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不死の噂  作者: とりふく朗
第一 古屋憧理
6/24

5 その頃広瀬は……

 緑豊かな敷地。

 遊具で遊び、芝生を駆ける子どもたちの笑い声。

 レンガが敷き詰められた広場の中央には、広く浅い池のような水場が設置され、所々から小さな噴水が噴き出している。

 噴水と戯れながら、全身びしょ濡れで水遊びをする我が子を、母親たちは噴水の縁に腰かけ、自身も足を濡らして涼を取りながら、にこやかに見守っていた。

 そんな穏やかな光景に何を思うでもなく、木陰のベンチに腰掛け、チューブ型のアイスを口に咥えながら、どこか遠くを見つめる女性が一人。

 ブラウスのボタンは胸元まで外され、膝丈程の長さのスカートは、豪快に組まれた脚によって際どく捲れ上がっている。

 本来ならば、肩程の長さの琥珀色の髪に碧空の瞳、儚げな美しい顔立ちと合わさって、英国生まれのお嬢様とでも言うべき品のある様相なのだが、服の乱れを気にも留めないその様からは、清純とはかけ離れた醜態を晒している。

 しかしそれでも、彼女の持つ独特の空気と、見る者を釘付けにする程の美貌がそうさせるのか、どこか妖しい美しさを感じさせた。


 その女性、広瀬恵は、調査依頼の件で訪ねた探偵事務所での事を思い出していた。

 途中、足元に転がってきたボールと、「すいませーん!」という子どもたちの声が響くが、脳裏に先程までの場景を映し出し、それを鑑賞する事に夢中になっていた広瀬は、只々無表情のまま、その事に気付かない。

 少しして、人形の様に固まったままの広瀬の美しい顔を、不気味そうに横目で見ながら、男の子が恐々と足元のボールを拾いに来る。

 それでも広瀬は、無表情のままに、微動だに動かない。

 しかしながら、その表情とは裏腹に、感情は喜々として昂っていた。

 


 ――嗚呼、久しぶりに本当に楽しかった。

 少し、からかい過ぎてしまった様だけど。

 動揺を隠そうと必死になっちゃって、結構可愛いじゃない?


 

「……く、ふふふふふ」


 無表情だった広瀬の顔に、突如として感情が宿る。

 薄く艶のある唇を歪め、頬は薄っすらと桃色に染まる。

 口に咥えていたアイスを手に取ると、両腕をベンチの背もたれに乗せ、楽しそうに仰け反った。

 そんな彼女のもとに、一つの小さな人影が、音もなく近付いてくる。


「楽しそうだね、お姉ちゃん!」


 その声を聞いた瞬間、広瀬の表情は一瞬にして曇った。

 広瀬は大きく舌打ちを打つと、自身の直ぐ横に立つその無邪気な声の主を、睨みつける様にして横目で一瞥。

 そこにいたのは幼い少年。歳は4、5才といったところか。

 にこにこと可愛らしい笑みを浮かべていた。

 普通ならそこで、こちらも笑みを返しつつ、優しい声色で子どもの話しかけに応じるのが、一般的な大人の反応というものだろう。

 しかし、広瀬の場合は違った。

 咥えたアイスを手に持ち直し、大きく舌打ち。

 更にこう吐き捨てる。


「テメーが来るまではな」


 そしてこの少年。

 広瀬のその返事を聞いて、何故かより一層、楽しそうな笑顔を向けている。

 傍から見たら、その光景は異常であった。


「何か楽しいことでもあったの?」

「……」


 ――白々しい。全部知っているくせに、この下種野郎は。


 広瀬は眉を顰めてアイスを再び咥えると、口を閉ざした。


「ふええ……。無視しないでよ、お姉ちゃん」

「その糞みてーな演技やめろ。殺すぞ」


 涙目になりながら見つめる少年に、容赦のない冷酷な言葉を投げつける。

 少年は、今にも泣き出しそうだった表情から一転し、今度は子どもらしからぬ怪しげな笑みを浮かべた。


「引きこもりの(かなめ)君には会えたのかな?」


 次の瞬間、広瀬は殺気の宿った鋭い眼差しで少年を睨みつけ、アイスの空袋を少年の目頭へと突きつけた。


「その様子だと、会えなかったみたいだね。……それで?いくら銃刀法が緩和されたからといって、流石にこれは捕まるよ?」


 少年は笑みを崩すことなく、眼前に突きつけられた空袋を握る、広瀬の手元を見つめた。

 一見、袋の先端を握り締めているだけの様に見えるその手には、開け口から出る銃のグリップが握られており、銃身部は袋に被されている事が分かる。

 

「ふふふ、僕を殺すのかな?平和な公園で突如響く銃声。幼く愛らしい子どもが、公衆の面前で殺される。それはそれは……、大ニュースだね!あはは!面白そうじゃないか!」

「じゃあ、死ね」


 影を落とす冷たい表情で、広瀬は何の躊躇いもなく、引き金に掛ける人差し指に力を込めた。

 そして、発砲音と共に銃弾が放たれる。……筈だった。


「お止めなさいな。小娘が」


 広瀬の背後から突如として聞こえる、凛とした声。

 気付けば銃を持つ手首は、その声の主によって力強く掴まれ、銃はベンチへと落ちていた。


「……」


 驚く素振りもなく、さっきと変わらない冷たい表情のまま、広瀬は自分を掴むそのか細く小奇麗な手を、無言で見つめる。

 握力自体は大したものではない。

 しかし、それでもその僅かな力で手首は容易く捩じ上げられ、骨には鋭い痛みが走っていた。

 爪は食い込み、血が薄っすらと滲み出す。


 ——この爪、絶対わざとなんでしょうね。この糞女。

 本当、何でこいつらって、どいつもこいつもゴミばかりなのかしらね。


 沸々と湧き出す怒りの感情。そして殺意。

 しかし広瀬は、この感情を何かしらの行動で表現するという事はしない。

 なぜなら、彼女はよく理解していた。

 今の自分では、こいつらに絶対に勝てないということを。

 


「――邪魔しないでよ、神楽耶かぐや


 玩具を取り上げられた子供の様な表情を浮かべ、少年はベンチの後ろに立つ女性、神楽耶へと言葉を発した。

 腰まである長く真っすぐな黒髪。横に流れる前髪と、手で押さえられた麦わら帽子から覗く、おっとりとした黒い瞳と泣き黒子。シンプルで品のある白のワンピースが、彼女の透き通る様な白い肌を、更に際立たせていた。


「お戯れも程々になさいませ、ヒドリ様。幾度となく問題を起こす貴方様がこうして外を出歩けるのも、あの御方の寛大さ故。その事を重々胸に刻み、どうかお忘れなき様に。そして次はもうないという事も。……ヒドリ様、あの御方の心労を増やすような事は、もう為さいますな。敵が増える一方でございます。貴方様とて、また狐に噛まれたくはないでしょう?それと……、」

「ああもう!分かった分かった!小言が多いんだよお前は」


 神楽耶は溜息を一つ吐くと、「……貴方様のお守をする(わたくし)達の身にもなって下さいまし」と、言葉の続きであろう愚痴を、俯きながら呟く。

 そんな神楽耶の心中を知ってか知らずか、……いや、知っているのだろうが、少年ヒドリは素知らぬ顔で空を見つめ、「今日もいい天気だ!」と一言。


「……ねぇ、痛いんだけど。離してはくれないのかしら?」


 手首を掴まれ続けていた広瀬は、神楽耶を横目で一瞥し、苛立った声色で訴えた。


「あら、失礼。存在を忘れておりました。(わたくし)の手が汚れてしまいますわよね」


 神楽耶は上品な笑みを浮かべて手を放すと、ヒドリのもとに移動する。

 そして、先程まで広瀬を掴んでいた手で、ヒドリの頭に触れた。


「……おい。撫でてると見せかけて拭いてるよな、これ」

「貴方様がいきなり出て行かれるのが悪いのです。お蔭でハンカチを忘れてしまいました」

「いや、お前さ、一応俺の方が上の立場なの、分かってる?」


 年齢にそぐわない口調になりながら、顔を引きつらせるヒドリ。

 そんな二人の遣り取りを眺めながら、広瀬は無表情なまま、自分を侮辱した神楽耶の態度に苛立ちを募らせていた。


「……本当に、死んで月に帰って欲しい。このクソ女」


 そう言って広瀬は、神楽耶に向けて唾を吐き捨てた。

 神楽耶は素早くヒドリを盾にし、その攻撃を防ぐ。

 結果的に、小さな幼子の顔面へと、成人女性の唾が吐き捨てられる形となる。


「俺が言うのも何だけど、仲良くしろよお前ら……」


 ヒドリは遠い目をして、力なく呟いた。


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