二十年も経った時、岩下の会社へパートで働きに来た結城の元嫁の猪村加奈子さんと出会う事に成ったのです。

猪村さんは既に結城と離婚していて、岩下さんは仕事を教えている内次第に心が通じる様に成り、いつの間にか同棲する様に成った様です。


ところがそんな毎日が続いていて、幸せを感じていた岩下さんが、ある日仕事から早く家に帰って玄関先で猪村さんが電話をしている声が聞こえて来たのです。

それは驚く内容でした。

猪村加奈子さんは元夫結城と話していたのです。

そして再三二人が出会っている事も知り、また子供が結城に会いたがっている事も聞かされ、父親として頑張って来た筈が、背中に氷水を掛けられた思いにさせられた様です。

更に自分のお金を狙っている事や、そして彼が保険に入っている事を二人で話していたと言うのです。

それから同じ様な事が何度も在ったかも知れません。そして岩下の心がどんどん塞ぎ冷めて行ったのだと思います。


二十年も掛かって取り除いた辛い自縛からやっと逃れたと思ったら、現実はとんでもない話だった事で相当ショックを感じていたと思われます。

岩下は大台ケ原で死んだ時、枕元に二つのコーヒーカップが並べられていた様です。それは昔大好きになった人と初デートが大台ケ原であった事から、時は過ぎてしまったけど、当時を思い、夢を見ながら薬を飲み静かに息を引取ったと思われます。

私の様な歳に成ると岩下の気持ちを理解出来ます。殆どの人は晩節を汚す事無く、男は男らしく堂々としていて、女性は貞操を軽んじる事無く、みんなそうだったと思っております。


人を殺す様なニュースもあまり無く、こんな世の中に成るとは思っても見ませんでした。

理沙さん私は今日貴方に余計な事を言ったかも知れませんが、嫌って下さっても構いませんが、貴方も何れ碇谷の裁判が始まれば、何処で引っ掛かって身柄を拘束されるかも知れません。

全く罪が無いとは言えないのです。多くの人が亡くなっているのですから、少なくとも結城は貴方と一夜でも肌擦り合った仲、全く他人では無い筈、でも殺されてしまったのです。今海の底深くで横絶えているのです。おそらく泪を流しながら。」

「止めて下さい。そんな言い方をするのは」


「そうですか、私今日は帰ります。貴方が色んな事を思い出し、思い切って話して頂く事を期待して、其れに万が一貴方に思わぬ容疑が掛かる事が在っても、それを出来るだけ阻止します。許される範囲で、 

貴方には長い将来が在るのです。ですか貴方のためにも協力して下さる事を願います。」

権藤は理沙の元を後にした。碇谷にも理沙にも二人の心の中に釘を打ち込んだ思いであった。     

『慌てる事は無い、山は必ず動くだろう』自信を持って心の中でその様に感じていた。

一旦署に戻った権藤は退屈そうにしていた清水刑事と連れ立って車を走らせていた。         

「何処へ行かれます?」


「朝から理沙の家に行って来た。相変わらず別嬪だなぁあの女は」                 

「千島団地に?」

「そう。上に上がれと言われて話し込んでいた。それで貴方に容疑が掛かれば出来るだけ許される範囲でもみ消すからと言って餌を撒いておいた。」

「どの様な反応で?」

「判らない。これからだな、でもあの女も不運な女だな。折角店を持てたと言うのに小火に遭うなんて、」


「でもだからと言って人様のお金に手を付けてはいけませんよ。」                 

「全く。でもそれだって『私は知らない』の一点張りだから往生際が悪いよ。狡賢いのかな?」    

「理沙ってそんな生き方をして来たのでしょうね。世の中を掻い潜る様な」             

「鮎の如くか、そう、其れで男たちを翻弄して片や自殺、片や殺され、片や豚箱入り・・・まるで羅刹を背負った様な女だな」

「綺麗に生まれたと言うだけの事で、覆い被さる宿命の様な魔物が在るのでしょうか?」       

「良し悪しは兎も角な」

「其れでこれから何処へ?」


「前から気に成っていたのだけど岩下が暮らしていたアパートへ行ってみようかと思って」      

「またどうして、今更?」 

「いやぁ朝から岩下が自殺して死んでいた時の事を理沙に話していて、何となく気に成って来てな」  

「そうですか?何か不気味ですね。」

「若しかしたら岩下の霊が私を呼んでいるのかな?」

「止めて下さいよ、そんな事言うの」

「どうも奈良の沢村さんが岩下に御衷心だから」

「無罪だって」


「そう、でも私も最近は同じ思いに成って来ているよ。碇谷が底知れぬ悪党かも知れないから、我々はとんでもない人を罪人に仕立てているのかも知れないね。」                     

「そうでしょうか?」

「今に、今に判ると思うよ。」

二人は岩下庄一が当時住んでいたアパートに着いた。相変わらずの佇まいであったが、些かペンキが剥がれたのか、色が褪せたのか、安アパートと言う言い方が何より相応しい表現であった。

大家を尋ね、


「無理ですよ。あれだけの事があったのですから、家賃は半額近くまで下げているのですが、この二年余り全く入る人が居なくて、だからと言って壊す事も出来ませんから、他の住民がまだ居ってくれますから」

いきなり大家はそう言って嘆きながら鍵を持って岩下が住んでいた部屋の前に立った。         

「大変ですねアパート経営も」

「こんな中途半端じゃねぇ、まあ中へ」

「すみません」


 二人は岩下が住んでいた部屋に案内され、綺麗に片付いて物悲しさだけが漂っている部屋であった。 部屋は小さかったが三つあり、それ故にあの時、岩下が会社から帰ってきて、仕切られていたが故に、奥から姿こそ見えなかったが嫁の声が聞こえて来たのである。

岩下を殺す相談であったのかも知れない。お金を毟り取る相談であったのかも知れない。煮える思いで岩下は聞いていたが、堪らず外へ出て頭の中が冷めるのを待って再度アパートへ帰ったのだろう。『ただいま』と大きな声を出して。どんな気持ちであったのか計り知れない。


二年余り前無残な姿になった親子が担架で運び出される姿を思い出しながら権藤は、

「あの時は悲惨でしたね。大家さん。」

「そうでしたね。子供さんも優しい子で時々話をしたのを覚えていますよ。可哀相に、野球が好きで・・・でも成さぬ仲って駄目なものですね。岩下さんがあんな事をするとは・・・私は未だに信じられませんな。」


「それが今に成って他に真犯人が居るかも知れない事が判って来まして、其れでこうして・・・」   

「そうでしたか。岩下さんは無実なのでしょうか?それは良かった。誰も信じないとしてもあの人がそんな事をするとは私には思えませんから、悔しかったです。あんな優しくって律儀な人が」       

「事件が遭った当時、その事を言って頂けましたか?」                      

「とんでもない。警察はあの方が犯人であると決めて掛かっていましたよ。写真入りで重要参考人として指名手配された事を覚えていますよ。


だから私あの時おまわりさんに『日ごろ見かけない黒い不振な車が停まっていましたよ。』と言いましたが、おまわりさんは『旦那が行方不明だから、其れに旦那は車の運転はしないから』と、ですから『関係ありません』と言われましたよ。

おそらく初動で岩下さんが犯人であると決めて掛かっていたからでしょう。確かに嫁と子供が死んでいてその旦那と連絡が付かなければ、犯人は旦那であると誰もが思うでしょうな。

だから私の言葉など聞く耳を持た無かったのでしょうね。」                    


「不審な車って?それはどんな車て?」

「ええ、もう二年も経ちましたから記憶も薄れていますが、実は何回か見ていますから覚えているのです。黒い車でハンドルが茶色の木目の高級車でした。何度か停まって居てこのアパートを時々視ていた様に思います。

あの車は関係無かったのでしょうか?今貴方が岩下さんは犯人ではないかも知れないとおっしゃられたから、あの時の事を思い出したのです。

叶えられるなら岩下さんが無実であって貰いたいですから。そうでないと岩下さん成仏出来ないと思います。


当時警察が私の言うことを取り上げようとしなかったから逆にムカッとしてはっきり覚えているのです。」

「大家さん今でもその車見たら判るでしょうか?」

「さぁ、でもハンドルが同じで全体の感じが同じなら思い出すでしょう。」

「それではここでもう少し調べ物をしますからその後お付き合い願いませんか?

その車は私が今頭に浮かんでいる車かも知れませんから」                     

「判るのですか?あの車が?」


「ええ、今頭で思っている事に間違いが無かったなら」

「岩下さんが報われるかも知れないのですね?命に代えてまで訴えた事が」             

「かも知れません」

「そうですか喜んで協力させて頂きます。」                         

それから暫く片付いた部屋を見渡したが、疑問に思う事も無く大屋さんを乗せて田野倉の事務所へ向かった。 何はともあれ気になる車が在った。

事務所の前にいつも碇谷が運転している車が停められていて、まるで主人を待ち草臥れた様に黒さを埃で濁していた。


 パンフレットで叩く様に埃を払い綺麗に成った所で大家に、                   

「どうです?この車ではなかったでしょうか?」

「ええ、この車です。このハンドルです。滅多に無いハンドルだから間違いないと思います。」    

「そうですか。」

 「清水君、この車の車種を言って、こんなハンドルがオプションであるのか出所を確認して貰える。特注なら二台と無いかも知れないから」

「はい直ぐに照会して貰います。」                   

暫くして 


「やはりメーカーさんには無い様です。特注なのでしょう。」                   

「ではこの車が二年前岩下のアパートを見張っていたと言う事に成るね。それも一度では無かった事に。そうですね大家さん?」

「ええ、私も覚えて居る位だから見掛けたのは複数回と言う事に成ります。」            

「大家さんご足労願いまして感謝申し上げます。容疑者に問い詰めてみます。何かぼろが出るかも知れませんから、それでその人物はどんな特徴がありました?背格好は?」                

「さぁ当時不審に思い気になって、私が側へ行った時は顔を塞ぐ様にされましたので」        


「判らなかった。」

「そうですね。でもチラッと見えたのはまだ三十程のお歳だったと」                

「三十ほどね」

「背格好は座席に座っていたので判りません。」

「解りました」

権藤刑事たちは署に戻って早速地検に電話を入れ二年前に起こっていた真実を告げた。そして地検検事磯貝彰と共に翌日碇谷を尋問した。

「碇谷さんお聞きします。貴方は岩谷正一と面識がありますか?」                 

「いえありません」

「でも知っているでしょう?」

「いえ知りません。」 

「そうですか?二年前奥さんと息子さんを殺した男ですよ」                    


「奥さんと娘さんを」

「だから貴方が教唆して亡くなった結城信の元の奥さんですよ。其れに子供さん、そう言えば判って貰えます?その二人を殺した男の事ですよ。岩下庄一とは。お解りでしょうか?」            

「そう聞けば判ります。」

「其れで岩下庄一ですが本当に面識御座いませんか?」                      

「ええ、在る訳無いでしょう」

「でも当時田之倉金融はお金を貸していましたね。結城に資して元奥さんが保証人になっていましたね。


「それは在ったかも知れませんが、だからと言って岩下と言う男とは全く面識などありません。関係ありませんから」

「では一度も岩下さんのアパートへ行かなかったでしょうか?」                  

「ええ、行った事などありません。」

「でも貴方は田之倉に命じられて、しつこく岩下の家の身元調査をされていましたね。奥さんが結城の保証人であったことから」」

「その点ではねぇ」                              

それまで黙っていた権藤も口を挟む。              


「碇谷いいか、何もかも判っているのだから、知らないと言えば乗り切れるなんて思うなよ。証人も用意してあるから迂闊な事を言うなよ。

もう一度聞く、岩谷のアパートに行った事あるだろう?調べてあるのだから・・・」   

「・・・・・それは確かに調査しましたが、自宅まで行って調べたりしません。支払いが遅れた事もありませんでしたし、余程の事が無い限りそんな事致しません。正し逃げたりしたらそうではありませんよ。何処の業者だって同じだと思いますよ。」

「それでは再度聞くが、岩下のアパートに行った事は無いのか?」

「在りません。」

検事も言葉を重ねた。 

「碇谷さん嘘を付けば後で厄介な事に成りますよ。その事を忠告しておきます。」

「だから行っていないって言っているでしょう。」

「でも不思議ですね。大家さんが貴方の、つまり田之倉金融の車を再三見かけたと言って居ますよ。 二年前にも警察にその様に言ったと」

「誰か・・・人違いでしょう」

「いや間違いではないと」

「でも会社の車と同じ車だって幾らでもあるでしょう」

「でもね、貴方が運転していた車のハンドルは特殊でしょう。だから忘れる事が出来ないのと、メーカーに問い合わせた所そんなハンドルはこちらでは無いと言っておられます。本当に行かれた事無かったですか?良く思い出して、ご自分がした事は思い出せるでしょう。

前にも結城の事で殺し屋の龍林来に殺したいと言った事を思い出したでしょう。最初は知らないと言って居られましたが・・・でもそれを聞いていた者が居るのですから。後で知らなかったとか判らないと言っても、その時は夢中に成ってしゃべっているのですから」

「だから何?」                        

「貴方は岩下さんのアパートへ何度も行って下調べをして、そして綿密に計画を立てて実行したのではないのですか?」

「何を?」

「だから母子殺しを」

「まさか・・・馬鹿馬鹿しい誰がそんな事をする、何のメリットがある?」             「でも貴方はどちらが死んでも結城に保険金が入る事を調べ上げ実行したのです。」

「いい加減な事言うなよ」

「碇谷、明日にでも理沙さんが、あんたが岩下の奥さんを殺した証拠を持って来てくれる予定だから」

権藤も付け加えた。                         


「理沙はそんな事絶対しないから」

「そうかな、でも私が彼女に言ってやった。

碇谷の事など忘れてしまえばって、人を殺して平気な男など相手にしてはいけないって、豚箱から出て来て其れで一緒に住める?殺人犯と。

其れに碇谷はまだ他にも人を殺しているかも知れないのに、そんな男の子を産める?その様に言ったら理沙さんは黙ってしまって苦しんでいたぞ」           

「そんな事を言うから、たいがい卑怯な奴だなあんたは」                                  

「でも今でもあんたは結城を死なせたのは自分では無いと言いたいのだろう。でも実際は龍に頼んで殺させているのだから、あんたが誤魔化そうとしている間は人間として失格だな。

理沙さんはそんなあんたに愛想を付かして見切ったって事じゃないの?  

それとこれから理沙さんにとって、あんたは邪魔に成って来ると思うよ。

だから二度と刑務所から出られない様な事を考えると思うな。あんたが結城の元嫁とその子を殺した事実を突き止めると思うな。二度と見たくないから・・・

だからあんたの敵は警察だけではなく理沙さんも敵に成ると思うよ。気の毒だけど、

それと野々村いづみには余計な事言ってないのか?棚井亜紀にも、うっかり結城の嫁を殺した事を仄めかしていないのか?田之倉にもエデンのマスターにも、検察も警察も徹底的に調べるからな、言っておくが時効は無いからな、これから毎日何時間でもお前に権利も自由も微塵も無いからな」


それから一ヶ月ほど日は経ち連日連夜取調べが続いて、碇谷は結城を殺してほしいと仄めかした事を再度口にし、そして大家が言っている様に碇谷は何度も岩下庄一のアパートに足を運んでいる事も口にした。

そこには二つの意味が在る事も供述した。

保証人としての結城の元妻猪村加奈子の状況を調べる事と、理沙から聞いている結城や岩下の現状と、その妻の現状を確認し確かめたかったからであった。

つまり理沙の口から、結城の腹の中に詰まっているものを聞き出していたので、誰かが死ねば何れ理沙にお金が入って来る事に大いに興味があった訳である。                                     

この家族の保険金を狙うと言うことは、 『自分のお店を持ちたい』と言い出した理沙に、好い顔をしたくて資金を作ってあげる積りで考えた残虐な企みであった。

ところがたまたま人生に疲れた岩下が自殺をしたから、この事件は思わぬ方向に進んで行ったが、岩下正一が自殺などしなかったら、案外早く解決していた稚拙なレベルの事件だったのかも知れない。

当時事件現場で大家の言葉を取り上げる事が無かった一人の警察官の不手際が事件を長引かせた結果と成った。


碇谷哲夫は結城信殺しの依頼者で殺人教唆の罪と他にも猪村加奈子とその子供達也を殺した事を自供し、単独犯行であった事も明らかにした。

理沙こと皆川忍は全ての事件に関与していながら起訴される事無く、騒がれる事も無く大正区千島団地から姿を消したのである。

理沙に関わった多くの男たちが人生を惑わされ狂わせた筈が、当人の理沙はそんな事お構い無しに渡り鳥の様に大阪を飛び発ったのである。

殺人教唆の罪で碇谷は懲役十年に処し、更に猪村加奈子辰也の母子絞殺事件に関してそれを認め、死刑が求刑される事と成り刑務所から拘置所に移送された。

沢村準一が終始願っていた岩下庄一こと山根弘道氏の無罪も同時に確定して、全ての疑いが晴らされ成仏する事と成った。

気が付けば権藤と沢村が知り合いに成ってから五年の月日が流れ、権藤も大阪府警を退官していた。  


そんなある日に、髭面でちょっと乱れた格好で電車を降りた男が、メモ用紙を見ながら沢村の自宅へ向かっていた。                         

「御免下さい。権藤と申します。」             

「あぁ権藤さん。いらっしゃい。奈良に御用がありましたか?」                              

「いえ、此方へ来させて頂く事が御用でして」                 

「私んちへ?そうでしたか。いつどやは本当にお世話に成り有り難う御座いました。大阪天王寺母子絞殺事件が皆様方の刻苦勉励の元に解決に至った事に深く感謝致します。

これで山根さんも成仏されたものと信じております。先日山開きもしたので母さんと大台ケ原へ行こうと言っております。山根さんが命を絶たれた所へ行って報告させて貰おうと」                            

「沢村さん来させて貰うなり不躾ぶしつけでありますが、私態々髭も剃らずこの格好で来させてもらったのは、先月目出度く大阪府警を退官致しましてその後報告を兼ねまして、」

「そうでしたか、それはそれはおめでとうございます長年に渡りご苦労様でした。いいじゃありませんか髭面も、現役を退いたのだから」

「いえそうではなくこの格好は山好きな男に見えませんか?」

「はぁ?」

「実は私も線香を持って来ましたが・・・」             

「それは・・・まさか山根さんに?」

「ええ」

「これから?」

「ええ」

「そうですか。山根さん喜ぶでしょうなぁ、権藤さん有り難う御座います。でもこれからは時間的に無理ですが明日朝からなら」

「お願いします。」

「解かりました。今夜は此方で休んで下さい。積もる話も沢山在りますから」            


 ⓮

「はい。」                            

「如何です。警察を辞められて時間はたっぷりあり、お金もあり、しかしする事が無くこれから退屈な毎日が始まるのですよ。その内退屈過ぎて探偵でもしたく成って来ますよ。」

「そうですね。そんな気がして来ました。まだ一ヶ月過ぎただけですが・・・」

「其れで探偵でもして現役に叱られるのでしょうね。邪魔するなって」

「はっはっはっ、私が貴方を叱った様に」

「そうでしたね。」

「はっはっはっ」

「兎に角お上がり下さい。」

「はい。」

                                   

翌日権藤と沢村夫妻は大台ケ原へ向かっていた。

山根道弘こと岩下庄一が眠るその地は神聖な場所でもあった。 

ここで岩下さんが私にコーヒーを入れて下さりラーメンを作って下さり随分お世話に成りました。 

今あの時と同じ景色を見つめながら心の中で蠢いていた霧が風になびかれながら、全てが何処かへ消え失せて行く様に思われます。                  

権藤さん良く頑張って下さいました。

踏み越え消し去る事も至極簡単であった筈の事件でした。被疑者死亡と言う状況の中で良くも踏み留まって下さいました。


これで岩下さんは、いや山根弘道さんは無罪放免と成り、何十年も頭で描き続けたこの高原を、霊になって恋人と手を繋ぎ駆け回っている様に思われます。」

「沢村さん私も長い間警察に勤めてこの事件を担当した事で、おおいに価値があった様に思われます。それも多分貴方とお知り合いに成れた事が大いに影響している様に思われます。

現に沢村さんに頂いた助言であの事件が大きく解決に向かった事は確かです。貴方が岩下さんの事を無罪であると思う信念が、事件を解決に向かわせたかも知れません。

私たち警察官も常に真実だけを追究していたかと言えば、寧ろ落し処を想定してその方角に進んで行っている事も時にはある様に思われます。


あまりにも事件が多発する事も要因かも知れません。私は警察を去りましたが、ほんの僅かでも若い警察官に教訓を与えた事は間違いないでしょう。

岩下が、いや岩下さんが彼女を連れてここで初デートをして、その女性と強い絆で結ばれて結婚でもしていたと考えた時、現実とどれだけの差があるのか計り知れないですね。」 

「ええ、その様に思うととても辛いですね。私なんか家内と知り合いに成って、其れで今日まで順風満帆で生きて来ました。岩下さんもまるで同じ人生であったかも知れないのですね。

権藤さん人生って、運命って凄いですね。神様か仏様か知らないけど、こうも人間の生き方を時には波乱に、時には順風に、そして時には惑わせ狂わせ試練を与えるのですから困ったものですね」

「確かに、私とて嫁を貰っていたならどんな人生であったか・・・」


「権藤さん、貴方はこれから第二の人生を、今までに手にする事が出来なかった、例えば奥さんであるとか他に何か叶えられなかった夢とか在りませんか?」

「在りますよ。でも仕事柄許されなかった事も、或は心で思っていても苦手で叶えられなかった事も」

「その中に例えば理沙さんの様な女性と一つ屋根の下で暮らしたいと思った事など御座いませんか?貴方にとってあの方は特別ではなかったのですか?」

「その様に思った事もありましたね。

しかしかと言って心の内を打ち明けた事などまったく無く、今では音信不通ですから。いつか貴方が言ったでしょう冗談に、あの人のことを妖艶な女とか何とか」


「ええ言いましたね。それで全く判らないのですか?理沙さんの居所?」

「ええ調べれば判るでしょうが、あの事件は碇谷の犯行で幕を閉じましたから、彼女のこともまた何もかもが終りです。」

「其れで田之倉陽太郎は?」

「まだ服役していると思います。釈放までは少しは掛かる筈です。」

「でも理沙さんは気に成りますね。また何処かでスナックでも手伝っているのでしょうか?相変わらず。貴方の様な人が側で居たなら彼女も幸せを摑めるのですがね。しっかり見張ってやっていたなら。

あんな綺麗な女性は滅多とお目に掛かれないですから勿体無い話だと私は思います。権藤さんは良く彼女と出会って気心が通じて居られたのでは?」


「沢村さん、私は既に六十を越した男、彼女は何とか三十に指し掛かっただけのうら若い女性、どうにか成る話ではないでしょう?老兵は黙して静観ですなぁ」

「何を言われます権藤さん。これからですよ貴方が羽ばたくのは。

現役の頃に本部長に表彰された事は何度もあったでしょうが、これから一生懸命に成れる事が、無我夢中で頑張れる事こそ意味があると思いますよ。

 私は前にも言いましたが、これまでの人生でどれだけお勤めして来て貢献したかと言う事より、山根さんが無罪に成られた事に意味があるかと言う事です。あの事実に比べられるもの等今までに無かったと思います


⓯。

 権藤さん今は暫く休まれて、それから第二の人生を見つけて下さい。何も出来ずに死んで逝った岩下さんの分まで私たちは生きて頑張ってあげましょう。 あのお方の様に真面目に頑張って生きる積りであっても、そうさせて貰えなかった空しさを、たまたま幸せに生き続けている私たちが穴を埋めてあげましょうよ。それが為にも権藤さんもこれからの人生を大事になさって下さい。」

「沢村さんは優しいお方だ。いい人生を重ねられているお人だ。私はいい人とお知り合いになれたと思っています。また機会があれば何かとご一緒下さい。」


「ええ、奈良にはこの大台ケ原の他にも沢山の山が在りますから、例えば冬に高見山なども樹氷で絶景ですし、ご存知の金剛山とか葛城山とかも、曽爾高原なども行くに価値のある所だと思います。」

「ええ、またお願い致します。」

「今度は奥さんと」

「奥さんですか・・・」

「そうですよ。そんな人生もまた良いものですよ。でも貴方がこうして態々お越し戴いて山根さん、いや岩下さんは本当に嬉しいでしょうね。」

「ええ、成仏して戴けると思います。其れに私も

心置きなくこの事件から卒業できるでしょうね。」

「もうすぐ着きます。岩下さんが亡くなっていた所へご案内します。」

現場についた。

三人は花を供え線香をあげ、しばし岩下正一を偲び黙とうをささげ静寂の時が流れた。

 二人は心の中から雑多の思いが霧が晴れる様に消えて行く事を感じていた。

笑顔の権藤を大和八木駅で見送って沢村は暖かいものを感じながら自宅へ向かった。


 それから二年近くが流れ、沢村はかねてより心で煮詰めていた、中止になっていた復路熊野から大和八木までを踏破する計画を実行していた。

 但し大台ケ原へは山根の思い出が在り無理に寄る事無く一路大和八木に向かっていた。       

沢村も六十代後半に成っていて、妻武美の反対を押し切っての熊野の旅であった。                     

 何とか無事熊野踏破復路を達成し、それから隠棲の如く平穏な日々を重ねていた沢村が、その日の朝テレビから発せられたニュースに驚きの事実を知る事と成った。


【本日早朝男の人が路上に拳銃で撃たれて亡くなっているのを、音を聞いて外へ出た主婦によって発見されました。

 その男性は運転免許証から権藤茂さん六十三歳と判明致しました。

権藤さんは長年大阪府警の刑事畑を歩んで来た方で、怨恨による事件ではないかと、過去の事件に関係が無いかを徹底的に調べるようです。目撃した主婦は若い男が現場から去って行く後ろ姿を確認しているようです。


権藤さんはベテラン刑事で、幾多の事件を解決した辣腕刑事でもあり、大阪府警は沽券に関わる事件として徹底的に犯人を追及する模様です。

同氏は警察を退官されてから結婚され、奥さんがスナックを始めたのでその手伝いをしていた様で、お客さんが言うには、とても仲睦まじくお歳は離れていたが幸せそうな二人であったと言っておられます。

六十の歳まで独身で刑事として悪と戦い続けて来て昨年やっと摑んだ幸せだったようですが、刹那の内に打ち砕かれた悲しい人生に成った様です。

ご冥福をお祈りすると共に一刻でも早く犯人が逮捕されます事を願って止みません。背中から撃たれたようで即死であったと鑑識は見解を述べているようです。恐ろしい出来事が起こりました。】


 沢村は自分の耳を疑いたく成った。今放送で流された事が嘘であってほしかった。

そして更に重複して思えた事は、結婚した相手があの妖艶な女理沙である様な気がした事であった。

 慌てて携帯電話で検索をして権藤の事件を紐解いた。

 やはり結婚した女は理沙であったと思われるのは、店の名前が洋風の《SARII》と名付けられていた事でもわかった。


おそらく権藤がお金を用意して理沙に店を持たせた事も想像出来た。

瞬時にその事実を確かめた沢村は、理沙と言う女はどれだけの男の生き様を塗り替え変貌させたのかと呆れるばかりであった。

多くの男たちにとって運命の人・・・いや運命の女であるとつくづく思えた。

権藤繁元刑事が殺された同日朝、服役を満了して刑務所の門を潜り全身に朝陽を眩しそうに浴びていた男が居た。

田之倉陽太郎であった。


 そんな事を何も知らずに沢村は、大きく溜息を付きながら権藤を偲び、目頭が熱くなるのを感じていた。

「母さん、母さん大変なことになったよ」

「お可哀そうにこれからって時に」

「私は理沙って女が怖くなってきたよ。

まるで羅刹の女に見えてきたよ。」

       

     完結です。お疲れさま。。。。。

          

(この物語はフィクションであり、登場する全てと

   実存する全てとは一切関係ありません。)

    作者 神邑凌
















完結です。お疲れさま。。。

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