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不死の噂  作者: とりふく朗
第一 古屋憧理
4/24

3 来客①

 古屋家が暮らす住居の隣には、小さな探偵事務所がくっつくようにして建てられ、1つの戸を通して、中からも行き来が可能となっている。

 そのドアへと、欠伸をしながら急ぎ歩を進める男が一人。

 この家の家長であり、探偵事務所の単身運営者、古屋憧理その人である。

 連日の睡眠不足が祟って、覇気のない垂れ目が、彼の抱く睡眠欲を強調していた。

 気怠そうな雰囲気を纏ってはいるものの、それなりに整った人当たり良さそうな顔立ちから、好青年といった印象を受ける。

 実年齢は24歳だが、童顔と小柄で華奢な体格故に、見方によっては高校生にも見え、未だに年齢確認や、補導されそうになる事は、周知の事実であった。



 ……眠い。腹も減ったし頭も回んねぇ。

 これで接客とか失礼にも程がある……けどやるしかねぇ。

 うん、よっしゃ!頑張れ、俺!


 事務所に繋がる戸の前で、俺は両手で勢いよく頬を叩く。

 結構痛かった。

 涙目になったのは内緒にしておこう。

 でもまぁ、気合が入った……様な気がする。

 

 俺は頬を擦りながら、戸をゆっくりと開けた。

 戸の先は事務所の給水室である。

 冷蔵庫から麦茶を取り出していた葉流は、戸が開いたのに反応し、そのイケメン面を無表情で固めながら、こちらをガン見する。


「兄さん。パンって音が聞こえたけど、擦るぐらいなら叩かなければいいのに」

「……うん。分かったから、そんな冷めた目で見つめないで下さい。何か、時々俺への扱い酷いよね、葉流君。どして?」

「あ、そうだ。美人だからって、お客さんに手出しちゃダメだからね?」

「え、聞いてる?てか、俺をそういう類の人間だと思ってたの?」


 お盆に麦茶と茶菓子を載せ終えた葉流は、俺の問いに答える事無く、客室に続く引き戸を開けた。


 え、え、無視ですか?葉流君?

 会話のキャッチボールって知ってるかな?葉流君?

 ていうか、わざとだよね……、葉流君。


 軽く傷心している俺になどお構いなしに、葉流は自分へと視線を向ける客へ笑顔で話しかける。


「すいません、ただいま先生がお見えになりました。」


 こうなっては仕事モードに切り替えるしかない。

 まぁ、雑談してないで仕事しろよ、という感じではあるんだけども。

 眠いし、怠いし、働く気がおきないのだから仕方ないだろう?

 時間の許す限り、一秒でも長くダラダラしていたいものだろう?

 2時まであと5分くらい余裕もあるし?

 戸の横に立って、俺が出るのを待っている葉流を横目で見てみる。

 早く行けと言わんばかりの、無言の笑顔で威圧する葉流。

 はい。憧ちゃん、行っきまーす!


「……お待たせしてしまい、申し訳ありません。広瀬ひろせさん、でしたよね?」


 給水室を出て葉流の前を横切り、俺は接客用ソファーに腰かける女性へと近付いていく。

 “手出しちゃだめだからね?”

 ……葉流がさっき言った言葉の意味がよく分かった。

 肩程の長さに切りそろえられた琥珀色の髪に、碧空の様に澄んだ瞳。

 儚げな表情が妙に色っぽく、クールビューティーという言葉がよく似合う、かなりの美人である。

 でもまぁ、だからといって、良識ある俺が手なんて出すはずもない。

 葉流が何故、わざわざあんな事を言ったのか理解が出来ない。

 結構俺って硬派よ?好青年よ?

 全く、俺の事を何だと思っているのか、今度問い詰めねばなるまい。


 俺がそんな事で悶々としている事など知る由もない広瀬は、自身へと近付いてくる俺を見遣り、慌てて立ち上がった。


「あ、はい。広瀬恵ひろせめぐみです」


 結構、高かった。俺と同じくらいの身長である。

 彼女がスリッパで助かった。

 ヒールだったなら俺が可哀想な事になっていただろう。絵面的に。

 ……え、何cmかって?

 162だが、何か?


「申し遅れました。私、古屋憧理と申します。本日はよろしくお願い致します」

「いえ、こちらこそよろしくお願いします」


 俺が深くお辞儀すると、広瀬もまたお辞儀を返す。

 肩にかかる髪が軽やかに流れ、会釈一つ取っても、洗練された美しさを感じさせる。

 礼儀正しい美人な客、というのが第一印象だった。

 ……この時までは、だが。


 広瀬にソファーに再び腰掛ける様に促し、俺はその向かいのソファーに腰かける。

 横から葉流が、お盆の物をテーブル上に並べ始めた。


「サンキュな」

「どーいたしまして」


 そんな他愛ない一言を会話した後、葉流は広瀬にお辞儀をし、給水室へと消えていった。


「……弟さんですか?」


 俺と葉流の間から何かを感じたらしい広瀬は、穏やかに言葉を発した。

 俺は一瞬目を丸くし、少しの間が空いた後に、うっすらと笑みを浮かべて返答する。


「……うーん、まぁ。そんな感じです。」


 俺の曖昧な返答に、広瀬は首を傾げながら、更に問いを投げかけた。


「……あれ、違いましたか?なら、友達かしら?」

「あ、いえ、……弟です。よく分かりましたね。お恥ずかしい話、あいつの方を兄だと間違える人の方が多いんですよ」


 正確には、弟のようなものという位置関係だが、別に初めて会った他人に詳しく言う事でもないだろうし、適当に返答をし直した。


「ふふふ、そうなんですか。背、高かったですもんねぇ。私にも、弟二人と妹一人の三つ子がいて、未だに手が掛かるんですよ。だから、あんなしっかりした弟さんがいて、正直羨ましいです。見習わせたいですよ」

「へぇ、そうなんですか。でも、そんな買い被らないで下さい。結構抜けてるとこあるんですよ、あいつ」

「いいえ!しっかりした弟さんじゃないですか!私のとこなんて、妹は何故だか眼帯つけるのが趣味ですし、弟一人はヘタレなんです。もう一人の弟なんて、10年以上引きこもったままで、……もう何年も顔を見ていないんです。この後、また声を掛けに行ってはみますが、期待はしていません」


 えっと、つまり、中二病とヘタレと引きこもり、か。

 よくもまぁ、初対面の人間に対して、こうもペラペラと話せるものだ。

 この人、見た目に反して少々、いや、かなりおしゃべりだ。

 こういう客は、雑談するとかなり脱線して長引くので、早々に本題に移して終わらせたいところである。


「そうでしたか。気苦労も絶えず、大変だった事だろうと浅慮致します……。それで、その、本日の依頼内容を聞かせて頂いても宜しいでしょうか」


 ……ちょっと無理矢理感が否めないが、仕方ないだろう。


「あ、そうですよね。えっとですね、その……。主人の、浮気調査をお願いしたいのですが。」


 言いにくそうに、視線を彷徨わせながら広瀬は語り出した。


「……」


 依頼内容に内心溜め息をつきながら、俺は真剣な表情を作ったまま、耳を傾ける。


「主人とは三年前に結婚して、2才になる娘が一人います。半年ほど前でしょうか、主人の帰りが遅くなることが増えてきまして……。仕事が忙しくなってきたのだと主人は言うので、私もそれを信じていました。でも、先月辺りから――」


 広瀬の話は延々と続き、途中主人への愚痴やら不満やらも聞かされ、俺は適当に相槌を打ちつつ、メモを取っていく。

 ――旦那のスーツから香水の匂い。最近ゴルフを始め、それを理由に休日の度に出かけて行く。車からは茶髪の長い髪の毛と、旦那のスーツからした同じ香水の匂い――

 などといった、浮気あるあるの内容。

 調査しなくてもこれは間違いなく黒だろう。

 これだけ聞けば十分である。

 にも拘わらず、広瀬のおしゃべりは止まらない。

 脱線しまくりで、夫との馴れ初めまで話し出す始末。


 ……やばい、眠気が。

 

 広瀬の長話の所為もあって、激しい睡魔に襲われる。

 今にも閉じようとする重い瞼に必死に抗うが、抵抗空しく、俺は意識を手放してしまった――。



 ――そして、恐らく少しの後、俺は慌てて目を覚ます。

 やばい、やばい、寝てしまった。

 仕事中に、しかも依頼人の目の前で。

 広瀬はどんな反応をしているだろうか。

 そんな焦りと緊張の中、状況を確認しようと広瀬を見るが、俺の心配は空振りに終わった。

 こいつ、……いや、この人、まだ話し続けていやがる。

 俯き、涙をハンカチで拭いながら、周りの様子なんて一切見ていない。

 完全に自分の世界に入ってしまっている。

 まぁ、おかげで助かったのだが。

 安堵しつつ時計を見てみるが、それ程時間は経っていないように見受けられた。

 居眠りしてしまったのは、数十秒か数分か、といったところだろうか。



「……あの、大丈夫ですか?」


 俺の言葉で我に返った広瀬は、すっかり興奮しきっていた自分に気付き、肩を下ろした。


「すいません、取り乱してしまって……。散々愚痴も言ってしまいましたが、それでも、私はあの人を愛しているんです。だから、信じたい……のに、今は信じきれなくて。……はっきりさせたいんです」

「心中お察し致します。調査はさせて頂きますが、その、……酷な事を言いますが、あまり期待なさらない様にして下さい」


 その言葉を聞き、広瀬は改めてショックを覚え、涙を零した。


「分かっています。……でも、でも、少しでも可能性があるなら、信じたいじゃないですか……」


 最近多いよな……、この手の依頼。

 俺は広瀬を労わるような顔を浮かべたまま、内心げんなりとしていた。

 しばらくして、広瀬が落ち着いた後、話を進める。


「お辛いと思いますが、いくつか質問させて頂いてもよろしいでしょうか。」

「……はい。お願いします」


 広瀬は鼻をすすりながら、俺を見つめる。

 第一印象とは打って変わって、おしゃべりで感情的で面倒臭い部類の客だが、……うん、やっぱり美人。

 その顔に、涙で潤んだ瞳は反則だろう。

 動悸がヤバい。半端ない。

 俺は平静を保とうと奮闘しつつ、質問を投げかけた。

 多少噛んだが、あの状況では仕方ない。うん、頑張った自分を褒めてやりたい。


「あ、あの。で、でば、……ではその、旦那様の周りで、浮気相手と思わせるような人物に心当たりはおありでしょうか?」

「いえ、分かりません」

「遅い帰りが目立ち始めてきた頃、何かありませんでしたか?例えば、旦那様のお勤め先などで……」

「そうですね……。あ、そういえばその頃、部署が変わったと言っていました。」

「なるほど。では――。」


 その後もいくつか質問し、メモを走らせながら、依頼相談を終わらせた。


「分かりました。これらの内容を参考に、更に調査を進めていきますので、結果は分かり次第、広瀬さんの携帯に連絡させて頂きます。その際は、すいませんが、こちらまでまた御足労お願い致します」

「はい、よろしくお願い致します」


 互いに頭を下げた後、俺はペンと書類を取り出し、机上越しに広瀬に差し出す。


「最後に、こちらの書類にご記入をお願い致します」

「はい、分かりました」


 広瀬が書類を書いている間、互いに無言になり、ペンを走らせる音だけが辺りを支配する。


「……」

「……」


 急に静かになった空間に俺は落ち着かず、とりあえず麦茶を一口飲む。

 ゴクリという、麦茶を呑み込む音がやけに強調して聞こえ、それが居心地の悪さを一層募らせた。

 ……あー、そわそわする。

 とうとう耐え兼ねた俺が、話題を振ろうと口を開いたその時、いきなり静寂は破られた。

 先に声を発したのは、広瀬であった。


「そういえば……、」

「え、あ、はい?」


 不意を突かれ、思わず声が裏返る。


「弟さんって、脚に怪我でもされてるんですか?歩き方に少しだけ違和感を感じて。……右脚を庇っているような」


 ……驚いた。

 ちょっと目をパチクリしてしまった。

 確かに葉流は右脚が悪い。

 昔、ある事件に巻き込まれた際に、犯人が発砲した銃弾が右半身に被弾。

 当初は、リハビリしても、短い距離を杖で支えながら歩くのが精々だろう、と思われていた。

 しかし、葉流は死に物狂いでリハビリに励み、本当に頑張った。

 その努力が報われ、走ることは出来ないものの、歩くのにはほとんど支障がない程にまで回復。

 よく観察するか、身近な人間でなければ、歩き方の若干の違和感に気付かないだろう。


 ……うーむ。広瀬恵、侮れんな。

 この人の旦那には、悪いが御愁傷様としか言えない。

 というか、こんな観察眼を持った奥さんがいて、よく浮気に至れたものである。

 ある意味勇者。あるいは只の馬鹿か。

 いや、こんなバレバレのお粗末な浮気なのだから、間違いなく後者か。(笑)


「……ええ、まぁ。昔ちょっとありまして。よく気付かれましたね」

「いえ、お茶をテーブルに置いてくださった時、しゃがみ方が少し気になりまして。その後歩き方に注目していたら何となく違和感を感じて、脚が悪いのかなと……。お若いのに、色々苦労されたんですね」


 俺の返答に何かを察したのか、広瀬は視線を書類に落とす。

 この人、勘も相当鋭い。

 何この人。俺よりも探偵らしくね?

 

「あはは、そんな気を使わないで下さい。脚が悪いといっても、日常生活に支障はないですから」

「そうですね。よく見ないと気付かないぐらい、歩き方も自然で……。本当によかったですね」


 お互いに微笑み合いながら、和やかな雰囲気が生まれだす。

 まぁ、俺の場合は作り笑いではあるのだが。

 だって、俺の思考まで読まれてそうで、居心地悪くて落ち着かない。

 早くこの場を離れたいものである。

 

 それから広瀬が書類を書き終えるまで、談笑はしばらく続いた。

 娘の話や、またまた旦那の愚痴など。

 ――でも良いところもあるんですよ、と旦那自慢まで始まる。

 書いている手がよく止まるため、書類は中々進まなかった。

 静かだった先程までの空間の方がまだマシだったと嘆きながら、俺は苛立ちを表に出すことなく、見事に仕事モードを貫いていた。

 しかし、この後少しして、俺は広瀬の異常性に気付くこととなる。

 いや、異常性というよりも、広瀬の勘の鋭さに対して感じていた違和感が、更に色濃く形になった感じ、といった方が正しいだろうか。

 何が、とまでは分からないが、底が見えない様な、不気味で恐ろしい何か。

 そんな違和感、印象さえ感じてしまったのである。

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