6 ゲームの始まり始まり、ってね
先程のベンチに広瀬とヒドリが腰を下ろし、その後ろには木に凭れ、腕を組む神楽耶。
直ぐ近くに止まるワゴン車ではソフトクリームが売られており、親子連れが賑わっていた。
そしてこの3人が手に持ち、口へと運ぶ物もまた、ソフトクリームであった。
「……で、古屋憧理はどうだった?」
宙に浮いた足をプラプラと動かしながら、ヒドリは広瀬に問う。
「……」
「まぁいい。お前が会いに行った時点で、ゲームは始まったんだから。……あはははは!楽しくなってきた!」
「相変わらず、胸糞悪い下種な笑顔だこと。口に拳銃ぶち込みたくなる」
「はっ!いいね!ここで死ぬのも楽しそうだ!」
「とか言って、殺される気なんて更々ないんでしょう?ねぇ、チキン君?」
「俺如きも殺せない雑魚の君が悪いんじゃないかなぁ?ブラコンちゃん?」
「テメーにだけは言われたくねぇな?ファザコンが」
「ああん?誰があんな糞野郎、……っ!!」
ヒドリの頭に突如走る激痛。
自身に痛みを与えた元凶を、ヒドリは涙の滲んだ目で睨みつけた。
「てめ、神楽耶!何しやがる!今グーで殴ったろ、グーで!」
「本当でしたら、脳天に銃弾でもぶっ放したい程で御座います。全く貴方様は、何低レベルな喧嘩に易々と乗っているのですか?馬鹿なんですか?ああ、馬鹿でしたね」
「酷くね!?」
「脱線して幼稚な喧嘩するだけでしたら、貴方様を引きずって神楽耶は帰りとう御座います。私も暇では御座いません」
「あー、はいはい。分かったって。ちゃちゃっと済ましますって」
溶けかけていたソフトクリームに大きく齧り付き、少しの間を空けた後、ヒドリは上半身を広瀬へと向けた。
「そんじゃまぁ今更だが、いいんだよな?」
「愚問ね。私は憧理を消さなければならない。じゃないと、要は引き籠ったまま、歪んだ世界でずっと一人。例えそれを要が望んでいたとしても、私が許さない。外が怖いというなら私が守る。絶対に引き摺り出してやるわ」
「うん。何か、あれだな。引き籠りを辞めさせるために、そいつが発狂するの覚悟でパソコン破壊する的な、あれだな」
「……例えが何か複雑だけど、遠からずな気もして、反論できないわね」
「まぁとりあえず、だ。俺はもちろん、あいつも……ってなると、あのイカレ女もだな。んであとは……」
ひい、ふぅ、みぃ、と指を折り、数を数え始めるヒドリ。
そしてつまらなそうな溜息が零れる。
「プレイヤーが多いのは楽しい限りだが、難易度下がってつまんねぇなぁ。お前にとっては鬼レベルで敵いっぱいのムリゲーだが、ま、精々頑張れや」
「そのゲーム脳、いい加減キモイんだけど。そもそも誰の所為だと思ってるのかしら?腐れ外道が」
「あはは!否定はしない!けどな、一人の人間がどうこうなるのに、その原因が一つだけなんざ有り得ない。多くの他人、事象、そういう環境要因が積み重なって人はそれに成っていく。お前だってそうだろう?」
「ふふ。ええ、そうね。確かにあなたは、小さな石ころを転がしただけなんでしょう。それが後にどんな災厄に繋がるか、その可能性を知った上でね」
「そう、可能性だ。物を投げれば人に当たるかもしれない。煙草のポイ捨てが火事になるかもしれない。道端に捨てた空き缶で誰かが転ぶかもしれない。んで、これらが原因で、人が死ぬかもしれない。俺が石ころを転がしたのも、そんな有り得ない様な可能性を想定したに過ぎない。全ての行動は、常に有り得ない様な最悪の可能性に繋がっているのさ。俺はね、そういった無限の可能性を空想して何かをするのが、……とてもとても好きなんだよ」
ヒドリは目を細め、その口元は歪な弧を描く。
その不気味な笑みに、広瀬は吐き気が込み上げてくるのを感じ、生唾を呑み込んだ。
「ああでも、こんな結果に繋がってるとは、流石に予想外だったけどね。お蔭で、俺自身もプレイヤー側として、こうして出向かないと行けない破目になった」
「その割には楽しそうね?何を企んでいるのかしら?」
広瀬を横目で見遣り、その問いの答えとして、ヒドリは意味深な笑みを浮かべた。
「……本当、下種ないい笑顔ね」
「くくくっ、ありがとう。……それにしても、テメーも酷いよな。ブラコン女に一方的に命を狙われる人の身にもなってみ?弟の為に死んでとか、憧理が哀れすぎるだろ。全く、悪役はどっちだろうね?」
「私だって、出来れば穏便に済ませたいわ。でも、大事な物が壊される前に出てくるか、壊されてから出てくるか、それは要次第でしょ?」
「うわー、責任転嫁!要君に丸投げかよ」
「人聞きの悪い事言わないで。事実を言っただけ。現実から逃げ続けてきたツケが回ってきただけよ」
「おーおー、怖いお姉様だ事」
お主も悪よのぅ、と悪い顔を浮かべながらも、楽し気な笑い声を零すヒドリ。
そして、最後の一口であるコーンの先っぽをサクサクと齧り終えると、ベンチから飛び退き、立ち上がる。
「んじゃ、話は済んだし、帰るわ」
その言葉を聞いて、自身の頭上のみに日傘を広げ、ヒドリの横に静かに移動する神楽耶。
俺は入れないのかよ、というヒドリの無言の視線にも、神楽耶は知らんぷりである。
ヒドリはそんな態度に苛立ちつつも、広瀬へと視線を戻し、咳ばらいで気を取り直した。
「敵は多いが、勝利条件はお前の方が断然有利だ。楽しませてくれよ?……それじゃ、ゲームの始まり始まり、ってね」
ヒドリはにんまりと口角を吊り上げ、瞳を細め、不気味に笑った。
底知れない不気味さ。
何かを企んでいる事に対する、不快感。
この状況を作り出した元凶であるにも拘らず、無責任にもゲームとして楽しんでいる事に対する憎悪。
そういった黒くドロドロとした様々な感情が、広瀬の心から沸々と湧き出す。
――気持ち悪い。
ヒドリのその憎らしく、忌々しい笑顔を見て、広瀬は再び吐き気が込み上げるのを感じた。
「あれ?あれれれれー?どうしたの?顔があおーくなってるよ?」
広瀬の青ざめた表情を見て、ヒドリは子ども口調で無邪気に笑った。
「大丈夫―?お姉ちゃん」
――気持ち悪い。
「あはは!なーんてね?……くくっ。良い表情じゃねーの。いつも澄ましたその面、引っぺがしてやりてーと思ってたんだ」
――気持ち悪い。
「これからもっとぐちゃぐちゃに歪んでいくのかと思うと、勃起もんだな。今からゾクゾクするぜ。ははっ!」
――気持ち悪い。
「……うっ、っぷ、……おろろろろろ」
成人女性の嘔吐物が、幼児の顔面に降り注いだ瞬間であった。
「うっぷ……。緊張して、朝から、何も食べれなくて、調子が悪かったの。憧理に会うの、終わって、緊張が解けて、うっ……、あと、空きっ腹にアイス、詰め過ぎて、一気に吐き気が来た。心配してくれてありがとう。お姉ちゃんは、もう大丈夫よ」
「……ふええぇ」
幼児の悲痛な嘆きが、小さく、周囲に響き渡った。
人気のなくなったベンチに、自販機で買ったお茶を口に流し込みながら、一人腰かける広瀬。
あれから、鼻を摘まんで若干距離を取る神楽耶と共に、ヒドリは帰っていった。
その背に哀愁を漂わせながら。
『古屋憧理はどうだった?』
嘔吐事件など既に頭にない広瀬は、先程のヒドリの問いを思い出していた。
そして、答える。
――家族思いで、私を必死に警戒してた。可愛くて、本当に……良い子ね。
そう思いつつも、そんな彼に対し、自分がこれから何をしようとしているのか。
広瀬は眉を顰め、その顔には愁いが帯びた。
仕方ないのよ。
――何が?
だって私は、あの子の家族で、お姉ちゃんなんだから……。
――巻き込まれる彼は哀れよね。
ええ。でも、それでも、私は、……。
広瀬は思考を止め、口にお茶を一気に流し込む。
そして、「姉貴!」「姉様―!」という声が聞こえてきたのを機に、口元を緩ませ、広瀬はその場を後にした。