君花の陰に男あり? 2
雅紀は、突然押しかけて、もし、君花が一人でいたなら、壁ドンを実行することにした。そしてそのままキスをするんだ。これは少女漫画の影響だった。これだけ描かれているんだ。きっと女子は、いつもそれを心待ちにしているに違いない。あらゆるマンガで、すごいイケメンが主人公の女の子に壁ドンをすると、どんどん好きになっていく。その強引さがいいらしい。けど、ここの注意点は、何とも思っていない奴にやられると、相手はものすごくムカつくらしいので、少しだけでもこっちに意識あり?、という女の子にだけ限定ということも、念頭に入れておく必要がある。
それがタイミング的にうまくいかなかったら、ソファに座り、タイミングを見計らって、押し倒してキスをしようなんて考えていた。それはいわゆる、床ドンの応用編だ。
やはり、今時の女子への基本は、無理やりに事を進められる方がいいらしい。女子が強くなっている時代だからこそ、そういう場面では、男子に強引さを求めるのかもしれない。
だから、イヤと言われても怯んではいけないのだ。イヤは、イエスと裏腹イコールだから。
もう実行するしかなかった。これでだめなら仕方がない。このまま、黙ってみていても同じこと。諦めるしかなかった。それなら、最後にきちんと悪あがきをして、けじめをつけたかった。
日曜日の朝、九時すぎだ。周りは静まり返っている。アパートのどこかの部屋で子供が泣いている声がした。他はみんなまだ寝ているんだろう。君花も寝ているかもしれない。
けど、台所の窓が少し開いていた。中の人影が動いた。起きている。
少し控え気味に、ノックをした。すぐにドアが開く。
君花が雅紀だとわかり、驚いていた。
「あ、どうしたの? こんな朝に」
雅紀はすぐさま、玄関を見た。ない、男の靴がなかった。もう帰ったのだ。
「あ、うん。まあ、ちょうどこの近くに来たから、ちょっと寄ってみただけなんだけど、上がってもいいかな」
すぐにわかる嘘。でも、君花はそれほど深く考えなかったらしい。すぐに笑顔になり、中へ入れてくれた。
「どうぞ。雅紀君って、紅茶党だったわね。もらったばかりの紅茶があるの。早速入れる。そっちに座ってて」
「うん、サンキュ」
君花は、雅紀が近づく前に台所の棚に手を伸ばし、新しい紅茶の箱を手にしていた。
だめだ。この体勢では壁ドンはできない。女子が壁伝いに移動し、その行先を阻むために腕を伸ばして壁をドンとやる。その腕の中に閉じ込め、女子は戻ることもできない状況にするのだ。意外にそれは難しい。
しかたがない。壁ドンはあきらめ、奥のソファへ座った。そのテーブルには一昨日の晩、あの男が持っていた花が花瓶に入っていた。それを見て、ズキリと胸が痛む。やっぱり、あの男だったんだ。
君花が香りのいいアールグレイの紅茶を持ってきてくれた。
「どうぞ」
「あ、ありがと。綺麗だな。その花」
「え、ああ。先週、誕生日だったでしょ。けどいろいろあったから、そんな心の余裕がなかったし」
「それでプレゼントしてもらったのか」
「そうよ。よくわかったわね。私の一番好きな花なの」
「ふうん」
紅茶に口をつけた。なかなか上等な葉だとわかる。真っ赤な色といい、味もスムーズだ。
「もしかして、これもその人からの?」
「そうよ。その人も紅茶が好きなの。必ず買って来てくれる。あ、でもね、このこと、お母さんには言わないでね」
「え、なんで?」
「うん、いいから。とにかく言わないで欲しい」
「ふうん、それだけ特別なんだな」
雅紀はつい、そんなことを独り言のように言っていた。やはり、こういうことは親には知られたくないんだろう。そういう関係だってこと。
「そう、特別な人からもらったの。私の一番の理解者だから」
この会話だけで、その一言、一言がズキズキ胸が痛む。恋愛ゲームでは、男女の反応や行動を楽しむけど、実際の恋愛って、こんなに心が苦しいのかと思う。頭の中だけではわからない、そんな世界だった。
「好きなのか・・・・・・。その人の事」
そう言うと、君花は驚いた目を向けてくる。けど、にっこりと笑って、うんとうなづいた。君花、かわいいと思う。そんなに素直に好きだと反応できる人だ。迷いは全くなかった。
雅紀はもうあきらめかけていた。このかわいい妹のために、この関係を陰ながら応援しようと思った。けど、・・・・・・本当にこれでいいのか。胸の中がモヤモヤしていた。こういう感情は一度心の中に押し込めても、また出てくる。
やはり、一度きちんと雅紀の思いを打ち明けた方がいいのだ。それで、君花が向こうの男を選んだら、その時にきっぱりと諦める。その方が男らしいと思う。傷つくけど、きっとその後はすっきりすると思う。
君花は、今日の午後、里奈と見に行く予定の映画の話をしていた。しかし、全く雅紀の耳には入っていない。
やがて、雅紀の紅茶が空になっていたことに気づいた。
「あ、ごめん。私ばかり一方的に話しちゃって。紅茶、もっと熱いの入れるね」
君花がそう言ってソファから立ち上がろうとしていた。その瞬間、雅紀は君花の腕を掴み、抱き寄せた。それは君花にとっても不意のことだったらしく、全く抵抗をすることなく、すとんと雅紀の腕の中に入ってきた。
「好きだ。君花。どんどん好きになっていく」
君花は丸い目をして雅紀を見ていた。
そのまま雅紀の腕の中にいた。
なんでだ。抵抗しろ。なぜ、逃げないんだ。他に恋人がいるんだろっ。その人のこと、好きなんだろう。雅紀が抱きしめたら、こんなこと、だめだって、逃げろ。しかし、君花は不動のままだった。
わけがわからなかった。
雅紀の好きな君花は、誰とでもキスをするそんな女じゃないって思う。嫌なことは嫌だとはっきり突っぱねられる、そんな女子だと思っていた。
しかし、君花は逃げようとする気配がなかった。
そんな顔をしていると、雅紀が無理やりその心をこっちに向けさせてやるぞ、と勢い込む。
顔を近づけていた。そして以前に味わったくちびるを合わせる。抵抗する気はないらしい。そのままくちびるをむさぼった。あの時の感触が蘇っていた。柔らかくてぷりぷりしていて、甘美な・・・・うん、グミキャンディーのよう。
どうしてだろう。なぜ、君花は抵抗しないんだ。大事な人のことはいいのか。抵抗しようとすれば、君花にはそれができることを知っていた。その覚悟でいる雅紀だ。それなのにしない。
それなら・・・・。何も考えず、このまま成り行きに任せようと思う。キスを続けていた。このまま先に進めば、ああ、もしかして、今日が記念すべき、X day? なんか、絶望の中に生まれたかすかな希望の光って感じだ。
そのままソファに押し倒していた。くちびるを割って、舌をからめようと・・・・したが、するりと雅紀の腕の中から抜け出ていた。
いつも思うが、実に鮮やかな逃げ方。これも合気道の技なんだろう。今度、その技を教えてもらおう。
「まったくもう、学ばないんだから」
軽く睨みつけられた。ぶつぶつ言う君花。
「あ、ごめん」
でも、今回は腕をねじられなかった。
「急速に事を進めすぎるって言ったのに・・・・・・」
君花は少し恥ずかしそうにうつむき加減で言った。
雅紀にはますますわからなくなっていた。その発言には、さっきのキスだけならいいと言う意味。舌を絡めるような激しいキスはまだ、ダメというふうに聞こえた。じゃあ、段階をふんでいけば、そのうちに激しいキスを受け入れてくれるのか。そうして・・・・・・、ここでは言えないようなことまで、まさか。じゃあ、雅紀のこと、嫌いじゃないってことか。でも、あの男のことは?
「君花、大事な人はいいのか? オレとキスなんかしてもそいつは怒らないのか」
君花はハッとして雅紀を見た。雅紀がいったい何を言っているのか、というそんな表情だ。
「あの男、ここへ泊ったんだろう。隔週で金曜日の夜、ここへやってきて泊まって行くってこと、知ってるんだ。それで一昨日の晩、君花のアパートを見張ってた。オレって最低だよな。でも、いてもたってもいられなかったんだ。オレも尾崎と同じ、ストーカーだ」
君花の表情が堅くなった。
「あいつと深い関係になっているのに、なんでオレとのキスを拒まないんだよ。オレのことなんて、何とも思っていないんだろう。あいつの方がずっと好きなんだろう。なんでだよ。キスしようとしたら、君花なら逃げられるはずだ。なんで拒否しないんだ。なんで、されるがままになってたんだ。お前はそんな女じゃないって思ってた。このままじゃ、オレ、お前のこと、諦められない。だめならきちんと意思表示をしてくれ」
そう怒鳴っていた。
君花は雅紀の言ったことをよく考えているらしかった。
しばらく、君花も雅紀も何も言わなかった。
雅紀はもう、どうでもよくなっていた。君花のことがわからないのだ。
しかし、君花がくすっと笑いだした。えっ、おい、そこは笑う場面じゃないだろうって突っ込みたかった。
「やっとわかった。なんで雅紀君がそんなに感情的になっているのかが。それって、勇一郎のことね。確かに大事な人よ。でも、私達はね、雅紀君が思っているようなそんな関係じゃないの」
「ええっ、どういうことだ。その、勇一郎って人は一体なんなんだ。恋人なんだろう。何度もここへ泊りにきているんだろう。それに章子さんにも内緒だって言うし・・・・」
「違う。あの子、私の双子の弟なんだもん」
一瞬、君花が何を言ったのか、理解するのに時間がかかった。
双子? 弟だと言った。
君花は一人っ子じゃなかったのか。そんなこと、章子さんからも聞いていない。それに結婚式の時だって、そんな人いるなんて誰も言わなかった。
「そっか、一昨日の晩、あの子がここへ来るとき、雅紀君を見たって言ってたっけ。本当だったのね。そんなことあるわけないって思ってた。見間違いだって言ったの。でも、本当だったんだ。そう、あの時のあれが勇一郎」
「なんで、あっちはオレのこと、知ってんだ」
「だって、お母さんの結婚式の写真、見せたことがあるの。その写真には雅紀君も当然、写ってたし。この人が私達のお兄さんになったんだねって」
雅紀の頭の中では慌ただしくデータを書き換えていた。勝手な思い込みの恋人説は消え、双子の弟という存在に書き換える。
君花が自分のスマホに入っている勇一郎を見せてくれた。爽やかな笑顔を向けていた。
「似てない双子だな」
双子ってみんなそっくりだと思っていたから。
「私達は二卵性よ。ほとんどの男女の双子はそうよ」
まあ、よく見ると目元が似てる。この二人が本物の姉弟なのだ。
「私達、幼いころに離れていたの。両親が離婚して、長く会っていなかった。弟って言うよりも友達みたいなの。同級生だし、でもやっぱり一緒にいると落ち着く。弟だって実感できるの。それに母に内緒っていうのは、勇一郎と私が会っていることを知られると、母が困るんじゃないかって思って」
いろいろな事情がありそうだった。
「じゃあ、あの男とはそういう、いけない関係とかじゃないんだな」
「もちろん。そんなわけ、ないじゃない」
木枯らし吹く心に、突然、春がきたような思いだった。じゃあ、君花はフリーってこと。チャンスがあった。
「じゃあ、オレのこと、どう思ってる?」
再び胸の鼓動が高鳴る。そうだ。それを聞きたかった。ただ、単なるキスを受け入れただけなのか、それとも・・・・・・。
「あ、うん。私も・・・・・・雅紀君のこと、好き。私は入学当初からずっと気になってたの。でも、あなたがあんな事、言うから。あの時すごくショックだった。好きだったから余計、許せなかったの」
「それは悪かったって思う。でも、それは本当か? オレのこと?」
「好きです。でも、兄妹なのに、いいのかなって思ってる」