君花の陰に男あり?
その翌日。尾崎がもうストーカー行為をしないということになったので、君花がアパートへ戻ることになった。そして、その引っ越しの手伝いもかねて、君花のところで宴会を開くことになった。
協力者の大場と松本、里奈も来ていた。
雅紀は、里奈にも恋愛ゲームをするように勧める。こんなにかわいい外見を持つのに、平気で男の心を踏みにじるようなセリフを吐く。もう少し相手の気持ちを分かった方がいいからだ。里奈のゲームには、特別に、男を邪険にするとストーカーに狙われるというおまけをつけた。こいつにはこのくらいのことをしてもいいだろう。
しかし、そんな里奈が大場に目をつけた。後半からずっと大場に寄り添い、ずっと二人で話をしていた。君花もあんなことがあった後だから、心配していた。
「いいの? 大場君。里奈の毒牙にやられてる」
しかし、大場もまんざらじゃない顔をしているのだ。
「大丈夫だよ。大場は里奈のことを良く知っている。だから、簡単に心を奪われたりしないさ」
まあ、万が一、里奈に惑わされ、泣かされる結果になったとしても、大場ならきっと次の恋愛ゲームに入力することでその経験を生かしてくれると思うなんて、他人事になっていた。
「うちでずっと暮らせばいいのに」
そう言っていた。
君花が雅紀を見る。
「ん、一度はそう思った。けど、あと一年で高校卒業でしょ。そしたら、結局、巣立つことになるの」
「そうだな」
「雅紀君には感謝してる。ありがとう。お兄さんで本当によかったって思ってる」
ズキリとする。そうか、お兄さんでよかったってか。あの時のキスは、お兄さんとして受け止めただけだったのか。それで雅紀が気がすめば、それでいいと思っただけなのかもしれない。
高校生だから、ジュースだけの宴会だった。けど、ストーカー問題は解決した。それでいいだろうと自分に言い聞かせていた。
翌日の金曜日。
雅紀は寝不足のまま、学校へ行った。怠い。眠れなかったからだ。ストーカーを攻略することを考えていた時が、一番生き生きしていたんじゃないかと思う。気が抜けたし、気遣っていた君花もいない。
それに気になることは、今日が金曜日だということ。もしかすると、君花のところへ男がくるかもしれなかった。
放課後、隣のクラスの君花を探した。なんだか一人ではしゃいでいて、うきうきしながら急いで帰って行ったという。やはり、あの男がくるんだ。そう確信していた。
雅紀もその日は真っ直ぐに家に帰った。PCゲーム部にいく気力がなかった。あの男が君花の所へ来るとしたら、いつだろうと考えた。たぶん、夕食を作って待っているに違いない。君花の手作りの料理を食べ、その夜を二人で過ごす。たぶん、そうだろう。切ない、こんな気持ちになるなんて雅紀は自分が信じられなかった。
雅紀はセーターを着こみ、親父のステテコを履き、その上からジーンズをはいた。スキー用の厚い靴下、ダウンジャケット、スキー帽まで被る。そして厚手の手袋とインスタントカイロ、チョコとクッキーもポケットに入れた。そして保温性の高いカップを持って家を出た。
途中のコンビニで、カップにコーヒーを入れてもらう。おにぎりも二個買った。それで準備は整った。そして、君花のアパートへ向かった。もう暗くなっていた。君花のアパートが見える。雅紀はその明かりが見える暗い路地の電柱の陰に立った。
ここで見張ることにした。家であれこれ想像していても悶々するだけだった。それなら、どんな人がくるのか見てやろうと考えたのだ。日が暮れたらぐっと気温が下がる。だから、あらかじめこんな重装備を整えていた。
皮肉だった。たぶん、今、雅紀が立っているところはストーカーをしていた尾崎が潜んでいたところだろう。そこは電柱の影になるから、アパートからは見えにくい。風もよけられた。夜、密かに潜むには、絶好の場所だと気づいたのだ。
君花の部屋の窓に人影がちらちらと動くのが見えた。たぶん、君花が料理をしているんだろう。今かと待ちながら。あのストーカー騒ぎがなければ、もっと早く会えた相手だった。そんな嬉しそうな君花、その笑顔は別の男に向いている。
駅からこの周辺の住人が帰ってくると、そんなところに潜んでいた雅紀は目立った。不審な目を向けられないように、わざとスマホを取り出し、誰かを待っているようなふりをした。そして振り向く人には明るく笑顔をむける。
暗いから顔がよくわからないが、怪しい人はそういう挨拶をしてこないと思い込んでいるらしく、雅紀が「今晩は、寒いですね」というと、その殆どが「今晩は」と返してきていた。不審者じゃなかったと安心したかのように、背中を見せているから、そういう心理がわかった。その大半は、雅紀がスマホをいじっているとまるでそこに誰もいないかのように通り過ぎていった。それだけ、世の中の人が周りに無関心なんだろう。
雅紀はおにぎりを取り出して食べていた。そこへ小学生の男の子が不思議そうな顔で見ていた。なにか言いたげだ。雅紀は身をかがめてその子と同じ目線でそっと言った。
「しっ、今、お兄ちゃんは大事な任務をしている。秘密のことだ。誰にもしられてはいけない。だから、内緒だよ」
そう真顔で言うと男の子は興味深々な顔をする。
「わかったか」
子供なんて、この程度のことをすぐに信じてしまう生き物なのだ。けど、そのガキは言った。
「わかったけど、それって絶対に嘘だよね。そういうのって、テレビとかゲームの中だけのことだろう。子供だからって、そんなことで騙せないんだからね。でも、なにか事情がありそうだから、お母さんにも言わないでいてあげる」
そう言って行ってしまった。最近のガキは扱いづらい。うちの純なんか中学生なのに、そんなことを言われたら全面的に信用してしまう。目を輝かせて、すごいね、お兄ちゃん、そんな大変な任務、ご苦労様くらいのことを言うに違いなかった。
いつ来るんだろう。夕方、六時頃からここにいた。今はもう九時になる。今夜は絶対に来るって確信していたのに、なかなか姿を現さない。このまま十時すぎになっても誰も現れないようなら、帰ろうかと思った。きっと君花は夕食を作って待っているだろう。その気持ちを考えた。ここにいる雅紀よりも待ちかねているはず。もう今では、君花のために、早く現れろ、行ってやれ、なんて思っていた。あきらかに憎き恋敵なのに。
そんな時だった。暇つぶしに音楽を聴こうかと思い、手袋を外した。手が滑って、その片方が足元に転がっていった。それをそこに現れた人が手袋を拾ってくれた。
「はい、落としましたよ」
雅紀はそれを受け取る。
「あ、どうも」
その人の顔は見えなかった。シルエットだけがこっちを見ていた。君花のアパートの明かりを背にしていたからだ。でも、向こうは雅紀の顔は見えたに違いない。
その人は、たぶん若い。雅紀と同じくらいの高校生だろう。けど、品のいい裾の長いコートを着ていた。手には淡い色の花のブーケとうまいってことで有名なケーキ屋の箱。
そしてすたすたと君花のアパートへ向かって歩いていった。
ああ、あの人が君花の・・・・。直観でわかった。あいつだ。あいつが君花の男だと。
大学生のような大人とつきあっているんだとばかり思っていた。まだ、同じくらいの高校生。その背中をずっと見ていた。やはり、あのアパートの二階へ上がる。そして、その行先は、そう、その部屋だ。ノックをするとすぐに待ちかねた君花がドアを開けた。輝くような笑顔が雅紀にも見えた。
あんなに輝いている笑顔、見たことなかった。雅紀には一度も見せたことがない。ズキリと胸が痛んだ。そうか、君花の好きな男か。
寂しかった。どうせ、兄でしかないんだ。君花を好きになっちゃいけないんだ。
その男が君花の部屋へ入るとき、一瞬だけ足を止めた。そしてこっち、雅紀が立っているこの暗がりを見たような気がした。いや、向こうからはこっちは見えないはず。けど、あの男はここを通り、雅紀がここにいることを知っていた。だから、ただ、偶然、こっちを見たんだろう。
もう雅紀はそこにいることができなくなっていた。そこがストーカーになった尾崎と雅紀の違い。尾崎はずっと見ていることで、心を落ち着けていたんだろう。決して諦めないという頑強な心。けど雅紀は見ていることがつらい、だから、諦めてしまう。雅紀はストーカーには向いていないらしい。
でもこのまま家に帰りたくなかった。ふと、その派手な看板に誘われるようにして、駅前の漫画喫茶へ入った。
雅紀は泊まりで、そこに閉じこもる決意をしていた。滅多に読まない少女漫画を手にしていた。女性の心理がわからないでいた。あの潔癖っぽい君花に、泊りにくるほどの関係の男がいる。それは百歩譲ったとしても、そんな男がいるのにもかかわらず、雅紀とのキスを許した。それが最大の疑問だった。君花のような正確なら、そんな好きな男がいたら、雅紀のような立場の男は断固として拒否すべきだろう。ふいにキスされても、絶対に怒りだし、腕をひねることなどお手のものなのだ。潔癖なそんなタイプだと思っていた。
女子は、キスくらいなら、誰とでもするのか。今時の女子って、そんなに軽いのか。そういうことの答えが欲しくて、むさぼるようにして少女漫画を読んだ。
男なら、ただ、身体からくる欲望として、弾みでキスしたりすることもあるだろう。心と下半身は別の考えを持つときがある。けど、女の子は恋をしてからそういう行為を望むと思う。なんとも思っていない奴に、いきなり、キスをされたら怒るだろう。
あの時の君花は、雅紀の腕の中にいた。いくらストーカーにおびえていたとしても、それとこれとは別問題だろう。
雅紀は朝になってもマンガ喫茶にいた。答えが出ないのだ。さらにもう一日、延長することにした。いくら読んでも雅紀の疑問の答えが出てこない。
君花はそれほどキスに慣れているとは思えなかった。むしろ、そのくちびるを震わせていた。初めてのようだった。まあ、雅紀もそれほど経験があるわけじゃないが、そう思わせるようなぎこちない反応だった。
君花には雅紀の知らない顔があるんだ。妹としての顔、それで満足すればいいんだ。なにもこんなに納得するような答えを求めなくてもいいじゃないか。そう自分に言い聞かせる。けど、諦めきれなかった。こんなにも君花は雅紀の心の中に入り込んでいた。たった、十日間ほどの同居だったのに。毎晩のように、雅紀の部屋で一緒にストーカー対策を考え、それに飽きると二人でゲームの世界に入り込んだ。もう今ではあのアスカでさえ渋々だが、君花を受け入れてくれている。
それに君花は、雅紀の大好きなホットチョコレートを作ってくれた。いや、そんなことはどうでもいい。その君花の笑顔が欲しかった。その笑顔が他の男に向けられているかと思うと胸が痛くなる。待ちかねていたようなあの笑顔が思い出された。そして夜も更けた頃、君花はあの男の腕の中で眠るんだろう。そんなことを考えると苦しくてたまらない。
もう答えなんて、どうでもよくなっていた。頭を空っぽにすると君花とあの男の姿が目に映る。だから、手当たり次第、がむしゃらに少女漫画を読んでいた。
まだ、帰りたくなかった。さらにそのまま延長しようとした。けど、所持金がもうなかった。あのまま、君花の男を見届けたら家へ帰る予定だったから。だから、それほどお金を持って出てこなかった。
しかたなく、日曜日の朝、漫画喫茶を出た。家へ帰ろうと思った。けど、このままでは家に帰っても、こんなことでずっとウジウジしているだろう。それなら、どんなに傷ついてもこのことに決着をつけようと思い立った。
このまま、君花の所へ行くことにした。そこにまだ、あの男がいるなら、それでもいい。その関係を聞くことができる。そして君花のことを本気で好きなのかって質問するつもりでいた。だって、君花が本当の怯えていたとき、そいつは近くにいなかったからだ。好きならば、どんなに遠くても、どんな事情があろうとも駆けつけてくるのが恋人ってもんだろう。その時の君花の側には、雅紀がいたんだ。雅紀が君花を好きだってことも打ち明けることにした。