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羅刹の女 完結  作者: 神邑凌
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羅刹の女  運命の人と出会い



 理沙のマンションに女友達も何人かやって来て、背の高い女性は沢村は高子さんと名づけて、そしてやや太り気味の子はふと子と名づけて区別していた。

 そしていつか見た男はゴミを出す手伝いをしていた位だから理沙と余程親しいと考えられたが、あれ以来姿を見かける事は無かった。

 沢村が大阪の上本町へ通いだしてから既に八回以上行ったので二ヶ月半は過ぎていた。

 そしてついに疑惑を持つ様な風体の男が現れたのである。

その男は前の男の様に冷酷な面持ちでは無かったが、優しそうな感じの中に荒っぽさを感じさせる赴きを兼ね備えている風情であった。

 沢村には悪の巣に飛び込んで行っていると言う先入観があったから、どうしても良い様には捕らえる余裕など無かった訳で、六十二歳のおじさんには荷の重い出来事であった事は確かである。

 この男が前に来た男とまるで違うイメージで、優しさと荒っぽさを沢村が感じたのは、理沙と出会う成り深々と頭を下げて挨拶をしたかと思うと、間髪を入れず理沙を抱き寄せて唇を重ねたからである。

それも人目を弁えず玄関先で理沙の自由を奪う様に抱き続けて、その手は下半身に及び始めたからである。

理沙は人目を気にして拒もうとしたが、それでも男は理沙の尻を撫でながら玄関から中へ消えて行ったのである。


我慢が出来なかったのか、

この一ヶ月半で始めて見た顔であるから、我慢出来なかったのだろう。

二人がそれからどう成ったのかなど誰でも分かる事と成った。それが夜なら電灯が消えて、それからベッドが揺れてと成るが、まだ昼を少し回った時である。それでも沢村には想像出来た。

あの儘ドアを閉め、上り口で理沙は男に裸にされソファーに着いた頃には既に事が収まっているかも知れないと、その気持ちになる事は沢村でさえ解かった。


 実に妖艶な女であったから大阪天王寺署の刑事権藤繁が言っていたことに寸分の狂いも無かった。

今頃天国に行った思いで息を荒げて理沙に絡んでいる男は果たして何者か、その年恰好は五十過ぎに思える感じで、顔立ちは優しく大樂かそうであるが、それでいて先ほどの荒っぽい行動であるから一概には言えないと言う事になる。

そしてその男が何者かが判る時が、それから二時間ほどが過ぎた時にやってきた。

 男が部屋から出て来て、理沙は愛しむ様に男に抱き付きながら愛想をしていたが、男はする事はしたからかあっさり理沙を押しのけて背中を見せた。


 沢村は二人の様子をしっかり見つめていたので、咄嗟にこの男の行く先を着けてやろうと思えて来た。

男はマンションを出て暫くすると車が一台やってきて運転手がおもむろに車から降り後ろのドアを開けて待っていた男を乗せた。

 その時沢村にはその運転手が以前に理沙のマンションで見かけた生ごみを出していた男である事がはっきり判った。

 詰まり今車に乗った男は運転手つきの待遇で、運転していた男はその子分か、それとも会社で言うならお抱えの運転手なのである。

しかし以前理沙はこの運転手にごみを出させていた事は確かで《三人の関係は?》とあらぬ思いが湧いてきた。


 親分肌の五十過ぎに見えるその男と運転をしている男はまだ二十代後半である。

この曰くがありそうな二人の男は、実際はどの様な関係であるのか沢村にはまったく想像が出来なかった。

年配の男は兄貴分なのかそれとも社長なのか、それにしても運転している男は、年配者の男の前では青二才かも知れないが、別の顔を持っていないか?

車で走り出した二人の後をタクシーで尾行しながら、沢村の頭の中で渦巻く疑念が湧き続けた。

 暫く走ってから二人はそれから車をモータープールへ入れたので沢村はタクシーを降りプールから二人が出てくるのを待った。直ぐに二人が出てきて焼肉店の暖簾を潜った。

汚らしい店であったがそれでも評判の店かも知れないと思えたのは、昼間だと言うのに客が大勢入っていて、にぎやかな声が飛び交っていた。


 沢村も店が込んでいる事もあり、どさくさに紛れてどこかの席に座り、彼等の声を聞きたいと思ったが、万が一警察が何所かで忍んでいたならと思った時直ぐに気が消沈した。

 更に別の男が加わり三人に成って話し込んでいた姿は、和やかでとてもどこかで裏があるような表情でもなく、運転手の男も以前に比べると穏やかな顔であった。

 焼肉の匂いが沢村の気持ちを口寂しくするほどに好い匂いであったので、沢村も堪らなく成って来て隣のラーメン店に入り、ラーメンとお握りで肉ではなかったがお腹を一杯にしていた。

 男たちは暫くしてから店を出て歩き出し、やがて運転手役の男がモータープールの方に消え、二人が残り道の隅で親分肌の男が後に出会った男に封筒の様な物を渡して、二人は見つめあいながら笑顔で話し合っていた。


 封筒を受け取った男はその中身を確かめる様な仕草で素早く上から中を確認していた。

やがて若い手下の男の運転しる車がやって来て、親分肌の男が乗り込んで、それを後で落ち合った男が深々と頭を下げて見送っていたのである。

沢村が見続けていると深々と頭を下げた男はそれから歩いてどこかへ消えようとしていたので、急遽沢村はその男の後を着ける事にしたのであった。

 男は胸に何度か手をやり、その封筒を確かめる様にしていたので、それは可成りの大金である事が判り、男がそれからパチンコ店に入ったので、同じ様に沢村も男の反対側の台に座り、注意深く様子を伺う事にした。

暫くして男の隣の客が席を立ちその場所が空いたので直ぐに横へ座り、それなりに男を観察する事にした。


 男は二十代の後半で運転手と同じ程であったが、調子のよさそうな風体で軽い男に沢村には見えた。

 それでここで話しかけてと思ったが、それもしてはならないと警察に何を言われるかも知れないと思え、じっと台を見つめながら、男が漏らす言葉や何かヒントが生まれないかと探り続けていた。

男の台は調子よく柄が揃い大儲けである。男は柄が揃う度に沢村の顔を見て笑顔になった。

「どうして金が有る時は旨く行くのかなぁ・・・」と独り言を言って気を良くしている。沢村も連れられて男の目を見て笑顔に成っている。

「良く出ますねぇ」

ついに沢村はその男に声を掛けたのである。

男はそんな沢村に対して、誰とも分からぬ男から声を掛けられたので、ギョッと目を開き顔を逸らした。

それからにやっとして我を取り戻す様に穏やかな笑顔に変わった。

「気持ち宜しいわ」


男が沢村の目を見ながらその様に言って、更に柄が揃った事で有頂天に成って、更に笑顔を零していたのである。

一時間もの間沢村は男のそばで頑張っていたが、一向に出る事も無く溜息を付いていた。

「おやっさん、これ打ったら」

男が急にその様に言って台から離れた。既に爆発的な状態ではなかったが、それでも他の台に比べるとまだまだ出そうである。だから男も恩に着せる様な言い方で沢村に声を掛けた訳である。

「ありがとう。では変わります。」

「ああ、その方が・・・出る台を打たないと折角お金を使うのだから」


 男はそんな言葉を残し去って行った。沢村は男がパチンコ店から消えて間も無く外へ出て男の後を着ける事にした。

男はすぐ近くの薄汚いアパートへ入って行き、それから二度と姿を見せる事は無かった。

沢村は地図を細かく書き、男の名前を店が難波であったことから、この男の事を難波野郎と名づけてこの日は帰る事にした。

 帰り道、沢村は電車の中で本日の成果を記していた。運転手の男は親分肌の男に隠れて理沙と出来ている事が考えられる。


 この男と理沙の間は公然で、まさに親分肌の男の紛れのない色である。

しかし理沙は親分肌に見つからない様にして、運転手とも出来ていて、更に理沙は親分肌より運転手の方が歳格好も合い気に入っている

 親分肌は顔こそ穏やかだが気性は強引でしかも激しい様で、理沙はその態度に疲れているかも知れないが、お金の為に我慢している事は言うまでも無い。それは今日の別れ際に見せた態度で、惜しむ様な仕草をした事からも判るがあれはまさしく演技である。


 一方あの別れた通称難波野郎と名づけた男は、親分肌からお金を貰っているから雇用主と労働者と言う構図である事は分かるが、どのような仕事をしているかである。

そのお金を提げてパチンコに繰り出す事が出来るのも、言わばあぶく銭と思うのが賢明だろう。更にその額は今日のあの態度から可成と見受けられた。

では一体何をしているかとなるが憶測で幾ら考えてもそれは事実ではない。

知ろうとすればするほど何もかもが複雑になって来て沢村の心は不安が増してくる。何故こんなことをしているのかと思ったりもする。


ただはっきりしている事は、この様な事をしている事で大台ケ原で知り合いに成って、自ら命を絶った山根さんこと岩下庄一さんの供養であると思っているだけの事である。

そしてあわよくば真犯人が見つかり、山根さんが無実であると言う事がはっきりすれば、また大台ケ原へ行って線香を挙げて報告してあげたいと思うのである。

親分肌の男、それに運転手、更に難波野郎、この三人に疑念があるとしたなら、おそらく最後の難波野朗だと沢村は捕らえた。それは言うまでも無いお金である。

しっかり膨らんだ袋に納められたお金である。あの男があのお金をこれからどの様にして使うのかその辺に何かが隠されているように思われる。


 沢村が難波野朗を訪ねたのはそれから同じように一週間目であった。

 薄汚いアパートから彼が出て来るのを待った。一時間が過ぎ二時間が過ぎ、それでようやく出てきたが身なりはラフな格好であった。

男はまたしてもパチンコ店に入って行き、またしても同じ台を打ち始めた。その台は言わば沢村が先日打っていた台であった。それで沢村も前と同じ様に男の近くへ行く事にした。

以外にも男から

「あんたあれからまた可成出したな。あくる日に来たら回数がだいぶ増えていたからあんた儲けたな」と言って笑顔で沢村を見つめた。


「それがですねぇ私あれから直ぐに他の台に移りまして・・・せっかく替わって貰ったのに他の人が儲けたようで」

「そうかいなぁ。勿体ない」

「申し訳ありません。」

「まぁ負ける者が居るから勝てる者が居るって事やなぁ。」

「はぁそうですね。まぁこれでも」と言って沢村は男に缶コーヒーを差し出した。

「そうかいな、悪いな」


沢村は軽く頭を下げその場を離れた。あまり親しく成って何かが起こればいけないと思っていたが、まさにその事が的を射るように成ったのは、自宅へ帰ってからの事であった。

「沢村さん、今宜しいですか?私大阪府警天王寺署の権藤です。」

「あーぁお久しぶりで」

「お久しぶりですか?そうではないでしょう。」

「それはまたどうしてでしょうか?何処かでお会い致しましたか?」

「ええ出会っていますよ。今日も」

「今日も?まさか?」

「そのまさかですよ。貴方は一体何をされているのですか?考えられないですね。

実は今日貴方が難波でパチンコ店に入って行かれるのを内の署員が確認しております。これでお解りでしょう?」

「まさか」


「そうですよ。私たちは殺人犯を探しているのですから、それを忘れて貰っては困りますよ。三人が死んでいる可能性がありますからね。母子絞殺事件と結城信消息不明事件も同じように考えれば、それに貴方が言う山根さん詰まり岩下庄一の死亡事故も含めて」

「それでわたし・・・」

「だから危ない事はしないで下さい。貴方の素性が彼らに判れば、只では済まないかも知れませんよ。  それに貴方は上本町にも行っていますね。スナック店員の理沙、それにその紐の田野倉陽太郎とその子分の碇谷哲夫、そして今日貴方が接近していた男の佐川隆一、

それと理沙の女友達の背の高い方が野々村いづみ、やや太った子が棚井亜紀・・・以上です。他にまだ知りたい事は?メモされましたか?もう一度言いましょうか?」

「権藤さん何もかもをご存知なのですね。参ったなぁ、まさかですね」


「止めて下さいね。この様に何もかもをお話したのは、これ以上係わらないで下さいって事ですよ。机の上にいろんな事を書いて推理する位なら構いませんが、貴方がしている事は危険です。間違っています。もうこれ以上妙な事をされては、我々が今までに詰めて来た何もかもが吹っ飛んでしまいますから、ご忠告しておきます。」

「重々承知いたしました。ご迷惑おかけしまして、ところであの理沙って女性は、権藤さんがおっしゃられていた様に素晴らしいですね、誰でもが引き付けられる様な井出達で、しかも妖艶で」

「沢村さんのようなお堅い方でもその様に思われますか?」

「ええ、それで教えて頂いているついでに、あの理沙って子の本名を教えて下さいませんか?」

「いいですよ。あの子は皆川忍と言います。生まれは四国の高松で・・・これで良いでしょう?」

「ええ有り難う御座います。」


「それでこれからはじっとしていて下さいね。貴方が係わろうとしている人たちは素人が手を出す等とんでもない事で、いいですか、もう一度諄ですが言っておきますよ。絶対係わらないで下さい。」

「解かりました。でも少し残念です。何故なら今日パチンコ屋で話しかけられた男と仲良く成り掛けていましたから、彼から話しかけられたのですから、気の良さそうな男の様ですよ。先週もあの男に台を替わって挙げるからって言われて」

「先週も行かれたのですか?」

「ええ、それでですね。先週は貴方たちも見られていたかも知れませんが、あの男親分肌の今貴方にお聞きした田野倉って男から可成のお金を貰っていましたよ。あれって仕事の報酬だと思いますよ。あの男親分肌の男に最敬礼して見送りパチンコ屋に入りましたからね。大きな仕事をした様ですよ。」

「お金を?」


「ええ貴女方は見られていなかったのですね?封筒を受け取り少し丸めて上から覗いて満足な様子だった事は遠くからでもわかりましたよ。見送る時に深々と頭を下げていたし」

「百万とかそんな感じでしたか?」

「そこまでは判りませんが、分厚かった事は確かです。」

「それは内の誰も気が付かなかった事だと思いますので可也意味ある情報だと思います。でも沢村さんこれ迄ですよ。又何かが起こればお知らせ致しますから貴方には」

「解かりました。これからは慎みます」

電話が切れ、沢村は少々悲しかった。

身が凍る思いで忍び足で調べていた筈であったが、何もかもを天王寺署は知っていて、これ迄の行動は何であったのかと、親分肌らを見張っている姿を見張られていたと思うと恥ずかしくさえ感じた。


 そしてはっきりした事は、自分一人でどれだけ動き回っても、何の力にも成っていない事を知らされた思いであった。  

権藤刑事にメモする様に言われて大阪の黒幕の名前を知る事に成ったが、その事に於いても彼ら国家権力の凄さを再確認させられた。

親分肌の男が田野倉陽太郎と言う事も、自分の力ではこの様に知る事など考えられないばかりか、それでさえ知ろうと思えば、もっと彼等に近づき危険な思いを繰り返さなければ埒が明かないだろう。

その子分の運転手の碇谷哲夫も難波野郎と名付けた佐川隆一も、女性たちで背の高い女の野々村いづみ、小太りな棚井亜紀、もし沢村一人で調べて、この名前を全て知る事が出来る様に成るには、数ヶ月は掛かる事が予想された。無理も知れない


そして権藤刑事が言っている様に、その間に危険に曝される事も可能性として十分考えられ、沢村はこの時ばかりは完全に諦めムードで包まれてい それからついに一年が流れて、大阪天王寺母子絞殺事件は、何となく内縁の夫が殺した様なムードで被疑者死亡の儘事件は幕を下ろそうとしていた。

多くの関係者も鳴りを潜めて火事が沈下する様に成っていた。

母子絞殺事件捜査本部と言う文字でさえ色あせ始めていた時、一人の婦人が天王寺警察の門を潜っていた。

「私大阪天王寺区の区役所に勤める野際志織と申します。正確には区役所の福祉課市民相談室であります。

実は一昨日の新聞に載っていたコラムに関しまして気掛かりな事があり、それを述べさせて頂きたいと思いまして、おじゃまさせて頂きました。」

「それはどう言った事でしょうか?」

「此方が捜査本部に成っている件なのですが」

「天王寺母子絞殺事件でしょうか?」

「新聞を読まれていないのですね。出来れば担当の方にお繋ぎ下さい。私も仕事があり忙しいですから」

「解かりました。其れでは此方でお待ち下さい。」

暫くして年配の刑事が出て来て野際志織を笑顔で迎えた。

「どうぞ此方へ」


そう言って捜査本部に成っている刑事課に野際を案内して

「コラムですね。これですね・・・いつの間にか一年に成ってしまい早いものです。それでこのコラムに関してどの様な事を話して頂けるのです?」

「はい、一昨日このコラムを読んである人の事を思い出したのです。」

「ある人と言いますと?」

「はい、その人が、私の勤める課で執り行っています無料の市民相談なのですが、そこにご相談に来られて私が担当した方です。」

「・・・」

「その方の名前がこのコラムに載っている名前と同じです。名前は山根弘道さんと言います。

はっきり覚えています。ところがその方の名前はこのコラムを読んでいると、どうも偽名で、本当の名前は岩下庄一と言うのですね。それもあの母子絞殺事件の重要参考人であり、自殺をされていたと書かれていますね。」

「待って下さい。実は私・・・あぁ申し送れました私捜査本部の権藤と申します。この記事にはまだ目を通しておりませんので、今読ませて貰っても良いでしょうか?」

「ええ、読んで下さい。お待ちします。」



{あの事件から早一年}

 調度昨年の今日、悲惨な出来事が大阪市天王寺区で起こった。三十七歳の母親とその子が首を絞められ殺されていた事件である。

 母親の名前は猪倉加奈子その子は達也と言う名で、内縁関係の夫と暮らしていて悲し過ぎる刹那の生涯となった。

 そして姿を晦ました夫に容疑が掛けられ、重要参考人として指名手配されたが、事件の日から二ヶ月が過ぎた時、夫は奈良県と三重県の県境に聳える大台ケ原で白骨化した遺体で発見されたのである。   

 その遺体の損傷から見ても、夫が亡くなったのは、妻や子が亡く成った時期と変わらない時期である様だと鑑識は見解を述べている。


又解剖の結果から服毒自殺であった事も後に判明した。

 ところが被疑者の夫岩下庄一の自殺までに及んだ経緯が判明した。

 定かではないが岩下庄一は大阪阿部野橋発奈良県吉野行きの近鉄電車に乗り、途中の大和橿原駅で乗り合わせたAさんと知り合いに成り、意気投合した二人は大和上市駅で共に降り、それから三十数キロの道のりであったが、歩いて大台ケ原を目指した。

 ただ岩下庄一は本名を語らず、訳あってか山根弘道と言う偽名を名乗っていた。

それは妻子を殺していたとしたら、偽名で逃亡を企てていても頷ける事であった。そして行き詰まって命を絶った。

この事件は被疑者死亡でピリオドを打ちそうであるが、只被疑者岩下庄一は、

《私は妻子を絶対殺していない。何もかもが嫌になった》と走り書きであったが絶筆(遺書)を残している。

被疑者岩下庄一は何らかの事情で妻子を殺して自暴自棄に成り、その様な言葉を残したのか、それとも言い残した事が事実で真犯人が居り、悠々と涼しい顔をして何処かで暮らしているのか、奇怪な事件は解決する事無く今日丸一年を迎える事と成った。》


 終わるや否や野際志織が権藤に、

「ありがとう御座います。其れで私が言わせて頂かなければ成らない事は、ここに出てくる偽名の山根弘道って方の事です。実名は岩下庄一である事も知りました。

この山根さんが、私たちが執り行っている市民相談に来られ聞けば惨い話でした。

 この殺されていた内縁の妻は相当の悪であったようで、役所のシステムとして相談は本名で話さなくても構わなかったので、この方は山根弘道と名乗った様です。

 それで山根さんは若い時に付き合っていた人が居り、その人と初めて泊りがけで登山と言うかデートと言うか、そんな事を計画した前の日に女性の方が交通事故で亡くなられたようです。辛かったと思います。


それから二十年もの間この女性が邪魔をしてと言いますか、他の女性に全く興味が無かったのですが、何年か前会社にパートで働きに来た女性の事が好きに成って、気が付けば彼女とその子供さんと暮らし始めていた様です。

 只お子さんは何時まで経っても懐いてくれる事は無かった様ですが、それでも食事はきちんとしてくれ幸せに思っていたようです。

 ところがある日、早く仕事が終わり家に帰ってみると、玄関先まで奥さんの声がしていて耳を澄まして聞いていると

『亭主は思ったほどお金がないわ。何かと嘘を言ってむしりとっているでしょう。それに私の母子手当ても幾らか渡しているから大変なのよ」

「・・・・・・」

「だって達也が会いたがっているから仕方ないでしょう?」

「・・・・」

「これ以上無理だと思うわ。でも貯金があると思うから」

「・・・」

「保険?証書を見た事あるわ。」

「・・・・・」

「そんな事出来ないわ。」

「・・・・・・」

「それなら構わないけど。お金が入ればいいけど」

「・・・・・」

「お任せするわ。その前に調べておくから」

「・・・・」

「そんな事考えて遊んでいるのでしょう?」

「・・・・・」

「本当に、嘘は嫌よ。じゃぁ来週ね、竜也喜ぶわ。」



 山根さんは震えながら聞いていたらしいです。其れで家の中には入れず公園まで引き戻り、裏切られたと言う思いが圧し掛かって来て、とても辛い思いをさせられた時を過ごす事に成ったと言っていました。 長年掛かって即死した恋人の自縛から逃れ、やっと幸せに成れたと思った矢先に、こんな女と出会った事が情けなかったようです。

だから私は聞かせて貰っていて腹が立って来て、『山根さんはっきりされたらどうなのです。

奥さんの心ここにあらずなんて嫌でしょう。面白くないでしょう。第一貴方の保険の話しまでしていると言う事は聞き捨てならないでしょう。

別れるのは今です。元の旦那が見え隠れしている事は確かで、まさかと思いますが殺されてからでは遅いのですよ。


これからも一緒に暮らすと言う事はお互い不幸に成ると言う事かも知れません。殺す方も殺される方も言わば不幸に成る訳です。

私たちの仕事はそんな事実を知って見過ごす訳には行きません。熟慮断行と言いますか思い切られる事をお勧め致します。』

その様に言って山根さんを慰める様に言いました。でも山根さんからはそれからは何も言って来ず、気に成りましたがそれっきりでした。


 このコラムを読んで山根さんの事を思い出したのです。はっきり覚えているのは彼が別れ際、

『貴方が言われた様に致します。思い切って来させて貰って良かったです。それに妻は私の保険の話まで元夫としているようですから、万が一何かがあれば警察に言って下さい。私山根弘道に何かがあれば』

そう言って笑いながら帰って行きました。だから私は山根弘道の名前をはっきり覚えている訳です。」

「そうでしたか。そんな事が」

「その奥さんのヒソヒソ話を偶然聞かされたのは、何時だったのか聞いていませんが、随分悩まれて苦しまれた様ですよ。


 山根さんって気の宜しい方で優しそうな感じで、だからこのコラムを読んで、あの方が幾ら奥さんの事が憎かったとしても、決して殺すとかそんな事は思いつかないと思われます。

寧ろあの時に言って居た様にご自分から離れて行くと思われます。彼ならその様な道を選ぶでしょう。だって笑顔で別れる事を決意された様にお見えしましたよ。」

「では山根さんは奥さんや子供さんの事を悪く言っていなかったのですね。例えば殺してしまいたい気分ですとか」

「そんな発想自体思いつかない様な人でしたから。」

「判りました。この記事を先ず私らが読まなければいけないですね。おそらく誰も呼んでいないと思います。ここに居る関係者は。

山根さんいや岩下庄一が、自殺して被疑者死亡と何となく落し処を決めている悪い慣習があり、誠に面目ないです。ご協力に感謝申し上げます。お忙しい中」


 野際志織が出て行った。

翌日橿原市の沢村の自宅に天王寺署の刑事権藤繁から電話が入って沢村は大阪へ向かった。

 時間が空くのが夜七時を廻ってからが良いと権藤が言ったので食事を兼ねて出会う事と成った。

「沢村さん、貴方が大和上市駅で仲良く成って、大台ケ原まで二人で歩いて踏破した山根弘道居りましたね。」

「居りました?それはどう言う意味なのです。山根さんは岩下庄一ではなかったのですか?」

「いえいえ、同じ人物です。言い方が悪いでしたね。つまり貴方と知り合いに成った時に岩下は偽名を使った訳ですが、実はそれ以前にも同じ偽名である所を尋ねている事が判りました。


それは天王寺区役所です。区役所の市民相談室に行っています。そこは匿名でも構わない様で、岩下はそこで山根弘道と名乗ってある事を相談されています。

数日ほど前に新聞にコラムが出ていた事を知っておられますか?」

「はい見ています。その話でしたか。一年が経ちましたね。早いもので」

「そうです。その記事を見られた方が区役所に居りその方が尋ねて来られて色んな事を話されました。その方は山根さんが相談した時に担当をされた方です。」

 それから権藤は沢村に事細かに野際志織から聞かされた全てを言い伝えた。

 全ての内容を聞いた沢村は心のどこかで一安心する様なものが生まれている事が嬉しかった。

「私は今でもあの時も何時に於いても、山根さんが奥さんや子供さんを殺したとは思っていませんから」

「そうでしょうね。思っていたのなら自腹を切って危険を冒してまで探偵の様な事などしませんからね。」


「そうですよ。大台ケ原でコーヒーカップを二つ並べて死んで逝った山根さんの気持ちを察すると、人殺しをした人が考える事ではない筈とあの時強く心に思いましたから。

 権藤さん、私は貴方に言われ危険な事は自粛しています。あれから大阪へ来たのは今日が初めてです。

でも貴方がおっしゃった様に机の上で何度も考えています。山根さんの無実を実証する為に」

「そうですか。だからこの様にして・・・罪滅ぼしではないのですが・・・」

「ええ、ありがとう御座います、こんな一介の素人を」

「何おっしゃいます。忠告しなかったら今頃は相変わらず・・・それにどんな事に成っているやら。」

「そうですね。ところで権藤さん、私には母子絞殺事件の犯人と考えられるのは、山根さんにも今大もきな動機がある事を知り衝撃です。


 奥さんに保険の事まで言われて、言わばその会話は想像するに、元夫と結託して山根さんを殺害して保険金をせしめる事でしょう。殺人ですよ。その話って。だから幾ら温厚な山根さんでも裏切られた思いが募って、相当の恨みつらみがあったかも知れませんね。立派な動機です。それにもう一人、それは元夫結城信ですね。

 保険金を取る為に入れあげている女と組んで、未だ未練を持っている元妻の気持ちを利用して金を摑みたかった。

 所が何処かで何かが狂ったかも知れないのでしょうね。其れで殺してしまった。

 でもその様に考えた時、例えば深夜にそっと首を絞めて殺したのなら山根さんが居ただろうし、山根さんが仕事に行っていて留守である事が条件と成り、昼日中に殺されたと成り、山根さんが仕事を終え自宅へ帰って来た時に二人が死んでいる所を発見したなら、あの人なら警察へ直ぐに言うだろうし、何も黙って大台ケ原へ偽名で行って死ぬ事無いだろうし権藤さんあの事件は母子絞殺事件と成っていましたが、死因は手で首を絞めて窒息させて殺した事に間違いなのですね。


 それなら正確には扼殺やくさつですね。紐もベルトも何も使っていないのですから」

「沢村さん良く調べていますね。確かに鑑識は手で窒息させて命を奪ったと成っています。」

「だから二人の人を手で殺す事なんて決して簡単ではなく、鬼畜の様な心で冷酷で何ら躊躇なく実行したと思われますから、捕らえてみれば余程の根性の在る人物と言う事に成るのでしょうね。」

「よくお考えで・・・貴方が言う様に保険の事が気に成りまして其れで調べて来ました。山根さんには二千万円の保険が掛けられていました。」

「やはり、それを狙ったのでしょうね。其れで何時頃からその保険に入って居ます?」

「でもこれは古くから入っていて、急遽入ってそれでとかではない様です。」

「そうですか」


「ところが山根さんの保険の事を調べていると変なものを見つけました。

 それは奥さんの猪村加奈子さんに保険が掛けられていたのです。受取人は元夫のままに成っていました。生前『子供さんの名義にされるほど良いですよ』と保険会社が進めた様ですが、結局そのままに成っていて、奥さんが殺されて保険金を支払うかどうかその当時は稟議中だったと思います。」

「つまりミイラ取りがミイラに成ったかも知れないと言う事ですね。」

「ええ、保険金がおりていれば」

「でも結城信はスナックエデンの理沙に入れあげていて、そのお金の一部は元妻からせしめていて、それは山根さんの懐にも及んでいて、理沙は色仕掛けで結城から絞り上げていた訳ですね。」

「私が知っている範囲では、理沙はあの美貌だから、結城は勿論の事運転手の碇谷哲夫も更にその親分の田野倉陽太郎とも、関係を持っていた様ですな。忙しい事だ。」


「権藤さん、今ならその保険が下りたかはっきり判るでしょう。貴方が調べれば」

「ええ、判りますよ。簡単な事で」

「でも調べていないのですね?」

「いや調べているかも知れません。私が知らないだけかも。」

「もし結城の手に降りていたなら結城はそのお金で命を落としたのかも知れませんね。所詮遊び人、泡銭が入って来たなら性格が変わるでしょう。理沙に必死に入れあげていた事が惨めであった事に気が付き、ばかばかしく成り気が大きく成るでしょう。

自慢もするでしょう。愚かな事ですが所詮弱いのが人間。其れともこれまでより派手に理沙に渡したかも知れませんね。見栄張って、今までに金策に無理していただけに。」

「保険会社が支払いをストップして稟議中だった時から既に一ヶ月は過ぎていると思いますが・・・」

「まだそれ位に、僅か前なのですか?」

「ええ、事件性がある場合は、保険金は簡単におりない事に成っている様です。調査に時間が掛かるので」

「でも必ず調べて下さい。保険金を抱いた儘で結城は殺されたのかも知れないですから」

「そうですね。」

「良いですか、私ばかりおしゃべりして」

「どうぞ。鬱憤を晴らして下さい。何しろ謹慎中の身ですからなぁ」

「全くです。それで結城を殺害した犯人と考えた時、難波のあの男が浮かんで来ました。佐川隆一でしたね。それと親分田野倉陽太郎ですね。


当然運転手の碇谷哲夫も入っているでしょう。この三人で保険金をさらったと考えてみると辻褄が合いますからね。

その情報の出所は、結城信がベッドで理沙に何もかもを話していたから。保険金が下りる事を」

「沢村さん貴方随分探偵家業が身に付いて来ましたね。再就職お世話致しましょうか?実は私の大学の先輩で、弁護士をされていて調査員を捜されていますよ。確かに恐い仕事ですが、貴方なら熟せそうですね。第一熱心だから」

「そうですか。調子に乗る訳ではありませんが、何しろ謹慎中の身だから、それであのお金がものを言うのです。

 

つまり親分から大金を受け取っていた難波の佐川哲也、あの男が実行犯と考えると、張り込めば何か出る様に思われます。

 職務質問して懐に危険ドラッグとか持っていたなら、別件逮捕だって出来るでしょうし、それに何かボロを吐くかも知れないですし、」

「いやぁ参りました。内の署長と話をしている様な気がして来ました。発破を掛けられている様で」

「いえいえ、滅相も無い」

「だから私たちが照準を合わせているのは犯人説ですね。山根さんが犯人と考えた時の動機、物理的な現実性、そして裏付ける物的証拠と状況証拠、犯行に及んで変化した事などです。


 それはこの事件の場合結城信にも言える事であって、結城の場合は保険金などが絡んでいる事もあり、第三者に依頼して報酬を約束したなら、実行してくれる者など彼らの世界では未曾有に居ると思われますね。

 だからそれらしき人物を探しているのが現状なのです。貴方の推理もまんざらではないと言う事です。それに母子絞殺事件で、誰かが部屋に入って来て、二人殺したと解釈しておりますが、例えば母親が子供を殺して、それを見つけた元父親で子供好きの結城が激怒して、元妻を殺す事だってありうる話ですからね。


 小学五年と言えば可成体も大きく成っていますから、子供が寝こんでいる時にやらないと、大声を上げられる事に成りますからね。

 事件当時お隣さんとか聞き込み致しましたが、何も変化は無かった事を覚えております。

暫くの間死んでいた事にさえ誰も気が付かなかった訳ですから。

 其れで貴方が言われた難波の遊び人佐川隆一を張り込んでいますが、貴方が言われた大金を貰っていたと言う情報が何より大きな収穫で、未だ尻尾を出していません。 


 でもあの事件から一年が過ぎました。そろそろ大きな動きがあるかも知れませんね。

何はともあれ結城が保険金を受け取っていたなら、それでその時期が何時であるのか、更に彼が消息不明に成った時期は、この三つが重なれば、一本の糸で繋がれている事に成るでしょうね。」

「繋いで下さいよ。権藤さんお願いします。真実は一つです。」

「それでも貴方には言い辛い事なのですが、山根さんですね、岩下庄一って言うか、実は先日来て下さった天王寺区役所の方の話を聞いて、誰よりも動機があり、可能性があるのは山根さんと物理的には成るのですよ。


 だって二人が同時に殺されたと成ると、決して昼日中ではないと思われ、寧ろ深夜でないと出来ない犯行と成る訳です。

寝静まった深夜に首を絞めたと考えるのが妥当で、その様に考えるとやはり可能なのが夫の岩下と成るのです。違いますか?結城がこっそり深夜に行ったのなら話は別ですが」

「権藤さん、山根さんが事件前後に家を開けた事無いでしょうか?調べて居られます?」

「どうかな?未だ手付かずかも知れないですね。特殊な事件でしたから。何しろ生きた被害者が居ないのですから。それに被害者である筈の人物が加害の容疑が掛かった訳ですから、母子殺害容疑で重要参考人として指名手配された訳ですから」


「だから未だに山根さんの事件前の足取りを摑んでいないのですね。それって怠慢でしょう」

「きついですね。これからですよ。これから。山根さんの内情をお聞きしましたから、あの市役所の方の話を聞かせて貰ったから、最初からの積りでやりますよ。山根さんが白である事を立証する為に」

「つまり今までは山根さんが黒である事を立証しようとしていたと言う事ですね。」

「ええ体質はそうです。本質と言うほど良いかも知れませんが」

「あなた方と私とでは全く考えが違っていたのでしょうね。」

「いえ、そう言ってしまえば警察は酷い組織と成りますが、我々は真実を追究している事が根幹ですから、ほんの僅かの違いですから、行き着く所はあくまで同じですから。」


「でもその区役所の方が来られなかったら、今と同じセリフが出ていたでしょうか?」

「それは何とも言えませんが」

「権藤さん、私は刹那の間だけ行動を共にした山根さんに固執している訳ではありませんが、あの人が殺人の容疑が掛かった儘で死んで逝った事は堪らなかったと思います。犯人では無かったなら非常に悔しかったでしょうね。

大台ケ原で聞こえてきたラジオの声に、事件が公に成って帰る事が出来ない事を知って、辛い思いをしながら死んで逝ったと思います。


 別に死ななければならなった事は無いでしょう。生きて潔白を証明するべきだったでしょう。犯人ではないのなら。

でも五十歳にも成って、辛くて堪らなくて市民相談に行かれた筈。走り書きした遺書に何もかもが嫌に成った事を書かれていましたね。おそらく彼に容赦なく圧し掛かった現実だと思います。

 生きる意味が無く成ったと言うか、生きている事が傷つくだけであると思ったと考えられますからね。私も約三年前現役を退きまして暫くの間とても寂しかった日が続きました。

 それって私が世間から弾き飛ばされた様な思いをさせられた訳です。世の中において私は無用に成ったと感じさせられました。


山根さんは長い自爆から解きほぐされ、やっと摑んだ幸せと思い始めた矢先の出来事だったと思います。奥さんが元の旦那と切れておらずとんでもない内容の電話をしていたのを聞いてしまったのは、だから私にもあの方が犯人では無いと言い切る事など出来ませんが、もう一度大台ケ原へ行って線香を挙げたいのです。潔白である事を報告かたがた」

「そうですか、貴方のお気持ちは十分解かります。我々も最善を尽くします。そうでないと貴方が又探偵ごっこをされては困りますから」

「あの難波の男、一年が過ぎ、ほとぼりが冷めたから何かをしゃべっていると思いますよ。親分も子分もそれに理沙って子にも」

「そうですね。容赦なく怒涛の如く追い詰めてみます。」                                 


「其れで権藤さん、付かぬ事をお聞き致しますが、結城信ってどんな男なのです。私理沙って子を見た時正直びっくりしたのです。あまりにも綺麗で、だから結城信も相当長けた男かと」

「そんな事ありません。極普通で、只遊び人だから気性は陽気ですよ。細めだし、女の扱いも旨いし、でも理沙の前では子供みたいに成る様で、手も足も出ないって感じだった事を言って居たのを覚えています。随分入れあげていたと、元妻と子が殺害された時に何度も聞き込みをした時はその様に言って居ました。


「つまり理沙が時めく様な男では無かったと言う事ですね」

「そうだと思います。一方的に入れあげていたと」

「つまり理沙は体は売っても心は売らずって奴ですかな」

「そうでしょうね。だって理沙が心を許しているのは運転手の碇谷哲夫だけだと思いますよ。同郷のよしみってやつでしょうか?」

「同郷?碇谷も香川なのですか?」

「良く覚えておりますね。私、理沙の事を言ったのは一回だけですよ。確か」

「そうですよ。其れで本名が皆川忍と言われました。権藤さんおわかりでしょう?相手が違いますよ。どうでもよい女性なら覚えていないかも知れませんが、理沙って子は別格ですよ。思わぬスイッチが入りますよ。貴方もそうだった様に。

其れで結城も同じ高松で」


「いえ彼は徳島ですが、同じように我々には見える様に彼らも同じように見えているのかも知れませんよ。四国同士で、だから特別親しいのでしょう。」

「私理沙のマンションを見張っていて理沙と碇谷の二人が部屋から出てくる姿を見ましたから、其れで男がゴミ袋を提げて出て来たから、深い中である事は直ぐに判りました。でも理沙は後日親分の田野倉とも絡んでいてややこしいですね。        

其れで私理沙が結城に対して本気であったとは思いません。適当にあしらいながら絞り取っていたのではないでしょうか?だから貴方に結城とはどの様な男であるかお聞きしたのです。女をときめかす様な男であったのか、でもそうではない様ですね。」

「その逆ですね。だから結城は必死で追いかけていたと思いますよ。それが先日市役所の方に聞かされた山根さんが言っていた実態なのでしょう。

何もかもが理沙に向かって流れていたと言う事でしょうね。」


「それでもお金が足りなかったか、山根さんを殺害する計画を練っていて、その話は結城の心の中で元妻の猪村加奈子の話に掏り替わってしまったのかも知れないですね。受取人が離婚してからも結城の名前であったから。」

「実質的には全く離婚していませんからね。只母子家庭に成った事で保護手当てを受ける事に成った以外は」

「そして猪村加奈子が死んで保険を受け取った結城は、田野倉良太郎の様な、跋扈ばっこで生きる様な連中に睨まれて、お金だけではなく命まで取られたかも知れないですね。権藤さん一日も早く保険金の流れを突き詰めて下さい。この事件が大きく動くかも知れませんよ。」 


「そうですね。沢村さんとお話させて頂いていると楽しいですね。まるで私も探偵に成った気分で、今日はご飯も美味しかったし、話も楽しかったから好い一日に成りました。」              

「そうですか、私張り切ってしまって、何しろ臨時解禁日の様なものですから、それに明日からまた自粛ですから辛いです。」

「最近は《晩節を汚すな》とか言う様な生温い言葉では済みませんからね。沢村さん、みんな命は一つですから大切に」

「はい。」


沢村は思いがけない権藤の誘いに心を温かくしていた。

調度一年前山根弘道は複雑な心境で近鉄阿部野橋駅発吉野行きに乗り込んだのである。そして沢村準一と近鉄橿原神宮駅で出会って運命の旅が始まったのである。

吉野の大和上市駅から大台ケ原までの長い道は、山根にとって運命の道で、言い換えれば黄泉の道であったのかも知れない。もしそうでなければ地獄道だったのかも知れない。

沢村は権藤と会って多くの事を話し合った事で、長いトンネルから抜け出て広い大地に辿り着いて様な気がしたが、目をよく凝らして見るとそこを抜けるには棘が生い茂り難攻不落な大地である事に気が付いたのである。                        


それでも沢村の思いか通じたのか天王寺署が目の色を変えて動き出した。権藤は理沙の足取りを追い部下の刑事たちに難波の佐川隆一の動きに合わさせた。更に碇谷哲夫やその親分の田野倉陽太郎の見張りも怠る事は無かった。

それはこれまでに無かった臨戦態勢で捜査が繰り返される毎日と成った。

全ての者に掛けられている嫌疑を立証する為に、そして取り除く為に。

沢村と食事をして長らく話し込んだ権藤の心の中を、少なからずも影響を与える事と成った。

捜査班の今井隆司と吉田良の二人の刑事は権藤の部下である。この二人が難波へ日参して佐川隆一に接近したのであった。


そして佐川が通いつめている店に辿り着く事となり、そこは道頓堀にあるマージャン店で、権藤や上司と相談して吉田良刑事が大学時代に鍛えた特技を武器に、同マージャン店の会員と成り潜伏捜査をする事となった。

そして佐川隆一の仲間たちの足取りを調べる事が目的であった。

吉田刑事は可成の腕であったので、アッと言う間に仲間に入れて貰い腕も認められ、親しみを感じて貰える様に成って行った。

一方同僚の今井隆は、マージャン店に入った吉田に何かがあってはいけないので、不測の事態に備えて常に近くから警護する毎日と成っていた。 

やがて顔見知りに成って来て吉田と佐川も同じテーブルでマージャンを打つ機会もしばしば起こり。仕事の話も時にはして、佐川は焼肉店で働いている事も口にしていて、更にビル掃除もしている事を口にする様に成っていた。


吉田刑事もまた東大阪で暮らし繊維の仕事をしていると話し、船場まで再三仕事で来ている事を口にしていた、

当然出鱈目であったが、一方の佐川はまんざら嘘を言っているとは吉田には思えなかった。しかし身の上話をしつこく聞く事は感ずかれる事があり、危険であったから軽く流す事を心がけた。

吉田がマージャン店に通いだして二ヶ月が過ぎた時、すっかり親しく成った佐川隆一に

「俺の勤めている店に一度来ないか?」と誘われ、始めはびっくりしたが付いて行く事にしたのである。

その店は近くであった。佐川が言って居た通り、焼肉店で案外手ごろな値が付いていて、客が込んでいる人気のある店の様であった。


値が手ごろだった事もあり、吉田良は久し振りの肉であったので、可成流し込むように食べたが、それを見ていた佐川も吉田の態度に快くしている様であった。

二人で焼肉を食べながら二時間近く話が弾んだ。時折佐川は店員に成り手伝いをして助けていたので他の店員からも慕われている様に吉田には見えた。

「どう美味かった?」

「ええ、満足、満足、お腹パンパン、又近いうちに来たく成ったよ。近くまで仕事で来ているから今度はそのついでに来ればいいのだね」

「船場まで来ているって言っていたなぁ」

「ええ、」

「だったら何時でも来れるね?」

「そう」

「でも厳しいのじゃない?繊維も」

「そうですね。」

「俺もこの仕事しているけどきついよ、それでもまだまともだからやっているけど。今までどれだけ変わったか、ここに辿り着くまでに、どこも楽な所って無いからなぁ何かもっと良い仕事ないかなぁ、一発で請けるような仕事」

「女の子ならあるでしょうね。」

「そうだね。俺も脱いだらお金が貰えるなら脱ぐけどな」


「僕も脱ぎます。」

「はっはっ、馬鹿みたいだなぁ俺ら。俺なぁ以前にあっと言う間に百万円と言う大金を一日で摑んだ事あったなぁ。」

「あっと言う間に大金を?それって競馬とかでしょう?そうか、まさかと思うけど、でっかいレートのマージャンとか?」

「違うよ。競馬とかマージャンなんて勝てるとは限らないし。ミイラ取りがミイラに成る事だってあるから」


「ではどんな事を?」

「それは言えないけど、でもでっかい事をしたわけ、其れで百万貰って、その日にパチンコをしたらどれだけ出たか、二十五杯積んだよ。くたくたに成ったな興奮して。」

「二十五杯って言うと十五万円位ですね。」

「そうちょっと切れたけど、吉田さんもパチンコするんだね。」

「ええ時たま」


「時たまにしては計算速いなぁ合っているし」

「でも凄いですねパチンコで十五万円、懐には百万円あくる日は仕事を休んだでしょう?」

「いやその頃は仕事していなかったから、昼頃まで寝込んでいたと思うよ」

「其れで一体何をして百万円ものお金を稼いだのですか?僕も参考にしたいな」

「参考に?繊維の仕事をしている人には無理だよ、絶対。」

  

「どうしてですか?若しかして競艇とかではないでしょうね。競艇で儲けた人が可成居るって聞いた事ありますから」

「違うよ。そんな博打じゃないよ」

「判らないなぁ何だろう?」

「ズドンだよ」

「ズドン?ズドンって?」

「だからズドンだよ」

「それってまさか拳銃の事?」

「ズドンだよ」

「ズドンと誰かを?」

「いや、この話は止めておこう。止め止め」

「そうですね。僕も恐く成って来ましたね。」


「だから繊維を触っているほどいいから。荒稼ぎをしたかったなら荒い仕事をしないと稼げないよ。非合法であっても」

「でも一日百万稼いだら相当使えたでしょう?パチンコとかしても。それって何時の事なのです?ずっと昔の頃ですか?」

「そんな事無いよ、まだ一年も経っていないから」

「そうなのですか?百万ですね。僕、学生時代に東京でマージャンのプロに成る事を夢見た事があって、毎日マージャン漬けに成っていましたが結局諦めました。上には上が山ほど居て、親から送って貰ったお金は殆どマージャン代に消えましたから、現実は厳しいですね。」

「そりゃそうだよ。俺もそんな時期があったけど、あの店でも絶対勝てない客が居るからな。だから才能の無い俺には無理って事らしいよ。」「だからズドンとなる訳ですね」


「そう、でも又そこへ戻って来たな、止めよう、止めておこう。なぁー今の話みんな冗談だから」

「冗談でも面白い話でした。スリルがあって、又聞かせて下さい。百万稼いだ話」

「だからその話は冗談って言っているのに」

「いやぁ結構真実味がありましたよ。今日は美味しいお肉食べられて幸せでした。お世話に成ったので僕に会計をさせて下さい。」

「いいよ、俺持っているから割り勘にしようよ。」

「駄目ですよ、僕ばかり食べていたのに」

会計を済ませ

「ではこれで、僕タクシーで帰ります。」

「気をつけて、さっきの話は冗談だから」

「解かっていますよ。」


 翌日捜査会議で吉田良は手を上げて

「私二ヶ月前から道頓堀の雀荘「蒼」の会員と成り、潜伏捜査をして参りました。その目的はご存知の様に佐川隆一に接近する事でありました。

更にこの店に出入りしている佐川に関係ある人物を特定する事も目的でありました。

二ヶ月通い詰めて佐川隆一とも親しくなり、昨日彼が薦める焼肉店に二人で行きました。その店は佐川自信が勤めている店でもあり、二時間もの間話に弾んで、そこで彼の口から一年経たない時期に何かをして大金をつかんだ事を話してくれました。


それは一日で百万円であったと、其れで何をしてそんなお金を稼げたのかと聞くと、「ズドンだよ」と言われました。其れでズドンって拳銃の事かと聞くと「ズドンだよ」と繰り返し言われました。

更に荒稼ぎをしたかったなら非合法であっても荒い仕事をしないと稼げないとも言っていました。

それで最後に「全部冗談だから」と言って笑っていましたが、その言葉こそ冗談であると思われました。あれは正しく拳銃で誰かを仕留めたと私は思います。」

すると幹部の一人が 

「いい加減だなぁ信憑性に欠けるな」と釘をさした。

それでも


「しかし煙が立っている事も確かかも知れないなぁ、引き続き追っかける様に。警戒して急に行かなくなれば相手に勘繰られるからしぶとく頑張りなさい。でも間違いが起こらない様に、細心の注意を払って」

「はい解かっています。」

吉田が自分の机に戻るなりほっとしてお茶をすすった。緊張していて喉がカラカラであった。

直ぐに上司の権藤刑事が近づいて来て、今井も呼び寄せ二人の労をねぎらった。           

「ご苦労さん頑張ってくれているんだね」

「権藤さん彼が近くから見守ってくれているから、私も思い切って行動に移せます。今井に感謝です。」

「そうだね。これからも二人で頑張ってくれよな」

「はい、では私たちはこれからも佐川に密着して真実を追究します。」 

「そうしてくれる。」 


吉田と今井が持ち込んだ情報は思わぬ展開に成り始めた。この過去一年以内に佐川隆一がズドンと言う何かをして一日で百万円を稼いだ様であった。その前後して結城信が行方知れずと成り、保険会社から猪股加奈子に掛けられていた保険金が結城信名義の通帳に支払われていた事が判明したのである。

その事実の辻褄が合い、目の色を変えたのは上司の権藤であった。

「そうだ奈良の沢村さんが、以前田野倉陽太郎から佐川がお金を貰っていたと言っていた。可成のお金であったとあの話は時期的には合うのかな?」

「おそらく合うでしょう、調べます。」


「田野倉から報酬として出た金だと思いますよ。佐川にしたって滅多と無い出来事だったから、だから心に残っていて、自慢する様に吉田に話したと思いますから、おそらく生涯で初めてした事で、始めて貰った大金だったと思いますよ。つまり田野倉から貰った金と言う事でしょう」

「実行したのは一年ほど前か・・・結城はその頃から行方知れずだからな。そう考えるとそうなるね。整理しようか・・・田野倉は理沙から結城が保険金を掴んだ事を聞かされて、それを奪う事を考えた。

 しかし理沙の体を利用してと成った時、田野倉は聞き捨て成らなかった。何故なら既に自分の女であるから。

 只いつもと違って今回は金が大きく動くことから、理沙が心まで売りはしないかとも思って気が気では居られなかった。

 理沙も理沙の考えがあり、今更結城にお金で抱かれる事も抵抗があった。そこで息の掛かった佐川に結城の始末を頼んで、お金は理沙が色仕掛けで隠してある場所を聞き出して、準備万端で結城の命を奪った。

 佐川は報酬として百万円を受けとり、理沙は保険金の一部を手に入れ、田野倉も保険金の殆どを掴んだ。


 この犯罪は保険金目当てであったから、もし保険金が降りていなかったなら、佐川はズドンとなどしなかった。こんな所かな?それとも田野倉は結城が邪魔になったと言うことかな?」

「権藤さん流石ですね。それで完璧じゃないのですか」

「最近なぁ奈良の沢村さんと話しをする機会が多くあり、あの人に感化されたのか私も探偵の様に成ってしまって」

「あのでしゃばりのおじさんですね。理沙のマンションの上本町でも、佐川の家近くの難波でも見掛けましたね。正に探偵さんですね。」

「でも私はあの方に何かとお世話に成っているからなぁ。それにこの事件は、あの方が第一報を三重県警にくれたから、善良な国民だと思うよ」

「そうでしょうね。正義感の強い方だと思います。」


翌日から又捜査はギアを揚げて始まった。権藤刑事も精力的に聞き込みに邁進していた。

その中でも音を立てるようにして動き始めたのは、権藤の部下の二人今井と吉田が追っている佐川隆一であったから、上司として少々焦りが出て来た事は確かであった。  

権藤刑事が憧れの女理沙を追ってから一年が過ぎていたが未だに全てを把握出来ていない。白なのか黒なのか。一年以上が経って色褪せた事件の犯人を逮捕して起訴に持って行くには相当の物的証拠が要る訳で、この様に輝く夜の街で蠢く蝶を捕まえ、ワッパを掛けるには相当の材料を要ったが、権藤にはそんなものは無いのである。                   


其れでも権藤は事件が解決する事を信じた。この夜叉の仮面を被った女の何処かに急所があり、崩れてボロボロになる何かがあると、権藤は天王寺のスナックエデン近くで女を見張り、上本町のマンション近くで女を見張る毎日が続いた。

標的は理沙であった。

そしてとうとう上本町の理沙のマンションを張っていた時思わぬ展開に成った。

若い男が理沙のマンションから飛び出す様に出て来た。男はエレベーターを降りマンションを後にしてモータープールの方に向かって行った。その姿を目で追いながら権藤はこの時『何かが起こるな』と直感が働き、マンションを見上げると理沙が心配そうに男を目で追っている。

暫くすると一台にベンツがやって来て止まり、運転して居たのは碇谷哲夫で、後部座席から田野倉が降りて来たのである。権藤には何が起こったのか直ぐに解かったので、再度見上げると理沙がまだ下をカーテンの陰から見ていたのである。            


『女は忙しいな、綺麗な女は特に急がしそうだな』権藤はおかしな独り言を言って様子を見守る事にした。

修羅場が始まる可能性も考えられた。

「あのおっさんこれから理沙とやるんやな。理沙はまだ前の男の温もりが残って居るだろうに大したもんだ。」

それは刑事の発想ではなく単なるスケベおやじの発想であった。

ところが田野倉は理沙の部屋に上って行き、権藤が気にしていた修羅場が始まる事と成った。

おそらく田野倉は理沙の素行を調べていて、その人物から電話が入り現場を取り押さえ様とした様である。 

男が理沙の部屋を尋ねた事を碇谷哲夫か若しくは田野倉に連絡して、急いで行き現場を押え男をとっちめる積りであった様である。

しかし所詮碇谷は理沙とは同じ四国の同郷のよしみで、理沙が現場を押さえられ酷い目にあうかも知れないと思い、田野倉の目を盗んで理沙に急遽連絡を入れていたのであった。

 理沙の部屋に入った田野倉は異変に気がついたのか、それとも見張りの者から耳にした時点から煮えくり返っていたのか、間髪を入れず理沙はカーテンを揺らし窓際まで来て、更に窓を空け顔を外にそそり出し『やめてー助けてーたすけてー』と大きな声を張り上げて助けを求めた。             


「権藤さんどうします?」

権藤と共に張り込んでいた若い刑事清水勉は戸惑う様に言って権藤の顔を不安げに見つめた。     

「このまま様子を見よう」

「大丈夫でしょうか?」

「それは解からんが」

理沙は窓から上半身を乗出していたが、田野倉に引き込まれたのか姿を消した。おそらくほっぺを可成の力で殴られて、更に着ている物を剥ぎ取られ、その後ベッドへ髪の毛を引っ張られながら連れて行かれただろうと権藤は読んでいた。

その勘が当たったのかは判らないが、田野倉が理沙の部屋から二時間もの間出て来なかった事からも想像する事ができた。

やがて田野倉が理沙を連れ立って部屋から出て来て、エレベーターの所で理沙は頭を下げて田野倉を見送っている。田野倉が理沙を背にしてマンションの入り口で車を待って居ると、碇谷哲夫の運転するベンツが直ぐに遣って来て何処かへ消えて行った。                          



「行こう」

「えっ?」

「理沙の部屋へ行こう」

「はいっ、行くのですか?」

権藤の力強い声で若い刑事はびっくりして経験不足を露呈したよに戦きながら答えていた。      

「ご免下さい。私天王寺署の権藤と申します。」

「はい何か御用でしょうか?私出て行かなければ成りませんから・・」               

「少しだけで良いのです。開けて頂けませんか?」

「申し訳ありません。お世話に成っています方が急に・・・」                   

「少しだけで結構です。」

「・・・」

「理沙さん少しだけでも構いません。是非お話を。折角天王寺からこちらまで来させて頂きましたので滅多と来ませんから少しの間でも無理でしょうか?」                        

「解かりました。」

「ありがとう御座います。」

ドアが開いて

「申し訳ありません。直ぐに帰ります。」 

理沙の顔を見た二人の刑事はその痛々しい姿に驚き、顔を見合わせて理沙が相当の勢いで苛められ暴力を受けた事を知った。

「理沙さん率直に申します。理沙さん、私らが貴方に用事があり天王寺から此方に来ると、貴方が窓から顔を出し「助けてー」とか「やめてー」とか大声を出して叫んでいる姿を見ています。

それから田野倉に中へ引き吊り込まれた事も、痴話喧嘩と思い今まで遠慮していましたが、貴方のその顔尋常ではありませんよ。貴方にとって顔は何よりも大事な商売道具ではないのですか?大変な事に成って、」


「内輪喧嘩ですから」

「何が在ったのです?届けを出さなくって良いのですか?被害届を」                

「大丈夫です。」

「田野倉は女性を殴るなんて酷い奴ですね。貴方が声を張り上げた時に飛んで来たら良かったかも知れませんね。こんな事に成るのなら・・・」

「いいえ私がいけないから仕方ないです。」

「其れで田野倉は帰って行きましたが、丸く収まったのですか?丸くって言い方は変ですが・・」   

「ええ」

「貴方は将来のある若者、田野倉の様な男と付きあっていてはいけないと私は思いますよ。居なく成った結城も良い加減な男だったし、もっと男を見る目が貴方には必要ではないかと思いますね。余計な事だけど。」

「そうですね。刑事さんのおっしゃる通りです。苦労ばっかり」                  

「ところで結城から何か連絡が有りませんでしたか?」                      

「何もありません」

「でも結城とは深い仲であったのだから、貴方は結城が今居なくなって居る事に対してどの様に思っています?今現在何か知っている事は御座いませんか?

実は結城が居なく成る頃にいろんな事が起こっていて、結城が受取人に成っている保険金、つまり別れた奥さんの保険が降りているのです。


三千万のお金が結城信名義の口座に振り込まれています。

実際受け取ったのは誰か判りません。今その事を調べていますが、現時点では判りません。

保険金はその儘で結城本人は居なくなり、他にも府に落ちない事が起こっています。もし誰かが、悪意の在る誰かが結城が受け取ったお金を、或は結城が受け取る前にその権利を横取りした者が居たならと考えた時、その疑わしい一人に貴方の名前が出て来るのです。

貴方は間違いなく結城と男女関係にあった人。貴方が原因で結城は奥さんと別れたかも知れない事も考えられます。。」


「刑事さんそれは違います。彼は奥さんと共謀して離婚をして、奥さんに母子手当てを貰わせ、そのお金で遊んでいたのです。悪い男です。」

でもその金が実は貴方に貢がれていたのですよ。その事は私たちも知っています。それだけではない、結城は別れた奥さんに他の男と内縁関係に巧みに成らせ、その男からもお金を毟り取っていたのですよ。みんな貴方のその美貌に吸い込まれる様にして、でも今の貴方には誰も近づきませんがその顔では。

其れで貴方にお聞きしたいのは、結城の奥さんの保険が入った事を貴方は知っていましたね?」

「いえ知りません。」

「知っていたでしょう。貴方の気を引く為に結城は口にしていませんか?お金の事を自慢げに話した筈です。別れた嫁の保険金が入るとか、何かを買ってあげるからとか」                 

「いえ全く知りません。」


「でも貴方は気に成りませんか?一年近くも経つのですから?」                  

「気に成りますよ。でも私にはどうする事も出来ませんから、毎日捜すのですか?私彼の事別に好きとかではなかったから、割り切ってお付き合いしていましたから、私銀行へ勤めていた訳でもデパートへ務めていた訳でもありませんから、胸のボタンを外して谷間を作り夜の蝶に成って殿方の側を飛んでいるのですから」

「だから彼にはまるで興味など無かったと言うのですね。でも結城はつらがまえなど決して良くなかったのに、無理をして貴方と好い仲に成っていたのですよ。見せ掛けでもそれを維持したいが為に妻と別れて手当てを貰わせ、そのお金まで貴方につぎ込んでいたのですよ。

それだけではない、その妻の内縁の夫からも、嘘を並べて金を引き出させて貴方に貢いでいたのですよ。

その結城に思いがけないお金が入る事になった。結城は絶対黙って居られないと思いますよ。特に貴方にだけは違いますか?」

「私には解かりません」


「いや十分解かっている筈です。さっき貴方は結城と付き合うのは仕事と割り切っているとおっしゃいました。ところが貴方とは全く正反対だったと言う事です結城は、だから結城は貴方に夢中に成ったのだと思います。田野倉も同じで、貴方に変な噂でも出ようものなら黙っていられなかったのでしょう。

だから探偵まで雇って貴方を監視している意味解かりますよね。だからこんな事が起こるのですよ」  

「・・・」

「気を付けて下さい。お金は貴方が支配出来、また支配されるのです。」              

「・・・」


「ではこれで帰ります。隠している事が在るなら言って下さい。出来るだけ早く言って下さい。命に関わりそうだと思ったら直ぐに言ってください。

その時は我々は貴方の身柄を確保し保護します。貴方も邪魔に成ったら結城の様に消息不明にされますよ。ホステスに成る人は五万と居ますが、自分を見失ってはいけないですよ。世間を舐めて掛かっても、貴方の美貌が貴方を狂わせているのかな?気を付けて、では帰ります。」

権藤たちは帰る車の中で

「理沙を落とすには?」

「理沙を?」

「そう、理沙は四、五日経ったら店に出ると思うな、そこで考えたのだけど、理沙には直接言わず他の女の子に結城の話をしようと思うんだ。」

「どんな事を?」

「だから結城が見つかったってデマを流すわけ」

「いいのですか、そんな事をして、面白そうだけど」

「そう難波の佐川がズドンって言った意味は、拳銃であった事を意味するのか、それとも何か、池とか海とかに落ちた時とかは?」

「そうですね・・・」

「もし佐川が内の吉田に肉を食いながらうっかり言ったとしたら、正に今言った様な事をした可能性があるよね」

「つまり殺してしまったって事ですか?」

「そう、何か他にある?」

「ズドンでしょう。例えば一つの例として車とかどうでしょう?」

「車?」

「例えば結城を車に乗せ、気絶させるとか睡眠薬とか飲ませ、それで突堤から車ごと別の車で突き落としたと考えた時、落ちて行くさまはズドンではないでしょうか?」

「それはドボンだろう?でも有り得る話しだね。佐川がどう思うかだから、よしこう成ったら一丁仕掛けてみるか」

「・・・」

「三、四日したらエデンへ行こう」

「はい」


それから四日が過ぎ権藤刑事と清水刑事はエデンに向かっていた。

デマを仕掛ける日が来た。

「今日は理沙ちゃん来ているの?」

「いえ、お休みみたい。昨日も一昨日も休んでいるわよ彼女」

「何かあったの?」

「わかんない。ナンバーワンは疲れるのよ。だから私はナンバー・・・えーとナンバー六かな?七かな?」

「でもナンバーワンに成りたいのでしょう?」

「そう、いや、成りたくない」

「本当かな?理沙ちゃんより好い匂いしているけどなぁ」

「元は入れているわよ」

「だったらナンバーワンを虎視眈々と狙っているんだ」

「まさかー」

「ちょっとは合っているでしょう?」

「まぁね。刑事さんは面白いね」

「ゆかちゃんはここに来て長いねぇ」

「ええ三年近くに成るわ。」


「前にも聞いたか知らないけど、ここへ良く来ていた理沙ちゃんの彼氏だった結城信って居ただろう。」

「ええ、でも顔も忘れそうだわ。理沙ちゃんにぞっこんだったから覚えているわ。でも刑事さんあの人行方知れずなのでしょう。でも居なくなってからもう半年以上に成ると思うわ。もっとなるかなぁ・・・」

「そうだったね。でも今日結城らしい男が見付かったって電話が入ったよ。」

「へぇー良かったね。何処で見付かったの?」

「下関」

「下関って?」

「本州で言うなら一番西。山口県下関の彦島って所で、公園で座り込んでいて、警察官に職務質問されて保護されたみたいだよ。それが結城信に似ていたそうだよ。捜索願いが出ていたから。だから明日早速下関に行ってくるよ。」


「へえーそんな事あるのね。今まで何していたのかしら?なんだか顔が目の前に浮かんで来たわ。でも良かった。理沙ちゃんにも言ってあげよう。みんなにも」

「間違いで無いと良いのだけど・・・何しろ下関まで行かないといけないから」

「そうなの、でも良かった、生きていて」

「今日は忙しいから帰るよ。明日も出張なら早いだろうし」

「そうですか、でも本当に良かったわ。」

 店を出た。清水刑事が早速

「権藤さんあんな事言って心証悪く成りませんか?今度行ったら睨まれませんか?それにお酒不味く成りませんか?」


「それもそうだね。でもお酒位何処でも呑めるから、自販機の前だってお酒だし、別嬪さんの胸の谷間を眺めながら呑むのもお酒だし、桜の花びらを見ながら呑むのもお酒だし、何処のお酒でも皆同じだよ」

「あの子はゆかちゃんって名前でしたね。いま頃店中に手当たり次第結城が見つかったと言っているかも知れませんね。何しろ結城が居なくなった当時は、全員に聞き込みして彼女ら気分悪くしていましたからね。其れで大変だった事覚えていますよ。」

「そうだったね。高知県の山奥から両親が出て来て捜索願を出していたね。可哀相に。ひとまずこれで仕込みは終わったな。結城が出てくれば誰が困るかだな・・・田野倉か理沙かそれとも佐川か碇谷か、それともまだ黒幕が居るかも知れないね。明日は、我々はじっとしていて他の者は全員動いて貰おうよ。


スナックのマスターだってどんな動きをするかも判らないし、当然田之倉に結城が出て来た事が伝わるだろうし、ゆかちゃんは理沙に電話を入れて口にする事は間違いないだろうし、捜査は明日より明後日の方が良いね、その様にお願いしよう。結城が出て来た事を知って、彼らがどの様な心に成るかを知りたいね。更に彼らが思う事を見抜きたいね。何も無い者は、例えばさっきのゆかちゃんの様に「良かったね」と繰り返していたから、それが当たり前でそこを知りたいな」

「権藤さんこの一連の事件で何もかもを掌握している人物なんて居るのでしょうか?」

「一部始終を?」


「そうです。つまり岩下の内縁の妻や子供が何故死んだのか、結城信が何故居なく成ったのか、岩下が何故自殺したのか?」

「そんなの居ないよ。もし居るとしたなら結城の消息を知っている人物で、その人物なら母子殺しの犯人も判っていると思うな。」

「そう言う事でしょうね」

「もし居るとしたなら私はその人物は田野倉であり理沙だと思うよ。理沙は何もかもを知っているから今日あんな目に遭わされたと思うよ。田野倉は理沙を殴りながら「命取りに成る様な事をするな」と強く言ったと思うよ。殺すと言ったかも知れない。」

「田野倉って恐いですね。あの綺麗な子をあそこまで出来る男ですから・・・」

「そうだね。若しかすると今がチャンスかも知れないなぁ」


結城信也が山口県の下関で見付かったとスナックエデンでデマを流してから、係わりあると思われる人物のマークを集中してしていた刑事たちであったが、これと言った反応は無かった。それではと権藤刑事は追い打ちを掛けるように上本町の理沙のマンションを尋ねていた。

理沙は相変わらず目の周りを薄黒くしてファンデーションで隠していたが、それでも判る状態であった。

「理沙さん、まだ痛いのでは?」

「いえもう大丈夫です。私がいけなかったから我慢しなきゃと思っています。」

「でもね、貴方が被害届を出せば田野倉を傷害罪で捕まえる事だって出来るのですよ。」


「そうですか、でもそんな事をしたら後がどう成るやら・・・」

「恐いですか?」

「勿論です。それに今回は私が悪いから。それより刑事さん結城さんが見つかったのですか?」

「まだはっきりしないのですが、おそらく」

「でもゆかちゃんの話では刑事さんが下関にとか行って見て来るって私聞いていますけど」

「そうだったんだけど向うの警察の都合があって未だに行けない状態で」

「そうでしたか」

「何か他の事件に絡んでいる可能性がある様で、結城が見つかった近くで何件かの空き巣強盗事件が発生していて、結城が不審者と言う事で容疑が掛かっているらしく其れで其方が先で」


「そうでしたか」

「其れで理沙さんは結城が出て来ればどうなる?」

「ちょっと困ります。」

「どうして?」

「だって今この様な状態だから」

「田野倉と出来ているから?」

「そう、結城さんが出て来たりしたらあの人今度はどんな風になるか」

「では前にも何かあったのかな?」

「揉めていました私の事で」

「其れで一年近く前に結城が居なくなった時は、田野倉と揉めていた時でも在った訳だね」


「でも田野倉さんあの頃言っていました。結城がこれから理沙の前に二度と顔を見せないように話をつけたと。多分何かがあったのでしょう。」

「田野倉が理沙さんを手に入れたい為にお金を払ったとか?」

「判りません」

「理沙さん、この前貴方が田之倉に酷い目に遭わされた時飛び出して行った男って何者?」

「お店のお客さんです」

「常連さん?」

「いいえ始めて来られた人でしたが気が合って其れでつい。でも刑事さんはそんなことまで知っているのですね?」

「いえ偶々見かけたから・・・」

「そうですか・・・」

「罰が当たったのかな?」

「そうですね正しく、何処かの御曹司だったわ。格好良かったし」

「其れで時めいた訳だ」

「だって田野倉さんって普通ではないでしょう。正直あんな人と将来なんか考えられないわ。夢もないし高い指輪を買って貰っても意味なんかないし、歳だって私の倍だし」


「だから別れても良いと思っているんだ」

「ええ、田舎へでも帰れば開放して貰えると思うわ。お父さんとか母さんとか絡ませれば」

「それなら今からでも遅くはないから、病院へ行って診断書取って田野倉を訴えれば良いんだよ。別れられるから我々は田野倉をしょっ引くから」

「でもそんな事をしたら私はともかく碇谷さんが何されるかも分からないわ。」

「碇谷さん?」

「そう彼が私と田野倉さんの言わば世話人の様なもので、彼が攻められると思うの。

田野倉には子分が沢山居るから、碇谷さんも子分の一人だけど、運転手の役目だから所詮下っ端だから、元々私は碇谷さんと深い関係だったのよ。同じ四国だったから、でもその碇谷さんから『俺の立場を考えてほしい』と言われ、始めは結城と付き合う様に言われ、その後で田野倉の相手をする様に言われたの。」


「でも断れなかったの?」

「ええ断ったわ。嫌だって、でも碇谷さん『俺の立場がある考えてくれないか』と言われ、彼可成の借金をしていたらしく、当時エデンのマスターに頼んで田野倉から借りていたようよ。田野倉は金融が本職だからつい填って行ったらしいわ。元々碇谷さんはエデンのお客さんで私が務める以前から来ていて、其れで知り合いに成って、同郷である事も重なってお互い急接近して男女の間柄に成ったの。

 でもお金が絡んで私は三人の間で振り回される様に成り、最後は碇谷さんは私を田野倉に差し出したわけ」

「結城は?」

「あの人はそんな事知らない振りして、私にぞっこんでお金を工面して毎日の様に来ていたわ。」

「それは田野倉にすれば碇谷からお金で買った筈の理沙さんであったが、結城と言う男が貴方に入れあげていて気に障った訳だね。」

「ええ」

「だから話をつけた」

「その様に私に言っていました」

「どの様にして田野倉は結城と話を着けたのかを言っていなかった?」

「ええ、それ以上は何も」

「全くおかしな事を言うなとか無かったですか?二度と会う事は無いとか」


「私は田野倉がお金持ちだから、お金で解決をしたものとその時思いました。だって元々私を碇谷さんが借金の形に田野倉に売った経緯も判っていましたから」

「つまり貴方は碇谷に借金の形で売られ、田野倉は貴方に入れあげていた結城をお金で縁を切られたと言う事ですね。」

「そうだと思います。だから田野倉からその様に聞いてから、それから結城さんがお店に一度も来なく成ったのは納得でした。

別に結城さんに心がひかれていたわけではなかったですから、自然に消滅した様なものでした」

「しかし結城は後日高知の両親から捜索願が出ていたね。消息不明で、その事で何も思わなかったの?貴方は?」


「ええ警察の方が来られて色々聞かれましたが、私としては何も答える事が無く」

「この話、つまり田野倉と結城が貴方を取り合いに成り、田野倉の手に貴方が落ちた経緯を当時警察に話しましたか?」

「いいえ、誰にも聞かれなかったし、それに余計な事を言わない様にと言われましたから」

「田野倉に?」

「ええ」

「エデンは実質的に田野倉が経営していたお店ですから、みんな『考えてしゃべる様に』と言われていましたし。」


「理沙さん貴方今でも化粧を落とすとお顔腫れていると思われます。腫れは引いても黒ずみが可成残っている様です。被害届を出して戴けませんか?結城の事で事実を追及したいのです。」

「でも結城さんが見つかったのでしょう?」

「いえ、まだはっきりしていません。」

「結城さんなら良いのですが・・・」

「ええ真相が直ぐに判ると思います。岩下の妻子殺しの事も」

「そうですか」

「其れで前にも話したかも知れませんが、結城には別れた奥さんの保険金が入っています。」

「知らないです。知らないと前にも言った筈です。」

「全くご存知でない?」

「ええ知りません」

「そうですか、実は近日中に下関に行く予定です。結城信であるか確認する為に、其れで結城信で無かったなら振り出しに戻ります。」

「おそらくその人は結城さんでは無いと思います。何故なら田野倉さんがあの時、「二度と結城には会う事はない」とはっきり言っていましたから、私はその時結城さんは田野倉に外国にでも行かされたのではないかと感じました。


 インドネシアとかフィリィピンとか。そんな話を電話でしていましたから。だから結城さんは田野倉から貰ったお金で、女性たちに囲まれて向こうで優雅に暮らしているものだと思っていました。」

「田野倉がその様に?」

「ええ、誰かと話していたようです。」

「そうですか、貴方が被害届を出して下されば良いのですが、田之倉を追求出来るのですが、

ですから一度深く考えてみて下さい。至急に。今ならそのお顔で証明出来ます。診断書も直ぐに出るでしょう。如何ですか?田野倉がこの事件の鍵を握って居る事は間違いないのです。」

「でも正直恐いです。あの事件以来、こうしていても何処かにカメラが備え付けられているかも知れません。話し声もキャッチされているかも知れません。何処か他のビルから覗かれているかも知れません。だから無理な事言わないで下さい。」


「そうですか、解かりました他の方法で田之倉を徹底的に追い詰めます。」

「ええ、私は関わりたくありません。。今私に何をせよと言われても困ります。」

「本当に貴方は結城信の事を知らないですか?」

「諄いですね刑事さん、もう帰って下さい。」

 

❿ 

権藤刑事たちは理沙のマンションを後にして階段を下り、一直線で田野倉の事務所を目がけることにした。

田野倉の事務所は谷町筋にあり決して遠くは無かった。事務所には事務員らしき女が座っていて、その奥の部屋で田野倉が椅子に深く腰を下ろして寛いでいた。

他に誰も居らず閑散としていた。

「これは、これは権藤さん」

「久し振りだな、田之倉さん」

「今日はどんな御用で?」

「傷害容疑で」

「傷害容疑?だれが・・・」

「解かって居るだろう?」

「まさか理沙が?」

「良い気に成るなよ。今は戦後間近のドサクサの時代とは違うんだから」

「其れで理沙がどうして?」


「解かって居るだろう?あんたが理沙さんの顔を色が変わる位殴った事我々は判っているからな。我々が理沙さんのマンションの近くで居た時にあんたが来て彼女を殴った事を見ていたからな。」

「まさか解からないな、言っている意味が」

「解かって居るだろう?理沙さんが窓を開けて大きな声で「助けてー」とか「やめてー」とか言って叫んでいた事を知っているんだぞ」

「そうですか、確かにそんな事が有りました。理沙は俺が怒る様な事をしたからあいつが悪いのです。その様に言っていませんでしたか?」

「若い男と浮気をしたからか?」

「良く知っていますね」

「それも全部見ていたから」


「なるほどね。理沙はそんな事平気で出来る女だから困ったものですよ。」

「第一あんたが理沙さんを金で買ったのだからお互い様じゃないか」

「まあね、刑事さんは何でも良く知っていますね。それで理沙が被害届を出したと」

「いや出せと言ったら断った」

「当たり前ですよ。あいつが悪いのだから」

「それで田野倉さん、他の話なんだけど、結城の事何か聞いていないか?」

「ええ、エデンのマスターから、行って来られたのでしょう下関とかに?」

「いやまだ行っていない。結城に他の容疑も掛かっていてその件が先だから後にしてほしいと山口県警に言われて」


「ならまだはっきりしないのですね?」

「そう、その内判ると思うよ。ところで田野倉さん、結城が居なくなった時の事で聞きたい事があるのだけど、あんた理沙さんに結城は二度と顔を見せないと断言していたようだけどその根拠は?」

「ええ、結城にお金をつかませたのです。」

「お金を?」

「ええ、あの男お金で困っていたから」

「それはおかしな話だな、結城は寧ろ大金を摑んでいた筈だけど」

「本当ですか、まさか」

「結城の元奥さんが死んで、保険金が三千万円が入っていた事を知らないのか?」

「まさか、本当ですか?」

「結城の名義の通帳に保険会社から金が振り込まれている事は判っているか?」

「そんな事知りません。何かの間違いでは?」

「いや間違いではない。田野倉さんあんたは事実を言っていないな。結城は大金を掴んで理沙を自分のものにしたかった。


誰にも邪魔をされる事無く、理沙にはその気が無かったかも知れないが、結城だけはその様に思っていた。それは言うまでもなく三千万円と言うお金が入ったからであった。そんな事知って居るだろう?」

「知らないですよ。そんな事があったとは」

「本当に知らないか?」

「知らないですよ。それに結城に二度と会わない事を約束させましたから大金で」

「それって幾ら?」

「三百万円です。」

「変だなぁ、結城は理沙とエデンで知り合いぞっこんに成り、理沙が目当てで毎日の様に通い、嫁とも表むきは離婚をして役所から嫁に手当てを貰わせ、更に男と同棲させその男からもむしりとるようにお金をせしめているな。


 其れで吸い上げたお金を理沙に貢いで居た様であるから、だから結城は変な努力もしていて、嫁を騙している事が判らないように時々子供とも会い嫁ともしっぽりとした時間を過ごし、納得させせしめるものは全てせしめ、同棲中の男の保険まで手を伸ばし始めていた男、その男の嫁が死に思わぬ大金が入った。三千万もの大金が、 

何故入ったのかは結城自身の手で奥さんを殺したのか、それとも結城が元嫁と共謀して、元嫁が同棲している岩下の保険金を目当てに殺そうとした。

更に殺してしまう計画がある事を知った岩下が返り討ちにしたのか、この三通りで、そして岩下が遺書を残して死んでしまい、結城は消息不明に成り一体何が起こったのかねぇ?あんた関係ないのか?」

「でも結城は下関で見付かったのでしょう?」

「まだ確認は出来ていない。」

「・・・・」


「其れで田野倉さん、貴方が言われた事が事実なら結城に三百万円を渡して、その後結城はどうなったのかな?貴方の事だから気に成って、その後も子分に見張らせていたのでは?」

「そんな事はしないですよ。だからそれからの事は何も知りません。あの男もお金を受け取りながら馬鹿な事はしない筈ですから。」

「しかし今回理沙にした事を考えると、当時も同じ様な事をしたのではないのか?例えば拳銃で脅しながら三百万円を渡したとか?」

「そんな事はしませんよ。第一拳銃なんて持ってはいけないのでしょう?」


「田野倉さん私は刑事ですよ。絶対嘘はいけないし法律を破ると許せないですから、結城は理沙さんに手に入れたお金を全部貢ぐ積りだった。二人の仲を保つ為に何でもする積りだった。そんな一途な男にある日大金が入ったのですよ。黙っておられますか?理沙に話せば直ぐに貴方にも伝わるのでは?

三千万円ですよ。好きな女に誰だって言うでしょう。理沙さんはお金で動く事を結城は十分知っていたから。貴方は本当に何も聞いていなかったですか?」

「ええ知りません。それにその程度のお金なら何て事無いですから」

「そりゃ貴方にとって大金で無いかも知れませんが、結城にとっては相当なお金ですよ。理沙さんと暮らす事だって出来る筈。


 僅か三百万円で突如結城は理沙さんを忘れる事など出来ないと思われます。ありえない話だと思います。貴方大金を渡したと言うなら結城から「二度と理沙に近づきません」とか言う証文でも取っておられますか?」

「いいえ、そんな物はありません。」

「それは可笑しいですね。金貸しの貴方が無防備な・・・まさかですね。」

「いやマスターから頑なに二度と来ないで下さいと言って貰っていますから」

「其れで結城は来なくなった?」

「そうですよ。あれ以来見なく成りました」


「田野倉さん誰もが口を合わせていたなら、中々事実を見つける事は出来ないと思います。要するに今生きている人が話をすり合わせ嘘で固めたら、まるでそれが本当の事であるかの様に思われます。

 白の物を赤だと言って他の者も同じ事を言えば赤に成るのです。結城はそんな渦中に居るのではないのですか?

詰まり下関に明日にでも行く予定でいますが、私は必ずしも期待はしていません。おそらく別人だと思います。もし本人なら誰が元嫁を殺したのか直ぐに判るでしょう。しかし私は別人だと思います。結城信は既に死んでいると思います。殺されたと思います。」

「どうしてそんな事を?」

「どうして?」

「ええ」

「田野倉さん貴方はお金で人を動かすのがお好きな様ですね」

「どう言う意味です?」

「貴方は三百万円で理沙さんを買ったと言いましたね。」

「ええその様なものです」

「他に何かを買ったものがありませんか?」

「何かって?」

「何かあるでしょう?」

「さぁ、そんな話は幾らでもありますよ。私は金貸しですよ。焦げ付く人も居ますし、逃げる人も居ます。」

「其れで逃げる人は殺すのですか?」

「何を言います。事務員にも聞こえます。変な事言わないで下さい」

「それなら言い換えます。殺して貰いたいと誰かに依頼した事ありませんか?」

「失礼な、そんな馬鹿な事を。」

「本当に馬鹿な事でしょうか?」

「ええ、ありません」

「絶対に無いと」

「ありません」

「そうですか」


「刑事さん、いや権藤さん、それにお若い刑事さんも、もう帰って下さい。これはなんですの?気分が悪いです。帰って下さい。」

「田野倉さんズドンと言えば何でしょうか?」

「ズドン、さぁ」

「ズドンですよ。判るでしょう。思い当たる事言って下さい」

「いえ何も思い当たりません」

「そうですか。今何か頭の中を過ぎったでしょう?」

「いえ」

「貴方は佐川隆一って男を知っていますか?」

「佐川隆一、いえ知りません」

「難波の佐川隆一ですよ」

「知りません」


「結局貴方と話をしていても、理沙さんと話をしていても、都合が悪くなると知らないと言う訳ですね。だから知らないと貴方が言えば、良く知っているが、もしくはその様に言わなければ都合が悪いから、そんな風に勘繰ってしまいます。もう一度お聞きします、佐川隆一知っていますか?」

「いや知らないです」

「可笑しいですね。いつか、詰まり結城信が居なくなった一年後位に、貴方が佐川隆一にお金を渡して居る所を見ていた人が居るのですよ。」

「何かの間違いでは」

「いえ間違いではありません。

佐川隆一が貴方から受け取った百万円を持ってパチンコに行き、大儲けをしたのですよ」

「まさか・・・知らないです。何の話です」

「知らないですか?佐川隆一を知らないとそれでも言われるのですか?」

「何かの間違いだと思います」

「もう一度お聞きします。佐川隆一を知りませんか?」

「・・・」


「貴方が難波へ行って懐から封筒に入った百万円を佐川に渡し、焼き肉を食べてニコニコ顔で別れた事を目撃されているのですよ」

「まさか」

「埒が明きませんねぇ、これからねぇ田野倉さん、署までご同行願いませんか、

お返事聞かせて下さい。佐川隆一の事を

「・・・・・」

「いいですか、田野倉さん。今日こうして佐川隆一の事を口にしたと言う事は、このまま私達が帰ってしまえば、貴方はすぐに口封じの為に佐川隆一を殺すかも知れないです。

だから私達は佐川隆一の身柄を確保する事も同時進行して、貴方には何もかもをお聞き願いたいと思います。ご同行願います」

「・・・・」


「佐川さん。ご同行願えますか?」

「解かりました」

 権藤刑事は田野倉を車の横に座らせて天王寺警察に向かいながら、盤根錯節に思われる天王寺母子絞殺事件は、僅かであったが縺れた糸が解け始めた様に思え、思わず奈良の沢村準一の顔を浮かべていた。


天王寺署に着いた三人は早速田野倉を取調室に導きパイプ椅子に座らせた

「田野倉観念して何もかもを話して貰おうか。隠しても判っているんだからな。舐めんなよ」

「何もかもって?」

「だからまず佐川隆一の話から」

「・・・・」

「知らないとは言わせないからな。あんたが渡したお金は何のお金だったんだ。仕事をして貰った報酬なのか?」

「さぁ」


「言ってやろうか、一日で百万に成る仕事の報酬だから、判っているからな、そうだろう違うか?」

「・・・・」

「今なぁ佐川隆一の所にも部下たちが向かっている。今日中には身柄を確保出来ると思う。どうせパチンコかマージャンをしている筈だから、当然理沙さんも手配する。お前たちは一体何をしたのだ?結城信は今何処に居る?

結城が手に入れたお金の通帳を今誰が持っている?田野倉知って居るなら何もかもを言ってみろ」

「・・・・」

「田野倉、待てよ、あんたまさか佐川隆一の事を知らないなんて今更言わないだろうな?」

「・・・・」

「田野倉佐川隆一の事を知っているな?」

「・・・・」

「今日は返さんからな。今緊急逮捕令状の請求をしている。」

「刑事さん、弁護士さんを呼んでくれますか」

「あぁ呼ぶよ、しかし逮捕状が先だからな」

「・・・・」


「お前ら悪党は卑怯者の集まりだな、都合が悪くなれば黙るし、ちょっとでも相手に落ち度があれば付込む嫌な性格だな。風上に置けないつまらない奴らだな」

「・・・・・」

「田野倉、お前佐川隆一に結城信を殺す様に依頼したのではないのか、拳銃を渡して?」

「まさか俺が。馬鹿げている」

「佐川はなぁお前から百万受け取る約束で結城信を殺した筈や。佐川がマージャン仲間に言っている。ズドンとやったと、其れで百万貰ったと自慢するように言っている」

「知らんよ、俺、そんな事」

「田野倉お前今心の中が煮えくり返っているのではないのか?『余計な事言って佐川のバカたれ』と、佐川はな結城信をズドンと音をさせて殺したんだよ。あんたに頼まれて違うか?

今佐川を捕まえて『田野倉がお前に百万円の報酬で結城を殺してくれと頼んだと言っている』と言えば、間違いなく佐川は直ぐに観念して吐くだろうな違うか田野倉さんよ」

「ばかばかしい」


「ではそのお金は佐川に何故渡した?佐川の事知らないなんて今更言うなよ」

「解かったよ。佐川は金に詰っていたから、貸しただけだよ、百万円」

「それはパチンコする金でもか?」

「そんな事知った事じゃないよ。どこへ使おうと好きにすればいいんだよ。返してくれさえすればいいんだから。」

「しかしあの時は自分の口で、はっきり仕事をした報酬だと言っている。それにそのお金を提げてパチンコをして十五万近く稼いでいる。

だから気を良くしてマージャン仲間にその事を自慢げに話した訳だ」

「そのマージャン仲間って誰を言うの?いい加減な奴じゃないの?」

「違うな」

「どうして判る、あんたもマージャンするわけ?それともあいつが行くマージャン店の事知っているわけ?その仲間って言う奴を知っているわけ?」

「あぁ知っている。私の部下だから」

「部下?まさか警察?」


「そう、もう何ヶ月にも成るな、部下がマージャン店に通いだしてから、佐川とも何度も食事をしている。焼肉店にも何度も行っている。佐川を別件で逮捕も出来る。危険ドラッグを持っている事も判っている。高額の掛けマージャンをしている事も判っている。もっと言おうか?」

「わかった」

「其れで田野倉、佐川に何を依頼した?」

「・・・・・」

「田野倉、何を依頼した?殺しか?」

「・・・・」

「結城信を殺して、あわよくばお金を奪い取る事を考えたわけか?核心に触れているな、私の言う事に何処かに間違いがあれば言ってみろ。弁護士が来ても事実は変わらんからな」

「刑事さんよ、佐川が何を言ったのか知らないけど、あの男が金を貸してくれと言うから貸しただけ。それだけだから、刑事さんよ、作り話は刑事らしくないよ。何処に証拠がある?佐川が誰かを殺したとか何かを言ったの?俺はそんな風には絶対思わない。違うかな」

「ご心配なくその内佐川が何もかもを吐くから、其れに理沙さんはあんなに殴られて目の周りを黒くして、あんたどんな積り?女の子を脅して恐がらせて、何か得るものがあると思っているのか?

明日にでも傷害の被害届が出して貰うから・・・四国の理沙さんのお父さんやおかあさんが心配していると思うな」

「刑事さんよ、俺あの子を殴ったのは晩節を汚されたからだよ」

「晩節を汚された?」

「そう、女としてあるまじき事を平気でするからだよ」

「若い男に走った事を言うのか」

「そう俺が居ながら」

「だからあの子はあんたの様なタイプは決して気に入っていないと思うな、同じ様な年恰好で男前で、私が理沙さんの立場なら解かる様な気がするな」

「理沙の事はいいから」

「しかし明日にも被害届を出すと思うから、その罪に対して通常逮捕になるな、暴力行為で」

「思うようにしたら」

「明日は大きく動くな。朝から下関に行って結城信を確認して、もし本人であれば何もかもを口にするだろうし、もし別人なら結城は既に土の中だろうから、どちらかがはっきりする日に成るな。


 殺されている事は間違いないと思うな。間違いないと思う気持ちが高く成ると言う事は、お前たちに掛けられている嫌疑がより強く成ると言う事だ。

田野倉さん、あんたここから当分出られないかも知れないぞ。もし佐川に殺しを依頼したなら覚悟をしておいてくれよな。」


結局田野倉は口を割る事は無く、権藤の部下吉田刑事と今井刑事が、かねてより追っていた佐川隆一を天王寺警察にその日の内に呼び寄せ、危険ドラッグの使用による別件で逮捕したのであった。

佐川隆一は長らくの間行動を共にして信用していた吉田が刑事であった事を知り、目頭に泪さえ浮かべて吉田刑事を睨みつけながら尋問にふて腐りながら答えていた。

「佐川さん貴方がいつか口にしたズドンと言ったあの言葉もっと詳しく知りたいです。」

「だからあれって冗談だって言っただろう」

「本当はどうなのです?大きな仕事をしたのではないのですか?」

「冗談だって言ったじゃない」

「実は今日ね、田野倉が逮捕されましたよ」

「田野倉が?」


「ええ、だから田野倉からお金を受け取った貴方は、田野倉にこれから殺されるかも知れませんよ。口封じの為に。だから法律に触れる何かを隠しているのなら言って下さい。

田野倉が企んで貴方が実行したなら危険ですよ。言っている意味解かるでしょう?

それが殺人なら貴方は殺人犯で田野倉は殺人教唆の罪で首謀者なのですよ。田野倉に幾ら力があっても罪は罪ですから。命が狙われると言う意味もわかるでしょう?」

「其れで田野倉が何かを口にしたのですか?」

「田野倉は色々言っていると思いますよ。ここへ連行されて来てから既に六・七時間過ぎているから。

それで佐川さん質問を変えますが、田野倉と何時知り合いに成ったのかな?」

「あの人に金を借りてから」

「何時ごろ?」

「三年前、いやもう少し前かな」

「いくら」

「五万円だったと思う」

「それってパチンコ代とかマージャン代に?」


「どっちも、それで返すのが遅れた時があり、あの人から電話が掛かって来て、其れで『枠を増やして緊急融資をしますから』と、そして『その中から今回分を引きますので』と言われ、ついその仕組みにのめり込んで、其れで借り続けて焦げ付いたわけ。地獄の様な仕組みだったな。

でも今は一円も借りていないから」

「では田野倉から百万円を受け取った時の前後はどんな感じなのですか?」

「借りた額?・・・はっきり覚えていないよ。」

「では田野倉の帳面を見れば判るから、あの男はこれから何日も勾留するから」

「帰れないのですか?」

「あぁ、だから貴方が今嘘を言っても直ぐにばれるから。私は危険ドラッグの事で貴方を調べる積りは無いから、危険ドラッグは生活防犯課だから、我々は殺人事件の事で貴方を調べますから、もう一度お聞きしますよ、田野倉から百万年貰った時の前と後を言って貰えます。百万円貰った時はゼロに成ったのかな?」

「はっきり覚えていないよ」

「では調べます。携帯の記録でも判るでしょう。」

「多分催促がきつかったから」


「当然田野倉の事務所を家宅捜査しますから色々出てくるでしょう。

お金ってね、借りた方ははっきりしていなくても、貸した方は金額、日付、時間、相手の服装や場所まで、しっかりメモを残しているのですよ。

だから正確に何もかもが判るのですよ。当然です。

もう一度聞きますよ。百万円貰った時までに幾ら借りていました?」

「はっきりしません」

「百万ですか、二百万ですか、

三百万ですか、四百万ですか?佐川さん思い出して下さい。真実が判るまで徹底的に調べますから。其れに帰って貰う訳にはいきませんから、ですから佐川さん何もかもをはっきり言って下さい。」

「確か三百万は超えていたと思います。」

「三百万も」

「ええ幾らでも増えて行っていましたから」

「それでもマージャンとかパチンコをしたりしていたのですか?でも良くあんな男が遊んでいる貴方にお金を貸したものですね」


「俺には金などないけど、実家が財産家だから、だから最後は親に払わせようと、俺はそんな事を思ってはいないけど田野倉はその積りだったと思うな。実家の事を根掘り葉掘り聞かれたから、田地がどれだけあるとか山がどれだけあるとかどんな実家だとか、」

「でも三百万もの大金を帳消しにして、更に百万の現金をくれたのですね。一体何をされたのですか?とんでもない事をしたのではないのですか?」

「吉田さん、いや良ちゃん、俺あんたの事を信用していたから、こんな風にして取り調べられたら情けないな。あんたも警察官なら裏切らないで貰いたいなぁ。違う良ちゃん?

「佐川さん申し訳ないと思っています。でも僕も貴方が良い人だと思いながらお付き合いさせて貰っていました。僕らの仕事は犯人を逮捕する事が仕事ですが、同時に被疑者が犯人では無い事を証明する事も仕事な訳です。


 でも佐川さんは二人の間が近く成って行くほど、危険ドラッグを持っていたり法律では許されない大きなレートのマージャンをしていたり、競馬のノミ行為を手伝っていたり、悪事に可成染まっている事を知りました。

 其れにあの『ズドン』と言う言い方で誤魔化しても、何か悪い事を実行していたと思う様に成りました。だから今僕の事を腹立たしく思われても構いませんが、これまで何をして来たのか冷静に思い直して下さい。腹立たしく思う迄に。」

「そうか、俺が馬鹿だったのか畜生」

「でもあのマージャン店にも捜査が入ります。営業停止に成るでしょう。どれだけ怨んでも憎んでも良いですが、法律に触れる事をすれば許される事はありません。必ず常識を守る者たちに潰されます。マージャンで百万も負けたら、負けた人は黙っていないのです。勝った時はほくそ笑んでいてもそれが人間なのです。


田野倉は今日の深夜にでも、何もかもをしゃべると思います。佐川さん百万貰って三百万の借金を棒引きにして貰い一体何をしたのですか?教えて下さい。佐川さん?」

「・・・・だから何も言いたくないな、あんたには」

それから佐川は口を聞く事はなくなったが、危険ドラッグの所持並びに仕様、更に掛けマージャンに参加した罪で拘留される事と成った。

田野倉も佐川も居合わせた様に肝心な部分は口を閉ざした。

二人とも勾留される事になったが、夜が明けた途端に田野倉の弁護士が来て権藤刑事に詰め寄った。

「どのような罪を持ってこの様な事を出来るのか?」

「結城信が消息不明に成っている事に関して、田野倉陽太郎氏に嫌疑が掛かっております。結城信が居なくなっている事に関して、田野倉さんが結城に危害を加えたか或は殺した事も考えられます」

「何処にその様な証拠が?」

「田野倉さんは難波の佐川隆一に報酬として百万円のお金をあげています。又佐川隆一に貸したお金が焦げ付いていて、それさえ全部棒引きにしているのです。


三百万円を越すお金です。この事実はお金を受け取った佐川が供述しています。又そのお金は一日の報酬であった事も言って居ます。何処にあるでしょうたった一日でお金をくれてあげるような仕事は、田野倉さんにはその内容を言って貰わないと帰って頂く事は出来ません。

 佐川隆一は今日もきつく取調べをして吐かす積りですので、田野倉さんも一刻も早く供述される様に弁護士さんからも言って下さい。

絶対勝てない勝負などしない事が懸命だと。

其れにちなみに佐川は賭けマージャンや危険ドラッグ所持並びに使用の罪もあり、当分帰って貰えませんから何もかもを口にされると思われます。田野倉に接見されてしっかり話してやって下さい。  

弁護士辰村新平の顔色が次第に覇気を失くして行く様であった。

権藤刑事は理沙の様な女に夢中に成った田野倉が、命取りに成りはしないかと思えて来た。

この日も田野倉を終日取調べをして勾留した後、遅く成った夕食を済ませ、何故か気に成って奈良の沢村氏に電話を入れていた。


「ご無沙汰しています」

「こちらこそご無沙汰で」

「沢村さん今日ね、貴方が探偵ごっこをして教えて頂いたあの時の情報が起爆剤に成って、今日親分肌の男田野倉陽太郎と、田野倉からお金を貰ってパチンコをしていた難波の佐川隆一を我が署へ引っ張って来ました。

 田野倉はあのスナックのホステスの上本町のマンションで暮らしている理沙さんに対する傷害罪と、岩下の内縁の妻の元夫の結城信の失踪に関する容疑、其れに佐川は結城信に対する殺害を含む容疑などについで、それぞれ罪状は複数あり一応逮捕です。

其れでこれから是が非でも起訴に持って行く積りです。当然最終目的は母子絞殺事件解明です。」

「そうですか、ご苦労様です。私謹慎中の身だから、今ではご迷惑に成らないように余計な事を考えない様にしています。


 又大阪へ行きたく成っても、皆様にご迷惑に成ってはいけませんから、ただ山根さんの無実だけを信じて祈っている次第です。

「結局今判ってきた事は、佐川は金融業の田野倉から三百万円も借りていて、更に百万もの報酬で、何かとんでもない事を引き受けたようです。三百万をチャラにして貰い更に百万ですから、只事ではないと思われます。

今の所依頼した田野倉も、仕事をした佐川も、この件に関して何も口にしていませんが時間の問題でしょう。

 昨日から大きな動きがあり今何とか落ち着きましたので、報告かたがたお電話した次第で。」

「それは、それはお忙しいのにご丁寧に、其れでやはり結城信さんは殺されていると言う事に成るのでしょうか?」


「おそらく。消息を絶ってから既に一年以上過ぎていますからね。生きているなら女の事も気に成る筈しかし女つまり理沙の心の中には結城信の事など全く存在しませんからね。」

「言い換えればそんな大きな報酬を受け取っている佐川は、可成大きな仕事をしているのでしょうね。つまり結城は佐川の手で殺されたとか。」

「ええ、その様に思います。その筋で追い詰める積りです。沢村さんなら一日に四百万に成ると言われて仕事を受けるとしたら、どの様な事を想像されますか?」

「私ですか・・・私だったらねぇ・・・例えば田野倉は仕事上外国と係わっているとか在りませんか?海外と取引がある会社と付き合っているとか、融資をしているとか・・・車や単車のエンジンとかスクラップを扱っているとか、船舶関係で東南アジアとか中近東とかとパイプなど在りませんか?其れも調べる必要があるかも知れませんね。」


「確かやっています。船舶の関係ですが、外国とも付き合いがあります。直接ではありませんが、息が掛かっていると言うのか、お金が動いている事は確かです。」

「そうですか。例えば結城を船で外国へ連れ出す事など出来ないでしょうか?」

「それは又どうしてですか?」

「ええ、だから私が大金を貰って何か仕事を依頼されたら、殺しは出来なくても結城を捕まえて外国へ連れ出す事なら出来るでしょうね。

其れも強制的に外国へ密入国させたならパスポートなどないから二度と帰れないですからね。」

「成程、確かに。田野倉も理沙さんにその様な事を言っています。二度と結城は現れないようにしたからって、つまりお金でかたを着けたと言っています。

でも身柄のことは言わなかったです。だから結城はその後殺されたのかも知れないですね。」


「其れで殺してからズドンと海へ落とした?ええ、それなら話が合うでしょう。佐川が言ったズドンは闇の海に結城を投げ込んだ時の音ではないのでしょうか?もしかするとそのことは田野倉は知らないかも知れませんよ。」

「なるほどね。だから田野倉はまんざら嘘ではない話をしていたのかな。兎に角調べる必要があるかも知れませんね。早速田野倉が絡んでいる船舶を調べてみます。

そうすると結城は今頃何処かの海の底で鮫にでも食われているのか、それともどこかの国で悠々自適に暮らしているのか、そんな所ですね。」

「そうかも知れませんね。私ならその話なら引き受けるかも知れませんね。殺したりしなかったら、それにどこかの国で悠々自適に暮らせるなら」

「でも実質百万円ですよ。お金なんか直ぐに無く成ってしまいますよ。女が絡んだら尚更」

「でも権藤さん、佐川の現状を考えたら、つまり三百万ものお金を借りていて、それで五十万円が六口と考えた時、五日間で一回支払いが廻って来るのですよ。其れで焦げ付き始めると、毎日の様に催促の電話を受けなければ成らない訳で、居留守を使うとか逃げようものなら、体が震えるような言い方をされて、脅えながら受け答えしなければならないのですよ。


私は勤めていた所でそんな状態に成って居られる方が何人か居られた事を知っています。自ら命を絶った方も居られました。権藤さんもそんな事良くご存知な事で、大体犯罪なんてものはお金が大概絡んでいますからね。人間詰まって来ると法律もブレーキにならず犯罪が頻繁に起こるようですね。

昨今に至っては、自己本位に成ってしまうやからが如何に多いかと言う事でしょうね。佐川も迫り来る田野倉の様な男に耐えられなく成っていたのではないでしょうか?この現実から逃れたいと四六時中思うように成っていたのではないでしょうか?その様に考えると殺しもありでしょうね。」

「あっいけないです」

「どうしたのですか?」

「いやぁ沢村さんのスイッチを入れてしまった。」

「そうですね。何か又燃えて来ましたから、おっしゃる通りです。でも佐川の心の内を覗いたら、借金がチャラに成り百万円のお金を摑む事が出来るのなら殺しでもすると思いますよ。

其れで先ほど言いました様に田野倉が段取りした船であるのなら、その船に結城を積み込んでどうにでも出来ると思いますよ。」


「沢村さん、貴方はやはり探偵さんだ。でもこれ以上貴方にお聞きしていると、また血が騒ぎ出し大阪へ来たく成りそうですね?」

「はっはっはっ」

「だからこの辺で切らせて頂きます。」

「そうですか、残念ですな、話はこれからなのに・・・」

「とりあえずご報告まで」


 田野倉は佐川の自白で、結城信失踪に関して重要参考人と位置づけられ、正式に拘留される事と成り、二十日間検察に身柄を縛られる事と成った。佐川もまた結城信失踪事件に絡んだ疑惑、更に賭けマージャン疑惑、更に危険ドラッグ所持及び使用の罪で拘留される事と成った。

 検察は結城信の消息に神経を尖らせて、二人を連日追及する事と成り、とうとう佐川は田野倉に強く口止めされていた掟を打ち破り、堅い口を開き始めた。勾留十二日が過ぎた日に。


 電話を置いて沢村はお茶をすすりながら退屈な毎日に安閑としていた事に気が付いた。

「こんな事をしていてこれで良いのだろうか?これではいけない人として」

 熊野詣をしてから一年近くが流れていて、体は見る見る内に鈍って来ていて、沢村にとって辛い毎日が続いていたのであった。

 そしていつも気に成り相当気掛かりで心労を重ねていたのは、山根弘道が晴れて無罪放免になり、大台ケ原まで共に行った優しい思いやりのある人であった事を確認したかったのであった。


 その事だけが沢村の心に中で四六時中蠢いていて気を揉んでいたのである。

もし山根が犯人なら二人を殺した事に成り、それは一口に言えば凶悪犯罪であり、決して許される話ではないのである。松代に残る、未来永劫語り続けられる犯罪と成るのである。

その張本人と沢村は一夜を狭いテントの中で共にした事が、大いに意味があった訳で、沢村自身の人生の善悪の分岐点でも有るように思えていたのであった。

 もし山根弘道が凶悪な犯罪者なら、沢村の常識もまた非常識と成り、人生そのものがまともではないと考えるべきであると思えた。沢村が何時までもその事に拘るのは、山根弘道をどの様に考えても、結果的には好い人であったとしか思いようがなかったからである。

だから沢村は終始心の中で山根の無罪を証明出来るなら自分の手でしてあげたいと思っていて、動けるものなら動いて、調べられるならそうしたいと思い続けていたのであった。


 しかし山根弘道の無罪を望んでいる者など何処にも居ない。警察は被疑者死亡と既に幕を引いている事は確かである。現に警察は結城信が失踪した事で動いているが、山田弘道の事は眼中には然程無い様である。

 

 佐川が拘留十二日目で終に口を割る事と成り、

「判ったよ、俺言うから。田野倉さんに頼まれたんだ

あの人は海運会社と取引をしていて、それは融資だと言っていた。そこは無理がきくからとも」

「それで」

「その会社の船に結城を乗せてフィリピンへ不法入国させるように言われて、その報酬として百万円を貰ったんだ」

「不法で」

「そう。だから俺難波で遊んでいる仲間を二人用意して、結城を眠らせて寝袋に包んで船まで小型の船で運んだら、買収した船員もいたのでその男たちに渡しただけだよ。」

「其れで海へ結城を投げ落としたのか?」

「知らない。俺の役目はそこまでだったから」

「どんな船だった?」

「だから何かエンジンとかスクラップを運んでいる船だと聞いているよ。結城は眠らされていたから何も分からなかったと思う。」


「誰が眠らせた?」

「それも知らない。スナックエデンの近くから田野倉から電話が掛かり、ぐったりした結城を受け取って田野倉の命令通り俺達は動いただけ。」

「しかしそれだけなら報酬が大き過ぎる様に思うが?」

「でも初めは俺も船に乗って何処かで飛び降りる様な事を言われていたから、命がけだったから、高くは無いと思うよ。鮫にやられるかも知れないから」

「何故船に乗らなかった?」

「船まで行ったら話が変わっていて『直ぐにうせろ』って強面の船員に言われて、泡くって帰った訳、だからこれで本当に田野倉が報酬をくれるのかってその時はちょっと心配したけど、でも借金が帳消しに成る事は間違いなかったから、もし田野倉が嘘を言っていたなら俺逃げる積りだったから、もし実家に田野倉が行っても親父らは警察に言えばいいから、田野倉だってそんな事は出来ない事解かっている筈、でも田野倉上機嫌で金をくれたよ。


あれから天敵の結城信が居なく成ったから機嫌良かったんだろう。」

「其れで結城は今何処に?」

「知らないよ、俺は」

「その船の名前は?」

「そんな事判らない。夜だったし直ぐに退散する様に言われたから」

「船の名前ぐらい覚えているだろう。船名を目当てにして行った筈だから」

「いやぁ正直読めなかったんだなぁ、Rから始まる名前だったと覚えているけど」

「結城はそれからどう成ったと思う?」

「判らない。それって田野倉が知っていると思うよ。」

「よし、では田野倉に聞く。その船の行き先は?」

「俺は知らないそんな事」

「場所は?何処の当りだった?」

「それも判らない。小型で行ったから、勿論船が何処から出たかは思い出せば判ると思うけど、湾岸線に乗って岸和田を過ぎてそれからどう走ったか、其れに何処で停めたか、俺苦手だから・・・連れが運転していたから」

「ではその連れが何もかもを知っていると言う事かな?」

「だから船に何処で乗ったのか俺では判らないから。」

「わかった。あんたの仲間に聞く事にするから。共犯者の名前を言って」


「共犯者ってちょっと助けて貰っただけだから。だから帰りにビールにお好み焼きを食べさせただけだから」

「人を誘拐しておいてか?」

「大層だなぁ。田野倉さん言っていたけど、結城は遠い所で暮らす事に成るからって言って居たよ。俺はそのお手伝いをしただけだから」

「では結城はどこかの国で生きていると言う事だな?」

「俺はその様に思う。だからあんたが言う様に大きな罪なんか感じていないよ。俺は。」

「では何処の国なのだ?」

「そんな事聞かされていないよ。兎に角船に乗って、それから暫くしてから小型で迎えに来てくれる約束だったから」

「よし此方で調べてみる。」

「だから俺、岸和田の近くの海で船に灯りを点けて待っているからそこへ行くように言われて、その様にしただけだから、其れで大きな貨物船に乗る積りで行ったけど、急遽門前払いの様に成って、急いで引返しただけだから」

「わかった。じゃぁどうしてズドンなんて言ったのかな?あんたはその時四百万の金を掴んだのだから」

「だからそれは冗談だって」


 佐川の供述で、その言葉に偽りがないか調べる為に田野倉を呼び出し尋問した。

「田野倉さん貴方は黙秘を貫いておられますが、佐川隆一が話してくれています。結城信を誘拐し監禁して外国へ連れ出した事を、全て貴方の命令であった事も、それが為に貴方が佐川に三百万円の貸しを帳消しにされた事も、更に百万円もの大金を報酬として渡された事も佐川が全て自供致しました。

其れに相違ありませんね?」

「そうですか・・・ええ、事実です。佐川が言ったのなら仕方ないです。余計な事を言えば命に関わるから十分気をつける様にと言っていましたが、それでもしゃべったのなら仕方ないです。今検事さんが言われた事に間違いありません。」


「其れで結城は今何処に?」

「フィリピンです。」

「密入国で、更に不法滞在で?」

「ええ、その筈です。だから早速結城は帰れないと思って居ます。パスポートも無いのですから。それでいい」

「罪は重いですよ。貴方のした事は」

「誰も捕まろうなんて思わないから出来るのですよ、検事さん」

「そうですか。もう一度お聞きします。結城信はフィリピンの何処かで生きているのですね?」

「その様に思っています。」

「では船の名前と搭乗人物の名前、其れに行き先など判っている事を書いて下さい。乗組員の国籍も判れば」

「そんな事知らないよ、オーナーの名前だけなら判るけど」

「では書いて下さい。」

田野倉は黙ってペンで机を軽く叩き白い紙を眺めていたが、何とかオーナーの名前だけが判る程度であった。


「田野倉さん判らないのですか?密入国の手配まで出来る相手なのでしょう?」

「俺わからんから」

「では何方が手配するのですか?」

「それは・・・尼崎の・・・」

「尼崎?何方です?」

「尼崎で船舶などの中古のエンジンを輸出している東和貿易って言う店があるから」

「そこで判るのですね?」

「そう、何もかも彼らがやっているから」

「では調べてみます」。

「俺は彼らに金を融通しているだけだから」

「でもパスポートがないのでしょう?」

「結城にパスポート持たせたら帰って来るからな。帰られては困るわけだから。」

「理沙さんに近寄るから」

「そう」


「でもその理沙さんも貴方を傷害罪で訴えようとしているのですよ。」

「以前に訴えようとした様だけど弁護士に聞いたらでも訴え無かっただろう結局。もうあれから二十日以上経っているのに、理沙は俺の事訴えたり出来ないからな。刑事らが幾らけしかけても」

「でも貴方を嫌いになる事だけは確かでしょうね。」

「嫌いに?」

「そうですよ。私も分かりますよ、彼女の気持ちが」

「あんた知っているの?理沙を」

「ええ、逢って来ました。今でも顔に痣が残っていますよ。どれだけ強く叩いたかって事ですよ。そんな事をする男の事を好きでなんて居られる訳がないでしょう。」

「それでもあいつは俺についてくると思うよ。そんな女、そんな根性の女だから」

「随分自信があるようですね。」

「まぁな」


「其れで結城が船に乗ってから既に一年近く経つ筈ですが、結城信の現状を摑んでいるのですか?」

「いやあれっきり」

「あれっきりとは?」

「だから船に乗せる様に手配をして、佐川が実行した事を佐川から聞かされてから」

「それから結城は間違いなく向こうへ行ったのですね。」

「判らんけど行ったと思う。だって何かがあれば連絡が来るはず」

「ではフィリピンの警察にお願いして消息を摑んでみます。」

「検事さんよ。俺あんな男殺したりなんか絶対しないから。あんな男に構っていて田野倉金融が妙な事に成ったら、誰よりも俺が困るから、そうでしょう?」

「判りました。また聞かせて貰います。」

 一方検察から連絡を受けた権藤は、その夜またしても奈良の沢村に電話を入れていた。

「いやぁ沢村さん貴方が言われていた様に、田野倉は船で結城を外国に密出国させた事が判りました良く当たりますね。あなたの勘は」

「だから探偵に成れば良いのかも知れませんな」

「いやぁ止めて下さい。お歳を考えたら危険ですから、年金生活でゆっくりお暮らし下さい。それ程良い。


無理をして他人さんを押しのけたり、追い詰めたりして生きるなんて人間のする事ではないですよ。

お金、お金の世界なんて事もね、欲に突っ走り、その欲に溺れたり、

沢村さん正直私理沙を始めて見た時ゾクゾクとしましたよ。好みのタイプだから。でもそこで刑事である事を忘れてエデンに日参していたら今の私は無いと思いますよ。

 そりゃぁあの人と一度位しっぽり出来るかも知れないですが、この一線で止まるのが人間たる由縁でしょう。だから今でも刑事で居られると思いますよ。

私は現役だから仕方ないですが、貴方は既に卒業されている身、何も今更恐い道を選ばなくても良いのではないですか?」

「権藤さん、私去年の調度今頃リュックサックにテントを忍ばせて、三重県の熊野まで徒歩で行きました時代に逆らって踏破したと言うか、生涯で初めての冒険でした。

 でもその事で私は人生観が変わった様に思われます。今度機会があればまた同じ道を歩こうと思います。


 つまり昨年は往路で今度は復路と考えています。その旅があの岩下つまり山根さんと連れ立って歩いた道なのです。あんなトラブルが無ければ復路もこなしていたと思います。長年公務員として働いて来て硬い考えしか持ち合わせていなかった訳ですが、いざ卒業して自分はこの生き方で満足なのかと問い正すような日が続き、去年の六月満を持して熊野詣と相成った訳です。

 だから私の心に何か今まで感じなかったものが感じる様に成り、少なくとも公務員として生きていた時に比べれば、随所に血が勢い良く流れている事を感じるのです。

 だから私はどんな事があっても山根さんの無実を見つけてあげ、証明してあげたいと思っています。

 この考えは今までの私には無かった考えだと思います。今は貴方方の立場があるからじっとしていますが、まことに御忠告ありがたいですが、でも正直動けたらと思います。」

「そうですか。この儘じっとして居られないのですね。」

「ええ、山根さんとは僅か二日間だけのお付き合いでしたが、有耶無耶にしてはいけないと思うのです。刑事さんは被疑者死亡で片付けられるかも知れませんが、私はそうはしたくないのです。


 最近戦争に行って生き残った人のセリフを聞くと、毎日の様に悔やまれると言っています。絶対忘れる事は出来ないと。仲間が死んで逝った惜別の思いが心の中を一杯にするのでしょうね。 まるでそれと同じで、だから今私は山根さんの事を適当に忘れる事など絶対出来ないのです。そんな事をすれば、私の人生そのものが薄っぺらなものに成る様に思えます。インチキと言うか何て言うか、欠けていると言うか」

「沢村さん良く判りました。少なくとも警察の立場がありますが、貴方の御意志を私は心の隅で意識しながら捜査に励ませて頂きます。

其れで元の話ですが、尼崎に元締めの様な男がおる様で、何処の船であるのか、乗り組員は誰か等これから調べる事に成ります。」

「そこで結城がどの様に成っているかが判るのですね。今何処で生きているかとか」

「ええ、そう成るでしょう。しかしすぐに身柄を保護出来るかは分かりませんが、何しろ外国の人知れずの漁村などに潜伏されると、中々見付からないと思われます。日本ならともかく、そんな事でまた何かが判れば連絡差し上げます。」


 翌日、田野倉の口から発せられた、船舶を手配している尼崎の東和貿易に向かった権藤たちは、船会社と乗り組員の親玉を突き止めるために、田野倉を御用にした事を伝えて様子を伺った。

東和貿易の代表者生田主一は悪気のない性格の様で、権藤の質問に素直に応じていた。

細かな事まで判らなかったが、生田は田野倉に頼まれただけだと強く言って、決して疚しい事をした訳では無いと言い切った。

しかし権藤は密出国させる事を企んで、その様に実行した組織である事にはかわりなかったから、生田にその旨を伝え、後日船籍や乗組員の明細を揃えて天王寺署まで出頭する様に強く付け加えた。

それから数日が流れ、生田が天王寺署へやって来て詳細が判る事と成った。                     

そして思わぬ展開が待ち受けていた事は権藤には全く気が付かなかった。実は田野倉も東和貿易の生田も知らない事が起こっていてそれはある人物の言わば謀反によってであった。


佐川が結城を眠らせて猿轡をして船まで行った所、『あんたは乗らなくて良い』と門前払いを食らう様にされたが、その様にした人物にはある企みがあった。結城は船乗りたちの手に渡り佐川はその儘貨物船から離れ、一路岸和田を目指し仲間たちと食事を済ませ大阪へ帰ったのであった。

田野倉もまた東和貿易に頼んでいたから、それ以後も何ら問題なく、結城は遥か遠くのフィリピンへ行ったものであると思っていたのであったが、結城の運命は実は閉ざされていたのであった。

コンテナ船に乗せられた結城は、手を縛られた状態で気が付く事と成った。意味が解からなかった。

宵の口にエデンでお酒を飲んでいて、その後どの様に成ったのか等まるで解からなかったのである。


『俺はどうなっているのか?』と狭苦しい油の匂いのする部屋で気が付いたのである。

 そして我を取り戻して、冷静に成り、真っ暗な部屋の隙間から光が漏れている事に気が付いて、体を伸ばしながら隙間から外を見ようとしたが、隙間自体が小さくてどうにもならない。

 其れで結城は靴で部屋の壁を蹴ってみると、暫くして鍵が開けられる金属音がして、ドアが開けられ男がドアの前で立っていたのである。

「おー気が付いたな?」

「後ろからライトが結城の顔を照らしているので誰か判らなかったが、数人の男たちの誰かが結城にその様に声を掛けたのである。

エンジンの音が煩く鳴り響き結城は船の上ではないかと直ぐに思えてきて、

「これは一体何が起こっているの?」

「判りませんか?」

「何故俺がこんな事をされるの解からないなぁ?」

「田野倉さんの命令ですよ」

「田野倉の?」

「ええ、貴方が女にちょっかい出すから」

「女って理沙のこと?でもあれは田野倉の子分の碇谷さんから紹介して貰った女ですよ」

「そうですか」

「だから俺こんな事をされるのは意味が解からないな。所で今これってどう成っているの?教えてくれる?」


「皆さん席をはずしてくれる。」

目指し帽の男はそう言って船乗りたちを倉庫から出て行かせ、結城のほうを見直して

「結城さん、これから貴方は遠い国へ行きます。」

「遠い国って?」

「だから遠い国です」

「だからそれって何処?何故?どうして?俺がこんな事をされるのか解からんな?」

「だから貴方は理沙さんに深入りし過ぎたからですよ。」

「あんた一体誰?ライトが眩しくて何も見えないな」

「知らなくても良いでしょう」

「誰?あんたは?俺に何の恨みがあってこんな事を」

「だからそれは田野倉さんに聞かれたら良いのですよ。機会があれば」

「では今度聞いてはっきり言ってやる。理沙は俺の女だと」

「でももう言えないですよ。機会は無いと思いますよ。」

「どうして」

「だって貴方はこれから海の底へ行くのですから」

「冗談言うなよ、どうして?俺を殺すって事」

「ええ田野倉の命令ですから」

「田野倉にどんな権利があってその様な事が出来る?」


「だからあの人はお金があるのですよ。貴方の様に元奥さんに保険を掛けて、死なせてその金を利用するなんてけちな事はしないですから、其れで理沙さんの気持ちを引こうなんてケチな事はしないですから」

「どうしてそんな事知っている?」

「何が?」

「だからそんな保険の事まで?」

「知っていますよ。だって貴方は理沙さんに自慢してその事を言ったでしょう。」

「まさか、理沙に誰にも言っては駄目だと言ったのに」

「理沙さんは誰の事を愛していると思っているのですか?」

「誰って俺の事を、ではないのか?」

「ええ理沙さんは碇谷の事を愛しているのですよ」

「碇谷?まさかぁ、あの男俺に理沙を売った張本人だよ。そんな男の事など愛する訳がない。」

「でも理沙さんは貴方と寝ていても田野倉と寝ていても、碇谷の事を思いながら目を瞑っていたと思いますよ。」


「そんな事絶対無い。ありえない。」

「そうでしょうか?」

男は歩きながらライトに向かい、素早くライトの角度を変えてまた結城の前にやってきた。

結城は目がライトで焼けた様に成り痛い位に成っていたが、暫くして今まで話していたその男の顔が、目の前にはっきり見えて来て、目指し帽を被っている事が判り

「なんやあんた誰や?」と驚きながら叫ぶ様に大きな声で言った。

「あんた誰?其れにこれどう言う事?俺をこんな目に合わせてどうする積り?

それと何故あんた保険の事まで知っている訳?あの事を知っているのは理沙以外に居ないと思っている。どうして?」


「だからあんたは馬鹿だって言うんだよ。幾ら入れ揚げても、全くあんたの気持ちなんか気にしていないよ。理沙さんにどれだけお金を使った?其れで人並みに夢を見ていたのか?

 理沙さんをどれだけ抱けた?旨く誤魔化されていたじゃないか、碇谷さんが理沙さんに無理にあんたと付き合う様に言った時位ではないのか、深い関係に成れたのは、其れでも理沙さんはあんたの事を相当嫌がって居た様だよ。虫唾が走るって言っていたらしいよ。

あんたはそんな事も解からずに保険金が入って、其れで理沙さんをお金で吊ってやろうと思ったのか?馬鹿な男だな、あんたは」

「つまり理沙は何もかもをあんたに口にしていたと言うんだな。まさかあんたは碇谷の仲間なのか?其れで俺これからどうなる?」

「どう成ると思う?保険金はまだ殆ど手を付けていないらしいな。」

「どうして知っている?」

「だから理沙さんが言って居たから、店をしたいからその時にお願いって言っていたことも判っているから」


「畜生!そこまで・・・其れで俺どうなる?」

「保険金が何処に眠っているかまず言うんだな」

「あんたが誰なのか判らないが、何もかも知っているのなら、半分あげるから助けてくれないか?」

「無理、あんたは死ぬよ」

「何で、あんたにそんな権利何処にある?頭巾を取れよ!」

「何処に権利がって・・・権利はな、力のある者に常にあるんだよ。」

「なんだって?そんな勝手な事を」

「そうだよ。田野倉と言う男にも碇谷にもそれがあるんだよ。理沙さんはお前なんかに目がないよ」

「どうかな?女はそんな単純だろうか、特に理沙と言う女は」

「もういい、理沙さんの話は。結城これからあんたは鮫の好物をしっかり食べて貰って、それでしっかり血を流しながら海に沈んで貰うからな」

「冗談言うなよ。止めてくれよ」

「だったらお金のありかを言って」

「俺の金を取る気かあんたは?」

「そうだよ、あんたがお金を持っていても仕方ないだろう死んで行くんだから」

「もう無い、全部使った。」

「結城そんな事言っていると直ぐにでも殺すからな。それとも焼き火箸でもあんたの体に突っ込もうか?」

「・・・・」

「結城金は?」

「・・・」

「結城金は?」

「あんたは誰なんだ?何の恨みがある?顔を見せてくれ!」

「死んでしまうから私の顔を見たいのか」

「顔を見せてくれ!」

「結城諦めろ。私の顔を見てもしょうがないだろう。死んで行く者に何ら意味が無いだろう?諦めて早く言わないと私があんたに近づいて行けば、このナイフも近づいて行くからな」

「判った。言うから命だけは」


「だから早く言え」

「・・・」

「早く!」

「駅の貸しロッカーに入れてある」

「何処の駅?」

「南海モールの五番出口のコインロッカーの二百八十七番に通帳も印鑑も」

「間違い無いな」

「ああ、俺のポケットに鍵が入っているから頼む助けてくれ」

「間違いないな」

「間違いないよ」

目指し帽を被った男は近くに落ちている三分ほどの太さの鉄筋を拾い上げ、いきなり結城の背中を其れで殴った。

「イタッ、うー何をする?」

それからも結城の背中を其れで殴り続けて、結城の背中は血がシャツの上に滲んで来て真っ赤に成り唸り声を出し始めた。

「止めてくれ!痛いじゃないか止めてくれ!」

苦し紛れにのたうつ結城に向かって男は

「結城お前嘘を言ってないな、ロッカー番号をもう一度言ってみろ。」

「だから・・・言っただろう。

南海モールの五番出口のコインロッカーの・・・二百八十・・・八十七番に」

「そうか、天罰だと思え。人の女に手を出した罰だと思え」

「痛―い。痛―い。止めてくれー助けてくれー」

「結城まだあんたに聞きたい事がある、今なら素直に言えるな。言わなければあんたを殺すからな。」

「何を?」

「お前が元の嫁を殺したのか?其れで保険金を取ったのか?同棲中の男がやった事に成っているが?」

「そうだ、俺はやっていない」

「では誰がやった?」

「あいつだよ。あいつがやったんだよ」

「新聞に載っていた同棲していた岩下って男か?」

「そうだよ、俺があいつの部屋に行った時あの男がいて、俺目を合わせた瞬間びっくりして固まってしまって、でも直ぐに何が起こっていたのか判ったよ。

加奈子がベッドで倒れていて近づくと死んでいたんだよ。俺それで直ぐに子供の事が気に成って子供部屋に行ったら、竜也も死んでいて色が変わる位に成っていて、其れで俺あの男の胸倉を摑んで、『なんて事をしてくれたんだ』と言い寄ったら、あいつ・・・あいつ・・・」


「岩下がどうした?何て言ったのだ?」

「あいつ、『貴方が私を殺そうとしていたのは判っていますよ。私の保険金目当てで・・・加奈子と二人共謀して』と言われて俺ドキッとした」

「あんたと元嫁が旦那の保険金を狙って、何れ旦那を殺す気で居た事は聞いている。その保険金を手にすれば、あんたは理沙さんに貢ぐ積りだった事も」

「何故知っているんだ?あんたが?」

「理沙さんが全部話してくれている。碇谷さんに『岩下を殺し保険金が入り、結城がお金を持って来たらあげるから』と言っているらしい。そのお金とは、今言ったような話。ところがあんたらの計画は、どんでん返しが起こり、岩下があんたの嫁を殺したから全く違う話に成ったが、あんたは嫁の保険金が入る事を知って、其れで理沙さんに思わずその話をした訳だ。お金が入ったら何かを買ってあげるとか、一緒に暮らしたいとか」


「そんな事まで知っているのかあんたは」

「そうだよ。」

「一体何者なんだ、あんたは?」

「其れで岩下が元嫁や子供を殺したと言ったのか?」

「そうだと思う。それよりあの男何もかも知っていて俺と加奈子があの男の保険金を狙っている事も、再三逢っていて、嘘を並べて金を男からせびっていた事も全部知っていたから驚いた。」

「だから岩下は裏切られた事に腹が立ち二人を殺したと言うのか?」

「判らん。しかし何もかも知っていた。それでもあいつ俺に、『警察に言ったりしないでこの場から去って下さい。加奈子の保険金が貴方に入ると思います。だから誰にも見付からない様に去って下さい。良いですか警察は絶対駄目ですよ。誰も得にならないから』と言って、俺の背中を押して玄関先まで押し続けたから、俺は面倒な事になるのも嫌だったし、その場からそっと外へ出ることにした。」


「二人とも岩下が殺したんだな?」

「そうだと思う」

「わかった。」

「でもあんた、理沙はあんたに何もかもを話しているのか俺の事を・・・それでは田野倉の事は?理沙は田野倉とも深い関係に成っているのではないのか?」

「そうだよ。田野倉に再三抱かれているよ理沙は」

「其れで碇谷さんは平気なのかな?」

「平気ではないと思う。碇谷さんは間違いなく田野倉に恩返しすると思う。結城あんたはそんな事気にしなくっていいから」


「俺よ、あんたの事も判らないけど、理沙って何者なんだ。俺嫌に成って来た。必死で理沙の機嫌を取ってお金集めて付き合って来た積りだったけど・・・」

「好い夢を見たのと違うのか?お馬鹿さんだな、あんたは」

「畜生・・畜生・・・痛いなぁ、畜生それにあんたは一体何者なんだ?まさか碇谷なのか?俺の知らない碇谷の連れなのか?」


結城はそれから鉄の塊を括り付けられ、雁字搦めにされて、めざし帽男の命令で数人の船乗りによって血を流しながら、漆黒の闇に包まれた大海原に身を投じられたのであった。

結城の体はまさにズドンと鉄の塊に引っ張られるように海の中に吸い込まれて消えて行った。

目指し帽男の心の中で火照っていた何もかもを引き連れるようにして。

「後を頼むよ」

目指し帽男は船乗りに後を任せて、チャーターした小船に乗り移り、大阪岸和田の波止場に船を走らせた。

                                       

 約一年前にそんな事が起こっていたが、覆面男に殺人を依頼した人物以外の誰も知る由もなく、第一親分の田野倉でさえこの出来事は全く気が付く事は無かった。この田之倉に黙って結城を殺した事は、謀反を働いたことであったが、首謀恪の男には一つの信念が在った。

男が結城にも田野倉にも理沙を差し出さなければならなった苦しみを味わい、常にこの男の心を悶々とした怒りで充満させていた。

 理沙と出会った頃を思い出しながら今に至った事を比べれば、その自分が選んで来た道の不甲斐なさを悔やんでも悔やみきれない心情が、常に見え隠れしている悶悶とした毎日を重ねていたのであった。

結城は覆面男の手で海の底に沈められ、鮫の餌に成って骨までも砕かれおもちゃにされ、やがて静かに全てを剥がされた骨は、海深くの底の地に帰る事になり、覆面男の心の中に一筋の光明が差し込んで来て、汚れきった過去を僅かでも綺麗にして貰えた様に思えていた。


この男には生涯を通じて復讐と言う言葉が付き纏っていたのである。

 覆面男がそんな事を密かに企んだ事など全く知らず、相変わらず田野倉は碇谷を車で待たせておいて、未だ心なしか顔に痣が残る理沙を抱きしめて・・・と、拘置所の鉄格子の中で、うつろに理沙の裸体を目頭に浮かべている毎日が続いていた。          一方佐川に至っては田野倉からの借入金返済の催促の無い日々が続き、また今回のことで大きな罪に至ることもなく安堵の中で日を重ねていた。

刑務所に入った事は辛かったが、佐川はそれ以上に心の落ち着く毎日であった事が、逆に何より幸せに思えたことであった。

 田舎から両親が駆けつけ佐川を案じたが、佐川はだからと言って嬉しくもなく、「成る様に成るさ」と諦めていたのであった。

 それより寧ろ遊び仲間に迷惑を掛けてしまった事で、他の者は初犯で執行猶予付きであったが、佐川にすれば心証が悪かった事は確かで、只救われたのは、服役している佐川を二人が訪ねて来て笑顔を見せてくれた事で安堵した。

 

この事件は、結城信の消息に全ての鍵が掛かっている様に思えて来た権藤刑事は、結城の消息に全力を注ぐ様に捜査部長から発破が掛かり捜査員全員で全力投球する事と成った。

 其れで権藤と部下の若手清水勉刑事が、結城の消息を掴む為に尼崎の船会社東和貿易を再度尋ねていた。

「社長さん、先日は天王寺までご足労頂きましてありがとう御座いました。船会社も判りまして助かります。乗組員も大体把握出来て居ますので、早速向こうへ飛んで調べさせて頂きます。」

「態々フィリピンまで行かれるのでしょうか?」

「ええ、そうでないと判らないでしょう。乗組員に詳細をお聞きして更に結城が潜んでいそうな場所を向こうの警察の方のご協力を得て、調べて来ようと思っています。

 何かこの事を言っておくほど良いと思う事がありましたらおっしゃって頂けませんか?

これを言えば捜査の役に立つとか・・・」

「そう言われましても、私も船員さんと心が通じているとか、一緒に食事をしたとか全くありません。顔さえはっきり知らないです。彼らは船から降りて来ないし、話をする事もありません。第一向こうさんは英語ですから、私はしゃべれても片言だけですから。第一田野倉さんから聞かされたのは荷物が追加であるからってことでしたから」



「そうでしたか、この様な商売だから英語は堪能かと思っていました。」

「いえいえ、お恥ずかしい事で」

「このリーガルライン号と言う船は毎月来られるのですか?」

「おそらく、私がお願いする時は毎月ではありませんが、逆に月に二回もあり二ヶ月飛ぶ事もあります。それで船舶関係の部品とか、時にはバイクの部品とか送っています。」

「田野倉陽太郎とは随分長いお付き合いなのですか?」

「ええ、実はお金を都合して貰っていましたから、何しろ現金決済ですから我々は」

「其れで無理を聞いて貰っていたのですね?」

「ええ、助かっています。手数料は確かに高いですが、迅速に手配して貰えますので替え難いものがあります。」

「でもこれから便利悪くなるでしょうね。田野倉が豚箱じゃぁ」

「でも碇谷さんが次いで行くようですよ。代理監督の様に立場で」

「それは何方からお聞きに?」

「碇谷さんからですよ。いつも社長の運転をしていて可愛がられていたからでしょう。田野倉さんは碇谷さんを信用していると思いますよ。だから刑務所から碇谷さんに指図をするのでしょうね。」

「なるほどね。」

「只私は、碇谷さんは其れで我慢出来るのかと思いました。」

「どうしてですか?」


「碇谷さん言っていましたよ。つい最近確か一人でこちらへ現金を持って来られた時に、食事を二人でして意気投合して、結構飲んで話し込んだ事があり、その時に『私は大好きな女性を取られてしまって情けない男です。』と言われ、更に『生田さん貴方も嵌まらないようにして下さいね。田野倉は穴の毛まで毟りますから』と言っていましたね。『どうしたのです。碇谷さん飲んでおられるから』と言うと、『いや違いますよ。真面目な話ですよ。だから真面目に聞いて下さい。田野倉が今抱いている女は私の恋人でした。だからとても辛かったです。』

「どうしてそんな事に?」

『だから金ですよ。みんな金で狂わされて行くのですよ。そしてその金は持っている者は人を狂わす立場に成るのですよ。恐いものです。生田さんも田野倉と付き合われている以上、私の言った事を常に頭の隅にインプットしていて下さい。商売もいい時ばかりじゃないから弱みを見せればつけ揉んできますよあの男は』その様に言っていました。」


「つまり碇谷は田野倉を恨んでいるかも知れないと言う事ですね。」

「あの時はその様な言い方でした。飲んでいた性もあるかも知れませんが」

「その碇谷が今後田野倉金融を纏めて行く訳ですね。」

「ええ、その様に挨拶に来られました。」

「其れじゃ碇谷も田野倉の思わぬことを考えているかも知れませんね。田野倉金融の乗っ取りを考えるとか」

「ええ、ありうる話かも知れません。」

「そうでしたか。複雑ですね。お金は人と人の間を複雑にすると言うか・・・

それで結城の事なのですが、貴方が係わっている船に乗せられフィリピンに密入国した事は間違いないようですから、これからも何かとお聞きするでしょうがご協力下さい。」

「解かりました。」

 権藤と清水は東和貿易を後にしながら、碇谷と田野倉の関係が思わぬ関係であった事を知ってびっくりしていた。


 それと言うのも碇谷は上本町の理沙のマンションで見た姿からは、まさかそんな事実があるとは信じられなかったからである。

田野倉に忠誠を誓って、田野倉が白と言えば白で、黒と言えば黒でと、その様な立場であると思い込んでいたから、刑事たちにとって不思議な現象に思えていたのであった。

田野倉が上本町のマンションで理沙と抱き合っている間、碇谷哲夫は車で田野倉がスカッとする迄待ち続けている訳で、理沙と一汗を流しスッキリしてマンションから出てくる田之倉と、悶々としてその姿を想像しながら怨念に似た感情で待ち続けている碇谷の姿を思うと、只事では無い様に二人には思えて来たのであった。


「清水君これから理沙の所へ行ってみようか?今の話が本当なら、理沙はどの様に思っているか知りたいね。」

「でも今変に動くと理沙は警戒してややこしくならないですか?」

「ややこしく?」

「ええ、問題は結城でしょう。結城がどこかで生きていて、理沙とも関係があるから連絡が来るかも知れないし、既に日本へ戻って居るかも知れないでしょう?

第一結城に振り込まれた保険金の三千万円は、未だ誰も手付かずで銀行で眠っているわけですから」


「それもそうだね。君の考えが碇谷にどれだけ関係あるのか判らないが、確かに結城が日本に帰って来ていてほとぼりが冷めるまで我慢しているかも知れないと思うと、余計な事はしないほど良いかも知れないね。確かに・・・」

「だから権藤さん今はとりあえず結城の消息を追いかけてフィリピンへ行きましょうよ。」

「よし解かった。それからだな。先ずは」

「はい。」


 それから二日後二人と通訳の篠村有美がフィリピンの空港に着いていた。

東和貿易で聞いた船会社へタクシーで向かった三人は、雑踏に中で名も知らぬ外国の地で人探しなど容易ではない事を肌で感じさせられていた。

当地の警察に協力を依頼していたので、不安な事はなかったが、何百と数える船乗りから見つける事は、用意ではない事を更に思い知らされる事と成った。

彼らは常に臨時雇いの様なもので、常雇いなどと考えてはいけない仕組みであったのである。


つまり組合に登録されている者が、順番で乗る船が決まると言う仕組みであったから複雑であった。

それでも日時を告げ行き先を告げ、船の名前を告げ船長が誰であるかも告げ、時間こそ掛かったが、終に乗組員の一人を捜し当てる事が出来、その男の家を訪ねる事と成った。

 男の名前はクエン・ヤムと言うマレーシア国籍の男で、歳は三十過ぎであると言う事であった。スラム街の様な所でクエンは住んでいて、まだ二十歳にも満たない幼顔の女と暮らしていた。

 今は仕事が無いようで、この二ヶ月あまり仕事に溢れている事も聞かされていた。

だから小遣いでもあげてあげれば、親切に成ると言う事も現地の警察に聞かされていた。

「クエン・ヤムさん私たちは日本の警察です。貴方は一年ほど前に日本まで船で行かれた事有りますね?」


「はい行っております。」

「其れでその船の名はリーガルライン号でしたね。」

「ええ」

「リーガルライン号で日本へ行く事は良くあるのですか?」

「いえ去年は一度だけです私が乗れたのは。船自体は再三行って居ますが」

「雇って貰えなかったのですか?」

「ええあれ以来全く」

「どうしてですか?」

「まぁ少しトラブルが」

「何かありましたか?」

「いえ、少しだけ。」

「クエンさん私たちは日本から来ています。その船に乗っていた人が、この国に密入国しているから調べに来させて貰っています。どうかしっかり思い出し質問にはっきり答えて下さい。」

「・・・・・はい」

「クエンさん、この辺りで日本人が住んでいる事が考えられます。貴方はその男と同じ船でこちらまで帰っている筈です。知らなかったでしょうか?出会っていませんか?船の中で、この男です、この写真の男です。」


「見たような気もするけど、はっきり判りません。」

「では貴方はその時貴方と同じように舟に乗っていた人の事は覚えて居られます?」

「ええ、それは覚えています。顔見知りですから」

「ではお聞きしても大丈夫ですか?」

「私ここの所仕事に溢れているから、嫁さんが可哀相で・・・結婚したのに・・・」

通訳から意味を聞かされた権藤は、サイフから五十ドル札を抜き出し、それを通訳に渡して直ぐにそれはクエンの手に渡った。

「私みんなの住所から電話番号書くから。其れに他にも聞きたい事があれば聞いて下さい」

現金なものでクエンは笑顔を作って権藤を見ながらその様に口にした。


「クエン、船の中でトラブルがあったのは?どんな事?」

「何?」

「だから君はさっきトラブルがあったと言ったじゃない?」

「でも刑事さんその話は待って、今日の夜みんなに相談するから」

「それでどうなるの?」

「だから貴方たちはいつ帰る?:」

「二日間ほどここで居るから」

「では二日後の昼にここへ来て下さい。その時詳しく話します。」

「頼むよ。それでクエン君はフィリピンへ帰り、リーガルライン号を降りた時日本人の姿を見なかったの?」


「だからその事も二日後にお話します。」

「ではこの住所の貴方の仲間のところへこれから行くから」

「ええそうして下さい」

権藤は五十ドル札が消えていった事で悔しさと後悔が心を埋めていたが、クエンにこれ以上聞いても二日後と言われると思い退散する事にした。

「トラブルって何でしょうね?でも何かありそうですね。大体五十ドルも渡したのにあの態度は許せませんね。まるで詐欺だ。あんな事をしているから仕事にも溢れるのでしょうね。

若い内は汗を掻かないといけませんね。あれでは・・・」

「清水君、君のお金が消えた訳ではないから気にしなさんな」

「でも悔しいから。でもこちらの警察も所詮あんな所があるようですね。権藤さんが五十ドルクエンに渡した時、羨ましそうな顔であの警察官見ていたから」

「そうなの。」

「日本では考えられないと思うけど、みんな必死なのでしょうね。生きて行くのに」

「まぁ気を取り戻してここに載っている住所に当たってみよう。」

「そうですね、頑張りましょう。」

それから三人と現地の警察官のジム・カソレイは、メモに書かれた住所を尋ねたがどちらも誰も居らず、家の前からも電話を入れたが誰も出る事は無かった。


「権藤さん昼日中に尋ねても居ないのでしょうか?みんな仕事をしていて」

「では私が周りの方に聞いてみます。」

異国の地でてこずる二人を見ていた通訳の篠村が、隣の軒先に居座っていた老人に近づいて声を掛けた。

「此方の方は居られないでしょうか?」

「先程まで居られた筈ですよ。どうしたのでしょうね?」

「そうですって。さっきまで居ったようですよ。」

「昼だから仕事と思っていましたから、其れで居られないかと」

「いいえ、お隣は仕事に溢れていてお金に困っていますよ。実は私とお隣の母親は姉妹で」

「そうなのですか。だから良くご存知で」

「そう親戚だから、」

「フィリピンは景気が悪いのですか?」

「違いますよ。お隣さんは船に乗って可成貰って、其れで遊び癖が付いた所に、船主から干された様に成って」


「どうしてその様に成ったのですか?」

「何か船でトラブルがあり、其れで責任を取らされたようで」

「何かがあったのでしょうか?」

「悪い事をした様よ」

「どんな事かわかりますか?」

「それは知らないけど。貴方たちは日本からどの様な御用で?」

「ええ、人を捜しに。その人はお隣さんが乗っていた船と同じ船で、日本からこちらへ一緒に乗って来ている筈です。」

「ならあの子何もかも知っていると思うわ。同じ船で二ヶ月も暮らしていた筈だから」

「何時帰るでしょうね?」

「さぁね、私には判りませんが・・・」

「ではまた出直して来ます。」


権藤たちはそれからもメモ用紙に書かれた住所を尋ね、更に電話を入れたが、誰も出る者は居なかった。

しかしこの地で暮らしている事は確かであった。それはご近所の者から証言を聞いていたので、ある意味安心して捕らえる事が出来たのであった。

 ホテルに帰って三人で話に弾んでいたのは、異国の地で若い女性の通訳が同行していた性で、権藤でさえ心が浮き足立っていた事は確かであった。 

 当然若い清水は心の底で、通訳の篠村有美に微かに片思いをしていたのかも知れない。

「篠村さん貴方に気を使わせてしまってお疲れでしょう?お風呂にでも入って休んで下さい。また明日は宜しく」

権藤は清水刑事が落ち着かない様子であった事を鑑みて、それが通訳の篠村に誘因がある事が判っていたので、彼女を清水から遠ざける事にしたのである。

「其れで清水君、君も何かを感じて居るだろう?今日の出来事を省みたなら」

「ええ、おそらくクエンが先に手を回したのでしょうね。権藤さん大枚の五十ドル無駄に成ったのではありませんか?」


「そうだね。でもここで何が大事かと言うことを考えたなら五十ドル以上に成果があった事は君も判るだろう?」

「つまり船の中で何かがあったと言う事でしょうか?」

「ああ間違いなく。おそらく五十ドル貰ってクエンは嬉しかったと思うけど、でもあの船に乗っていた者の住所を書いて、我々に渡してから後悔したのかも知れないね。だから慌てて家から離れる様に言ったと考えられるね。何か都合の悪い事があるのだろうな」

「それは船で起こった事なのでしょうね」

「おそらく、」

「それにしても彼らはあの船に乗った事が原因で、仕事から溢れているかも知れない様ですね。それはどうしてでしょう?何かトラブルとか不始末をやってしまった。一体何が起こったのか調べる必要がありますね。」

「ここが日本なら良いのだけどな」

「そうですね。我々は英語を話せないから不憫な事は確かだけど、でもそれは篠村さんが補ってくれるから何とかなる筈、とりあえず明日ですね。」

 翌日三人と現地の警察官で前日と同じ男と行動を共にする事にした。

この日も懲りずに同じ場所を尋ねて乗組員を捜した。


しかしこの日も誰にも会える事が出来ず一日が流れ、甲斐なく翌日にクエンが言って居た場所へ戻り、彼から何か声が掛かるものと信じて待ったが、電話が成る事はなかった。つまり態々フィリピンまで来た割には成果がなく、権藤はその夜ホテルで悩んで一つの結論を出した。

『もう一日居よう』

それが権藤の結論であった。

翌日朝一に三人と現地警察官でクエンを尋ねると、寝ていたのか慌てて驚いた顔をして起きてきた。

罰が悪そうな顔をして不満そうであったので、睨む様な顔で権藤は

「貴方が教えてくれた方は、皆居留守を使って逃げる様にされるではありませんか?何故です?今日こうして来た事で貴方は迷惑なのですか?だから私は貴方にあれだけのお金を渡したのですよ。

 それだけの事をして下さい。困ります。これからもう一度彼らを訪ねますが、先に連絡をして身を隠す様な事を言わないで下さい。こうして現地の警察の方も協力頂いております。良いですね。」

「イエス」


「其れで貴方は私の質問に答えて貰えないのですか?リーガルライン号を降りられた時に日本人が、つまり結城信と言う男が乗っていたでしょう?

一緒に降りられたのでしょう?此方から日本に行って帰って来る迄に、どれだけ日数が掛かるか判っているでしょう。見た事が無いとは言わないで下さいね。正直に言って下さい。」

「その人は見かけたけど、でも判らない。其れに船から降りたかそれも知らないです。私が先に降りて作業をしていたから覚えていないです。」

「では何故貴方はそれ以来あの船に乗れないのですか?」

「・・・」

「貴方だけではなさそうですね。この紙に書いて貰った方は同じ扱いをされているようですね。これから全員の事を調べますが、昨日は本人に会えなかったですが、この方の隣のおばさんからお聞きしています。

 親戚で何もかも知って居るからと言っておられました。解雇に成った様だと言っておられました。一体何があったのですリーガルライン号で」

「はっきり答えなさい」

通訳の言葉をさえぎる様にして現地警察のジム・カソレイ刑事が力強い声で付け加えた。

「結城は船で密入国している事が考えられ、既に後日手配書がこの国でも出されている筈です。入国管理法に触れますから、だからそんな人を庇うと此方の法律で貴方は罰せられると思いますよ。

 知っているなら言って下さい。そうでないと貴方が逮捕され新婚の奥さんが困る事に成るのですよ。愛されているのでしょう奥さんを・・・」


「そうだぞ、クエン」

また警察官が付け加えた。

「あの時トラブルがありました」

「だからそれは前にも聞きました。どんなトラブルがあったのですか?」

「日本人が揉めていました。」

「それは結城でしたか?」

「判りません」

「二人とも日本人でしたか?」

「その様に思います。」

「それで」

「それから喧嘩が始まり・・・でも収まりみんな解散しました。」

「それなら問題無かったのでは?」

「でも日本人船から下りなかったと思います。俺が降りた時は、それであれから見かける事無かったから。それで我々側に居た者が疑われて何かをしたのだろうと成り、それから仕事が来なくなり・・・でも私は何も知らないです。」

「しかし結城と言う男をそれからは見る事は無かったのだね?船から降りるまで?」

「ええ」

「もう一人の日本人は?」

「判りません」

「詰まり日本人二人が揉めていて一人が居なく成ってもう一人も居なく成って、それで貴方方が疑われて」

「だから今我々は謹慎中と言うか、もう二度と雇って貰えないかも知れない状態で」

「でもその二人はどうなったのかな?貴方はどの様に思っている?」

「判りません。二人であれから話し合って旨く収まったとは思いませんが、でも私には判りません。第一何を話し合っていたのかそれさえも判りません。一人はマスクをしていましたし」

「マスクを?」

「ええ、マスクと言うより目指し帽を、顔を見られては不味かったのでしょう。」

 クエンが必死に、自分たちは関係ない出来事であると強調していたが、権藤たちも遠い日本から遥々やって来たのであるから簡単には引き下がれない




         次話に続きます。

次話❸に続きます

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